第2章 揺らぐ真実
数年ぶりの幼なじみとの再会も、うれしいものではなかった。こんな事になるなら、再会したくなかったとすら思う。
だが、すべてを香奈美のせいにするのも間違っているということを、徹は理解していた。
祐二も香奈美も気が重かった。徹の気持ちを察すれば、迂闊なことはいえない。
もし、あの場で戦うことを選択していれば、香織も無事だったかも知れないと思うと、気軽に話しかけることも出来なかった。
なにより、徹がふさぎ込んでいるのが一番の問題だった。
突然の出来事が続いている。弥太郎と母の死。自身の出生の秘密も明かされようとしている。
なぜ、母はヴァルキュリオンだった父と結ばれたのか。もっとも、その話は途中までだったから、本当のことかどうかわからない。話の内容からは、その可能性が高いことは確かだ。だが、確証を何も得ていない。
だから、うじうじと考えるのをやめることにした。考えたところで、事実が揺らぐ訳ではない。だったら、今できることを考えるべきだからだ。
別の車に乗って、ハンターの本拠地に向かうことになった。幸い、あれからは後をつけられている気配はなく、予定通りに進みそうだった。
連れられてきたところは旅館だった。いや、旅館だった外装はそのままに使い、まんまと擬装したのだ。
三階建てでその上に屋上のようなテラスがある。木造ではなく、鉄筋コンクリートで作られている。
ホテルのような感じがするが、どちらかというと民宿に近かったのかもしれない。近年、古い建物を鉄筋コンクリートの作りに立て替えたが、結局経営困難に陥ったといったところをハンターたちが買い取ったのだ。
だれも、まさか旅館に見せかけたここがヴァルキュリオンハンターの本部だとは思わないだろう。。
「ハンターって、どんな奴らの集まりなんだろうな」
祐二が言った。黙っていても空気が重すぎるから、少しでも紛らわそうと思っているのだ。
「そうね。いろんな人がいるから一概にこうとはいえないけれど、一つだけいえることは、みんながそれぞれ人類を愛しているってことかな」
徹は味方がいることに安堵を覚えた。祐二や香奈美以外にも、自分には頼れる仲間がいる。まだ一度もあったことがないから、実感はわかないが、どのみちもうすぐ会えるはずである。
どんな人たちだろう。どう接してくれるだろう。そして、自分自身はどうすればいいのだろう。徹は多くの不安もあった。だが、同じ分だけ希望もあった。
屋敷の中は、その多くが改装しないでそのまま使っていた。客室だった場所はメンバーたちがそれぞれの個室として使っている。
大部屋は会議室やトレーニングルームとして使われているのだと香奈美から簡単に説明があった。
「この部屋を使っていいわ」
案内された部屋は、和室の二人部屋だった。祐二と徹は部屋にはいると、どっと床に崩れた。
二人は大きなため息をついた。無理もない。もう夜中の十二時を回っている。二人は夕方からほぼ休む暇なく動き回っていたのだ。疲れていないはずがない。
「適当に休んでかまわないわ。お風呂に入りたいなら、地下に大浴場があるから」
「ありがとうございます」
徹に変わって祐二が礼を言った。
徹は相変わらずうつむいたままだった。無理もない。ついさっき肉親を二人亡くしたばかりなのだ。しかも、葬式すらしてあげられない。加えて自身の出生の秘密すこし明らかになったのだ。
父のこと。話は途中だったが、今、敵として前に立ちはだかるヴァルキュリオン一族の出身だった。今、徹に分かっていることはそれだけだ。だから、奴らの真の目的がわからない。
当面はヴァルキュリオンハンターたちが手助けしてくれる事になるが、いつまでも頼るわけにはいかない。
ここにいる間に、奴らと接触があるかどうか分からないが、どうにかそれを知らなければならないだろう。
