織姫
私が初めて彼のことを知ったのは、小学校4年生で行った林間学校のときだった。
他の小学校に通っていた友達からみると、私の学校は少し変わっているらしい。小学校4年生で林間学校、5年生でも林間学校、そして6年生で修学旅行に行く。
彼は他のクラスの人で、今まで全く面識がなかった。もしかしたら学校のどこかで会っていたかもしれないけれど、記憶にはない。
4年生で行く林間学校は、アウトドア活動をたくさん行う。(そもそも林間学校自体が、アウトドア活動をするためのものだけど。)その中の一つに、毎年不評の山登りがある。みんなそれぞれが持参してきたお菓子の中でとっておきのものを持って、山に登るのである。
この山登りが、きつい。往復で3時間もかからないような山だけれど、小学生の子どもには永遠に登り続けている感じがする。
それでも、この不評の山登りがなくならないのは、山のてっぺんで景色を見ながら食べるお菓子が、これまた格別の味に感じるからだと思う。登っている最中は文句タラタラの子どもたちも、いざてっぺんでお菓子を食べ、のびのびと遊び、そして下山すると、一同に「楽しかった」「また行きたい」というのである。登るまでは不評で、実際に登った後は好評という、なんとも都合のよい評判の行事だ。
そんなこんなで、この行事は毎年4年生の恒例行事となっている。風の噂によると、私が卒業してから7年経った今でも、山登りは健在だそうだ。
私たちが4年生の時も、例外なくこの行事は遂行された。
当時、体力があまりなかった私は、この山登りが嫌で嫌で仕方がなかった。基本的にクラスごとにグループで分かれ、そのグループで登るのだが、そのころは私のグループには気のおける人がいなかった。しかも、みんな運動系の元気かつ活発な少年少女ばかりである。
当然のごとく、私はおいてけぼりをくらった。グループどころか、気がつけばクラスにおいていかれていた。焦った私は、山の中で走るという馬鹿をやった。
もし、みんながこれから山の中でおいてけぼりをくらったとしても、走るのだけはやめたほうがいい。木の根っこや石ころに引っかかってこけるのがオチだ。
じわじわと広がっていく血。ズボンをまくってみると、見事にすりむけていた。
周りに知っている人もいないし、膝は痛いしで私は泣きそうだった。
そのとき、声を掛けてくれたのが山手君だった。
山手君は、背が高く、優しそうな顔をした少年だった。
ただ、記憶というものは恐ろしいもので、記憶の中にある人のことを勝手に美化してしまうことがある。多分、いや、確実に私の彼のイメージと当時の彼はかけ離れているに違いない。(なぜならこの間卒業アルバムを見直していたら、私の記憶にあった山手君と、写真の彼は若干違う人だったからだ!)少なくとも、彼に過大なる期待を抱いてはいけない。少しは運動ができそうに見えなくもない、インドア系の少年を思い浮かべたら、きっと山手君に近い人がイメージできると思う。
そんな山手君は、泣きかけている私を見て、自分のグループを抜けてこっちにやってきた。私は初めて見る人に、そう小さくはない警戒心を抱いた。
彼は、そんな私の様子は気にすることなく、おもむろに、背負っていたリュックから絆創膏を取り出して渡してくれた。そしてしゃがみ込んでいた私に合わせるように片膝をたて、滴りつつあった血を自分のハンカチで拭いてくれた。
簡単な治療を受けながら、このとき私は彼といくつか言葉を交わした。そして最終的に彼について山を登ることになった。(彼も、私の相手をしていたことで、グループから離れてしまっていた。)
私たちは、話しながらゆっくりと山を登り始めた。
このときの会話は忘れることなく、しっかりと記憶に残っている。それこそ、一言一句違えずに。だけど、敢えてここには書かないでおこうと思う。人間だれしも、誰にも教えたくない、自分だけの大切な会話というものは存在するものだ。私にとってはこれがそれである。なんでもないような他愛のない会話であったが、今もその会話は私の心の中の宝物だ。
