ジャスかな出会いの物語
ー回想ー
「うるさいっ!親の言うことも聞けないのか!」
あの日も怒鳴り声が鼓膜を揺らし、キーンと耳鳴りの音だけが頭に響いていた。飛んでくる食器を避ける意思もなく、直撃した皿の破片で切ったのか、額から血が流れて視界を赤く染め上げた。
「あなた、やめてください、奏多は女の子ですよ」
「あぁ?俺の言うことが聞けないなら、男だろうが女だろうが関係ない、これは躾だよ、し、つ、け!!」
「でもあんまりで、キャッ」
「出しゃばるならお前が代わりになるのか?あぁ?」
「それは……いえ」
きっとあの時、あの瞬間、私の心は壊れたんだと思う。お母さんは、護ってくれる人なんかじゃなかった。あの時の母親の目は、少しの優しさもなくこれから殴られる私を憐れむ目だった。信じていた人に見捨てられたショックは、父親から振るわれる暴力よりもずっと心を抉った。
「あはは、もうやだな……」
「おいっ、どこに行く気だ!」
諦めに似た感情、諦めよりもずっと重い感情。家から飛び出した私は、私の人生の最後の場所を探していた。外聞を気にするあの両親は追ってきたとしても声を荒げることはできないだろう。周りにバレないよう服で隠れる場所しか殴られなかったのだから。あの2人に対してこれが一番の復讐になるはずだ。裸足のまま飛び出した私の足は、小石を踏んで血塗れになっていた。
少し離れた小さな公園、何かあるといつも逃げ込んでいたこの場所で、どうしたらいいか迷っていた。幼い私には、この憎らしい自分の鼓動を消し去る方法がわからなかった。
「なぁ、あれ、枝園じゃね?」
「うわ、まじだ。なにあの格好」
「ねぇ、公園で遊ぶのやめとかない?先生も関わるなって言ってたじゃん」
遊具の上で全身の痛みに耐えていた時、同じクラスの子どもたちの声が聞こえた。純粋な悪意。世界にとっての天使でも、私にとっては悪魔にしか見えなかった。遠巻きに見守っていた1人の少年が何かを拾った。
「いや、面白い遊びがあるって。ほらっ」
「痛っ……」
あろうことか、その拾った小石を思いっきり投げつけてきたのだ。それを皮切りに他の子どもたちも真似をし始める。
「……誰も助けてくれないじゃん」
大小さまざまな石が当たり、痛みを堪えながら、ぽつりと呟いた言葉は、ここ数ヶ月、ずっと心の中で思っていた言葉だった。家族もクラスメートも先生も、誰1人として助けてなんかくれなかった。
「ほら、避けてみろよ!ボロ雑巾みたい」
「可哀想でしょ?www」
「お前だって投げてるくせにwww」
このまま全てを受け入れていれば、いつか私は死ねるんじゃないかと思えてきたとき、私の前に誰かが割り込んできた。
「お前ら、なにをしてるんだ」
君は誰?助けてくれるの?そんなわけない。誰も助けてくれない。期待したらダメ。
「裁貴、やめとけよ。そいつ助けてもいいことないぞ」
「そうだよ、むしろ枝園さんの方が悪なんだよ?」
「なんだ、そうなのか」
私の前に立っていた1人の少年は不思議そうな顔をして私の顔を覗き込む。ほら、君もあいつらと同じなんでしょ?
「お前、悪い奴なのか?」
「……」
えっ、何を言って……私は悪くない。でも私が悪いの?全部全部私のせいだったの?私が何か悪いことしたの?
