第6章 決する雌雄
町へ行ったのか。それとも山の方へ?
それは、徹には分からなかった。だが、町ではないような気がする。以前にバイクで走っているとき、山道で出会った。後を追いかけてきたのかもしれないが、もしかすると、彼はなにかの用事でいたのかもしれない。
だから徹は山の方へ向かってバイクを走らせたのだった。
どれほど走っただろうか、香奈美が徹の肩を叩く。彼女の指さす方に、祐二のバイクが止めてあった。だが、止まることはかなわず通り過ぎてしまった。
仕方なく徹はスピードを落としながらUターンできそうな場所を探した。丁度車一台止められそうなほど路肩が広くなっている場所があったので、徹はバイクを左端に寄せて前後を確認してバイクの向きを変えた。
祐二のバイクの隣に並べるように徹はバイクを止めた。ヘルメットを外し、サイドミラーに引っかけるように置くと、徹は香奈美の方に向き直る。
「もし、危ないと思ったら逃げろ。約束できるな?」
「うん。でも、徹さんは?」
「もし、そうなったときは、俺が全力でくい止める」
徹の瞳には、強い意志が宿っていた。
だけれど、香奈美はそれを否定するように首を左右に振った。
「ダメ。自分が犠牲になるような言い方はやめて」
香奈美の意外な言葉に、徹は目を見開いた。
「俺にはもうなにも残されていないから。君の役に立てるなら、それはそれで本望だよ」
「バカなこと言わないでよ。何もないのは私も一緒よ」
香奈美の強い言葉に、徹は驚きを隠せない。
「ハンターっていう居場所を失った。身寄りない私を実の子のように育ててくれた新屋敷さんをはじめとして、親身にいろいろと世話してくれた香織さんもいない。ほんとうのお祖父さんみたいだった弥太郎さんも。それに、それに、捨てられていた私を拾って名前をつけてくれた卓さんも、もうこの世には……」
香奈美の口から紡ぎ出される名前に、徹は正直驚きを覚えていた。
「父さんが君の名付け親だったのか……」
「……。うん。知ってると思ってた」
「いや。いま初めて知った」
「そうだったんだ……」
「俺、今もうなにもないっていったけど、一つだけあった」
「へぇ。なに?」
「守りたいものだ」
その真剣な眼差しに、香奈美は一瞬ドキッとした。自分のことをいっているのかと思ったが、すぐにそんなことないよねと否定する。
だいたい、会って間もないのに好きだとか告白なんかするわけないよね。ましてや、いまはこの状況だから。
一人で勝手に高揚する自分を、香奈美はいさめながら心の中で、何度もそんなことない。私の事じゃないよきっと。とつぶやき続けた。
でも、もしかしたら……と、淡い期待を覚えてしまう。
「香奈美を守りたい」
再び香奈美の心が飛び跳ねた。どきどきと心臓が高鳴っていく。
「いや、香奈美だけじゃない。祐二を止めて、ディムって奴を倒さないと、また多くの人が俺や香奈美みたいな思いをすることになるんだ。それだけは、なんとしても阻止したい」
香奈美はガクッとした。ああ、そう。そういうこと。そうよね。私が自意識過剰なんだわ。両肩をガクッと落とした。そうじゃないかなとは思っていたけれど、まさか本当にそう来るとは思わなかった。
でも、逆にこれはこれでいいことなのかもしれない。
ハンターの組織に保護されたときは、戦うことを知らなかったし、仮に戦ったとしても、復讐の為だけだっただろう。
今はこれでいいのだと、香奈美は思い直すことにした。
「なあ。一つ約束してもらえるか?」
不意に徹が言った。
「え? なあに?」
「この戦い、無事に終えることができたら、父さんのこととか聞いてもいいかな?」
「……うん。話してあげる。わたしにできる範囲で……」
「うん。わかった。頼むよ」
二人はそういって約束を交わすと、森の中に続く獣道に足を踏み入れた。
道を少し進んだところにひらけたところがあった。その中央に祐二とディムが立っていた。
「祐二、お前……」
