文化だから
文化だから
その日、霧の帝都の市民たちはみんな浮き足立っていた。それは時計工房の職人たちも同じく、定時になれば幾人かはイキイキと、幾人かは死んだ目で街に繰り出して行った。
残されたのはいつもの二人。1番の稼ぎ頭と工房長。作業がひと段落ついた彼は一息ついたら普段通りに夜の街に飲みに出るだろう。宗教とも縁はなく、民間のイベントにもあまり興味はなかったからか、毎年この時期にノーラはなんとなく微妙な気分になった。だが今年は少し違う。私室に戻ったノーラは真っ赤な生地に白い縁取りのされた防御力の低そうな服に着替えた。スカートの裾は膝よりも高く、外に出るには覚悟が必要そうだな、などと思いながら鏡を見て変なところをないか確認した。無言で自分自身に頷くとノーラは意を決して工房に戻る。
暖炉の前に作業を終えた彼がいた。両手で持ったマグカップからは白い湯気が出ておらず、お昼頃に渡したポットのお茶を飲んでいるようだった。
「お疲れ様、リアン」
「お疲れ様、ノーラ。何その服」
振り返った彼は少しも驚くことなく普通に尋ねた。あまり期待してなかったが、驚かれないとそれはそれでなんとも言えない。その場でくるっと回ってみる。
「どうかしら?最近の若者に流行ってると聞いたの」
「誰から聞いたのかな。大方ベルあたりだと思うけど」
「よくわかったわね」
「ノーラも何か飲む?」
「……えぇ」
いつも通りだ。特に気にされてもいない。ノーラ自身、そろそろどうしてこんな格好をしているのかも正直なところわからなくなって来ていた。冷えた紅茶の入ったカップを渡される。
「あの……」
ベルから渡された時は「感想をもらうように」と念を押されていた。反応がなかった、と伝えても納得はしてくれない。答えを聞かなくてはいけなかった。
「どうしたの?」
「えぇっと……この服似合ってるかしら」
「似合ってるんじゃないかな」
ノーラは内心でムッとする。少しくらい逡巡してくれてもいいんじゃないかなぁと思ったがこの人間は時計以外にそんな感情を出すことはないこともよくわかっていた。
「私みたいな可愛くない人間が着ても似合わないと思うのだけど」
「ノーラがそういうならそうかもしれないね。自分ではどう思うの?」
「こういうものって、たとえばセトとか……ドミトリーの子たちには似合うと思うけど」
日中、服を受け取りに行った時に追いかけっこをしていた美少女(笑)を思い出しながらさっきの鏡で見た自分の姿を並べる。可愛い子たちが可愛いものを纏うのは間違い無いだろう。自分は……可愛げとは程遠い人間であることはよくわかっている。うんうんと悩んでいるとガタッと椅子が動く音がした。
「ノーラ、それ」
そのままぼーっと立ったまま悩んでいたら急に彼がずんずんと近づいてくる。
「え、ちょっと」
「ちょっと見せて」
彼の手が自身の胸元に伸びてきたことに驚いて後退りしてしまう。
「ちょっと、逃げないで」
「やめっ……」
ぎゅっと強く目を閉じて来るであろう感覚に備えたが、胸元にあった重さがフッとなくなるだけだった。恐る恐る目を開けると、首からかけていたアクセサリー代わりの小型の懐中時計を手にしげしげと見ている姿が目の前にある。
「これ、新しいパーツ使ってるよね。新作?」
「えっと、ウォーカー家から依頼があって女の子たち向けのアクセサリーにならないかって。小さく作るにはまた違う機構を取り入れたらと思って」
「なるほど、でもここのパーツは勿体無いなウォーカーからってことは量産を視野に入れてるよね。ちょっと待ってて、工房に試作したパーツあるから持ってくる」
手を離した彼はマグカップをゴトっと音を立てて置くと駆け足で去って行った。一人残されたノーラはカップを置いて彼の背を見つめる。
「私がどう思うか……」
薄暗い工房の広間でくるっと回ってみる。ふわっと広がったひらひらした服の構造はやっぱり防寒、防御面の心配しかなかった。似合うか似合わないかを考えなければ、
「可愛い……かしら」
鏡に映っていた自分を客観的に評価すればそうなのかもしれない。ただ、その姿を近所の人や戻ってきていた数人の職人たちに見られていたことをノーラは気づいていなかった。お隣のおばさんにニヤニヤとされて微妙な気持ちになったのはまた後日の話。そしてこの後、工房長と一職人は聖誕祭とは関係なくいつも通りの時計談義に花を咲かせたのだった。
「いい加減覚悟決めなさい!今年はミニスカよ!」
「ミニじゃなくてもいいだろ!」
「もう逃げられないわ!妹弟たちがせっかく手作りした衣装が着れないっていうの?!ねぇみんな」
「うぇーん、セトにいちゃんがイジワルするー!!!」
「頑張ったのに……」
「……着てくれないの?ぐすん」
「わ、わかったよ!ちょっ、わかったって。着る、着るから泣くなお前ら!」
「言質はとったわね。みんな良い演技だったわ。時給アップね」
「「「イェーイ!」」」
「おい!裏切ったなぁ!!!」
と、天使たちの寮ではドタバタ鬼ごっこ劇があったらしい。