一見頼りなさそうに見えたが、彼は立派な男の子だった。
怪我した私の荷物を半ば強引に持ち、背中には自分のリュックを背負い、そのうえ怪我で満足に歩けない私の手を引っ張って登ってくれた。
多分、私はものすごく情けない顔をしていたと思う。片手は血が出てきたときに自分で拭くようにと渡してもらった山手君のハンカチを握りしめ、もう片方は山手君に握りしめられ、恥ずかしかった。痛かったし、いろんな思いが入り混じって、ぐちゃぐちゃだった。
山手君は山に慣れているのか、飄々とした顔で登り続けた。それに私に話しかけるもの忘れなかった。黙り込んでいるよりかは何か話したほうがいいという、彼なりの配慮だったのだろう。おかげで少しは気が紛れた。
てっぺんについた私は、私がいないのに気がついて心配していた、クラスの担任の先生に保護(?)された。グループの子たちも心配そうに集まってきて、口々に謝ってくれた。
その中の一人が、「帰りは一緒にのんびり行こうね」と約束してくれた。その子は、今でも大切な友人である。
ふと気がつくと、もうそこに彼はいなかった。
さっきのは夢だったのかと一瞬疑ってしまったが、夢じゃないのは膝の痛みと片手に握りしめていたハンカチが教えてくれた。
小学生とは単純なもので、私が彼を好きになるのはそれだけで十分だった。恋、と言ってもいいのか迷うほどの、淡い、純粋なものだ。
林間学校が終わり、平穏な日常生活が戻ってきた。私はいつハンカチを返そうかと、どぎまぎしながら毎日を過ごしていた。初めて自分の手でアイロンをかけて、きちんと袋に入れて毎日学校に持ってきてはいた。
返すだけじゃない。いろいろと話したかった。いっぱい、いっぱい話して、もっと彼のことを知りたかった。もっと私のことを知ってほしかった。
そして、仲良くなって――……。
でも、返せなかった。
彼のクラスは知っていたし、名前も知っていた。普通に教室まで行って返せばよかったのだけれど、私にはそんな勇気はなかった。
教室の前までは何度も行った。でも、中に入ることはできなかった。怖かったのだ。
彼が私のことを覚えていないかもしれない。わざわざ教室に行って返したら、嫌がられるかもしれない。周りの人に冷やかされるかもしれない。
それに本当のところ、返したくない気持ちもあった。返したら、何かが切れてしまいそうに感じた。それが何なのかは当時の私にはわからなかったけれども。
一向にハンカチを返せないままに季節は過ぎ、5年生になった。
5年生と言えば、クラス替えである。その年のお正月の初詣に、「おんなじクラスになれますように」と願い事もした。いろんな本に載っていたおまじないも全部試した。
……結局同じクラスにはなれなかった。
6年生ではクラス替えがないから、あのクラス発表の時はかなり落ち込んだものだ。
どうして「両想いになれますように」とか、「想いが通じますように」とかそんな願いをしなかったのかは、今考えると不思議だ。だけど、あの頃はすごく真剣だった。そんな時期が私にもあったのかと思うと、懐かしいし、ちょっと甘酸っぱい。
だけど……そんな頃があってもいいよね?
6年の夏。修学旅行が終わった直後あたりに、私は家の都合で引っ越すことになった。
私は、あれ以来一度も山手君と話すこともなく、ハンカチも返せずじまいのまま新しい土地へ移ったのである。
行きどころのない淡い恋心は、さまよったまま。どうすることもできず、かといってあきらめることもできずに、私は新しい生活を始めた。
その町では、7月になると必ず七夕祭りを大々的に行っていた。織姫と彦星に縁があるとかいう神社を中心に、町全体で七夕を祝うのである。
