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第1話 恋は、恐ろしいものだ

 恋は、恐ろしいものだ。

 恋をはじめて恐ろしいと感じたのは、中学時代に一度だけ女子に告白されて、それが夢幻(ゆめまぼろし)のように無くなってしまった時だ。

 仲良くなって、勝手に好きになって、そして傷つけて、傷つけられて、終わってしまった。

 それからの僕は、恋をするのが怖くなってしまったのだと思う。


 恋愛をしない奴は臆病者だ、なんて言うけど、それなら自ら進んで恋愛して、相手を傷つけることが勇気なのだろうか?

 そんなことが許されるはずない。

 少なくとも、僕がそうすることは許されないと思っている(キリッ)


 強がりだ……。モテない男のひがみだ……。

 そんなんだから、三〇歳に迫る今この瞬間も、僕はまともに恋愛できないでいる。


 時刻は午後八時ちょっと過ぎ。南風の温かさが空気に少し溶け込んだあたりの、まだ煩わしい暑さとまではいかないくらいの夏に入る少し前の季節だ。

 日本橋駅近辺の繁華街に位置する洒落たバー、そこのテラス席で複数の人間と飲んでいた。


 目の前に座った女性は、顔は良かった。化粧ノリの良い艶のある肌で、ついでに胸元も豊満なそれで、露出が激しいわけでもないのに妙な色っぽさを感じさせる仕草が目についた。目つきがキツイことさえ除けば、美人に部類されるレベルの容姿だろう。

 都心の有名なバーのビアガーデン。集まったのは男女8人グループ。

 テーブルに置かれた酒と料理。この場で僕の知り合いは、一番離れた席に座る会社の後輩である野木孝雄(たかお)という男だけだった。


 その合同コンパは、野木がセッティングしたイベントだった。

 周りは二〇代前半から後半ぐらい、といった顔ぶれだろうか。

 僕はというと、今年で三〇になる、一際年を重ねている方の男だった。


 単なる数合わせでここに来た。

 なにか新しい出会いがないかと、期待していないと言えば嘘になる。

 何かこの、代り映えのないなんの面白みもない日々が劇的に変わるような出会いがないかと、そういう気持ちがなかったわけじゃなかったのだ。


「へぇ? エンジニアさんですか」


 そう口にした女性の目が、一瞬で冷めた。さっきまで楽しそうだった声がすんっと、魂が抜けたみたいに、あるいは中年おばさんのお肌のように、張りがなくなったのだ。

 そんな声が耳に入ってしまい、僕はもう引きつった笑みしかできなくなった。

 つまんない男、とでも思われている気がした。


 さっきまで肉食動物のように爛々と輝いていた瞳は、僕が職業を口にしたとたんになんと死んだ魚のような目になったのだ。不思議だ。


『職業差別じゃないか!』


 僕は叫んだ。心の中で。

 さて、そんな死んだ魚の目をした彼女は息を吹き返し――そのまま死んでいればいいのに――今度は方向を変え、僕の隣にいるバンドで生計を立てている男に夢中だ。彼の数々の武勇伝を聞いてご満悦の様子。

 

 また失敗だ。当然だなと、そう思う。

 こんな愛想のないつまらない男、相手にしてくれる人がいるわけがない。むしろみんなの楽しい気持ちに水を差してしまうだけだろう。

 だから、誰とも話をすることなくただ時間がたつのを待った。


 ウーロン茶で喉の渇きを潤わせながら、腕時計に目をやった。

 恐ろしいことに……まだ合コンがはじまって一〇分ほどしか経過していない。

 このウンコみたいな時間がまだしばらく続くことを意味している。それに気づいて、虚しさと自己嫌悪にまで苛まれる。

 なんだこれは。

 新手の拷問か。



 合コンが終了し、みんなで店の外に出た。夜風が吹く場所に出ると、息苦しさが少しはましになった気がする。

 みんな思い思いの相手と連絡先を交換している中で、僕はそっとそんな集団から距離をとった。

 あとは若い者同士でごゆっくりしてください。


 気の合う相手がいれば二次会に向かうメンバーもいるだろう。

 そんな連中を尻目に、ひとり夜の街を歩きだす。

 いや、むしろ走り出した。


「はんっ! んだよっ!」


 脱兎のごとく、逃げ出していた。

 いつの間にか周囲に人気がない裏通りへとやってきていた。

 立ち止まり、見上げればビルの隙間、矩形に切り取られた空がある。


「ばかがよ……」


 まるで敗戦兵のように、俺は嘆いた。

 別に誰かに向けて嘆いているわけじゃない。

 情けない自分に嘆いている。何も手に入れられない自分が、たまらないほど憎いんだ。


 駆け引きと、腹の探り合い。

 恋愛は、そういうもので成り立っている。

 男女の気持ちが本当の意味で交差することは無い。

 気持ちがどうとか、真実の愛とか、そういう青臭い非生産的なものに重点を置くのは、学生の恋愛までだ。


 人は年を重ねて、相手の幸せを願うんじゃなくて、自分が幸せになれるかで物差しをはかるようになるのである。


 なんだか悟ったように卑屈なことを言っているが、そんなものだろ? 百人に聞いたら、3割ぐらいは僕に同意してくれる人がいると思う。


 僕はどちらかというと、非生産的なものにあこがれていた。

 まだドラマや小説みたいな恋愛を夢見ていた。

 少女漫画のような恋愛にあこがれる女の子みたいなことを、本気で考えていた。

現実は、そんなに甘くない。


「僕に結婚は無理だな……」


 それがおおよそ五年の婚活を経てたどり着いた、真理だった。

 ここまで長かった……。

 結婚――人生における一つの到達点。それが出来たら晴れて一人前、だなんて人もいると思う。

 けれど現実はちがう。

 大きなハードルだ。

 理想ばかりが高い自分にはなおのこと、むしろ面倒ごとのように思えてくる。


 いや、ただの言い訳だ。

 モテない男の言い訳。

 とにかくもう、終わりにしようと思う。

 結婚したい、なんて呟くたびに、手に入れられない絶望感を抱くのもやめにしよう。

 そのほうがきっと、生産的だ。


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