はし双回 Another story side 奏多
冬と呼ぶには早すぎて、秋と呼ぶには年の瀬も近づいて来ていたあの日。私の目の前で大切な人は倒れた。柳之宮さんを近くのコンビニに預けた後、急いで戻って来て目に入った光景は、赤紫色の水溜りとその前で塀に背中を預けて血溜まりの中に座り込む裁貴正義の姿だった。駆け寄って一番酷い傷口を羽織っていたカーディガンで縛る。
「ごめん。奏多、僕……」
流血沙汰には慣れていたはずだった。彼はいつだってどこにでも首を突っ込んで、危険なところに飛び込んで。けど今回は……
「裁貴くん!裁貴くんっ!!」
何度声をかけても、どれだけ大声で呼びかけてもいつものような明るい声は返ってこない。ぐったりとした様子で動かなくなっていく彼に、何かを失う恐怖に思考も行動も止まってしまった。ゆっくりと自分のカーディガンに広がっていく赤い染みを見つめて続けていた。
誰が呼んでくれたんだろう。気がついたら救急車に運び込まれる裁貴くんに付き添って病院に着いていた。彼のたった1人の肉親である母親には医療スタッフの方から連絡が行き、すぐにでもお店を閉めてこちらにくるそうだ。どこか他人事のような感覚に情けなくなる。
深夜の病院は、人気もなく薄暗かった。緊急手術を示す真っ赤な掲示灯が廊下に嫌な影を作っていた。今回ばかりは神頼みに頼るしかなかった。手を組んで虚空を見つめる。何の音もしない廊下で、隣に座る女の子に気がついた。視界の端で彼女の顔を覗くと蒼白になった彼女の表情が見えた。まるで自分自身を責めているかのように。
「柳之宮さんのせいじゃないよ」
「えっ……」
そう、柳之宮さんは関係ない。彼女を責めたところで彼が回復するわけじゃないんだ。きっとこうなったのは……もっと早く戻って手当てしてれば……。
「でも……」
「柳之宮さんのせいなんかじゃない」
自分自身に言い聞かせるように。私の弱さが隣に座る女の子を責めないように。でも、もしこの子がいなかったら……裁貴くんは……あぁ、嫌だ。この子は悪くない。
「柳之宮さん、先に家に帰ってていいよ」
「……」
「大丈夫だから」
自分でも驚くほどの状況に反してあまりにも冷静な声。これ以上彼女の姿を見ていたら、私は私を許せなくなる。私自身の弱さを突きつけられてるようで。隣に座っていた柳之宮さんが居なくなり、本当に一人きりになった。あぁ、彼女も傷つけてしまったかもしれない。あとで謝らなくちゃ……。
「奏多ちゃん……大丈夫?」
しばらくして、病院に到着した裁貴くんのお母さんが声をかけて来てくれた。いつもは元気そうな瞳に不安が混じっているのがわかる。私以上に心配なんだろう。私は強くいなきゃ……いけない……のに……なんで涙が……。
「お母さん……ごめんなさい、ごめんなさい。私のせいで……」
「貴女のせいなんかじゃないわ。あの子がまたひとりで飛び出したんでしょう?」
「いえ……今回は……私たちを守るために……でも、私がもっと早く戻っていたら……」
彼の助けになれたのに……本当になれた?私たちは足手まといだったんじゃ。もし裁貴くんだけだったら無事に逃げられたんじゃ。自分の無力感に全身の力が抜けていく。
「ううん、奏多ちゃんが無事でいてくれて良かった。あの子も報われるわ。大丈夫、あの子は丈夫なのよ。それを一番よく知ってるのは貴女でしょ?」
「……はい。ごめんなさい……」
「ほら、謝らないで。貴女が泣いていたらあの子が心配しちゃうでしょ」
「裁貴くん、心配してくれるんですかね」
「あはは、あの子デリカシーはないからねぇ。ほらほら笑ってあげて。そっちの方があの子は喜ぶわ」
私が励まそうと思っていたのに、お母さんにあやされるみたいに励まされてしまった。母親ってこんな感じだったんだ。なんか、すごくあったかい。
「大丈夫、大丈夫よ。だから奏多ちゃんも心配しないで」
けど、そんな自分に言い聞かせるように言われるとすごく心配しているのがわかる。たったひとりで育てて来た大事な一人息子なんだ。その姿を見ると、まるでさっきまでの自分自身に重なって見える。
「裁貴さんですね。ひとまず手術は無事に成功しましたが、しばらくは意識が戻らないと思います。山場は越えているので入院して経過を見たいと思います……。言い辛い事なのですが、出血が酷く低酸素状態が長かったため、脳に機能障害が出る可能性も。覚悟はしておいてください」
「……そんな…」
目の前が真っ暗になった。けどね……強くならなきゃ。私も強くなって守られるだけじゃなくて裁貴くんを守れるように。
「奏多ちゃん、今日は遅いから帰りましょう。お見舞いに来るときは一緒に連れて来てあげるから」
「はい……」
そうだ、柳之宮さんに謝らなきゃ。一人で帰しちゃったし。裁貴くんのお母さんに車で送ってもらい急いで部屋の鍵を開ける。電気が付いていないのはもう寝てしまっているのだろうか。起こすのは悪いかな。
「えっ……」
家には誰も居なかった。机の上に一枚残された手紙。ほとんどなかった彼女のものは見る影もなく消え去っていた。
「あぁもう。あの子もバカじゃんっ」
何のために裁貴くんが怪我をしてまで助けたと……何のために……あぁもう!この世界は勝手な人たちばっかだ!
