第零章 動き出す時代
掻きためていたものを少しずつ公開します。よろしくお願いします
一族を二つに分ける戦争が起こっていた。これは、人々の歴史では決して語られることのない出来事である。
ヴァルキュリオンという種族がこの世にいた。
人とそっくりな容姿だが、悪魔のような時には天使のような姿に変態するという種族だ。
一部の人間が彼らの存在を知っていたが、天使の子孫だとか、時には悪魔の子孫だという話がなされていた。
どちらも憶測の話ばかりで、何一つ科学的根拠もなかったが、彼らがそういうのは、ヴァルキュリオンの変態を見たからであろう。
ひとの姿が悪魔に変化したり、はたまた絵画などであがかれる天使のような姿に変化するところを見て、そういったのだろう。
そんな彼らの間で、王の座を巡った大きな争いが起こったのだ。
彼らの社会は、力こそがすべてだった。力と統率力を持って一族を治めるもの。それが、いわゆる彼らの王だ。
現王スグルのやり方が気に入らない一派――通称、過激派が宣戦布告をし、戦いの府蓋は切って落とされたのだ。
もちろん、大戦に参加しない女子どもが多くの被害を被った。
母を亡くす子ども、あるいは子どもを亡くす母など、戦争に参加しないものにまで、その被害は拡大していく。
実に五年近くもの間戦争は続き、今や皆疲れ果てていた。
しかし、王を守ろうとする保守派の勢力が拡大し、事態は急変。ようやくことのすべてが終息しようとしていた。
そんなある日のことだった。
戦乱の中、王が行方不明になったのだ。幸い、生きていたしのだが、彼は助けてくれた人の女と恋仲になっていった。
保守派の人々もそれには驚いたが、王は以前より人との共存の道を模索していた。だから気にもとめなかった。
だが、過激派はちがった。
最後のあがきともいえるその強硬な行動に保守派は翻弄され始めていた。
二人の男が対峙したのはそんな折りのことだった。
過激派の一人とヴァルキュリオンの王、スグルが河原で対峙していた。
「落ちたものだな。人として生きるなど、ヴァルキュリオンの王がするべき事ではない」
「そうかな? 人とヴァルキュリオンが恋に落ちた例などいくらでもある」
「どうかな? 堕落した貴様など、この俺の敵ではない。 おとなしく王位を渡せ!」
「それはできぬ。私の理想のためには、この力が必要なのだ。それに、王になどなるものではないぞ。多くの責務に追われることになる。やめておけ」
「ほざけ、そんな戯言を聞いてやめるくらいなら、はじめから王位など欲したりせぬわ」
二人はいつの間にか森の中にいた。月成卓は仲間からはぐれ、今や敵対するこの男と二人きりである。
闘って勝てない相手ではないが、幼い息子や結婚したばかりの新妻のためにも、万が一にも死ぬわけにはいかない。
それに、少し大げさに聞こえるかもしれないが、人類の行く末に関わるような出来事の一端を担う位置に彼はいた。
また、卓を仲間から引き離すことは、男の目的だった。こういった意味では、卓の思惑よりも、男に有利に事態は動いていた。
お互い間合いをとり、相手の出方をうかがっている。どちらも先に動こうとしない。動いた方がやられる。そんな緊張に満ちた空気が辺りを支配していた。
「スグル。いや、今は月成卓か。貴様から王の力を。すべてを統べ、死せるものすらよみがえらせるというその力を頂く!」
「王の力か。伝承に惑わされしものよ、何を望む?」
血気盛んな若い男とは対照的に、卓が呟いた。
最初に動いたのは若い方だった。拳や足を巧みに使った体術で、卓を圧倒していく。
戦いの場は森の中から河原に出た。といっても、平野部にある河原ではなく、渓流にそっ部分である。もちろん、足場がいいはずはない。
大小さまざまな石や大地の起伏、地面の上まで盛り上がった木のなど、様々なものが、人の行く手を遮るように足場を悪くしていた。
戦いの最中、二人はもちろん、足場やバランスには重々注意していたのだが、完璧というわけにはいかなかった。
先にバランスを崩したのは卓だった。男はこの隙を逃さなかった。手にしたナイフを卓の胸に突き立てる。
断末魔の悲鳴が上がる。男は一度ナイフを抜いて、もう一度ナイフを胸に突き刺した。一気に柄のところまで、深々と。
