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神を考える

作者: 蜜蜂殺し

神は何々だとかいう考察が飛び交うが、なぜ人は考えないのか。“自分が神である可能性に”


この世の全て、この世に生まれる前の己が生み出した。

今一階でテレビを見ている母や、隣の部屋にいる弟。彼らには本当に意思を持っているのだろうか。

ただ機械的に人間に似せて作られた物だとしたら。と考えると鳥肌が立つ。できれば自分と同じように意思を持っているのだと信じたい。

でなければ究極の孤独になるからだ。そして、この文章は一体誰に向けて書いているのか?ということになる。自分しかいない世界でこんなものを発信しても意味がない。

人生のありとあらゆるもの、最終的には無駄なのだ。


もしも神は己である。のだとすれば全て楽になる気がする。これから受験に落ちホームレスになることも全て快く受容し、それさえも一興なのだと思えてくる。どんな人生を歩んでもいいんだ。と思えてくる。


創造物はどうだろうか、クリエイタールーム的なところから森羅万象己が生み出したのだとは到底思えない。歴史、植物や動物の設定、文学。

おそらくここら辺は値内で縛られたランダム仕様なのだろう。

そして僕もランダムに生まれてきたのだろう。

窓の外で舞う葉っぱも人間の行動も全てが決まった範囲内での動き。バグることはない、完璧な世界。

実際のところはどうなのかは死ねばわかる。

ただ、まだ死ぬには早い。もう少し自分で作ったこの世界を自由に遊び倒してから次の生へと移行するとしよう。


ただ、これを読む人に意思があればその瞬間、これらのことは全て破綻する。その意思をもつ複数の中の一人が自分だなんて。


なぜ私は生まれてきたのか。こんな無数にいる生物の中で、一番優秀かつ愉しい生である人間に生まれた。なんじゅうおくの一粒の精子がたまたま自分だった?

いやおかしい、じぶんは生まれるべくして生まれた。

人間として生まれてくることは予め決まっていたのだ。自分が決めたのだ。


もしかしたら前世や、クリエイタールームでの記憶を持ったままプレイしたことがあるかもしれない。猫として生きたかもしれない。もしかして、みんなが超能力を持つ世界で生まれたかもしれない。何を感じてきたのかはしれないが、ただ今回は。どこまでがランダムなのかは分からないが。

前世の記憶を持たぬ。人間として生まれ、悠々自適な暮らしをし、多少の悲劇を経験したのだ。

これは誰ならぬ僕自身が選んだ道なのだ。

この先に待ち受けるもの。例えば、2020年という年に自分の住む東京でオリンピックが開かれた。このような奇跡を目の当たりにした時一見自分が創造したのではないかと感じる。

ただ、一つ問題なのが。自分はスポーツ選手ではないことだ。それに、観戦にもいかない。では何のために設計したのだろうか。ではこれはランダムで生まれたものなのか?考えていくとこの世のあらゆるところに伏線は散らばっている気がする。


これは宗教ではない。存在した瞬間、神の座の奪い合いになる。存在することができないというのがただしいだろう。

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