まずはWi-Fi探し?
油断した天登にばあちゃんから爆弾発言が投下された。
「あんた憶えてないんか? ちず子が迎えに来て東京帰るって夜に泣いとったが。『みぃーこちゃん探してぇって』」
「憶えてねぇよっ!」
赤くなった顔を隠すように天登は言葉を継いだ。
「えっと、それで何だっけ、晩じますてございますにゃあ?」
「そうそう、それがこんばんは」
「オレ、じいちゃんの言うこともちっともわかってなかったよ?」
「じいちゃんの訛りはきつかったねぇ。最後に言えた言葉は『細工ないのう。だあんだん』やったよ」
「細工ない?」
「不細工ってことやね。おしもの世話までされてカッコつかんって」
「で最後のだあんだん、ありがとうだよね?」
「そだそだ」
「わかった、ばあちゃん、だあんだん。買い物にも行くし夕食も作るけど、ご近所回りもしてみるわ」
ばあちゃんはもう何も言わず、ただニコニコ笑っていた。
天登には、その足でお隣を訪ねる勇気はない。自分の言うことはわかってもらえるとは思うが、相手の言うことの半分は聞き取れないと思ったほうがいい。
ばあちゃんが昔教えてくれた「こんばんは」の返しに、「こんな遅くまで野良仕事してるとトンビに目ん玉食われてしまいますにゃあ」みたいなのがあった。
そう言うお土地柄。
天登は、とりあえずスーパーへ行って、みんながみんなバリバリの方言をしゃべるのか、そうでもないのか、心構えをしようと思いたつ。
うちにある野菜、調味料をチェックしてから、スマホ上に買い物リストを作った。
平屋建てのスーパーは食料品と簡単な日用雑貨しか置いてないようだったが、活気に満ちていて、思ったより若い世代が働いていたし買い物もしていた。子供連れの主婦も多い。
言葉もわからないほどではない。
同い年くらいの女子を見かけると、みいちゃんだろうかとつい顔を見てしまい、相手にはついっと顔を背けられた。
「ばあちゃんちの周りって老人ばっかの気がしてた」
天登は失礼な感想を漏らしながら、そういえば近くに中学校もあったよなと思い直す。
(みいちゃんは自分より年下だろうか、年上だろうか?)
天の川を知っていたが蛍を星くずだと呼んでいた。
小6にしては子供っぽい。小2にしたら大人すぎる。小4だった自分のプラマイ1歳のはずと天登はあたりを付けている。
天登がこれから高3になる春なのだから、同じか、大学生になるところか高2になるとこ。
誰かの孫だとしても、大学ならもうどこか都会に行ってしまってそうな気がする。日本全国どこかの大学。
ばあちゃんのママチャリのかごに買い物袋を入れて、田んぼの中の舗装道路を一直線に戻ってしまえば家まで5分もかからない。
漕ぎだそうとしたところで天登はふと思いとどまった。
ばあちゃんちにはWi-Fiがない。ルーターも手配してこなかった。無くていいと判断したのに、ショッピングリストとしてスマホを眺めた時に心許なさを感じた。悪友たちにラインもしたい。
(データ使いたくねぇ。近場にフリーWi-Fiないか?)
東西に走る県道を、天登は自転車でうろうろしたが、ファミレスが一軒も無いことに驚いた。手打ち蕎麦屋はあったが、腹が減っているわけじゃない。
「ないのかよ!」
そう呟いて、道路沿いに並ぶ店屋が途切れるところまで行きついてしまった。
県道の田んぼ側、天登のばあちゃんち側の店が本屋だったので、自転車を止めてひやかすことにした。
好きな漫画の続刊がそろそろ出る頃だ。コミックコーナーをぶらぶらとして、奥のカウンター横に貼り出してある新刊到着予定表を眺める。
こんな田舎でも漫画の発売日は一緒なんだ、ととっても失礼な感想を天登は思い浮かべた。
そしてふと思いついて、レジ横に座っている店主らしきおじさんに話しかけた。
「ここら辺の地図って売ってますか?」
アナログでいくことにしたのだ。これからの調査に、広々とした平面図で位置関係を把握するのもいいだろう。
「観光案内なら入口のところに纏めてあるよ」
本を読んでいた銀縁眼鏡のおじさんは顔を上げ、友人に答えるようにニコッとした。訛っていない。
「あ、いえ、観光より市街図って言うか、市内全部が載ってるのが欲しいんです」
「それならこっちのほうがいいね」
おじさんはカウンターから出てくると、奥まったところに立っている回転式ラックに近づいた。日本の主要都市やニューヨーク、ロンドンなどと書かれた折りたたみ式地図が上から下まで揃っていて、くるくる回る。
「はい、これ」
「じゃ、これください」
手渡してくれたのをおじさんに返したら、「中見ないの?」と聞かれた。
「あ、一応……」
折りたたまれた一枚紙が横に広がるタイプの地図を傷つけないように開くと、この本屋とばあちゃんちが入っている「高浜地区」という部分があることを確認できた。
「バッチリです、これください」
お金を払っていたら、妙に懐かしい香りが頭上から降ってきた。おじさんの気安さにつられてつい、天登は「コーヒー、いい匂いですね」と口に出していた。
「2階カフェだから。読み放題の漫画もあるよ」
「Wi-Fiはないですよね?」
都会の漫画喫茶とは違うよなと思ったのに、おじさんは眼鏡の奥の瞳を煌めかせて、「あるよ」と答えた。
天登はカウンターから見て地図とは逆にある階段を上り、カフェに足を伸ばした。座り心地のいいソファもあるそこは、若者たちのちょっとした溜まり場になっている。
「買い物の中にチキンの細切れがある、長居はできない」と自戒した。
カウンターで一気飲みできるラテを頼んで、軽食メニューが書かれた黒板にあった「Wi-Fiパスワード」でスマホを繋いだ。
入ってきたラインに、片っ端からスタンプ返信だけしておく。
「ふう、これでいい」
垢抜けないおばさんが出してくれたラテのミルクの向こうに、質のいいコーヒーの匂いを嗅ぎとるように楽しんで、その日は慌ただしく帰宅した。