夜が明けた。昨夜のいざござで疲れがたまっていたのか、祐二は昼近くなるまでぐっすりと眠っていた。大きな高いびきをかき、ちょっとやそっとの物音では起きないくらいだった。
祐二が目を覚ましたとき、同じ部屋に寝ていたはずの徹の姿が見あたらなかった。
外はもう明るい。いや、強い日差しが部屋の中にも差し込んできている。風がなく、窓も開いていないため、部屋の中はポカポカと暖かだった。時計を見ると、正午を回った頃だ。
祐二は布団から出て大きく伸びをすると、タオルを持って洗面台に向かう。まだ眠い目を覚ますため、冷たい水道水で顔を洗うと、タオルで水気を拭き取った。
もう目は完全に覚めていた。
「あ、おはようございます」
昨夜、二人を部屋に案内した少女、美香が歩いてきた。手には洗濯物の入ったかごを持ち、屋上への階段へと向かっている。
「お目覚めですか。えっと、祐二さんでしたっけ?」
祐二はタオルの端から顔をのぞかせた。その鋭い目つきに、美香は一瞬背筋が凍る思いだった。
「なあ、徹がどこに行ったか知らないか?」
「さ、さあ」
祐二は鋭い剣幕で叫んだ。その表情に気圧され、美香は答えた。その表情から、本当に知らないのだと悟ると、祐二は舌打ちして駆けだした。
「廊下は走らないでください」
美香が叫んだ。だが、祐二はそれを無視して走り続ける。階段を駆け上がり、屋上に上がったが、そこには誰もいなかった。
すでに干してあった洗濯物が風になびく。さわやかな風だったが、それとは裏腹に、祐二の表情は険しくなっていく。昨日の今日でまた襲われていないだろうか。あるいは、自らそういった状況を望み、ふらふらと歩いているのではないか。そういった不安が祐二の中に募っていく。
屋上から屋敷の庭を見回したが、木々に遮られ、すべてを見渡すことができない。祐二はきびすを返して階段を駆け下りた。建物の中をくまなく探して回る。二階、一階、地下。大浴場やハンターたちの会議室として使われている地下の広間も。だが、どこにもいなかった。
「あのバカ、自分の立場が分かっているのか?」
祐二はうそぶく。あと探していないとすれば、さっき木々に遮られ、屋上から見えなかった庭くらいだろう。祐二はロビーにやってきた。
「徹を見なかったか?」
ロビーでなにやら作業していた男に問いかけると、意外にもすぐに答えが返ってきた。
「今、リーダーと庭にいると思います」
「ありがとう」
祐二はすぐに庭に飛び出していった。
徹は新屋敷と歩いていた。もちろん、屋敷の敷地内である。手入れされた庭園は、ずっと昔からその姿が守られている物らしく、以前にここが旅館だったときから、訪れる客は手入れの行き届いた庭園を眺め、あるいは散歩し、その光景に見入ったという。
いまでももちろんその面影は残っていた。徹は目を閉じ、空を仰いだ。透き通るような青い空、そして整備された庭園、風のにおい。それらすべてが、徹の傷ついた心をそっと優しく撫でてくれる。ぽっかり空いた胸の傷を優しく包み込むように。
昨日、ああいった事件の後、徹が必要以上に落ち込まなかったのも、彼らのような支援者や祐二がいたからである。
「香織さん、弥太郎さん。惜しい人を亡くされました」
「母と弥太郎のことをご存じで?」
「もちろんです。弥太郎さんはこの組織の創設者。最近は主導権を私に託され、もっぱらサポートにまわっていましたけれど。香織さんも弥太郎さんを助け、我々の力となってくれました」
徹は驚きを隠せなかった。新屋敷はその表情から徹の心中を察する。
「弥太郎さんがこの組織を創設したのは、徹君、君のお父さんを助けるためだったとか。もっとも、事は思うようにいかなかったけどね」
それは、幼い頃徹の父が亡くなったことを指しているようだった。徹には父の思い出がほとんどない。皆無といっても差し支えないだろう。
