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ようこそ我が電脳叛逆(サイバーパンク)へ  作者: カツ丼王
第一章 発火(スパイク)
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06. 発火

 中央銀行(セントラルバンク)は複数人の武装集団によって占拠されていた。


 彼らは短機関銃(サブマシンガン)突撃銃(アサルトライフル)を身に付け、中には両手両足を違法改造した機械装備(サイバーウェア)に換装している者も散見された。腕っぷしに自信のある男が数人がかりで襲い掛かっても、それを一瞬で屠る力を秘めていそうだった。


 蓮を含めた客や店員は人質として扱われ、全員が建物三階の広い部屋に集められていた。彼らの両手に電子手錠を掛けて拘束した後、犯行グループのリーダーらしき男は声を上げてこう説明した。


「我々は第三階級(サード)の権利を取り戻すために立ち上がった『自由の(ラークスパー)』という組織だ。諸君らには行政長官である皇宗助(すめらぎそうすけ)を呼び出すための交渉材料となってもらう」


 犯人達の要求はこうだ。近日中に議会に提出される階級制度改正法案(かいきゅうせいどかいせいほうあん)、アルカディア行政府によるこの暴挙を止めるため渦中の人物である行政長官を呼び出す、というものである。


「大人しくしていれば危害は加えない。だがもし行政府が我々の要求に従わなければ、君達には尊い犠牲となってもらう。抵抗する者にも容赦はしない」


 犯人の言葉に戦々恐々となった人質達であるが、大人しくやり過ごし警察がやって来るのを待つこと以外できることは何もなかった。


 蓮もそれに倣って状況を静観していた。手錠を掛けられる際、幸いにも機械腕(サイバーアーム)の存在は露見しなかった。下手をすれば危険要因として排除されたかもしれない。そう考えると背筋が凍る思いがした。


『ど、どうすんじゃ? この状況……』


 PDAから蓮の電脳(マトリックス)に移ったセツナは恐る恐る言葉をかけた。


『どうって……大人しくする以外にないだろ。外とは連絡が取れないみたいだし』


 電脳(マトリックス)で直接返答した蓮は、現在の状況がかなり不味いものだと理解していた。


 犯人グループはどういうわけか銀行内の自立機動機械(ドローン)の制御を奪えたようだ。蓮から見える位置にも自立自動機械(ドローン)は通路を塞ぐように配置され、犯人達の命令を受け付けている。


 どうも犯人達の中にはハッカーがいるらしい。それもかなり優秀だ。


 次いで問題なのは外との通信手段が絶たれたことである。中央銀行(セントラルバンク)は秘匿性を向上させるために電波遮断(ファラデーケージ)構造を採用しており、外部との通信には建物内部のLANを経由しなければならない。よって助けを呼んだり内部の様子を伝えたりすることは不可能だった。


『人質を見せしめに殺すとも言っておる。もしかしたら、お主も……』


 銃口を押し付けられる光景が浮かびごくりと唾を飲み込む。


 じっと待っていれば助かるはずだ。蓮は恐怖に打ち勝つため、何度も何度も自らにそう言い聞かせた。


 すでに行内が占拠されてから一時間ほど経過している。犯人側か警察側か、あるいは双方に何らかの動きがあるだろう。


 状況を少しでも把握するため蓮は耳を澄ました。機械化(オーグメンテーション)にあたって機械腕(サイバーアーム)の動作を補助する角速度計(ジャイロスコープ)を内耳に埋め込んでいる蓮は、聴力を強化する施術も受けていた。