「徹、生きていたのか?」
祐二と徹が正面からにらみ合う。側に立っていたディムが叫んだ。
「祐二、お前はまだ徹を殺しておらなんだか。殺せ。現王が倒れなければ、王位は継承されないぞ」
その言葉に、一瞬祐二の表情がゆるんだ。躊躇い混じりの顔で、必死に徹を威嚇しようとしている。
だが、もちろん、それが威嚇になるわけではなく。逆に徹の考えが正しかった事をにおわせた。
だが、一切身を引こうというそぶりは見られない。
何かに悩みながら、それでも、戦わなければならない。そんな感じだった。
「香奈美、離れて……」
徹の言葉に香奈美は頷くと、距離を置いて物陰に身を潜めた。
徹は香奈美を遠ざけると、祐二と対峙した。お互い宝石を剣に換え、相手の出方を見ながらタイミングを計る。
祐二は迷いを押さえ込み、冷静を装った表情で言った。
「わざわざ死ににきたのか?」
声のトーンは少し低くしているようだが、いかんせん凄味がまったくなかった。
「いや、違う。お前を止めにきたんだ」
「なに? 俺を止めるだと? 果たして、王の力を得た俺を止めることが出来るかな?」
「それでも、俺は多くの人のために戦い、勝たなければならないんだ」
徹の意志は固い。初めに戦った時とはまるで違っていた。
祐二が動いた。振り下ろす斬撃を横に動いて交わし、横薙ぎの一撃を受け流す。カウンター気味の一撃を祐二はかわしきれずに左手に傷を負った。
祐二は一度間合いを取ると、再び柄を握り直した。
徹は手応えを感じていた。勝てそうな予感。だが、油断は禁物。祐二がどんな手を隠し持っているか分からない。最後の瞬間まで、気を抜くことはできないし、悲しむことも許されない。
だが、今の徹は無心だった。多くの人々が苦しんでいる。家族を亡くし、あるいは離ればなれになって、すむ場所だけでなく、何もかもを失った人も少なくはないだろう。
今まで友として生きてきた祐二も、こういった破壊活動を平然とやったのだろうか。そういったことを考えると、徹の中で友情が音を立てて崩れ、憎しみへと変貌を遂げた。
今度は徹が動いた。
振り下ろした一撃が交わされると、流れるような動作で回し蹴り。それが祐二の反応速度を上まり、背中に一撃が決まった。
倒れかけた祐二に、さらに追い打ちをかける。もう一度放たれた蹴りが、祐二の横腹に直撃し、彼の体は近くの塀をぶち抜いた。
「どうした、これで終わりか?」
「どうやら、ようやくその気になったようだな。だが、貴様はどうあがいてもハーフ。純血の俺には勝てまい」
一方的に押され気味の祐二は、やけに自信に満ちた一言を漏らす。どんな根拠があるのかわからないが、徹は警戒心を強め、間合いをとった。
祐二はゆっくりと立ち上がると、口から流れる血をぬぐい取る。祐二は気合いを入れ直した。
祐二が精神を集中させた。
徐々に筋肉が隆起し、隆々な体つきに変化していく。身長は大して変わらなかったが、代わりに祐二の体つきはがっしりとし、異様なまでの威圧感を放つ。
徹はいっそう攻撃に力を注ぎ、祐二の動きの先を読むような動きを繰り返している。
祐二がさらにパワーアップを望もうとしたその時だった。
祐二の意図に反した変化が身体で起こった。
「ど、どういうことだ?」
動揺した祐二が叫ぶ。
「こ、コントロールができない」
血の暴走だった。祐二という器に――人の体を持つヴァルキュリオンに、王の血に秘められた爆発的な力をコントロールする事はできなかったのかもしれない。
徹が力の暴走を引き起こさなかったことには、おそらく生まれもって父の血を体に受け継いでいたためだろう。
「転生の剣を使い、ヴァルキュリオンでありながら人になったお前に、王の力は制御できない。つまり、お前には王の血は重すぎたということだ……」
ディムがどこからともなく呟いた。そういえば、先ほどから姿が見えない。
徹は香奈美の方に目を向けた。無事だ。じゃあ、ディムはどこへ?
