正義に誓う 第2章
お昼休み、いつも一緒に居た奏多の姿は正義の隣にはいなかった。無心で購買のパンを口にする正義を見て、西町は彼の正面の椅子に座った。西町は手に持っていたコーヒー牛乳のパックを手渡すと、ありがとうと言って飲み始める。いつもなら魔法瓶からお茶を注いでいるクラスメートの姿はない。西町は意を決してその話題を口にした。
「今日も購買のパンか。羨ましい限りの枝園さんのお弁当はどうしたんだ?」
「……」
まったく返事をしない正義。西町は頭を抱ええる。最近は少し進歩していたように見えた。まだまだこいつはポンコツなままだが、それでも枝園さんは嬉しそうだった。何があったってんだよ、と叫びたいくらいには応援する気持ちはあったのに。少しからかうために口調を軽くして話しかける。
「なんか最近はお前にかまわなくなったよな。もしかして喧嘩でもしたの?破局?」
「……」
ちゅーっとパックジュースを飲んでいて、返事しようとしない正義に、西町はだんだんと怒りを覚え始める。この二人に何かがあった時は総じてこいつが原因だと西町は思っていた。今回も正義が奏多に何かをやってしまったと。
「うわ~そっか~。ついに愛想つかされちゃったか~~」
「……」
まったくの無表情だった正義の眉が少しだけ反応した。そしてすごく困惑というか逡巡というか、何とも言えない顔に変わる。やっぱり気にはなっているんだと、西町はそう思った。
「なんだよ、その微妙な顔してるな。黙ってないでなんか言ったらどうだ?ジュース分くらい話せ」
「なんかって言ってもな。何を話すんだ?」
きょとんとしてそう口にする正義の顔を見て、西町は何も聞いてなかったなと思った。正義の様子が明らかにおかしいことに気付いていないのは正義本人だけだった。
「枝園さんと何かあったのかって話だよ。クラスの女子たちの間でも噂になってるぞ」
「えっ噂って、悪い噂か?奏多に何かあったのか?」
「ある意味では……。お前が枝園さんを振ったとか、暴言を吐いて傷つけたとか」
「そんなことするはずないじゃないか」
がたっと椅子から立ち上がり大声を上げた正義にクラスメートの注目が集まった。最近のこのクラスの噂の中心人物である正義の言動に一同の注目が集まる。
「分かってるよ、お前はそんな奴じゃない。でも何があったかくらい教えてくれてもいいだろ」
「何があったか、か。それが全く分からないんだ」
椅子を引いて座り直しながら、正義は奏多の様子がおかしくなったころを思い出す。ただ、何かした覚えもなければ、何かあったわけでもない。本当に急にだった。
「奏多がスマホを壊した日から、かな。それと、毎朝うちに迎えに来るのに、その日は来なかったくらいだ」
「なんだよ、こんな時まで惚気話か、くそっ。で、それから?」
西町は、自分の分のパンにかじりつきながら話を促す。正義は少し悩んだ後、何を話せばいいのか分からないようだった。
「……それから?って言ってもなにも」
「あぁもう。下校後のパトロールとか、それこそ枝園さんのバイト先はお前の家なんだろ?」
「……最近はパトロールには一人で行ってるし。バイトはずっと休んでるから」
「それは、さすがになんかおかしいだろ。枝園さんに理由は聞いたのか?」
「いや、しばらく話してないから」
西町は大きなため息をつきながら実際に頭を抱えた。世界平和とか悪を滅ぼす、弱い人たちを守る?そんなことをほざいてるくせに何も周りを見てないじゃないか、そんな風に思ったが、それこそがこいつだと、思い出す。ただただ枝園さんが不憫だ。
「一緒に下校したらどうだ?そしたら自然と会話するだろ」
「友達と約束があるとか、用事があるからって言ってうちとは逆方向に走っていくから」
「う~ん、そこまで来ると……俺のゲーム知識だと……ほかに男ができたな?」
「えっ……でも確かに。好きな人がいるって言ってたな。それが理由なら言ってくれればいいのに。相談に乗るって言ったはず……」
冷やかしのつもりで言ったはずの言葉を真に受けられて西町は焦った。正義は思いつめたようにぶつぶつと独自理論を展開し始める。
「いやいや、枝園さんに限ってそれはないわ」
「どうして言い切れるんだ。彼氏ができたなら、いくら僕のシースだからって一緒に居るのはおかしいだろ。なるほど、納得がいった。って痛っ、何をするんだ西町!」
西町は勝手に完結した正義の頭を思いっきりグーで殴る。西町の無性にたまったイライラが少しだけスカッとした。暴力はいけないことだがこれは女神も許してくれるだろう。
「正義、お前いい加減にしとけよ……そんなに気になるんなら枝園さんの後をつけてみればいいんじゃないか?」
「でも……それはさすがにまずいだろ」
正義は女子の後をつけることに難色を示す。確かにあんまりよろしくない行為だということは西町も分かっているが、明らかに様子が変なのだ。正義じゃなくてもクラスメートたちも心配している。もちろん西町本人も。ただ、彼女に接触するのはやはり正義が一番だと、西町は思った。
「じゃあ枝園さんが悪い奴に脅されてたらどうするんだ?」
「助けるに決まってるじゃないか!」
「そのための情報収集だよ。問題がなきゃそれはそれでいいだろ」
「そうか、それなら僕が奏多の後をつけていても問題はないな」
問題は大ありだけど、そんなことを思いながら西町は自分の分のジュースが無くなってしまったことに気付いた。月末ということもあり懐事情も暖かくはない。