「何か言ってくれないとわかんないぞ」
「……私だってわかんない、わかんないよ。誰も助けてくれない。なにがダメなの?いっぱいいっぱい頑張ったのに。勉強も手伝いもみんなと仲良くなろうともしたのに……なんで……」
何か心のダムが決壊したように叫んだ。誰にも伝わらなくても私の心が壊れないように。全てを吐き出すように……。気を張り続けていたから保っていた意識が、ゆっくりと遠のくのがはっきりわかった。遠のく意識の向こう側で、「わかった、よく頑張ったな、あとは僕に任せろ」と少年が叫んでいる声が聞こえたような気がした。
夢の中で、カンカンカンと消防車のサイレンが鳴り響いた。気がついて目を覚ますと、あの公園のベンチで横になっていた。通り過ぎていった消防車のサイレンに起こされたみたいだ。陽も落ちて薄暗くなった公園には他に人はいない。すぐ横にはボロボロになったあの少年がベンチにもたれかかるように座っていた。
「……あの、もしもし?」
こんな時どういう風に声をかけていいのかわかんなかった。私が起きたのに気づいたのか、彼は目を開くとえへへと微笑んできた。
「大丈夫か、悪い奴らは追い払ったから安心してくれ」
「あの、君は……」
「僕か?僕は……そうだな、正義の味方だ」
「なんで、そんなボロボロになってまで……私なんか……」
「悪いやつはやっつける、それが正義の味方だ。それに誰かが助けを求めてたら、助けるのが正義だ!」
ありきたりな言葉、なんでもない言葉。そんなこと分かってるつもりだった。けれどまっすぐ一点の曇りもない眼差しと躊躇のないその台詞に、ただ、あの時は、その言葉がこの世界の真理のような、私の全てを塗り替えたような、そんな気持ちになった。
「泣いてる……あわわわ、どこか痛い?それか何か傷つけてしまったのか?大丈夫?」
気づかずに流れた涙は、目の前の彼を驚かせてしまったようだ。慌てる彼の姿が面白くて思わず笑ってしまう。こんなに暖かくて熱い気持ちに触れたのはいつ以来だろう。もう忘れてしまった感情が全て元通りになる気分だった。
「……大丈夫だよ。私はかなた。君は?」
「僕はじゃすてぃすだ」
「あはは、本当に正義のヒーローだ。ありがとう、私のヒーローさん」
「僕はこの世界を救うヒーローだからな!これもその正義の一つに過ぎない」
あぁこの人にとってはこれが普通なのかもしれない。誰も助けてくれないっていうのはやっぱりなしだ。きっと何かあったら絶対に助けてくれる人がここにいた。
「そろそろ家に帰らないとな。その足じゃ痛そうだから、ほら」
彼はそういうと背中をこちらに向けてきた。どうしたらいいのかわからずに、背中をつんつんと人差し指でつつく。
「えっと、おんぶするから乗ってくれ」
「えっ、あっ、はい!」
「あ、その前に。寒いだろ、着といてくれ」
いきなり飛び出したから、かなりの薄着のままだった私に上着をかけると力強く背負い、公園から外に出る。
「お前、軽いなぁ。ちゃんとご飯食べないと健康でいられないぞ」
「ご飯、うん。食べるようにするよ」
他愛もない会話、けれどこちらを気遣うような、優しさに溢れる会話。人の言葉の温かみも思い出せる。
「お前の家はこの辺か?なんか人混みが見えるな」
遠目でもわかる人混み、陽も沈んだはずの住宅街は炎で赤く照らされていた。
「私の家……燃えてる……」
「あ、そこの君、枝園さんのとこの奏多ちゃんでいい?」
私たち2人に近づいてきたのは近くの交番のお巡りさんだった。
「……はい」
「落ち着いて聞いてほしいんだけど、君のご両親が中に残っているのを見たって人がいて。とりあえず今日のところは警察で保護することになったんだ。まず救急車に……」
ー回想ー
あの日々のことは、全部全部、悪夢だったって思いたい。この時の私は、そう思っていた。でもじゃすてぃすくん。彼に会ったことで絶対に忘れられない記憶になったの。あの時あの場所で助けてくれたこと、絶対に忘れたりしない。あの後、私は出血性ショックで倒れて病院に運ばれた。両親は奇跡的に共に生きていたけれど、お母さんは、ベッドから動けない状態になったと聞かされた。父親は……あれから一度も会っていない。火事の原因?よくわかんないんだ。警察の人が言うには放火だったって。私は運ばれた病院で、身体検査の途中で殴られた痣や割れた破片で出来た傷が見つかったことで家庭内暴力も発見されて、児童相談所で保護されて、遠方に住んでいる親戚のおばさんの家に引き取られたんだ。そして小学校も転校して、新しい場所で生き直してみようと思った。あの時、私は彼に本当の意味で感謝の言葉を伝えられていなかったから。それを伝えるまでは死んでも死に切れなかったの。けど、高校入学のためにこっちに戻ってくるまで、私が彼に会うことはなかったの。でもね?SoAの入学式の日、一目見て気づいた。私が彼のシースで、そしてあの時の正義のヒーローだったことに。だから私はあの日、こう声をかけたんだ。
「正義のヒーローには、ヒロインが必要じゃありませんか?」って。
あはは、恥ずかしいな。あぁ、ううん。まだあの時の感謝は伝えられてない。いや、だって……恥ずかしいし。まだ死ぬ気もないし。これからもずっと、裁貴くんのそばにいるつもりだから、伝えるチャンスはいつか来るよ、ね!
〜いつかの奏多と友人との会話より〜