 意識を集中させるとフロアの角に居る犯人達の声が聞こえてきた。


「行政長官は果たしてここに来るのだろうか?」

「いや、難しいだろう。俺達が本気だということを見せなければならん」

「そうだな。第二目標の方はどうだ?」

「今雇ったハッカーにやらせてるが、どうにも見つからないみてえだ。情報はガセだったのかもしれねえ」


 彼らの話を盗み聞きした蓮とセツナは、疑念と焦燥感を抱いた。


『おい、人質を本当に殺すつもりじゃぞアイツら。早く逃げなければ!』

『分かってる。……それより第二目標って何だ?』


 犯人達は『行政長官を呼びつける事』しか要求をしていないはず。


 しかしそれとは別に何かを探しているようだった。ハッカーを使っていることを考慮すると、何かの情報のようであるが。


「もう……お家に帰りたいよお……」


 犯人達の声から一変して、違う方向から子供の声が聞こえてきた。振り返ると十歳にも満たない少女が、この緊迫した状況に耐えれられず泣きじゃくっていた。


「おい、うるせえぞ! さっさと黙らせろ!」


 犯人の怒声を聞いて母親が必死に宥めようとするが一度決壊した涙腺は止まることなく、少女の嗚咽が静まり返った空間に響き渡った。


 母親が咽び泣く少女を抱きしめるが、その背後に犯人の一人が近づく。


「おい、お前らのPDAを渡せ」


 男の声にびくりと反応した母親は恐怖に震えながら要求に従った。


 男は取り上げたPDAを操作して、親子二人のアカウント情報を確認した。


「なるほど。お前ら二人とも第一階級ファーストの人間ってわけだ。どうりで高そうな服で着飾ってるわけだ。……俺達から巻き上げた金でな」


 男は銃口をちらつかせ、親子を嬲るような目で見まわす。


 眼には弱者をいたぶって楽しむ下卑た感情が蠢いており、それを見た蓮は奥歯を噛みしめた。


 目の前で恐怖に慄く親子を眺めながら、男は手に持った無線機で仲間に呼びかけた。


「おい、そろそろ人柱の時間だ。ちょうど良いのが二匹いる」


 その言葉を聞いた者全員が凍りついた。幼い少女とその母の命を消し去ると、男はそう言ったのだ。


 耳を疑う様な発言に蓮は目を瞠る。


 視線の先で身を寄せあっていた親子は血の気が失せた様な表情になっていた。


「お、お願いです! この子だけは! お願い……この子だけは助けて下さい! この子は何も関係ないんです!」


 自分の身はどうなってもいいと懇願する母だが、男は突如怒声を上げた。


「関係無いわけねえだろ!? 俺達が畜生みてえな生活を送っていたのは誰の所為だ!? お前ら全員だろうが! 貧困に苦しんでる第三階級サードを差別し、知らぬ存ぜぬで通してきたのはテメエらだ! この都市で生きている限り無関係なんてことは有り得ねえ!」


 まるで叫びのようだった。舐るような相貌を見せていた男は、初めて生の感情を剥き出しにし、有らん限りの声量で言い放った。


「今お前らは災難に巻き込まれたと思ってるかもしれねえ! なんて不幸なんだとな! でも俺達からすれば、この状況は起きるべくして起きたんだよ! 踏みつけられた人間がいつまでも土を舐め続けると思ったら大間違いだ!」


 男の発言は蓮も心に抱いたことのある怒りでもあった。どうして自分がこんな酷い目に遭わなければならないのか。なぜ自分は第三階級サードに生まれたのか。なぜ誰も自分を助けてくれないのか。


 どうして神様はこの世界には居ないのか、と。


「お前らに個人的な恨みは無え。でもな、お前ら全員等しく憎いとも言える。子供だろうが女だろうが、俺達を踏み台にした現実があるんだ。だから容赦はしない!」


 男はそこで氷のような表情になり、腕づくで二人を立たせようとする。


「――ま、待ってください!」


 親子が悲鳴を上げた瞬間、蓮は思わず立ち上がっていた。


『な、何をやっとるんじゃ主は!?』


 セツナが電脳(マトリックス)で騒ぎ立てる。


 蓮自身もどうして口を挟んだのか分からなかった。


「……何だ、テメエは?」


 男は親子の手を放し銃口を蓮へと向けた。顔には今すぐ引き金を引きそうなほどの気迫がありありと示されている。


「ぼ、僕もあなた方と同じ第三階級サードです。ですからあなたの気持ちは分かります。で、でもこんな強引な手段に出ても徒に非難を招くだけです。正当性のある主張だとおっしゃるなら、人質に危害を加えるのは却って逆効果だと思います」