物心着く前に亡くなったからだ。だから、どんな人だったのか、徹は全く知らない。敢えて母や弥太郎に聞くことはなかった。
だが、母が最後に言い残した言葉が気になっていた。
「あの、僕の父さんってどんな人でした?」
「君の? そうだなぁ……」
新屋敷は少し困ったような表情を浮かべた。少し考えていたようだが、やがて彼は意を決したように言った。
「とても誇り高き人だったよ」
言葉を選びながら、新屋敷はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そうですか。よかった」
徹はほっと胸をなで下ろしながら呟いた。
「実は昨日、僕を待ち伏せしていた男が、いったんです。『我らが王の血を引く者』って。僕には何の事だかわからなかったのだけれど、もしかしたら、僕の父の出生とかに関係があるのかなと思って……」
「……」
「母にも弥太郎にも聞きそびれてしまったから、父を知っているという新屋敷さんなら、答えてくれると思ったんです」
「徹君。君は、何も心配しなくていい。今まで通り、普通の人間として暮らしていけばいいんだ。今、彼らは衰退し始めている。後少しで追いつめることができると確信している。彼らとの――ヴァルキュリオンとの決着もつけば、きっと元通りの生活を送れるようになるから……」
新屋敷の言葉には、強い意志が込められていた。誰よりも平和を望んでいる男がここにいた。
ヴァルキュリオン相手にどこまで戦えるか分からないが、それでも、こんなに心強いことはなかった。
新屋敷は、徹の胸元に光るペンダントに気がついた。どこかで見たことがある。新屋敷はすぐにそれがいつ、誰が持っていたものなのか思い出した。
「徹君。そのペンダントはもしかして……」
「ええ。母からもらったものです。これがなにか……」
「それはね、君のお父さんが持っていたものだ」
「父さんが」
徹はまじまじとペンダントを見つめた。今までこんなにじっくり眺めた事はなかった。細かい細工が施された鷲のような形をしたレリーフの真ん中に赤い宝石が埋め込まれている。
父が使っていたものだと認識したのは、これが初めてだったが、顔すら覚えていない雲の上の存在だった父が、少し近くに感じられた。
「ニーベルンゲンのペンダント」
不意に新屋敷が呟いた。
「えっ? なんですか、それは」
初めて聞く言葉に、徹は問い返した。
「ニーベルンゲン一族が残したと言われる宝石の一つだ」
「へぇ。これって、そんなに価値のあるものなんだ」
「ちょっとやそっとじゃ手に入らんよ。それに、これは特殊なんだ」
そういって新屋敷はポケットから青い宝石のついたペンダントを取り出した。徹のものとそっくりだ。
徹が興味津々といった表情を浮かべたのを見て、新屋敷はゆっくりと語り始めた。遠い昔話にも似た一族の伝説を。
ニーベルンゲン一族は、ヨーロッパ――特にドイツにいたとされる民族だ。彼らはとても手先が器用だったといわれている。指輪などの装飾品をはじめとし、剣や防具といったものを作る工芸に長けていた。それらはニーベルンゲンの工芸品として後の世に語り継がれている。
もっとも、彼らの一族は百数十年前にほとんど姿を見ることは出来なくなった。曰く、純血種がいなくなり、人との混血児たちは人の生活に溶け込んでいった。
またある人は彼らが作り出した武具を戦争の道具にされることを嘆き、人知れぬ遠い国へ旅立った。などなど、数々の伝承は今に伝えられるが、その真相ははっきりいって誰も知らない。
ただ、世界に残されたニーベルンゲンシリーズの品々は、ある時は裏の世界で高く売買され、又あるときは一つの品物を巡って町が一つ滅ぶような争いに発展し、またあるときは、対立する二つの勢力に別れ、コレクターが収集し、人目に付かないところにしまわれるのだった。
