貴方、私の顔を見なさい
まさか転校生だったなんて、驚きつつも道理で聞き覚えがないのも当然だと納得する。
もしかして転入の前日に彼女が教室に居たのは、自分の入るこの教室がどういったものか様子でも身に来ていたからなのだろうか。
でもそうなると、僕と出会ったのは本当にただの偶然だったはず。転校生というのであれば、僕と彼女とは全くの縁がないただの赤の他人だったのに。
それなのにいきなり恋をしろだなんて言うなんて、一体どういうつもりで彼女はそんな事を言ってきたんだろう。
(もしかして久納さんは、僕じゃなくても誰でも良かったのかな…)
モヤモヤとした気持ちが膨らむ中、しかしそんな疑問を直接彼女に訊ねるなんてできるはずもなく。
そしてそれよりも今一番に気になるのが、視界の隅に映り込む彼女はどうしてか僕の方をずっと見つめたままという事実。
(…な、何でさっきから久納さんは僕を見つめてくるんだろう…)
どうしても彼女の視線が気になって時々横目で彼女を見るが、その度に視線が重なって目と目が合ってしまい、気恥ずかしさにサッと急いで視線を反らす。
(…き、気まずい…!)
もう10分くらい此方を見つめてきている気がする。もしかして顔にゴミでも付いているのだろうか。それが気になって見つめてきているのかもしれない。もし仮にそれが原因だとすれば、何もしないよりも行動に移すべきだよね。
カバンからタオルを取り出してゴシゴシと顔を拭う。多分これで付いていたとしても取れたに違い無い。そう思って彼女を再び横目で見る。
しかし相変わらず僕を見つめたまま動かない。顔を反らし、目をぐるぐると回す。
も、もしかして髪かな。寝ぐせか何か付いているとか。
「…あ、あー…頭がか、痒いなぁ…」
相手に悟られぬようさり気なく、そしてボソボソと小さな声でそれとなく頭に手を置く。そのままポンポンと頭皮を掻くような仕草のまま左右のあちこちを触れてみるも、特に飛び出ているような箇所は何処にも無かった。
(え、ええ…じゃあ何で見つめてくるの…ッ!?)
そう思いながらもう一度彼女に視線を向けると、心なしか彼女の口元がさっきよりも吊り上がっているように見えた。
しかし此方を見つめたまま他の反応が見られないとなると、やっぱりそのどちらでもなかったという事になる。
違うとなると、取りあえず持ち上げたこの腕を下さないといけないよね。
「も、もう…痒くないなぁ~」
もう一度さり気なく、ボソボソ言いながら小刻みに震えた手をゆっくりと下す。
「っくふ!」
「ッ!?」
一瞬隣から笑い声のようなものが聞こえ、驚いて彼女の方に顔を見つける。が、久納さんは相変わらず涼しい顔をしたまま僕を見つめていた。
「ん? どうかしたのかしら? 小室くん」
「え! あ、その…」
もしかして今、笑った? なんて僕の口から聞けるはずもなく、あうあうと口を上下に動かすだけで声が出ない。
そんな落ち着きの無い様子な僕を他所に、彼女は落ち着いた様子で答えた。
「何でさっきから僕を見つめてくるんだろう…って?」
「ッ!? え、えと…」
「ごめんなさい、特に深い理由は無いのだけれども…迷惑だったかしら?」
そう聞かれて、殆ど反射的に首を横に振る。振ってから、しまったと思わず眉をしかめる。
「そう、なら良かった」
それだけ言うと、彼女は嬉しそうに微笑んで僕を見つめ続けた。
少々気になるものの、特別支障があるという事でもないし、困るような事も無い、ないけれども…それでも幾ら何でも見つめきすぎで、視線が痛い。
それにそれとは別に、そもそも彼女は授業をまともに聞いているのだろうか。さっきから僕を見つめてばかりで、全くノートを写しているような気配を感じられない。
そんな状態がさらに5分ほど経過した辺り、遂に居た堪れなくなった僕は思わず彼女に声を掛ける。
「そ、その…久納…さん」
「ん、何かしら」
「じゅ、授業…その、ノート…」
ごにょごにょと彼女に聞こえているのかも怪しい小さな声で、何度か指先も使って教科書とノートを指さすジェスチャーで伝える。
謎の行動を繰り返す僕を無言で見つめていた彼女だったが、もしかしたら余計に困惑させてしまったかもしれない。
「その、教科書…」
そういって、とにかくは教科書くらいは見なくていいのかと伝えようとしたところで、タイミング悪く担任から声が掛かってしまった。
「おーし、それじゃあ…そうだな、久納、次の行のところを読んでみろ」
「はい」
そういって、彼女は凛とした返事で立ち上がるが、今までの様子だと先生の話はおろか全く教科書を見ていなかったはず。
まずいと思った僕は慌てて何ページを読んでいたのか教えようとするも、しかしそれよりも先に久納さんは平然した様子で教科書を持ち上げると、担任に指定された行を読み始めた。
「その時、ならず者の傍まで近寄ったおじいさんは言いました。それは私のものでは無く貴方に上げたものです」
「おーし、座っていいぞー」
その久納さんの姿を、僕は目を真ん丸にした状態のまま見つめていた。そのまま何事も無かったように席についた久納さんは、再び固まったままの僕に顔を向ける。
そうする事でお互いが顔を向けたまま見つめ合った状態になるが、その時の僕は何も考えずに彼女の事を見つめ返してしまっていた。
無意識だったから、驚いていたからだと思う。数秒くらいしてッハと自分がしていた事に気が付くと、丁度僕が気が付いた時に合わせたように彼女の口が動いた。
「ステップ3…相手の顔をよく見る」
そういって一度口を紡いだと思うと、久納さんは続けて呟く。
「…貴方にはまだ、少しばかり早いかもしれないと思ったのだけれども……ふふ、大変よくできました」
「~~ッ!!」
そういって優しく笑う久納さんの姿に、僕は口をワナワナと震わせると、顔が熱くなっていくのを感じながら恥かしくなって顔を反対に反らす。
それからというものの、その日の僕は学校が終わるまでの間、常に久納さんの視線を感じながらも気恥ずかしさに振り返る事ができなかった。