 押しつぶされるような圧力を肌に感じながら、蓮は矢継ぎ早に論理を組み上げた。効果は薄いだろうが、走り始めた暴走列車にブレーキは存在しない。何としてでも人質ひいては自分の命を守らなければならない。


 怯えきった少女を視界に捉え、蓮は心を強く持つと決心した。


「へえ。同じ第三階級サードねえ……」


 値踏みするような視線を向けながら、男は蓮へと歩み寄る。片手には突撃銃(アサルトライフル)がしっかりと握られており、距離が縮むたびに寿命を削られるような気がした。


「たしかにお前の言う通りかもな。こんなことしても何も変わらねえかも」

「は、はい。だから、正しい手段で意見を発信すれば……」


 そこで男はポン、と蓮の肩に手を置いた。


「なあ、お前……いつから俺達と同じ立場に居ると思ってたんだ?」

「え――!?」


 その瞬間、蓮の顔に衝撃走った。


 殴られたと理解した時には彼は床に堕ちていた。手で押さえると口と鼻から鮮血が流れていることが分かった。火を噴くような痛みに起き上がることも出来ない。


「余計気に食わねえなあ! 同じだと!? ふざけんじゃねえ!? 今テメエが着てる学ランは何だ!? 大層おきれいな第三階級サードだなあ、オイ!?」


 蓮の体はボールのように何度も何度も蹴りつけられた。身を丸めて堪えるしかない蓮は苦悶の声を上げる。


 それでも内臓と頭だけを必死に守り、相手が飽きるまで黙って堪えた。ただひたすらに無限に感じる様な時間を耐えた。それは治安の悪い生地で生きるため学んだ、後ろ向きな処世術だった。


「正義感から飛び出したのかもしれねえが、所詮はお子様のごっこ遊び以下なんだよ! 身の程を知りやがれ!」


 踏みつけられ、蹴り上げられ、蓮は朦朧とした意識の中で早く気絶して楽になりたいとさえ思った。だが暴力の嵐が決してそれを許さなかった。


 蓮を一しきり痛めつけた男は、唾を吐き捨てて親子の下へと戻った。


「ぐ……あ……」


 虫の息ではあったが蓮は辛うじて生きていた。自分でも生かされている事実に驚いた程だ。結局のところ、彼には殺す価値すらなかったのだろう。所詮は第三階級サード。命の値打ちはこの場に居る誰よりも安い。


 床に突っ伏したままわずかに動く機械眼(サイバーアイ)を動かし、少女の方を見た。


 少女は痛々しい彼の姿を見るのも辛かったのか、顔を背け母親の腕の中で震えていた。無様な姿を晒さずに済んで良かった、と率直に思った。


「オラ、立ちやがれ! 次はお前らの番だ」


 男の矛先が少女と母親に戻る。処刑を再開するのだ、と見ていた人質達は悟った。今度は蓮のように立ち上がって止めようとする者は居ない。逆らえばどうなるかを目撃した以上、制止しようとする愚か者はいない。


 蓮は死地へと引きずられる親子を最後に目に焼き付けようとした。


 必死に抵抗する母親だが、男の腕力の前に成す術もなく床へと叩き付けられる。少女は母親が傷つく姿を目の当たりにし、瞼を固く閉じ、耳を塞ぎ、口を噤んでしまった。


 まるで怖くて辛い現実から、少しでも逃避するかのように。


 蓮の視界が熱いもので歪んだ。


『――諦めるのか?』


 すると高みから試すように、聞き覚えのある女性の声が聞こえて来た。


『お前さんはよくやった。流されず、自分に出来ることをやったじゃないか。これ以上は命に関わる。黙っていても誰も文句など言わんよ』


 声の言う通り蓮は最善を尽くした。それは普段では考えられないくらいの勇敢さだった。結果は伴わなかったが、責めたり非難したりする者はいない。仕方のないことだったと誰もが評するだろう。