そんなこんなで、今ではずいぶんと貴重な品物になっていた。
新屋敷はそういった説明を終え、一呼吸置いてから切り出した。
「これもニーベルンゲン一族の残したペンダントだ。特殊なところって言うのはね」
新屋敷はペンダントを握りしめ、意識を集中させた。手の内の中で、宝石は淡い光は発し、やがてその光は指の間からこぼれるほど強い光に変わっていく。光はやがて収束すると、剣に姿を変える。
「これは……」
「どういう仕組みかは知らんが、意志の力というか、頭の中のイメージを明確に受け止め、具現化する。徹も練習次第で自在に使いこなせるようになるだろう」
「そんなことが……」
徹は驚きを隠せなかった。おおよそ考えつかないことである。徹はこれを自在に使いこなせるようにならなければいけない。この先、何が起こるか分からない。
ハンターと呼ばれる彼らがヴァルキュリオンを倒すことができれば、何も問題はない。だが、もし、何らかの理由でハンターたちが破れてしまった場合、自分の身は自分で守らなければならなくなる。
それに、他人に頼りっぱなしというのは、どうにも嫌だった。これは徹の性分としかいいようがない。
「地下にトレーニングルームがあるから、そこで練習するといい。他にも武具の使い方を学んでいる人もいる。参考になるかもな。後で案内させよう」
「ありがとうございます」
話している間に、二人は庭園を一周し終えていた。
「徹、こんなところにいたのか」
心配そうな表情を浮かべた祐二が屋敷から飛び出してきたところだった。祐二は徹の顔を見るなり、安堵の表情を浮かべた。肩で息をしながら、呼吸が落ち着くのを待つ。
「祐二、おはよう。なんだよ、そんなに慌てて……」
「バッキャロー! 心配だったからだよ。昨日の今日だから、何があってもおかしくないと思ってな……」
「お前――俺に気があるのか? で、でもな、俺はそんな趣味はないぞ。至って普通の……」
「んな訳あるか。友達として、心配して何が悪い!」
「悪い、ふざけがすぎた」
徹は冗談めいた笑みを浮かべ、祐二はげんなりとした表情で徹をにらんでいた。
「それよりも、俺はこれを使えるようになりたい」
徹が祐二にペンダントを見せる。
「お前、これは確か、ニーベルンゲンの宝石。どこで手に入れたんだ?」
祐二はそれを見た瞬間、興奮気味に叫んだ。徹の腕をとり、体を揺らす勢いで宝石に見入る。
「ああ。小さい頃、母さんがお守りだって。まさか、本当にお守りになるとは思わなかったが……」
「わかった。じゃあ、その特訓に俺もつき合うよ」
「すまないな。俺の戦いに巻き込んで」
「いいや。別にいいさ」
「地下に訓練設備があるんだって」
「分かった。先に行っててくれ。俺もすぐに行く」
「ああ、わかった」
「あの飾りは、間違いない。やはりそうだったのか」
祐二はそう呟きながら、廊下を歩いていた。荷物を置いてある部屋に向かいながら、である。
「あの、どうかしましたか?」
突然後ろから声をかけられ、祐二は一瞬身を固くした。ギョッとした表情で振り返ると、そこには香奈美が立っていた。香奈美は祐二の顔をじっとのぞき込む。祐二はまるで自分の表情の裏側を探られているような気になった。
「何か用かな?」
祐二は普段と変わらない態度を装いながら、香奈美に問いかけた。香奈美は少し不信感を抱いたような感じで一瞬面食らったが、すぐに気を取り直した。
「いいえ。別になにも……」
そう答える香奈美の顔を、祐二は用心深く見つめていた。だが、すぐに自分を納得させるようにうなずくと、香奈美にはかまわず歩き始めた。
祐二が荷物を置いている部屋へと向かって。香奈美は呆然とそれを見送っていたが、祐二が角を曲がっていくと気を取り直して階段を上って行った。
