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貴方、私に恋しなさい  作者: 貴方くん
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貴方、挨拶をしなさい



『そう、小室隼というのね』



 自分の名前を伝えると、そういって彼女はクスリと笑っていた。自己紹介も何も、同じ教室の生徒なら僕の名前を知っているだろうに。



 そうは思いながらも、彼女の名前を聞いて懐かしく感じつつも聞き覚えの無い名前に、僕は人の事は言えないなと苦笑を漏らす。



『取りあえず、今日はそれだけ。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいから段々と慣れていきましょう』



 それだけを伝えると、彼女は軽い足取りで教室を後にした。



『じゃあ、また明日ね。バイバイ、小室くん』



 僕の横を通り過ぎる際、耳元に囁く言葉を残して。











 次の日、まるで昨日の出来事は夢だったのではないかと、モヤモヤとした気持ちのままあまり眠れずにいた僕は、ボンヤリと重たい足取りでいつも通りの学校へ向かう。



 何も変わらない。何も起きない。何もかもはいつも通り。それでも僕の鼓動はそのいつも通りとは違い、僅かに高まっていた。



 学校に近づいていく程にその鼓動は高まっていく。彼女に再び会う事に緊張している。



「お、落ち着け…」



 そういって落ち着かせようとしても、逆効果な程に高鳴る鼓動は鳴りやまない。



 今になって後悔していた。困惑していたにしても、もう少しマシな言い方は無かったのだろうかと。



 再び彼女に出会うのがとてつもなく怖い。もしまた顔を見合わせたとして、何を言えばいいのだろう。



 これまで散々なくらいに他人との交流を避けてきた自分が、今更誰かと仲良くできるのだろうか。様々な不安が脳裏を過る。



 そうこう考え事をしている間に、気が付けば学校に着いていた。意を決するように生唾を飲み込み、高鳴る鼓動を抑えながら教室へと向かう。



 ここに来るまでの間、物凄く挙動不審だったのではないか、これ程までに周囲を気にしながら歩いていた事は無かったと思う。何度か深呼吸を繰り返すと、ドキドキしながら教室の中を覗く。



「……あれ?」



 呆然と立ち尽くし、その場で固まる。キョロキョロと視線を動かして教室の中を見回すも、昨日の放課後に出会った彼女の姿が見当たらない。



「ちょっと男子ー、そんなとこで突っ立ってないでよー、入れないでしょ」

「…あ、えっと」



 背後から声を掛けられてビクリと肩を震わせると、あたふたとしながら教室の中へと入る。



「…まだ、来てないのかな…」



 最初はビックリしてしまったものの、冷静に考えてみればまだ時間に余裕はある。それに、ただ単純に教室に居ないだけで、何処かに居るだけなのかもしれない。



 何もそんなに焦らなくてもいいだろうと、何事も無かったようにいつも通りの席に座ると、カバンから本を取り出しパラパラとページをめくる。



(そういえば何処まで読んでいたんだっけ。昨日は結局続きを読んでいなかったんだよなあ)



 丁度ページ数からして、それは物語の中盤。



 確か主人公であるオルドが攫われた姫を助けるために旅を出た後、道中に謎の多き少女と出会った所で止めていたはず。



「……まだ、来ないな…そろそろチャイム、鳴っちゃうんだけどな…」



 謎の少女という言葉に、再び昨日出会った彼女の姿が浮かび、気になってもう一度周囲を見回すも、やはり彼女の姿は何処にも見当たらない。



(もしかしたら、今日は休みなのかな…)



 ついにはチャイムが鳴り、教室に生徒が集まり席に着くと、担任が生徒の名前を呼んで出席を取り始める。



 普段は生徒の名前なんて気にも留めなかったから、数か月が経った今でも誰が誰なんて覚えてすらいなかった。どうせ話す事なんて殆どないのだから。



 けれども、今日は意識して彼女の名前が聞こえるのを待つ。…が、どんどん自分も含めて生徒の名前が挙がっていくのに、しかし中々彼女の名前が挙がらない。



 やっぱり今日は居ないのかな…と、少しばかり残念な気持ちで肩を落としていると



「ふむ、今日も欠席者は無し…と」



 その担任の言葉にえっと目を丸くして驚いた。



(…え、でも…)



 彼女の名前は無かった。意識しながら聞いていたのだから、聞き逃すはず…。



 そこまでして、彼女の名前に違和感を覚えた。



 そもそも、気には留めずとも毎回出席が取られている中で、彼女の告げた名前に全くの聞き覚えが無かったのはどう考えてもおかしい。少なくとも曖昧でも、何となくでも聞き覚えが無いと。



(…という事は…教室が違う…?)



 まさか、僕が入る教室を間違えていたのかと思ったものの、きちんと体操着はあったしそんなはずはない。そうなると、何のために彼女は僕の教室で、それも僕の席に座って…。



 その瞬間、思考が一気に冷めて、視界が遠のいていく。



 そもそも、あれは本当にあった出来事だったんだろうか。本当はただ体育着を取りに戻っただけで、あの出来事だけは夢で見た幻だったんじゃないのか。



 だって、普通に考えたらありえない事だって、僕なんかにあんな人が恋をしろだなんて言う訳がないのに。それなのになんで僕は、あんな幻想を抱いたんだろう。



 あんなこと…ありえるはずがない…のに…。



「じゃあ、これで朝のホームルームを終わりにするんだが…その前に一つ。実は今日から新しい新入生が転校してきた」



 担任の続けて言い放った言葉を聞いて、落ち着きを取り戻していた心臓がドクンと大きく脈を打った。



「入ってきていいぞー」



 その担任の言葉に従うように、彼女は綺麗な黒髪をなびかせて入ってきた。



「初めまして、久納奈々といいます。皆さん、これから宜しくお願い致しますね」



 その彼女の凛とした言葉の後に湧き立つ教室内。そんな中、僕はただ黙って彼女だけを呆然として見つめる。



「それで久納の席についてだが…」

「先生、それでしたら」



 担任が告げる前に、久納は言葉を遮ると僕の方向に向かって歩き出す。



 何が何だか分からずにぐるぐると視界を回していると、彼女は僕の近くに寄って立ち止まったかと思うと、その隣の席に座っている男子に向かってニッコリと微笑んだ。



「…え、え?」



 突然笑顔を向けられた男子は動揺した様子で彼女を見つめると、すかさず彼女は口を開く。



「ごめんなさい、出来れば貴方の席、譲って貰えませんか?」

「え…へ!? あ、あぁ…その……はい…いいです…」



 男子は期待を浮かべた表情から一転、ガックリと肩を落とすと戸惑いながらも彼女に席を譲る。



「ありがとう」



 お礼を告げて再び男子に向けて微笑むと、そのまま僕の隣に座った彼女は此方を向いて小さく呟いた。



「…ステップ2…挨拶」



 周囲には聞こえないような、でも、僕だけには聞こえるような声で。



「おはよう、小室くん」



 戸惑う僕の様子を見て、久納さんは少し楽しそうに笑ったんだ。



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