徹の気が逸れた瞬間、コントロールできなくなった祐二の身体が暴走をはじめた。
徹が反応するよりも先に、動いた祐二の手が彼を払いのける。徹は大木に身体を打ち付け、地面に転がった。
「徹さん」
香奈美が駆け寄った。
徹は痛みをこらえながらどうにか身を起こす。祐二の暴走は止まりそうになかった。
「離れてて……」
徹は香奈美にそう言い残すと、彼の攻撃をかいくぐりながら、一気に間合いを詰める。徹の蹴りや拳が祐二を蹌踉めかせる。
「すごい……」
離れていた場所から見守る香奈美がそう呟いた。
事実、徹は祐二を圧倒していた。もしかすると、これが正当な継承者の実力なのかもしれない。香奈美はそう思った。
同時に、怖いと思う自分もいた。もし、この力を悪用すれば――徹はそういうことをする人ではないが――それは明らかに人類に破滅を導く。
この力は当然卓ももっていたわけで。香奈美はおぼろげに覚えている卓の優しさを思い出していた。
「そっか。そうなんだ」
香奈美が何かを思いついたように呟いたとき、黒い影が戦闘中の二人の方に向かっていく。
ディムだ。反射的にそう思った香奈美は、
「徹さん。気をつけて!」
と、叫んだ。
徹は瞬時に後方から迫る影に気づき、身を横に逸らした。いや、祐二の平手打ちの一撃とほぼ同時だった。
たまらず徹の身体は吹っ飛び、地面に転がる。
一瞬、脳しんとうで意識を失っていた徹は、首を振りながら起きあがった。そのとき、目に飛び込んできたのは、ディムの突きだした剣が祐二の胸に突き刺さっているところだった。
「がふっ」
祐二が血を吐いた。
徹は唖然としてその光景を見つめていた。ねらいが逸れた先に、偶然祐二がいたのか。いや、それはちがう。おそらく、ディムは祐二を狙っていたに違いない。
いつの間にかディムの手に握られていた杯に、祐二の血がなみなみと注がれる。
「っははははは。これで、私の長年の夢がついに叶う。ご苦労だったな、祐二。お前はもう、消えてくれ」
「貴様、だましたのか? 俺の母をよみがえらせるという約束は――」
ディムはナイフを引き抜いた。
祐二は膝をつき、傷口を押さえた。もうまともに経つことも出来ない。右膝をつき、それでもなお、前後にふらふらしていた。
「騙した? 人聞きの悪い。利用させてもらっただけだ。それに、死を超越する事ができたのなら、一族は繁殖する必要もなくなるし、好き放題できるではないか」
ディムは気持ちの悪い笑い声を上げ、そう答えた。
「祐二君」
「祐二」
香奈美と徹が動いたのは同時だった。力つき、倒れ駆けたところを、駆けつけた徹が受け止める。
「徹、お前……」
「祐二、しっかりしろ。ヴァルキュリオンはこの程度の傷じゃあ死なない。違うか?」
「ああ、そうかもな」
徹の呼びかけに、しかし祐二は力無く答えた。
「す、すまなかった、徹。許されるはずもないが、謝らせてくれ」
「何を言ってるんだ。え?」
「俺はすべてを得られるという奴の言葉を信じて王の位を奪うことを誓った。お前の父を殺し、祖父や母の命も奪った。そして、今日は徹自身にも手を下した。こんな俺が、今更許されるはずもない」
祐二は苦しそうだった。息も絶え絶えである。
「もういい。喋るな」
徹は悲痛な表情で叫んだ。
「転生の剣。それで、俺はヴァルキュリオンから人として転生した。最近まで、ヴァルキュリオンのことなんか、すっかりわすれてたんだぜ」
「お前。じゃあ……」
「ディムに会ったのは中学卒業前。その頃に思い出した。だけど、お前がスグルの――月成卓の息子だと確信がもてなくてね。そんなとき、ディムがお前に接触した。あとはもう、流されるままだった」
語り続ける祐二はずいぶんと呼吸しづらそうだった。それでも、語るのをやめない。
「俺が転生する二十年くらい前、ヴァルキュリオンの間で起こった戦争が事の始まりだった。戦乱の中、俺は母を失った」
「お前……」
「王の血があれば、王位を継げば、生き返らせることができるといわれたんだ。俺は、それを信じた――」
失った母を、ただ甦らせたい。その思いだけが、彼の原動力だったのかもしれない。その純粋な思いにつけ込んだのがディムだったのだ。
「すまなかった。俺は失った母を求めるあまり、他人に同じ思いをさせていた。今様枠分かった」
祐二の目から涙がこぼれた。
後悔の念が彼を襲う。そんな祐二を、徹は赦せる、そんな気がしていた。