この祭りの変わったところは、7月7日に七夕を行った後に、旧暦の7月7日、つまり約ひと月後にも七夕を行うところである。
また、この町では年中天の川が見られるため、七夕以外の日でも織姫と彦星に祈りをささげる。織姫と彦星が出会えようが、出会えまいがそんなことは関係ない。
新しくできた友人にその理由を尋ねたところ、その日のうちに私はその神社に連れて行かれた。
友人は境内に立てられた看板を示しながら、簡単に説明してくれた。
昔々、織姫と名乗るとても美しい人が空から落ちてきた。織姫は大切なものを探して、町に迷い込んだのである。不思議なことに、織姫が滞在している間は、その町の住人はもちろんのこと、町全体に流星群が落ちてくるかの如く「幸せ」が落ちてきた。
その織姫は七夕の日にやってきておおよそひと月後、つまり旧暦の7月7日に空に去って行った。
だから、その時の感謝と、これからの「幸せ」と、織姫の「幸せ」を祈って、この町では七夕を大々的に祭ることにした。もちろん、日々織姫への感謝も忘れてはいない。
その話が本当かどうかは定かではないが、町の名前を七夕起こったその出来事にちなんで、「七星町」と変えたという史実から鑑みるに、本当かもしれない。
「真剣に願ってみなよ。きっと願いが叶うよ」
長年夢だった水泳の全国大会出場を果たしたその友人は、にっこりとほほ笑んで言ってくれた。その友人は幼い時から、ずっと織姫に祈り続けたらしい。
ちゃんと看板に書いてあるでしょ、と友人は続ける。
「馬鹿らしいと思ってるでしょう? でも、この町の人の多くは、本当に願いが叶っているんだよ」
……本当にそうだというのなら、織姫様、お願いします。私をどうか、
「彼に逢わせて」
七夕だけではない。その日から私は毎日、天の川を眺めて祈った。雨の日も、曇りの日も、いつだって祈った。祈るだけではない。いいことがあったときは必ず感謝をした。いいことがなかったら、織姫の幸せを願った。自分の願いだけ叶えてもらおうとするのは、ちょっとずうずうしいからね。
そのうち、織姫のことを身近に感じられるようになった。すぐ近くにいるような気配がするのである。会ったこともないし、そもそも伝説に近い人物である。私の想像にしかないのはわかっているけれど、そんな気がしてならなかった。
思い切ってこのことを全国大会に行った友人に話してみた。彼女は馬鹿にするわけでもなく、本当に嬉しそうに、
「この町の住民は、みんな織姫様のことを身近に感じているんだよ。やっとあんたも『本当』の住民になったんだね」
改めて歓迎するよと、本当に『歓迎パーティー』を開かれてしまった。
ジュースを数本とケーキを含むお菓子数種、例の神社前にて『歓迎パーティー』が開催された。参加者は私と友人と、織姫。コップもちゃんと3つ用意された。織姫にとそそがれたジュースは一向に減らなかったけれど、私たちは「3人」で楽しいひとときを過ごした。
その日から、織姫はより一層身近な存在になった。何かがあったら織姫を思い浮かべる。嬉しいことがあったら、それを織姫と共有し、悲しいことがあったら、それを織姫と共有する。
目を閉じると、本当に織姫が見える気がするのだ。私が楽しい時は、彼女も楽しそうにするし、私が悲しい時は彼女も悲しそうにする。私が困っているときは、一緒に知恵を絞ってくれる。(そうすると大抵はいい考えが浮かぶ。といっても、テストのときは、織姫は完全に役に立たなかった。テストのときは大抵、織姫は苦い顔をしてそっぽを向いていた。)
これだけ織姫のことばかり言っていると、彦星の存在を忘れているかのように思えるかもしれない。だが、この町では彦星もちゃんと信仰している。どちらかといえば、織姫のほうが親しまれているだけで、彦星もしっかりと大切にされているのだ。(私も一応、彦星のことを大切にしていた。……ほんとだよ?)
