その6
そよかぜ村に越してきてから数週間が経った。
処方してもらったあの日から毎日睡眠薬を服用しているお陰で、朝までぐっすり睡眠をとれている。清々しい日々が続いていた。起きると胸や腋がべたべたしていることがあるが、寝汗が酷いのだろう。
「唯子、今日も来てくれたんだね。待っていたよ」
「カミルさん、こんにちは……」
「さぁ、入って」
カミルを訪ねることは、既に日課になっていた。
貢物を持って会いに行くうちに、部屋に上げてもらえるようになったのだ。
いつ通り抱きしめられ、部屋に促される。小説家である彼の家には、本が所狭しと並んでいる。本の独特な匂いが漂っている。部屋には執筆作業に使う大きな机と、ベッド、ソファー、それからテレビが置いてある。
唯子とカミルはソファーに座り、テレビを見ながら会話する。ついでに少しだけいちゃつく……という、至って健全なお家デートを楽しんでいた。ちなみにまだ付き合っていない。
この世界には、値段は張るが「テレビ」というものが存在する。どこから電波を拾ってきているのか不明である。料理番組、ドラマ、ニュースの3番組が主に放送されており、恋愛ドラマではたまにえっちぃシーンも流れる。
唯子は、カミルと一緒にテレビを観る、ただそれだけの時間を気に入っていた。
(この人といると、なんだか落ち着く……)
そっと手を握ってくるカミルに対してドキドキはするものの、下心は見られない。ただただ、一緒にいるだけで何だか幸せなのだ。彼からはいつも、ローズマリーの甘い香りが漂ってくる。
色素の薄い肩まで伸びているさらさらとした髪、琥珀色の瞳。決して自分を傷つけない、優しい声。薄っすら色づく唇が唯子の頬に落とされる。
腕に閉じ込められ頬にキスを落とされる度、唯子は自分とは釣り合わない彼に対し「付き合ってもいないのに手が早いのでは……」と思う一方、彼への恋情が募り、どうしようもない感情に支配される。
実はこのお家デート、毎回このくだりがある。テレビを観ていると、いつの間にかカミルが抱き着いてきて、頬や首筋にキスを落としてくるのだ。唯子が恥ずかしがって嫌がると、意外に力強い腕に閉じ込められ、じっと見つめられる。
とても恥ずかしい、何という苦行……。
「唯子、今日もクッキー持ってきてくれんだ。いつもありがとう」
「き、気に入ってもらえたのならよかった」
「なんでだろう……唯子からは甘い匂いがする。僕があげたお揃いのオイルの匂いと混ざり合って……ずっと嗅いでいたいくらい」
スンスンと首筋に顔を寄せられ、息を吸われる。くすぐったい。
「ひゃぁ……っ」
「――――へぇ、くすぐったいの?」
「ちょっ、と、待ってやめて……」
「ふふ、逃げようとしてる。かわいい」
時々カミルは強引だ。逃げようとしても、長い四肢で絡めとってくる。足や腕、唇で、私を逃がすまいと締め付ける。
カミルの体臭が、鼻孔をくすぐる。独特な、彼だと分かる匂い。
甘い、匂い。
(こんなことされたら、ダメだって。本当にダメになっちゃう。カミルの事しか考えられなくなっちゃう―――)
事実、家でカミルの残り香を感じた時全身がカッと熱くなり、腰が震え、その場に座り込んでしまう。カミルの匂いは、私にとって毒のようなものだった。
「―――――今日はこれくらいにしてあげようかな」
「ぁ、うん、ありがとう?」
「真っ赤になっちゃって、かーわいい。目をとろんとさせて、発情しているみたい。明日も、僕のところにおいで」
「えっ、、ぁ、やだ、ごめん、見ないで」
カミルの匂いに充てられて、変な顔をしていたらしい。いけないいけない。ドン引きされてはいないだろうか。
「ごめん、変な顔してたよね。ごめんね見苦しいもの見せちゃって。今日はもう帰るね、また明日!」
「じゃあね~」
外まで送ってもらい、唯子は一息ついた。
彼の隣は居心地がいい。それと同時に何だか、その、変な気持ちになってしまう。
(ずっぶずぶだわ……これもう、どうしたらいいの)
最近、ローズマリーの香りに対して、何だかムラムラするようになってしまった。よくない。
何より、まだ恋人関係じゃないってことが、さらに良くない。
かわいい、かわいいなんて言ってはくれているものの、「好き」と言われたことがないのだ。
カミル、だたのほわほわ系男子だと思っていたが、案外タチが悪いのでは……?
悲しいかな、恋にズブズブの唯子にはもう会いに行かないという選択肢がなかった。
明日も友達以上恋人未満の関係にモヤモヤしつつ、彼に会いに行くのだ。