「おれ、ずっと騙されてたんだな。あのときからずっと。利用されてただけだったんだ……」
「俺は、ずっと何かの間違いだと思いたかった。いや、思っていた。ずっと親友だった祐二が、そんなことするはずはないと。やっぱり、俺の思った通りだったよ」
徹は優しくそう語りかけた。言葉を一つずつ慎重に選ぶ。祐二は全く悪くないんだよ。と、遠回しに言い聞かせる。それが、祐二に届いたのか、祐二はうっすらと笑みを浮かべた。
「もう一度やり直そう。死んだ人は生き返らないかもしれないけれど、俺とお前は友として生きていけるはずだ」
「友と呼んでくれるのか?」
祐二の問いかけに、徹は彼の目をまっすぐと見据え、力強く頷いた。
「もちろんだとも……」
「祐二、待っていてくれ。俺はあいつを倒す。王の力を得ようが、そんなの関係ない。すべてを狂わせたあいつを、俺がこの手で必ず倒す!」
決意が込められていた。側でじっと様子を見守っていた香奈美に祐二を預け、徹は立ち上がった。
「ディム、俺はお前を倒す」
「果たして、そううまくいくかな?」
ディムはそういうと、杯を口元に運んで傾けた。まるでトマトジュースや葡萄酒でも飲むような勢いで、一気にそれを飲み干す。
すると、ディムの身体に変化が訪れた。空になった杯を取り落とし、全身が震え始めていた。
空気が震えていた。ディムの咆哮があがった。空気の震えが止まった。ディムの体がまるで別のもののように蠢き始める。
肩胛骨のあたりが盛り上がり、羽のようなものが生えてくる。コウモリのようなその羽は、ディムの体を支えられるほど大きく、また全体の筋肉もそれに釣り合うほどの盛り上がりをみせた。
腕も少し長くなり、全体的に前屈み気味の猫背のような格好である。足をがに股に開き、こちらも増えた体重を支えられるほど太い足へと変貌を遂げていた。
もはや別の生き物である。その姿はまさに異形。悪魔といっても差し支えのない姿であった。
「我ら一族は、堕天の血を引く一族。戦の女神の血を取り入れ、より凶悪な性格と力を秘めている。そして、これが真の姿だ」
ディムは大きく肩で息をしながらそういった。よほど体力を消耗したのか、それとも、この姿でいることが負担なのか。徹にはよく分からなかったが、それでも、底知れぬ力を感じさせる。
徹の体が震えていた。本能的にその驚異を感じ取ったのかも知れない。徹は必至に震えるなと自分に言い聞かせた。さがりたくなるのをぐっとこらえ、徹は力強く前へと踏み出した。
怖くはない。負けるはずもない。さっきまで、祐二を圧倒していたではないか。ディムの力も、そんなに血側にはずだ。
自分に言い聞かせるように、徹はそう呟いた。ディムが拳を振り下ろした。徹は考えるよりも早く大きく後ろへ飛んで間合いを計る。
ディムの姿はようやく安定したようだった。身の丈も倍近く、三メートルはあるようだ。
何もかもが元の数倍だった。顔は禍々しく変貌を遂げ、角こそ生えていなかったが、まるで般若の形相である。
「覚悟はいいな。お前を倒し、俺は真の王としてヴァルキュリオンの頂点に君臨してやる!」
ディムはそう叫ぶと跳躍した。十メートルはある間合いが、ごく一瞬の間に一気に詰まる。徹は反応することもできなかった。
祐二の拳をまともにくらい、徹の体はまるでゴムボールのように軽々と空に浮く。続けざまの蹴りで、徹の体は地面に叩きつけたれた。
衝撃で息が詰まった。あまりの速さと連続攻撃で、手も足も出ない。苦しさと痛みにあえいでいると、ディム左手が、徹の顎のあたりを鷲掴みにした。そして高々と持ち上げる。
「これで終わりだ」
終わり。その言葉が徹の中で何度も繰り返された。終わり。すべてが終わり。一体、自分は何を成せただろう。そんなことを考えながら、次第に体中の力が抜けていく。
脳裏に母・香織や弥太郎の姿が浮かび上がる。
それから新屋敷や香奈美も顔が。ハンターの人々が。そして祐二が。みんな笑顔で徹を見つめている。
「まだだ。まだ終われない」
そう。負けるわけにはいかないのだ。徹は両手でディムの左手を握りしめた。
「おぉぉぉ……」
徐々に力が込められていく。両手の徹に対し、祐二は片手だったが、両手を駆使する徹は、それをはずすことができなかった。
徹の体に変化が起こった。といっても、祐二のような変化ではない。徹の腕の力が祐二の力を上回っていく。
