本屋のカフェと縁結びの神様
その夜、布団をかぶっても苦々しい思いで天登は眠れなかった。
「母ちゃん、やっぱオレにもこの土地合わないね。出ていったの今ならわかる気がする。父さんが死んでも意地でも東京に残った。都会でなけりゃ、女手一つでオレ育てることもできなかったんだろうし」
2年前のじいちゃんの葬式でのことが思い出された。
――ーー中3の制服姿の自分。悲しくはあったけれど泣くほどじゃない。
いろんな準備を手伝うんだと思っていたオレに、母は「うろうろしないで、じいちゃんの傍で神妙にしてなさい」と言った。
ばあちゃんも母さんも叔父さんもお棺の据えられた座敷に居て、三々五々訪れる弔問客に、頭を畳に擦り付けるように挨拶している。
親族は台所にも立たない。庭を散歩するのでさえ気が咎めた。
お茶を出すのも精進料理を作るのも全部ご近所の奥さんたちがしてくれる。
そういうものなのだそうだ。
トイレに立った時に台所で、とっても若い奥さんがお姑さんらしき人に、
「お義母さん、味付けみてください」
と小皿を差し出しているのを見た。
お葬式だからかお化粧もほとんどせず控えめで、洗い物なんかも率先してしていた。
「田舎のお嫁さんって大変だな」と思って東京に帰ってから母に話したら、「そうでしょ。他人様のお葬式にお姑さんと借り出されるなんて私にはムリ」と言っていた――ーー
(みいちゃんはどこに居ても幸せになってほしいな)
そう思いながらやっと眠った。
次の日から天登のルーティンが変わった。
早朝からばあちゃんと畑仕事。10時から近場の観光地巡り。5時には帰ってきて通い詰めている本屋カフェへ。一息ついたら買い物、料理、夕食。
畑ではじいちゃんの看病で手が回らず雑草だらけになった一角を、天登が除草し掘り返し、ばあちゃんが植え付けできるようにした。
堆肥を混ぜて一度しっかり耕しておけば後々楽で、ばあちゃんでも手入れができるらしい。
観光はまず、城下町の堀川遊覧船巡り。
次はパワーストーンで有名な温泉の無料の足湯。温泉街のお湯の川沿いにあって情緒は十分。
浮かせた金で天登は、カジュアルなTシャツにも似合いそうな勾玉の革紐ネックレスを色違いで2つ買った。
みいちゃんでなくとも、いつか彼女ができたら渡したいと思って。
観光の後は毎日、本屋のカフェで天登はゆっくりとコーヒーを楽しむことにしていた。
漫画喫茶にしておくにはもったいないほどいい豆を揃えている。天登のバイト先とは違ってサイフォン式なのがまたいい。
一杯淹れるたびに階下まで香ばしい匂いに包まれる。
飲みなれたネルドリップ式より風味が濃く、ガツンとしたボディを感じる。
サイフォン器具は3客用、2客用ひとつずつと、1客用が3基並べて置いてあり、どれもアンティークで、厚みのあるガラスが年季の入った光沢を放っている。
アルコールランプで温められた水がフラスコからロートに上がり、ランプを引くと下がってくるという動きも楽しい。
少しぎこちないけれど、笑顔でサイフォンを扱うバイトか何かのおねえさんにも天登は好感を抱いていた。カウンター席に座ってその仕草を眺めているだけで癒される。
自分もサイフォン式やってみたい、などと思いながら、居心地の良さに浸った。
漫画を読みに来た子供たち、ゲームに夢中の中学生などは、大人値段のサイフォン淹れなど頼みはしない。
天登が何かの拍子に、「漫喫なんてもったいないな」と呟くと、おねえさんはその声を拾って、店の変遷を話してくれた。
「ここの最初、先々代は自家焙煎本格珈琲店でした。でも不況のせいだったのか、インスタントでいいやって人が増えて続けられなくなって。
先代が本屋に改造したんですが、息子が2階にレンタルビデオ屋始めて。最初はすごく儲かったらしいです。でもどんどんビデオも下火になって。Wi-Fiあったらタダで観れるものたくさんだし。それで、レンタル取っ払って漫喫。
サイフォンなんかは昔のが保管されてたから使ってるっていうか……」
「えっと、コーヒー豆選んでるのは誰?」
「下に居る店長ですが、詳しいことはわからないって、ブレンドも先々代のメモどおりだそうです」
「そうなんだ……」
天登はちょっとがっかりした。コーヒー談議で盛り上がる感じではない。
(すっごい美味しいのにな)
おねえさんが会釈して離れていったので、天登はスマホで明日行く観光先を探し始めた。
子供の頃に行った山の上の動物園兼遊園地が閉鎖になっているのにはショックを受けた。知らなかった。
上野動物園よりもディズ〇ーランドよりも絶対、記憶の中のあの遊園地が楽しかったと思ってしまう。
(今会うどんな女よりもみいちゃんがいいと思ってしまうのと同じか……)
天登は苦笑しながら、いい加減諦めて前進しよう、明日こそは「縁結びの大神社」に行ってこようと考えていた。
「縁結びの大神社」はばあちゃんの家から歩いて5分の私鉄駅からたった3駅先にある。おやしろまで全行程片道たったの30分。
天登にとっては近すぎて、お馴染みすぎてご利益が無さそうな気さえしてしまう。
いざ来てみると、子供の頃、母の帰省のたびに訪れた懐かしさは漂っていて、終着でもある駅の佇まいや門前町を見回した。
並木の続く長い参道を歩いて大鳥居をくぐって歩き続けるとその先に、鳩が飛び交う広々とした境内。その奥、深い緑の山を背景に雌雄のヘビか絡まった姿だというぶっといしめ縄が見える。
ここに来るときには諦めるときだと天登は決めていた。
縁結びの神様の前で、みいちゃんのことはもう忘れます、新しいご縁をくださいと祈ろうと思っていた。思っていたのだが。
拝殿でお参りしようと近づくうちに、天登の瞳にその後ろの本殿の威容が飛び込んでくる。
ここの神社ならではの、屋根の端で部材を切りっぱなしにしたような、交叉してぴょんぴょんと突き上げる千木というものが✕型に青空に映えていた。
立ち止まって見上げる。天登はしばし、茫然と見つめていた。
「諦めちゃ、ダメだよな? オレはまだヤマタノオロチを退治してもいないし、ヘビのいっぱい出る部屋に寝かされたわけでもない。頭に湧いたムカデを取らされてもない」
古事記に出てくるこの不思議な間柄の婿と舅ふたりの神様が鎮座する方向に、天登は拝殿から祈りを捧げた。
「オレのやり方でもう一足掻きしてみます。我ながらバカな方法だと思う。だけど、全てはあの場所、あの十字だと思うから。酷いことにならないように、見守ってください」
天登にしては、初めて本気で神に祈った案件かもしれない。