例えば、七夕のときには必ず織姫と一緒に祭られる。彦星専用に小さな社が例の神社に設けられており、町の住人はことあるごとにそこに参るようにしている。
「あれはね、彦星の家なんだよ」
友人はそう教えてくれた。
「あそこに行けば、織姫は彦星に逢えるってわけ」
本来は彦星が織姫に逢いに行くものではないか。私のもっともな疑問に、彼女は
「この町に降りてきた織姫様は、彦星を探していたんだよ。こっそり七夕以外の日に彦星に逢おうとして、うっかり迷子になってこの町に落ちてきたんだって。だから、織姫様が彦星を探して迷子になってしまわないようにと、町の人が彦星の居場所をつくったんだ。居場所を最初から作っておけば、そこに行けば織姫様は彦星に逢えるからね」
……何かが間違っている気がする。いくら彦星の居場所を作ったからって、彦星がそこにいるとは限らない。それに、織姫の居場所を作って、そこに彦星に来させたほうがいいような気もする。
でも、それでいいのかもしれない。いつだって、お姫様が待っている必要はどこにもないのだから。お姫様自身も動かないといけないときだってある。
動かなかったら、絶対に後悔する。
この町に落ちてきた織姫は、きっとそれをわかっていたんだろう。
あのころの私に、織姫様みたいな行動力があったらよかったのにね。
「私の」織姫にそう語りかけると、織姫は困ったようにほほ笑んだ。
ねえ、織姫様。本当に、いつか彼に逢わせてくださいね。
願い事を聞いてくれるときの織姫は、いつだって優しげにほほ笑んでくれる。
彼を好きになってから、7年。他に好きな人もできた。だけど、一度だって彼のことを忘れたことはない。あの頃抱いていた気持ちは、ほんの少しずつ薄れてきてはいたけれども、それは本当にわずかなもので、ほとんど変わっていない。まるで一昨日のことのように思い出せる。(昨日じゃないのは、あの頃と気持ちが少し、ほんの少しだけ変わってしまったからだ。)願い事だって、この町に来てから変わっていない。
時々、机の奥からきれいにたたんだハンカチを取り出しては、洗って、アイロンを当てた。そしてきれいになったハンカチを丁寧に包装し、また机の奥にしまった。
織姫はそれを興味深そうに眺めては、にっこりとほほ笑んでいた。
織姫は本当に願いを叶えてくれたらしい。
高校2年生の春。私は元いた町、つまり山手君が住む町に戻ってきた。
町並みは以前と違っていたが、小学校は当時のままだった。
引越しの前夜、私は友人と例の神社に行って、織姫に感謝をした。
ありがとうございます。あとは、自分で彼を探してみます。織姫様のように。
今度もまた、織姫はほほ笑んでいた。そのほほ笑みは私を幸せにしてくれた。きっとなんとかなる、そんな気分にさせてくれた。
引っ越してから、すぐ、私は当時の友人に電話をかけた。あのグループの中の一人である。 その友人とは年賀状と暑中見舞いを交わしていたため、簡単に連絡を取ることができた。
『小学校のころ、仲良かった人は今どうしてるかって?』
友人は、知っている範囲で教えてくれた。
『山手……? 山手ってあの隣のクラスの?』
勇気を出して、彼の居場所を尋ねてみると、いぶかしげな声が返ってきた。しかしそれも一瞬のことで、友人は何か察したらしい。彼についてすんなりと教えてくれた。
『地元の高校に通ってるよ。何回か見かけたから間違いない』
だから、頑張りなよ。電話を切る前に、そんなエールをもらった。
なんてありがたい友人だろう。恥ずかしいじゃないの。
織姫様、手掛かりを見つけましたよ。彼に逢えそうです。
もう、そばにはいない織姫に報告をしておいた。やっぱり織姫はほほ笑んでくれている気がした。
私はそれから暇があれば外へ出て、彼を探した。7年も経っているのだ。容姿も変わっているだろうし、背も高くなっているだろう。声変りも当然しているはずだ。だけど、きっと見つけられる。そう広くもない町だし、高校も限られている。きっと大丈夫。
アルバムを見て、私の中の彼と、アルバムの中の彼を再度一致させた。若干記憶にあった彼のほうが格好良かったけれど、仕方ない。記憶とはそういうものだ。だけど大丈夫、見間違いなんかするはずない。間違いなく見つけられる。
私はそう信じて、彼を探し続けた。
戻ってきてから初めての7月7日を迎えた。
学校があったから、少し遠くにある例の神社には拝みに行けなかったけれど、心の中で拝んでおいた。彦星も拝んだ。そして、もちろん織姫も。
さすがというべきか、七夕になると織姫が以前のように身近に感じられた。七夕にやってきたお姫様は、七夕に力を増すのかもしれない。
今年も、同じお願いをする。