「なに!」
ディムが驚愕の声を上げた。
ヴァルキュリオン特有の変化ではなかった。悪魔ともモンスターともいえる姿ではなく、人の姿を保ったままだった。
いや、ただ一つ、外見が変わったところといえば、徹の背中にも羽が生えていたことだった。
真っ白な羽毛に包まれた大きな羽。それはまるで昔話や絵画に出てくる天使のそれだった。
ついにディムの腕をはずした。その腕を使って一気に間を詰めると、懐に潜り込んで、拳を繰り出した。
はたまらず、二、三歩後ずさったが、すぐに反撃に移った。だが、徹は軽い身のこなしでそれらを交わし、蹴りや手刀を浴びせる。
形勢は再び逆転していた。
「なぜだ。なぜ、貴様がこんな力を……」
ディムは呟いた。その間も、情け容赦なく徹の拳が降り注ぐ。
「王の力とはなんなんだ?」
王の力を得たはずのディムが、力を失ったはずの徹に圧倒される。本来ならあり得ないことだった。
ディムは動揺していた。次第に戦う気力も力も失せていく。いつしか、元の人の姿に戻っていた。
「さあな。だが、これだけは言える。王の力など、なくなってしまえばいい」
徹が呟いた。
そうすれば、悲劇は生まれなくなる。徹自身のような男や、祐二のように騙され、利用され、捨てられていく人もいなくなる。
何よりも、争いがなくなる。それこそが、もしかしたら祐二や卓が願って居たことなのではないだろうか。祐二はただ家族と共に過ごしたかっただけだ。
卓も二つの争いを止めようとしたにすぎないのだろう。王の血を狙う過激派と、守護する側。そんな戦いだったことを、徹は感じ取っていた。おそらく、これが血の記憶なのだろう。
ヴァルキュリオンのことを受け入れ、王の存在を認識し、かつ戦いの中で自分なりの答えを見いだした徹は今、はじめて血の記憶に触れていた。
まるで父親が優しく見守っているような錯覚を覚えた。いや、もしかするとそれは錯覚ではないのかもしれない。死してなお、その血肉は受け継がれる。体内の血管を流れる血液には、卓の血が脈々と息づいている。徹は父、卓のことをこれほどまでに側に感じたことはなかった。
徹の姿も人の姿に戻っていた。体中傷らだけで立っているんのもやっとといった感じである。
二人はボロボロになっていた。
ディムも徹も、もうほとんど力が残されていない。二人はそれぞれニーベルンゲンの宝石を手に取った。
「うおぉぉぉぉ!」
二人は雄叫びを上げながら、真っ向からぶつかっていく。何度も剣を合わせ、僅かな隙をついた徹がディムの剣をはじき飛ばした。続けざまの蹴りで、ディムは為すすべもなく地面に仰向けに倒れた。
徹もディムも肩で息をしていた。ディムはもう立ち上がる気力もない様子だ。その横に立った徹が切っ先をディムの喉元に向けた。
「どうした、やれよ」
ディムが言う。
徹は一瞬躊躇いを覚えたが、やがて意を決して剣を振り下した。ディムは断末魔をあげることなく絶命した。
徹は祐二の元に駆けつけた。
祐二の呼吸は小さくなっていた。
「おい、祐二。勝ったぞ」
徹が語りかけるが、反応がない。もう一度同じ言葉を繰り返し、ようやく祐二が反応を見せた。弱々しく微笑む。
「徹、ほんとうにすまなかった。そして、ありがとう」
「何をバカなこと言ってるんだ。お前は助かるよ」
徹の言葉に、祐二は静かに首を横に振った。
「もうダメさ。それは俺が一番よく分かっている」
「そんなこと言うなよ」
「なあ、徹。俺はお前の友と呼べたのかな?」
「ああ。お前は俺の唯一無二の親友だよ」
徹の言葉に、祐二は再び弱々しい笑みを浮かべた。
祐二の腕が力無く垂れ下がり、さっきまで正面を向いていた顔も、ゆっくりと横に向く。笑顔を作っていた筋肉がほぐれて無表情になった。
「ゆ、祐二!」
徹は彼の名を叫んだ。もう、返事はなかった。たった今まで話をしていた祐二は、もう息をしていなかった。
「うそだろ? なあ、うそだって言ってくれよ」
徹は叫ぶ。信じられなかった。祐二の体はまた温かかった。だが、もう返事をしない。二度と言葉を交わすことは敵わないのだ。
亡骸を抱き寄せ、涙を流す。
まだぬくもりを持った彼の体は、到底命を失ったとは思えなかった。
いつの間にか、香奈美が徹の隣にいた。
香奈美は徹の肩をそっと抱きしめた。徹はそのまま香奈美の腕に抱かれながら、しばらくの間泣き続けたのだった。