人さらい疑惑と職務質問!
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カウンター席に座る天登とおねえさん2人の笑いの発作を眺めて、その張本人のほなさんは、カウンターの中で頭を掻いている。
「あ、なんでそこの人笑うん? 人さらいって聞いたが?」
カウンターの一番遠くに座っている茶髪さんは笑いが収まるや否や、天登に挑んできた。
「さっき店に来たが、もしロープやらケーブル結束バンドでも買おうもんなら派出所一報しよう思うたで?」
「何ですか、それ。人さらい? 酷すぎません?」
天登は赤くなりながら疑問文を発するので精いっぱい。
年上っぽい女性3人に絡まれるだけでも慣れない。自分は不器用なただの高校生だと叫びたくなってしまう。
「幼女誘拐するかもって聞いた」
「私は女衒だって聞かされましたけど?」
ローヒールさんは営業用丁寧語でもっと恐ろしいコメントを吐く。
「勘弁してくださいよ~」
女衒って女性をその手の商売に売り払う悪い男のことじゃなかったっけと天登は真っ赤になった。
「いやあね、こちらは本藤さんのお孫さんよ。おばあちゃん一人で淋しいもんね。えっと、本藤くん、なのかな?」
ほなさんが天登の助けに入ってくれる。
「いえ、母がたなんで、有田って言います」
「有田くんね。で、なんで人さらいだとかって話になってるの?」
ほなさんは友人ふたりに聞いている。
「おぼこいこっちの女子を物色してる。騙して都会に連れてって売るんだって」
「は?」
頭を抱えたくなった。地区の人たちの思考回路が信じられない。いや、地区の人はまだ天登が本藤の孫だと知っているからいいのだろう。
そこから噂が広がって尾ひれがつき、県道側では酷い濡れ衣に変化している。
(なんて想像力の逞しい……孫娘について質問しただけだろっ! 売る? さらう? ってどっから出てきたんだよ!)
天登は心の中で憤懣を爆発させた後、カウンターに突っ伏して脱力し、ばあちゃんを思った。
(ばあちゃん、広島から嫁に来て、絶対苦労したよな。溶け込めないほど結束硬いおしゃべり情報網ってキツい)
「ほんとここらのウワサって怖いよねぇ。有田くんは静かで礼儀正しくて、ちょっとコーヒーが好きすぎるだけなのに。私も地元じゃないから、わかるよ」
天登が恐る恐る顔を上げるとほなさんは、いつもより何倍も眩しく微笑んでいた。
(ご近所の冷たい目どころかお姑さんもいるんだよな、ほなさんは)
天登はそう思うことで何とか姿勢を正した。
「飢饉の時に子供を売った辛い歴史がある土地なんでしょ」
「農産地は大抵そうじゃね?」
おねえさんたち3人はまだおしゃべりしていたが、天登はごちそうさまと席を立った。
スーパーで買い物をする間も陰でひそひそ何か言われていそうで居心地が悪い。
(道路に書いた黄色い字のことが知れ渡ったら、次はどんな噂に発展するんだろう?)
天登は東京に帰りたくなっていた。寝台特急の予約を前倒し変更しようかと思うくらいに。
明朝、天登はばあちゃんとの畑仕事の後、街に出てJRのみどりの窓口まで行こうかと悩みながら決心がつかず、自分が書いた黄色い文字のところに向かってぼうっと歩いた。
例えば赤いペンキで横に「OK!」とか「TELする!」とか書いてあったりはしないよなと想像してしまい、どっと疲労を覚える。
自分のケー番の下一桁から遡るように歩いて、天登は「みいちゃん!」と書いた橋の上に立つ。
雨も夜露も降らず、車もめったに通りもしない道、黄色い文字は悲しいほど鮮やかだ。
「みいちゃん、あの日、ここで会ったよね? 一緒に天の川見たよね? 蛍が用水路の上をすぃ~って飛んできて、辺りいっぱい光ってたよね。まるで銀河から星くずが流れ込んできたかのように……」
by 汐の音さま
みいちゃんは天登の名を知らない。どうでもいいから聞かなかったんだろうか。
ただその場にいた男の子、父親が迎えに来たら振り返りもせずに去ってしまう行きずりの数分。
「最初から片想いか……」
感傷に浸っていて、県道側から自転車が近づいてきていることに天登は気付いていなかった。
回想は乱暴に破られた。
「犯人が現場に戻るって本当なのね!」
妙に明るい女性警察官さんが、自転車を停めて天登に近づいてくる。
制服のポケットから何を出すのかと思ったらスマホで、天登のポケットの中が急にブブッと振動した。
「この番号はあなたのね?」
「はい……」
「この黄色いスプレー、今持ってる?」
「いえ、持ってません」
「あら、残念」
何が残念なんだろうかと天登が思い巡らす間に、警官は、
「ではあなたがこれを書いたという確証はない。現行犯逮捕ができないので、職質に変えまーす」
と言った。
「逮捕? 職質?」
天登の頭は疑問符だらけ。
相手は背が低く小柄でも、警官らしくどんどんその場を仕切る。
「名前、年齢、住所は?」
「有田天登、17歳、東京都町田市〇〇〇」
「17? まだ高校生なの? あんたが保護されるべき青少年じゃない!」
「そうですけど、それが?」
「東京から人さらいが来てるって通報まであったんだけど?」
「誤解です」
もう天登は大抵のことでは驚かない。天登を見て窓を閉めたご隠居さんが派出所に電話したと聞いても、あり得ると思うだけだ。
「人さらいは誤解でも、道路への落書きは犯罪だって知ってる?」
「あ、そうなんですか? そうかも、とは思ったんですけど……」
「反省の色がないわね。警察官の心証は悪くしないほうが身のためよ」
そう言われても、と天登は内心、投げやりだ。
「こんな落書きされて、本藤のじいさんお墓の中でひっくり返ってるわね」
「本藤のじいさん?」
「そ。この町の名士で厳しい人だったんだから」
「……」
自分が俯くと、つい警官さんの豊満な胸元に視線が落ちてしまい天登はやりにくくてしかたない。
「で、なんで自分のケー番なんて書いたの? みいちゃんって誰?」
「……黙秘します」
小柄ながら威勢のいい女性警官さんは笑い出した。
「もう、刑事ドラマじゃないんだってば」
天登にしたら笑い事じゃない、説明するほうが恥ずかしい。
お巡りさんに、ここら近辺に「み」と「こ」のつく名の女子高校生が住んでいないか教えてくださいと言っても、昨今では個人情報だとして教えてもらえる気もしない。
「吐いてしまったほうが身のためよ?」
「は?……」
ペンを握った手を腰にあて、ドラマがかっているのは警官さんのほうだ。