「私だって、私だって強くなる。世界を救う。誰も不幸にならない世界にしてみせる」
だから、私と裁貴くんの最初の犠牲者は柳之宮さん、あなただよ。絶対に逃さない。絶対に次は助けてみせる。
「けど……今回は私じゃダメなんだよね。頼んだよ、紫吹さん。だから今はまだ、私は裁貴くんのことを心配してていいよね……」
一人呟いた部屋は、静かな落ち着きを保っていた。
あれから3日。目覚めぬヒーローを眺め続ける日々が始まっていた。看護師さんには話をつけて病室に寝泊まりできるようにしてもらったし、ソファーで寝れるように毛布も手配してもらった。
「学校は行かなくてもいいの?生徒委員でしょ?」
「えぇと。他の子に頼んでます」
「勉強は大丈夫?」
「はい。教科書は一通り終わっているので」
「あら、優秀。そのままうちの子のお嫁に来てくれればいいのに」
「あはは、そうなったら……すごく嬉しいですね」
意識が戻らない間は家族以外面会謝絶ということで、病室には私とお母さんしか来ない。あとは病院まで来るのは宿題やプリントを届けてくれる西町くんくらいだ。
「じゃあ着替えはここに置いておくから。正義のことよろしくね、奏多ちゃん」
「はい……」
「そういえばフラワーガーデンにまた花が咲いたみたい。気分転換に見に行ってみたらどうかしら」
「えっ、そうします」
次のステラバトルが始まる……私たちは呼ばれなかった。確かに今は戦える状況じゃない。でもこのことを知ったら悔しがるだろうな。
「ちょっとだけ見てくるね」
応えのない言葉を掛けて病室を飛び出した。
フラワーガーデンに着くと、平日のお昼だというのに誰もいなかった。まるで誰かに配慮されたみたいに。円形の花壇に咲いていたのは青色の薔薇、黒色の昼顔、黄色のアネモネ。そして中央には禍々しい荊を纏った美しい白薔薇。そっか。また知らない誰かがエクリプスに……。あとの3種類の花はきっとあの6人のものだ。スマートフォンを取り出して待ち受けになっているあの時の写真を見る。笑顔のみんな、笑顔の私、そして笑顔の……。あの時の紫吹さんと柳之宮さんはすごく強かった。今回もすごく強いかもしれない。私たちも一緒に戦えたら……。けど私たちには戦う資格がないんだ。私は交友関係は狭くない方だと思っていた。けど裁貴くんに振り回されてばかりでこういう時に相談できるような友達はいない、いや、エーギュさんとかカティアちゃんなら……。ううん。次のステラバトルが始まるのにそんな負担をかけられない。
「はぁ、私には裁貴くんしかいなかったんだ」
彼が私の全てで、彼だけが私の世界だった。彼に出会ったことで世界は広がったし、大切な友人たちにも出会えた。いつでもどんな時でも彼と一緒に。
自然と零れた涙が冷えた頰を濡らす。木枯らしが吹き始める季節。冷たい風の中でも花壇の中の花々は美しく咲き誇っている。
「あの時、覚悟は決めたんだ。強くなるって」
きっと大切な友人たちは勝利を掴み、また笑顔で会える。その時は私も裁貴くんと一緒に笑顔で出迎えるんだ。
「あと3日。あなたは約束をすっぽかすような人じゃないから、きっと目を覚ましてくれるよね」
信じてるから……
あの日、耳元で囁いた言葉。夢の中だから言えた、本当の気持ち。今の彼には聞こえないかもしれないけど、心の中の言葉は彼に伝わっているような気がした。