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第3話 ハプニングJK


 六条タケルの朝はそこまで早くはない。

 七時くらいに起きて、朝食はヨーグルトとフルーツグラノーラを混ぜたもので済ませる。正味二、三分程度だ。

 それから顔を洗ったり、スーツに着替えたりで出勤の準備を整えたら、だいたい出社しなきゃいけない七時半をまわる。

 マンションを出て、いつもと同じ経路で最寄り駅に向かい、いつもと同じ時間、同じ電車に乗り込む。


 このルーチンを崩すことはしない。

 几帳面というより、ルーチンでこなすことで余計なことを考えなくて済むのが楽だったからだ。

 頭を使う必要が無いし、そうやって機械みたいにタスクをこなしていけば周囲の鬱陶しいものにも鈍感でいられる気がした。

 こういう心構えだから、毎日満員電車に乗れるし、行きたくもない会社に向かうことができている。

 心を健康に保つ秘訣だ。いや、長生きさせるか……。


 などと電車に揺られながらくだらないこと考えていた。いつも通りの月曜日だ。黒いスーツが視界一杯になる満員電車の中は、目をつむりたくなるほどうんざりな気分にさせられる。


 ただその日だけは少し事情が違ったらしい。


 いつもどおり乗り込んだ電車の六両目。

 いつも乗っているその車両に、何やら奇妙な行動をする女がいた。

 女というよりも、少女と言うべきか。

 まわりの人よりも頭ひとつ分ほど低い背丈の女の子が、人の波に翻弄されながら青白い顔で体を震わせていた。


 顔色は悪かったが、その容姿ははっとするほど整っていて、思わず二度見してしまうほどだ。

 顔をじっと観察していたものだから、小さなぼくろが一つ、彼女の目の下にあることに気がつく。

 ブレザーに鞄という姿から、高校生だろう。さすがに制服でどこの学校かわかるほど詳しくはない。


 そんな子が、車体が揺れるたびに苦しそうな顔をしている。

 明らかに、体調が悪そうだ。

 辛そうに目を閉じ、額から汗を流している。


 僕は周囲に目を配る。

 年を重ねた男たちが揃いも揃って暗い顔で月曜日という週のはじまりに苦悶の表情を浮かべている。


 わかる、わかるよその気持ち。自分のことで頭がいっぱいだよな。

 僕だって満員電車からはじまるこの日が一番憂鬱だ。線路下に飛び込んでこの世界からグッバイしたくなる気持ち、わからなくもない。

 でも、そんな僕でも、女の子がヤバい状況なのは分かった。


 男たち、聞こえていますか? 今直接頭の中に語りかけています。これはチャンスです、冴えない男たち。

 心の中で呟く。自分がその冴えない男の一人ということはとりあえず置いておいて欲しい。


 例えば少女の真横にいる肥満体系の男などは、チラチラ彼女の様子をうかがっている。明らかに彼女の様子がおかしいことに気づいているだろう。少女に手を差し伸べれば、これを期にお知り合いになれるかもしれないぞ。

 あるいはイヤフォンからジャンジャン音を鳴らしている私服姿の君。どうせこれから遊びに行くだけで暇だろ? 目の前に辛そうな顔したJKがいるぞ。助けてやれよ。


 そんな妄想に浸ってはみたものの、彼女の顔色は悪くなるばかりで、まわりは一向に手を差し伸べようはしない。


 僕が何とかしろって?