祐二は通路の角から再び顔をのぞかせた。そして、香奈美が後をつけてきていない事を知って、ほっと胸をなで下ろした。
部屋に置いてあったジーパンのポケットからペンダントを取り出した。
細かい装飾は徹のものほど細かさや鮮やかさはないが、やはり同じ材質で出来ているようだった。祐二はそれを持って部屋を出ると地下のトレーニングルームへと急いだ。
徹は訓練をしていたハンターの一人に、いろいろと教わりながら、宝石の武器化に励んでいた。
武器をイメージしながら、それを宝石に伝える。あるいは、正確で繊細なイメージが出来ているか。それが、武器か出来るか否かの分かれ目となる。
口で言われるのは簡単なことなのだが、それが簡単に実行できれば苦労はしない。具体的なイメージを瞬時に行うことがどれだけ大変なことか、徹は思い知っていた。
試行錯誤しながら、ようやく初めて成功した時、祐二がトレーニングルームにやってきた。
「祐二!」
「よう。どうだ、調子は?」
「ぼちぼちかな。今、初めて成功したところだ」
「そうか。じゃあ、ここからは俺もつき合うよ」
そういって祐二も懐からニーベルンゲンのペンダントを取り出した。
「お前、それは……」
「ああ。昔からうちにあったものなんだけど、徹のそれを見て、もしかしたらって思ってね。どうやら、本物らしい」
そう言って祐二もトレーニングに参加した。
長くも短くもあった一日が過ぎようとしていた。二人とも少しずつ具現化が思い通りに出来るようになってきた。
もっと素早く的確に具現化できなければ、ヴァルキュリオンと遭遇したとき、戦えないことは二人とも肌で感じていた。
二人は大浴場で汗を流し、疲れをいやしていた。
「徹は何でトレーニングをすることにしたんだ?」
「復讐だよ。俺は奴らが憎い。爺ちゃんも母さんも奴らに殺された。きっと、父さんを殺したのも奴らだ」
「お前、そのために?」
「決まってるだろう? 他に何があるって言うんだ」
「復讐からは何も生まれないって……」
「関係あるか? 俺からすべてを奪った奴らだぞ」
息巻く徹に、祐二は舌を巻いた。今これ以上言っても徹は何も理解できないだろう。祐二はそんな徹の様子を側で見守ることにした。
危なっかしい。放っておけなくなってしまう。祐二は大きなため息をついた。
徹たちが訓練を繰り返す間も、ハンターたちはヴァルキュリオンの同行を調べ、時には出動し、極力被害が少なくなるよう勤めてきた。
もっとも、徹たちはその出動に連れて行ってもらえなかったが、徹は自身の力不足を肌で感じていたので、新屋敷の説得に渋々と従うのだった。
二人がハンターたちの保護下に置かれ、一週間が経とうとしていた。徹や祐二もニーベルンゲンの宝石を具現化することがうまくなっていた。瞬時に変換させることができる。だからこそ、徹は戦闘に参加したがる。
だが、ハンターたちにとって徹は守らなければならない男である。新屋敷は頑として徹の望みを聞き入れなかった。徹はそんな新屋敷やハンターに不満を募らせていた。
「しかし、なんなんだ一体。新屋敷さんはいつまで経っても戦闘に参加させてくれない」
「まあまあ。俺たちがまだまだ力不足ってことなんだろう? 俺たち以上みんなはよく見てるってことさ」
「だけど……」
言いかけたとき、玄関の方で慌ただしい声が聞こえてきた。
「そっとだ。そっと。奥の部屋に運べ……」
「ああ。わかった」
二人はそれを耳にして立ち止まると、顔を見合わせた。
「なんだろう」
「行って見よう」
二人は駆けだした。廊下の角を曲がると、そこには重傷を負った男が運び込まれていた。奥の医療室へと運び込まれていく。
顔がかいま見えた。よく徹にいろいろと教えてくれる人だ。名前は知らないが、トレーニングルームで度々あっていたあの人だ。