 しかし左腕の機械腕(サイバーアーム)は軋みを上げ、駆動しようともがいていた。


『無駄じゃ。その体では立ち上がるのが精々じゃろう。とても奴らには敵わんぞ』

「……黙れ」


 現状を認識する論理的な思考とは裏腹に、感情的な言葉が飛び出した。


 口内に鉄さびの味が広がる。機械のように冷めた体に熱い血が通い始めていた。


『お前さんが言っていた事ではないか。自分は無力だと。身の程を知っていると』

「……うるさい、黙れ!」


 痛みが心臓の鼓動と共鳴するように激しさを増し、同時に如何ともしがたい怒りが全身を駆け巡った。


 満足に動かせない我が身に呪詛を吐き、歯を食いしばる。


 痛む瞼をこじ開けると、視界が燃えていることに気付いた。


 周囲はまるで時間が止まったのように静止し、その中で紅い炎だけが彼の憤怒と同調するかのように蠢いている。その光景はARの見せる映像とは思えないほど美しかった。


「無謀だと分かってなおも吠え続けるか。無様で痛快じゃな」


 顔を上げると、焔を身に包んだ女が眼前に居た。いつも見慣れたはずのその姿は、普段とは様相を異にしている。


「貴様の望みは何じゃ?」


 良く知るはずの女は血のように紅い打掛を身に纏っていた。怖気が立つ冷笑を浮かべ、見た者の心を簒奪するほどの魔貌を放つ。靡く長髪は不気味なまでの漆黒で塗りつぶされ、火の粉に照らされた肌は異様な妖艶さを秘めていた。


 紅い両の瞳は蓮の意志を見定めようとしていた。


 この女の存在は不吉だ。あの目を見てはならない。永遠に盲目のままでいるべきだ。蓮の第六感が警鐘を鳴らしていた。


 あの瞳に映る世界を知れば、この身は必ず破滅する――と。


「……俺は」


 しかし、その目から逃れることは出来なかった。


 彼の日常が、血のように紅く燃え上がった。



「待てよ、屑野郎。俺はまだ生きてるぞ」


 蹲っていた蓮は立ち上がって開口一番、男に対し挑発の言葉をかけた。


 男は母親に振るう暴力の手を止め、こちらを振り返った。


「……どうやら本当に死にたいらしいな」


 蓮の態度に我慢ならなかった男は蓮へと一気に詰め寄った。学ランの襟を乱暴に掴み、腰に下げていた拳銃を彼の眉間へと突き付ける。


「何も出来ないガキの分際で、俺達に楯突こうってのが気に食わねえんだよ! 大人しくそこに寝そべってろ! でなきゃ頭を吹き飛ばすぞ!」


 引き金に指を掛け、威圧的な口上を述べる。


 人質たちは蓮の頭が吹き飛ばされる様を想像し、身震いさせながら目を背ける。


 だが当の本人は微動だにしなかった。動揺も怯えた様子も一切見せず、ただ平然と無感情な瞳で男を見返す。


「何も出来ないのはお前だ。徒党を組んで、弱い人間を脅し、犯罪行為を正義だと勘違いする――ゴミ同然の弱虫野郎が」


 蓮は首元に伸びる男の手を掴み返した。


 予想もしていなかった反応に、男は荒々しい物言いで反発する。


「なんだと!? 俺が……俺がゴミだって? 殺されてえのか!? あ!? この引き金を引けば、テメエは蜂の巣になっちまうんだぞ!?」


 男の態度が更に剣呑なものへと変わるが、蓮は歯牙にもかけない。目の前の暴力に屈してはならないと全身の細胞が囁いている。


 視界の端に啜り泣く少女の姿が映った。


「今までずっとそうだった。我慢して泥水を啜り、理不尽な目に遭っても平気な顔をして、何もかもが仕方のないことモノだと、諦めて生きてきた」


 蓮は自分自身に働きかけるように言葉を口にする。


 目の前の光景は彼の歩んだ人生の縮図そのものだった。


 力に怯え、現実から目を背け、耐え忍ぶことしかできなかった無力な存在。怯えきった少女の姿はこれまでの自分に他ならない。神様なんてこの世界に居ないのだと、底なしの絶望でかつて悟った。


「だが間違いだった。俺はもう妥協しない。相手がどれだけ強大で正しい理念を掲げていようとも、俺は戦う。他の誰でもない自分のために」


 それは利己主義(エゴ)だった。徹頭徹尾、己のためだけに生きる。他人からは非難されるかもしれない。最低だと罵られるかもしれない。愛する者からの信頼すら、食い潰してしまうかもしれない。