「正義、今の授業料、ジュース一本で勘弁してやる」
「なんでだよ」
ん、と言って西町は正義の右手を指さす。正義の右手には飲み切り、握り潰された紙パックが握られていた。正義は驚いたように紙パックを落とす。
「正義のヒーローがごみをポイ捨てするなよ」
「違う、落としただけだ」
「はいはい、今週、毎日一本ずっとおごってるんだ。一本くらい返してくれたっていいだろ」
「そうだったのか。悪い。じゃあ自販機に……」
二人で購買前の自販機に飲み物を買いに行こうと立ち上がった時、教室のドアから珍しいクラスメートが入ってきた。その女子生徒はまっすぐに正義と西町のところまで歩いてくる。
「あれ?柳之宮さん。どうかしたの?」
「うん、裁貴くんに少し用があって。今からどこかに行くの?」
「いや、飲み物でも買いに行こうかとしてたとこだよ。正義、どうする?」
「そろそろ予鈴だし、ジュースはまた今度でいいか?」
「なら、私もついていくよ。紫吹君のも買っていきたいし」
「じゃあ行きながら話を聞くよ」
そう言って3人で連れだって教室を後にする。噂話の中心人物と不思議な立場の女子生徒がどのような会話をするのか気になっているクラスメートだったが、さすがについていくわけにもいかず、西町が質問攻めにあうことが決定した。
「で、用ってなんなんだ?」
「さっき、何を話してたの?」
「いやぁ、こいつがついに枝園さんに愛想つかされちゃってね、落ち込んでたんだよ」
自販機の前の休憩スペースで、それぞれ飲み物を開けながら話を始める。授業中に飲むのは禁止だから休み時間中に飲み切らなくてはいけない。正義はブラック缶コーヒーを開けると一気に喉に流し込んだ。
「落ち込んでない!苦ぁ~」
「お前、ブラックなんて飲めないのになんで買ったんだよ」
「……そんな気分だったんだよ」
「えっと、私のイチゴオレ飲む?」
イチゴオレを二つ持ったハシラは未開封の方ではなく飲みさしを渡そうとする。西町は自分もブラックコーヒーにしておけばよかったと後悔した。正義はそれを断ると、西町の手に握られていたペットボトルを綺麗に奪い取り、数口飲んでから西町に返した。
「西町のコーラもらったから大丈夫」
「おい、勝手に飲むなよ。まぁおごってもらったやつだからいいけど」
「それで、用なんだけど……」
「あぁ、何の用だったんだ?」
「えっと……」
ハシラは何かを言おうとして言いよどんだ。その姿を見て男子二人は首を傾げる。ハシラは何をどこまで伝えたらいいのか分からなかった。れいちゃんにはしたいようにしろって言われたけど。「おせっかいって言ってるの」そう言い放った奏多の顔が脳裏をちらつく。
「俺は、席を外した方がいいのかな。柳之宮さん」
「ううん、そうじゃなくて、言いたいことまとめてからにすればよかった」
「何言われても気にしないぞ、僕は」
ハシラが悩んでいるのか黙っている間、3人の間に沈黙が広がる。そろそろ休み時間が終わる時間、だんだんと人気がなくなり始めていた。しばらくしてハシラが意を決したように口を開いた。
「裁貴くん、枝園さんの事、大切にしてあげてね?」
「……えっ、急にどうしたんだ?僕は奏多のことを大切なパートナーだと思ってるし、大事な存在だ」
何も考えることなく、まっすぐに正義はそう答えた。その答えに西町はまた表情をゆがめる。ハシラも堂々と答える正義に感心しながらもどこかずれた答えに困ったような表情を浮かべた。
「正義、そういうことを言っているわけじゃないと思うぞ」
「じゃあ、どういうことなんだ?」
「ごめんね、柳之宮さん。こいつ、こういうやつなんだ」
「うん、知ってる。よく聞いてたから」
「おい、無視するなよ」
「正義、お前はちょっとは考えてしゃべれ!」
まとわりつく正義を押しのけて、西町はため息をつく。あれからずいぶんと変わったって思っていたが、大して変わってないところも残っていたようだ。
「さてと、そろそろ戻らなきゃ。じゃあ、ちゃんと伝えたよ。またね」
ハシラは教室とは反対方向に帰っていく。彼女が理科準備室によく行っているは周知のそして暗黙の了解だった。
「なんだったんだ?」
「さぁ?なんだったんだろうな」
「まぁ、お前と枝園さん関して柳之宮さんも心配してるんだろ。で、どうするんだ?」
「どうって?」
ハシラと別れた後、二人は教室に続く廊下を帰りながら話していた。
「枝園さんの後をつけるんだろ?」
「善は急げだからな、今日やるよ。西町も来るだろ?」
「わりぃ、今日は無理だ。姉ちゃんに呼びだし食らってて」
「そうか、ならしょうがないな。一人で行ってくるよ」
西町は立ち止まって、窓の外を見ると、渡り廊下でクラスメートの女子たちと一緒に笑顔で話す奏多を見つける。その姿だけなら、この前までと何も変わってない、隣に目の前を歩くこいつがいないだけで。西町は前を歩く正義の背中に向かって話しかけた。
「正義。あんまり枝園さんに迷惑掛けんじゃねぇぞ」
「分かってるよ、僕がそんなことするわけないだろ」
そういうことを言ってるんじゃないんだけど、こいつは分かってないんだろうな、と西町は振り向きながらそう応える正義に一抹の不安を覚えながら教室に入っていく正義を見送った。
キーンコーンカーンコーン
授業開始の合図とともにクラスメートたちが教室に戻ってくる。いつも通りの様子で教室に戻ってきた奏多を正義はじっと見つめていた。自分が奏多に対して抱いている想い、その正体が何なのかを考えながら。