用水路を遡りながら
ほなみさんは、田んぼの中に天登の長身を見つけて駆けてきた。
「有田くん……、私を探してくれたんじゃないの? 有田くんがあのときの男の子じゃないの?」
「そうです……」
「じゃ、がっかりしたんだ、もっと可愛いと思ってた? もっと綺麗だと……」
「違う、違います、それだけは……ちがう」
「じゃあ、どうして……」
ほなみさんの瞳に見る間に涙が湧いた。
「どうしてって……」
天登も声を詰まらせてしまった。
ほなみさんはなんとかゆっくり話し出した。
「中学からこっちに引っ越してきて、いつか会えるんじゃないかって思ってずうっとずうっと探してた……」
「私、友達みんなに蛍の子のこと話してて、だから、派出所の綾乃さんも昨日のうちからケータイしてみればって言ってくれてて、でも有田くんかどうか確証なくて、ホームセンターの清ちゃんに聞いたら有田くん黄色いスプレー買ったって、でも電話する勇気は無くて。で、今朝綾乃さんが有田くんと話してみて絶対だってもう一度電話くれて……」
「私も、有田くんが本藤さんのお孫さんだって聞いて、位置的に一番あり得るって思ってたから、実はお葬式で見かけた時にももしかしてって思ったから、それで……」
「去年の夏休み、あのコーヒーゼリーたくさん作ったの。お盆に帰省してくるかもしれない、『天の川のコーヒーゼリー』って聞いたら食べにきてくれるかもしれないって。今日来てくれたら出そうって……」
「それでもあなたはっ」
天登はこれ以上聞いていられないと声を上げた。
自分を探してくれていた、愛おしくてたまらない、好きでたまらないのに……。
「誰かのお嫁さんなんでしょ?!」
「…………?」
沈黙が過ぎる。
天登は2人の間の温度差が哀しい。
「僕はみいちゃんが好きで探してました。他の女の子好きになれないから。みいちゃん以外の子と付き合いたいと思えないから。そのくせみいちゃんを探しながら、ほなさんにまで惚れてしまった……。そんなバカなヤツです。今晩、東京に帰りますから、もう会わなくて済みますから安心して……。あの夜、天の川と蛍、教えてくれてありがとうございました」
天登は用水路の岸をあの黄色い字の方角に歩き始めた。言いたいことは言った。次にすることは、あの字を消して東京に帰る準備だと思いながら。
ほなみはなぜか天登の後ろを、付いてきていた。
「有田くんは私を……何歳だと思ってるの?」
天登は振り返りもせずに、ぶっきらぼうに答える。
「ほなさんは23くらいだと思ってましたけど、みいちゃんなら18か19でしょ?」
「結婚って早すぎない?」
「田舎じゃそんなもんなんじゃないですか?」
「ひどい偏見。どうして私が結婚してるって思うの?」
「ほなさんが『おかあさん』て呼んでる人、実のお母さんじゃないでしょ、『義母』っていうか、お姑さんでしょ」
そこでほなみの手がむんずと、天登の左腕を掴んだ。天登はびくっとしてバランスを崩し、危うく用水路に落ちそうになった。
今の身長なら落ちても上がってくるのは簡単だが。
「腕、太くなったね……」
話題を変えられたようで、天登はムカッとして振り向いた。
ほなみは泣きたいのか笑いたいのかわからない表情をしている。
ほなみの手を振りほどいて、天登はまた歩き出す。
その背中を彼女の声が撫でた。
「あの人はお父さんの奥さんだよ。私のお母さんは有田くんに会った前の年に死んじゃった。蛍は死んだ人の魂だって、だから見に行こうってお父さんが言ってて、私はお母さんもういないって信じたくなくて、お母さんはきっと帰ってくるって言い張ってて、だから、蛍は星くずだって話を作ったらしいの」
「え?」
天登が前を向いたまま立ち止まったら、ほなみはとすんとぶつかって、そのまま天登の背中に額をつけた。
「すっごく淋しかったんだ。有田くんに会えて嬉しかった」
「オレもあの夏すごく淋しかった……」
奇しくもふたり、あの時寄り添って座った辺りにたどり着いていた。
天登の前にはコンクリの橋、目には自分が書いた「みいちゃん!」という黄色い字が踊っている。
「じゃ、オレのみいちゃんは独身?」
「もちろんだよ」
天登はくるりと振り向いて、ほなみの両肩に手を置き見つめた。
「みいちゃん、オレの、みいちゃん?」
相手がコクリと頷いた途端に、天登はほなみを両腕で抱きしめていた。
腕の中から「天登くん……」というくぐもった声が上がってくる。
「タカくんって呼んで、あの頃オレ、タカくんだったから、今だけ……」
「タカくん、タカくん、ずうっと探してた、タカくん……」
ほなみの両腕が天登の背に廻ってふたりの熱が重なり合った。
時が舞い戻る、まるで天の川が逆流するかのように。
「会いたかった、会いたかった、ほんとに、会いたかったんだ」
天登は腕を緩めてほなみの躰を少しだけ離すと、そっと口づけした。そして頬の涙を拭ってやった。
「えへへ」
ほなみは顔をくしゃくしゃにして笑いながら、涙が止められないでいる。