 だがそれでも蓮は叫んだ。


「だから――俺が貴様らを粛清してやる」


 蓮がそう宣言するのと同時に、紅の炎が世界を覆いつくす。


 燃え広がる渦は周囲の建造物やそこに居る人間全て、ありとあらゆるものを喰い尽くした。


 喜びに身を震わすセツナの声が燃え盛る炎と共鳴するように響き渡った。


『素晴らしい口上だぞ、蓮よ! 良いだろう、お主に儂の全て捧げる。もう儂とお主は一心同体。この身は手足の如く命じるままに従おう』


 辺り一面を埋め尽くした紅い炎が、まるで意志を持つように蓮へと収束した。電脳(マトリックス)へと膨大な量の情報が次々にインストールされ、意識が飛びそうになる。脳を巡る血液が沸騰し、内部から爆ぜるのではないかと思うほどだった。


『見せてくれ! お主の見る世界を、この儂に!』


 セツナの呼びかけに応じるように眼を見開いた。


 先ほどまで焼き尽くされていた世界は、氷のように静止していた。


 正確には極限まで時の歩みが停滞していた。


 肉体は異常なほど緩慢な動きしか出来ず、蓮は照明灯のわずかな明滅すら数え上げることが出来た。


 そして彼の世界では、もう一つはっきりとした変化が起きていた。


 視界に映る男、彼の頭部に結晶状の壁が浮かんで見えた。蓮はその透明な結晶体がAR表示されたもので、外敵の侵入を防ぐための防御プログラムだと看破した。


 ハッカーや悪性プログラム(マルウェア)から電脳(マトリックス)を守る防御機構――通称、防壁(アイス)。触れるものを問答無用で燃やし尽くす氷の炎。電脳世界(サイバースペース)における最強にして最後の防衛手段である。


 見えるのは防壁(アイス)だけではない。蓮の機械眼サイバーアイは全てを見透かしていた。防壁の暗号強度、握りしめた拳銃の仕様スペック、埋め込んだ機械装備(サイバーウェア)、男のアカウント情報に至るまで、認識できる全てをARに情報として映し出した。


 今なら見える。自分の立ち向かうべき世界が、戦う手段が。


 手にした力の強大さに笑みを零すと周囲の時間が息を吹き返すように戻った。


 眼前の男は激昂した表情を顔に作り、蓮へと止めの一撃を見舞おうとする。


「クソガキがあああああ! 舐めやがって! あの世で後悔させて――!?」


 引き金を絞ろうとした瞬間、男は突如絶叫した。


 突き付けていた拳銃を放り出し、体中に電流が走ったかのように痙攣する。そして白目を剥いたまま、事切れた機械玩具のように床へと倒れ込む。


 同時に人質達の手に嵌められていた電子手錠が一斉に開錠され、外部からの光を遮っていたシャッターも金切り声を上げて開き始めた。


『行内の人々は今すぐ退避して下さい。間もなく警察が突入します。迅速かつ速やかに彼らへと保護を求めてください』


 銀行内部に備えられたスピーカーから合成音声が流れ、人質達は訳も分からず呆然となった。だがすぐに助けが来たのだと理解した彼らは、決壊したダムのように我先にと出口に向かって駆け始めた。


「な、何だ!? 一体何が起こった!?」


 事態を静観していた犯人たちが慌て始め、人質達が逃げるのを防ごうと武器を構えた。


 蓮は犯人達を一瞥する。


 数は十一。彼らの電脳(マトリックス)に組み込まれた防壁を瞬時に読み取った後、倒れた男と同様に無力化させようとプログラムを走らせた。


 防壁破り(アイスブレーカー)。電脳(マトリックス)に風穴を穿ち、権限を奪い取る不正プログラム。


 電脳(マトリックス)に過負荷を掛けて計十一のプログラムを起動すると、AR上に紅い槍が複数浮かび上がった。犯人達一人一人に向けられた血槍は螺旋回転を描きながら、蓮の合図とともに空間を縫うようにして走ら(ラン)された。