どうか、彼を見つけられますように。彼に逢えますように。織姫様、お願いします。
運命のいたずらとは、突然にやってくるものだ。
次の日、両親から重大なことを聞かされた。また引っ越すことが決まった。しかも、今度は海外である。海外に行ってしまったら、もう彼を探すことは不可能といってもいいだろう。帰ってくる保証も今のところはないらしい。
……やっぱり無理だったようだ。私は織姫のようにはなれなかった。
まさに、運命のいたずらとしかいいようがない。いいいたずらはなく、悪いいたずらである。
無理だったんだ。
改めて自分を客観的に見て、気がついたことがある。
どうやら今まで私は昔のことを引きずりすぎたらしい。
もはや日課になってしまっている織姫へのお願い事が、その日、初めて変わった。
織姫様、海外に行って無事に、「幸せ」に暮らせるよう、よろしくお願いします。
彼を探して出歩くのをやめた。そんな暇があったら、外国語の勉強をしなければならない。 英語なら義務教育から培ってきた、(とても危うい)ベースがあるが、引っ越すのは英語圏ではない。一応英語も通じるだろうが(何せ英語は世界共通語だ)、日常生活を送るにはその国の言葉を理解しておくに限る。
出発日も決まった。旧暦の七夕の翌日である。もうひと月を切っていた。
ハンカチを取り出すものやめた。過去を偲ぶ暇があったら、未来を見据えなければならない。
人は、いや、私は後ろには進めないのだから。いつもまでもくよくよしてはいられない。
前を見つめなければ。
織姫はそんな私の様子を悲しそうに見ていた。
そしていつしか……いなくなってしまった。
出発前夜、私は七星町の友人にお別れの電話をした。この町に住む友人にも別れを告げた。
引越しの荷造りも済み、もう既にいくつかの荷物は向こうに送ってある。
部屋の中には、いくつもの段ボールが並んでおり、その横にはゴミ袋がいくつかおいてある。明日の朝、捨てる予定だ。
どことなくがらんとした部屋の中を見ながら、私はあのハンカチを手にした。向こうに持っていくべきか、捨てるべきか悩んで、結局そのままにしてしまった彼のハンカチ。
あれからずいぶんと時間がたった。ハンカチも色あせてしまっている。
今、万一逢えたとしても、向こうも覚えていないだろう。
……心を決めた。
私はゴミ袋のくちを開いた。
もう一度、ハンカチを見つめて、思い切って、想いを断ち切ろうとしたとき、
『待て』
どこからか声がした。
『捨ててはならぬ。それを持って家を出よ』
ものすごく偉そうな口調である。女性というより、女の子に近い声だ。
家族に少し外に出ることを告げて、私はその声の通りに外に出た。時間が遅かったけど、家族は止めなかった。きっと、見おさめにあちこちを回ってくるのだと思ったのだろう
『そこを右に曲がれ』
その声の通りに動くことになんの疑問も抱かなかった。理由はない。ただの直観である。
指示されるままに進む。
最初はどこに連れて行かれるのかと思ったが、進んでいくにつれて行き先が分かった。
……小学校だ。
この先に何が待っているのか、大体予測がついた。
門の前に人影が見える。
振り返る。
あぁ、やっぱり――。
多分、私はものすごく情けない顔をしていたと思う。
「お、久しぶり。小学校以来か?」
彼は覚えてくれていたらしい。
声は低くなっているけれど、背が高いのも、優しそうな顔をしているもの変わらない。ひいき目が入っているかもしれないけれど、ちょっと格好良くなっている。でも、見間違えはしない。
「山手君……」
彼は、山手君は照れ臭そうに頭をかいた。
「なんかさぁ、変なガキがさ、オリヒメっていう奴なんだけど」
何を話していいのか戸惑っている私に、山手君は、なぜ自分がここにいるのかを説明しだした。私は「織姫」という単語に反応する。
あぁ……。
本当に叶えてくれた。ありがとうございます、織姫様。
織姫に祈りを捧げていると、山手君が不思議そうな顔をした。私は笑う。
「ずっと今まで織姫様に祈ってたの。山手君に逢えるようにって。それが叶ったからね」
やっとつかめたタイミング。私はハンカチを取り出す。
「ずっとこれを返したかったの。あの時はありがとう」
山手君は何のことかわからなかったらしい。ハンカチを受け取るも、さらに不思議そうな顔をした。だけど私が説明すると、思い出したように「あぁ、あれね」と納得して、うなずいた。
「別によかったのに。律義な奴だな」
「遅くなってごめんね。あの時、すっごく嬉しかった。本当にありがとう」
それからの私たちは、どちらともなく今までのことを話し合った。中学はどうだったか、高校に入ってどうか。小学校の時の出来事や、先生の話とか本当にいろんなことを。