徹よりも遙かに実力があるはずだったが、それでも重傷を負って帰ってきた。徹は実戦経験がないに等しい。
二人が経験した戦闘は、ここに来る前に一度あったのみ。それも、祐二の機転があってどうにかヴァルキュリオンを退けたような感じだ。
戦闘とは一体どんなものなのだろうか。徹はこの時初めてその事を考えた。なぜ誰も連れて行ってくれないのか。もし、守らなければならない徹が大けがをしたら。あるいは、死んだりしたら。
どんなに慎重に行動したとしても、戦闘中に不測の事態はつきもの。安易に連れて行ってくれるはずもなかった。
「祐二。俺ももっと訓練を積んで強くならなきゃな」
「そうだな。おばさんたちの敵討ちをするには、あまりにも無力なのかもしれないな」
二人は頷きあった。
トレーニングルームに戻った二人は、よりいっそう真剣に訓練に励むのだった。
「ヴァルキュリオンだ!」
誰かが叫んだ。朝食を取ろうと二人が食堂に向かうところだった。二人は朝食を取ることを忘れ、声のした方に向かって駆けだした。
「奴らが攻めてきたぞ」
再び誰かが叫ぶ
ちょうど隣にいた新屋敷は怪訝な表情を浮かべる。
「おかしいな。奴らがここを知っているはずはないのに……」
「もしかすると、誰かの後をつけてきたのかもしれません」
「だとしたら、なおのこと。これからは警戒をさらに詰めなければならない。だが、まずはこの事態を収束しなければ何も始まらないな」
新屋敷の言葉に、二人は黙って頷いた。
三人は声のしたエントランスの方に向かって駆けだした。
エントランスに男が倒れていた。口から血を流しているその男は、白目をむいて絶命している。徹もその男の顔は知っている。ハンターの一員だ。おそらく、大声を上げたのもこの男だろう。
殺されたのは間違いない。やったのはおそらくヴァルキュリオンだ。そして、そいつは、いまもどこかに――おそらくすぐ近くに潜んでいるだろう。
三人は背中をあわせ、前後左右に気を配る。次々とハンターたちが駆けつけてきた。
「どうした? 奴らは?」
「分からない。でも、きっと近くにいる」
誰かの問いかけに祐二が答えた。ハンターたちの間に緊張が走る。
刹那、断末魔が上がった。祐二たちが振り返ると、外に一番近いところにいた男が胸を貫かれていた。
その男の背後に、人の姿をしたヴァルキュリオンがいた。男が上げた断末魔がとても満足いくものだったらしく、残忍な笑みを浮かべている。
「貴様!」
徹が呟き、動いた。一気に間合いを詰める。懐から取り出した宝石は、淡い光を放ってその姿を変える。
徹は男めがけて剣を振り下ろした。男は短刀でそれを受け流す。カウンター気味の一撃を、徹はどうにか交わして再び切り込んだ。総員が体勢を整えた時、徹はすでに二、三度切り結んだ後だった。
だが、ヴァルキュリオンはその男だけではなかった。廊下の窓ガラスが飛び散る。そこから黒い陰が飛び込んできた。
「ちっ」
祐二が舌打ちをして二人目の男と対峙した。「なぜここが分かったんだ?」
新屋敷が呟いた。だが、今はそんなことを検証している場合ではない。次々とヴァルキュリオンが進入してくる。
徹と祐二は背中を合わせ、前後左右の敵たちと対峙していた。迫り来る奴らを薙ぎ払い、あるいは蹴りではねのける。多くの同士たちが倒れていく中、二人と新屋敷をとりまくメンバーは善戦していた。
戦いの場は表に移っていた。ハンターやヴァルキュリオンの遺体がそこら中に転がっている。
徹は組み合った男と建物の中に転がり込んだ。新屋敷たちメンバーからも、祐二からも離れ、背後に回り込んだもう一人のヴァルキュリオンと対峙した。
前後に気を配りながら、徹は前方を牽制し、床を強く蹴って後ろに跳んだ。振り向き様の一撃が男の腹を薙ぎ、折り返すステップで迫ってくる男の攻撃をやり過ごす。
「徹!」
祐二の心配そうな声が響く。だが、彼も助けにはこれそうになかった。