 槍は容易く犯人達の防壁(アイス)を破壊した。槍の先端が防壁に触れると眩い放電(スパーク)が放たれ、硝子細工をハンマーで叩き壊すように堅牢なはずの防壁(アイス)は粉々になった。


 彼らは自分の身に何が起こったのかを理解出来ず、一人の例外もなく昏倒する。


 さらに蓮は権限を奪った電脳(マトリックス)を踏み台にし、他のフロアに居る犯人達にも同時にも不正情報を伝搬させた。セツナが身に宿していたハッキングツールの数々は軍用級のプログラムと遜色ない性能を誇り、それらは一介のテロリストに過ぎない犯人達には到底防ぐことは出来なかった。


 建物の中に点在していた犯人達は一人また一人と装備していた武器を取りこぼし、意識を電脳世界(サイバースペース)上で霧散させた。


 鮮やかな手並みで行われた蓮のハッキングは、人質達が視界から消え去った後、秒針が一周する間に完遂された。


 一人フロアに佇んでいた蓮は、静寂の中でゆっくりと膝を付いた。


「……はあ、はあ……やった……のか?」


 辺りを見回し、自分がやったことを再確認する。


 フロアには電脳(マトリックス)不正操作(クラック)され気絶した犯人達の姿があり、どれも死んだようにピクリとも動く気配がない。


 人質達は無事に逃げ切ったようだった。少女の安否を確認できなかったのが気がかりだったが、おそらく外へと連れ出され保護されていると結論した。


『お見事じゃ。初めてにしては随分と上手い手管だったと思うぞ』


 AR窓越しにセツナがそう評した。見ると顔にはいつものように溌剌とした笑顔を浮かべ、たった数分前の緊迫したやり取りとはまるでイメージが結びつかない。


 魔女のような蠱惑的な面影は鳴りを潜め、蓮は思わず安堵した。


 彼女の拍子抜けするような柔らかい顔つきを見た瞬間、体にどっと疲労と痛みが沸き上がった。座り込んだ彼は柱を背にして大きく息をつく。


 すると誰かがフロアへと足を踏み入れる音気配があった。


 ようやく警官隊が到着したのだろう。自分も保護を求めなければと思い、そちらを振り返ろうとする。


「――霧崎君!?」


 透き通るような少女の声に、蓮は耳を疑った。


「皇さん? ……どうしてここに?」


 予想もしていなかった人物の登場に蓮は戸惑いを隠せなかった。


 彼女の方に向き直ろうと体を翻そうとするも、痛みの所為で上手く動かせなかった。


 手酷くやられた様を目の当たりにした桜は悲しげな表情になった。


「……すぐに病院に連れて行きます!」


 手を貸そうとする桜を見て、蓮は慌ててそれを遮った。


「問題ないです。多少、痛みはありますけど……一人で歩けます」


 痛みが全身に走るものの柱を頼りに何とか立ち上がり、一人でその場を去ろうとする。


 今詳しく調べられれば、セツナの事が露見してしまうかもしれない。それに電脳(マトリックス)内の記憶領域には自分が何をしたのか克明に記録されている。今自分の素性を知る桜とコンタクトを取るのは、百害あって一利なしと判断した。


「一人で行けます。皇さんの手を煩わす必要はありません」

「……え?」


 心配して駆け寄ってきた彼女に冷たい言葉を掛けた。背中に彼女の視線を感じるが止む得ないと切り捨てる。


 それに今は誰かの手を借りるのが嫌だった。今はもう一人で歩ける。自分の力だけで何とでも出来る気がした。もう先ほどまでとは何もかもが変わったのだ。


 豪奢な正面玄関を引き摺るようにして這い出ると、はるか遠くに燦々と輝く栄光塔(アナ―オブアルカディア)が目に入った。この都市の覇者が集う、力の象徴。


 蓮はそれに向けて手を伸ばすように左腕の機械腕(サイバーアーム)を掲げた。


 戦うのだ。例え相手がどれだけ大きくとも。たった一人でも戦争を始める。


 少年の電脳(マトリックス)には叛逆の意志が芽吹き始めていた。

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