少しでも話が途切れそうになると、山手君が話しかけてくれた。黙り込んでいるよりかは、何か話したほうがいいという彼なりの配慮だろう。本当に嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
でも、いつまでもそうしているわけにはいかない。
「そろそろ、行くね。来てくれて、ありがとう。逢えてよかった。」
本当によかった。
薄れていた気持ちがよみがえっていた。あの頃の淡い恋心のようなもので胸がいっぱいだった。今だけは、どうか、昔のままでいたいと、切に思った。
昔に戻れた気がしていた。
山手君に背を向けようとすると、
「俺も、逢えてよかったよ」
ちょっぴり恥ずかしそうなでも優しい声。
思わず、空を見た。空を見ずにはいられなかった。そこには天の川はなかったけれど、とてもきれいに星が瞬いていた。優しく、瞬いていた。
再度山手君を見ると我慢しようとしたものが、こぼれてきた。せっかく、空を見上げたのに、これじゃ意味がない。
でも、言うなら、今だ。
「あのね、小学校のときね、私、山手君のことが好きだったんだよ」
少し早口になってしまったが、ちゃんと言うことができた。
私の告白に、山手君は驚いて、しばらく黙って、そして笑った。
「ありがとな」
………………。返事じゃなかったけど、それでいい。私は満足だ。
この人を好きでよかった。
「こちらこそ、ありがとう。それじゃあ、山手君も元気で」
山手君に背を向ける。そして、ゆっくり歩き出す。でも、
「……またいつか逢おう。それまで元気で」
背中にかけられた声に、固まってしまう。
どうやら外国行きを知ってるみたいだ。まったく……。
織姫が頭に浮かぶ。本当に素敵なお姫様だ。
「うん」
できる限りの笑顔で。……ちゃんと上手に笑えたかな?
山手君は軽くほほ笑んで、手を振ってくれた。
前を向いてこれから行く先をみると、織姫が、嬉しそうにほほ笑んでいるのが見えた。
きっと織姫はこれから帰るのだろう。そう思った。私もこれから帰ろう。
理由もなく、やる気に満ちてきた。すっきりしたからかもしれない。これからなんでもできそうな気がする
外国で暮らすのは不安だ。だけど、なんとかなりそうな気がする。
きっと、新しい何かを見つけられる気がする。
確信できているわけじゃない。だけどきっと大丈夫。
……頑張ろう!
織姫様、本当にありがとうございます。
「幸せ」を、確かにいただきました。
ずっと、ずっと、今までありがとう。
星降る夜には、必ずあなたを思い出します。
少しでも「幸せ」を感じたら、あなたを想います。
どうか、織姫様も「幸せ」でいてください。
ありがとうございました!
『 もし、あなたに願い事があるのなら、あきらめないでください。
想い続けていたら好機が訪れます。
織姫様は、あきらめずに願い続けた人に、「幸せ」をつかむための好機を下さります。
もちろん、その好機を生かすか殺すかは、あなた次第となります。決して逃さないようにしてください。
願いを決してあきらめないでください。
想うだけではいけません。感謝の心も忘れないでください。
織姫様はいつでもあなたのことをご覧になっています。
あなたに「幸せ」が授けられんことを
○○○○年七月七日
七星町 七夕神社 社務所
』
七星町 七夕神社 一部抜粋
言い訳という名のあとがき。
どうも、はじめまして星です! (ご存知の方は、本当にお久しぶりです。)
今回は、七夕がテーマとなっております。といっても、皆さんがご存じの七夕とは違うものとなっております。
さて、これからこのお話ができた経緯をつづりたいと思います。
6月26日。課題をしようとパソコンをつけました。
もうじき7月じゃないか! やばい、あれのレポートやってない! あぁ、あれもやってない!
そこでカレンダーをみて、ふっと思いました。
そういや、もうじき七夕だなぁ。七夕かぁ……懐かしいな。
そういや、織姫様でお話を書いてみたかったなぁ。去年、微妙に書きかけたけど、あれなぁ……。
あ、織姫様をこんな風に登場させてみようか。
そんな流れで、ネタを忘れないようにメモを残そうと新しく開いた「白紙ページ」。
気がつくと、メモのはずがこんなお話ができていました。
さらに気がつくと、パソコンをつけてから4時間近く経っていました。
あれ? 課題は?
本当に勢いで書いたお話です。後から若干手を入れましたが、基本的にそのままです。
勢いで書いちゃったものは、勢いでいっちゃった方が面白いかな〜……と思って、勢いで載せてみました。
読んでいただいて、楽しんでいただけたのなら、この上なく嬉しいです。
ありがとうございました!