男はいつの間にか、古ぼけた杯を取り出し、卓の血をその杯に受け止める。男は用済みの卓の体を川に投げ込んだ。卓は為すすべもなく、川を流されていった。
男は杯一杯に満たされたそれを一気に飲み干した。一族に伝わる儀式である。王位を受け継ぐものは、杯に受けたその血を飲み干さなければならない。
それにより、代々の王の経験や知識などを一手に背負う。
王位を継ぐ唯一にして最大の掟だった。
当然、男にもそういったものが伝わるはずだった。だが…
「どういうことだ? 何も変わった感じがしない。――まさか」
男の脳裏に、一つの可能性が思い浮かぶ。
もしかすると、王位はすでに継承されているのかもしれない。だとすると、一体誰に? 部下だったヴァルキュリオンだろうか。それとも、親しい奴か。あるいは子どもかもしれない。
卓に子どもが居るという情報は得ていない。
もしかしたら、すでに彼らの預かり知らぬところで子どもをもうけ、王位に継承しているのだとしたら。
すでに継承した王位を卓から継ぐことができるわけはない。
「ぬかったわ。まだ生かしておくべきだった」
男は後悔した。だが、すでに後の祭りである。
「こうなったら、地獄の果てまでも追いかけてやる」
男は転生するつもりだった。一族に伝わる転生の剣。これで己の心臓を突き刺せば、これまでの経験や知識をもって転生することができる。そう伝えられているものだ。
手がかりは月成という名と、彼が持っていたはずの宝石である。おそらく、それを同時に受け継いでいる赤子が居るはずだ。
男は転生の剣を求めてこの場を去っていった。
乳飲み子を抱えた女性は夫の帰りを待っていた。
もう一日ほど連絡が途絶えていた。今までこういうことはなかったので、さすがに心配が募る。
とはいえ、こちらには連絡する手段はない。夫の帰りを信じて待つしかないのだ。
「香奈美。今帰ったぞ」
そういって帰ってきたのは初老の男性だった。香奈美の父、弥太郎である。彼はどこか沈痛な表情を浮かべていた。
「お父さん。どうしたの? なにかあったの?」
香奈美は不安を覚えた。もしかすると、夫の身になにか起こったのかもしれない。
香奈美はこれでも夫の立場をよく理解していた。
彼が何者で、何をなさねばならないか。壮大な理想がある。ある一族と人の共存。お互い滅ぼしあわず、共存していく道を模索していた。
神話の時代から続く、人と同じ姿をしたヴァルキュリオン一族と、人々の間には大きな隔たりがあった。
何百年、何千年と対立してきた二つの種族は、ようやく共に歩める道を見つけつつあった。
だが、それを阻もうとする過激派と共存を望む二つの意見は交錯し、ここ二年ほどでその溝は深まるばかり。
香奈美の夫――卓はその溝を埋めるために努力を続けていた。得に息子が生まれてからはより張り切っていた。
香奈美はもし、万が一のことがあっても受け入れる準備はしてきたつもりだし、甘んじてそれを受け止める覚悟もある。
いつ、なにがあっても。だが、やはり心配は尽きないし、彼が無事であれば、それが一番なのだ。
「落ち着いて聞いてくれ。――じつは、卓が……」
「卓さんが? どうしたの?」
心臓が早鐘を打つ。動悸が激しくなるのが分かった。でも、どうすることもできない。香奈美は父が続きの言葉を紡ぐのをじっと待った。
「卓君が。遺体で発見された」
香奈美は言葉を失った。悲しい気持ちもあるが、いつかこうなるんじゃないかとずっと心配していた。
その不安が現実のものになった。まだ実感はわかない。だが、愛する夫がもう帰ってこないというのは、肌で実感された。
「香奈美?」
頬を涙が伝う。だが、泣くわけには行かない。彼の志は私が継がなくては。香奈美はそう思い直すと涙を拭った。
「お父さん。あたし、全力でこの子を守る。卓さんの意志を引き継いで……」
「ああ。私も全力で協力するさ。それから、新たにハンターを組織する。過激派を抑えるためにも……」
卓がいなくなって、もちろん香奈美は悲しかった。本当は泣いてしまいたい。でも、生前の彼に誓った。万が一、卓の身になにかが起きても、それを甘んじて受け入れ、その意志を継ぐと。
天国から見ていて、卓さん
香奈美は青空を見上げ、誓いを立てた。いつの日にか過激派を抑え、人類とヴァルキュリオンの間に共存の道を示し出すと。
それは、長く辛い日々になるだろう。
それから、十数年の月日が流れた。