祐二は心配そうな声とは裏腹に、笑みを浮かべた。まるで、徹が一人になったことを喜ぶような笑みだ。だが、それは一瞬のことで、誰も気づかなかった。
祐二はその後、幾度かヴァルキュリオンと切り結ぶが、気がつくとその場からいなくなっていた。その事に、ハンターの誰も気づいていなかった。
戦っているのは徹だけではない。祐二や新屋敷を初めとして、多くのメンバーが善戦している。
彼らは当然他の助けを期待していない。期待できる状況ではないことを、彼らは重々承知していた。それはもちろん徹も同じなのだが。
徹は狭い廊下で切り結びながら、徐々に相手を圧倒していく。廊下の角でとうとう追いつめた。
男は窓ガラスを破って逃走を図る。だが、その先には、祐二がいた。祐二は顔色一つ変えずに男を切り捨てると、徹の元にやってきた。手にした剣の血のりを拭いとりながら、祐二は徹の無事を確認する。
「徹、無事か?」
「ああ。お前も怪我一つなさそうだ」
「丈夫なのが取り柄だからな」
徹は武器を宝石に戻し、胸元にしまう。それから、「みんなは?」と、心配そうに問いかけた。
「まだ戦っているはずだ」
「そっか。じゃあ、助けに行かないと」
徹は踵を返して駆けだした。刹那、徹は盛大にすっころんだ。いや、転倒ではなかった。背中に大きな切り傷を負っていた。
背中に痛みを覚えた。いや、痛いというよりも熱い。徹は俯せ向きに地面に倒れ込んだ。胸元か宝石が転がった。
徹は地面を這ってその宝石をつかむと、痛みをこらえながら振り返った。
そこに立っていたのは、親友の祐二だった。他には誰もいない。彼の持っている剣には赤い液体が付着していた。血だ。徹の背中を切ったのは、紛れもなく親友の祐二その人だった。
「祐二、お前、何を……」
「この時を待っていた」
そう言うと、祐二の表情に笑みがこぼれた。含んでいた笑いがついに表に出る。祐二は盛大な声を上げて笑った。いつの間にか、先ほど祐二によって倒された男が、彼の側に立っている。
「お前は今、祐二に?」
「俺が仲間を本気で殺すと思うのか? 芝居に決まっているだろう?」
祐二の言葉に、徹は答える気力を失っていた。
「ようやく確信が持てたぞ。お前があいつの息子だということに。その宝石が何よりの証拠だ!」
「な、なんだって!」
「それは昔、奴が――お前の父親が使っていた宝石だ。王の証でもあり、また王を守る武器にも防具にもなる。それを持つものこそ、我々ヴァルキュリオンの王であるという照明なのだ」
「俺の父さんが、ヴァルキュリオン?」
「なぜ、お前の祖父がヴァルキュリオンハンターを組織したと思う? 母がそれに従事したのはなぜだ? 答えは一つ。お前の素性を隠し、守るためだ。だが、その二人はもういない。俺の部下によって殺されたからな」
「なっ……」
徹は言葉を失った。信じられない。今まで側にいて助けてくれた祐二が、首謀者だったなんて。
徹は己の運命を呪った。異種族の父を持ち、母も弥太郎も殺され、今また自分自身の命も危機に瀕している。
徹はもうすべてがどうでもよくなっていた。このまま殺されてもいい。楽になれる。もう徹には守るべきものも失うものもない。だったらいっそのこと――
脳裏に香奈美の声が響いた気がした。もちろん、それはただの幻聴にすぎなかった。だが、そうだ。
徹にはまだ仲間がいるのだ。仲間たちが徹のためにがんばっているというのに、自分だけ諦めることが出来ようか。いや、できない。
支えてくれる仲間が。新屋敷や香奈美の顔が次々と浮かんでは消えていく。ハンターたちは徹を助けようとしてくれている。弥太郎や母の意志を継いで。
そんな人たちを置いて、自分だけ先に死ぬことを考えるなんて、ばかげている。徹はそう思い直すと痛みをこらえながら立ち上がるのだった。