 いや、無理だ。会社に遅刻してしまう。

 今日は九時に会議があるし、数分でも遅れれば上司との衝突は避けられない。そんなダルいイベントは御免だった。

 そのとき車両が揺れて、JKの身体が僕の目の前に押しやられてきた。

 額に流れる汗。潤んだ瞳。そんな子が青白い顔で頭をふらふらとさせている。


 不意に彼女が視線を上げた。


「……」


 視線が交差したとき、青白い顔で、他人の顔なんて気にしている余裕なんてない状況で、彼女は確かに僕を見て「あっ」と声を漏らした。口を丸く開け、まるで何かに気づいたように見えた。


 次の瞬間、少女が自分の口を手で覆って、えづいた。

 そこでようやく列車が駅に入る。


「すみません、おります!」


 さすがにこれはまずいと思い、ドアが開いたタイミングで彼女の手を引いて外に抜け出した。





 ベンチに座らせた少女は、一瞬僕の顔を見たが、すぐにくたりと横たわって目を閉じてしまった。肩を上下させて荒い呼吸をしていて、顔色もよくないままだ。


「シャツ、しわくちゃになるぞ」


 首にかかるネックレスが、彼女の胸元に垂れ下がって光っている。すると無意識なのか、彼女が一番上のボタンをはずして、深く呼吸をした。

 息苦しかったんだろう。

 するとタイミングよく、二人の駅員がこちらに駆け寄ってきた。


「どうしましたか」


 なにやら険しい表情だ。女の子が倒れたとなればそりゃ慌て――いやまて、と気づいた。

 荒い呼吸の少女、はだけたシャツ、それに近づくおっさん。周囲にはこちらに目を向ける多くの人間がいた。


 女の子が倒れたことに純粋に心配の目を向ける人間はいないかな。

 ああ、こりゃいないな。どれも僕を蔑むような目だったり、スマフォのカメラをこちらに向けたりしている。


「いやあの……この子、気分が悪そうだったんで外に連れ出したんです」

「無理やりその子の手を取ったの見たわよ!」


 なぬ!?

 どこからか野次が飛んできた。

 同じ車両に乗っていた恰幅の良い中年の女性だ。

 その声で場が凍り付いたのが分かった。


「そんなことしてない! 僕、彼女の目の前にいたし、本当に気分が悪そうだったんだ! 吐かれでもしたら困るのは僕だし!」


 理不尽だ。

 感情が爆発しそうになって、無理やりそれを押し殺す。

 来るな、と心の中で叫んだ。

 ざわざわと、耳障りなぐらいに周りの声が頭の中に響いてくる。


 駅員たちの視線は依然として冷たいままだ。

 もしかして痴漢か何かと勘違いされているのだろうか。


「おい君、大丈夫か?」


 駅員の一人が仰向けに寝転んでいる少女に声をかけるが、まともな反応は帰ってこない


「とりあえず一緒に事務所に来てください。彼女も話せる状態ではないみたいなので」

「……まじか」


 本日の遅刻が確定した瞬間だった。






 逃げればよかったかなと、事務所に通された時に思った。

 いや、逃げれば身の潔白など完全にできなくなってしまう。

 それに、事務所には何人かの人間が待機していて、今更逃げ出せるような雰囲気でもなかった。僕は埃だらけの倉庫室みたいなところに通され、そこで待機するように言われた。


 身の丈に合わないことをすると、踏みにじられることが多い。

 神様ってのがいるんなら、そいつはたぶん僕に大人しくしてろ、でしゃばるな、とでも思ってるのかもしれない。

 まるで嫌いな上司みたいだ。


 ほどなく、先ほどの駅員が姿を現す。


「あの子が今しがた目を覚ましまして、あなたに暴行された事実はないと発言されてます」


 駅員らしからぬ屈強そうな大柄の男が険しい目を向けながら言った。


「ということで、帰っても大丈夫ですよ」


 良かったですね、とでも言いたげな雰囲気である。

 こっちは遅刻の連絡を会社に入れて、電話越しに怒鳴られたばかりだというのに。


「さいですか……」

「ただ連絡先をこちらの書類に書いてください。後日何かあった時にお電話差し上げる場合がございます。たぶんこの決定が覆ることは無いでしょうが、念のため今週の土日は空けておいてください」


 どうやらささやかな休日すら返上する可能性があるらしい。


「人助けなんてするもんじゃないですね……」


 僕の言葉に、男は気まずそうに視線を逸らし、咳払いした。

 どうやら皮肉が伝わるぐらいには、男にも人の心があったらしい。



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