05. 襲撃
午後の授業は滞りなく、平穏の内に進められた。午前中にようなアクシデントは一つたりとも起こらず、静かな学園生活を望む蓮にとってみれば最上の時間だった。今朝美冬が言っていたような凄惨な運命とは程遠く、占いなど非科学的なものはやはり当たるためしがないと改めて認識させられたほどだ。
全ての授業が終了し、下校を告げるチャイムが鳴る。
帰り支度を整えた蓮はフードで顔を隠し、鞄を背負い教室から逃げるようにして退散した。登校時に通過した網膜、指紋、声紋など度重なる生体認証の門を数分かけて通り抜け、ようやく学園の外に出ることができた。
蓮は正門からクロス駅と呼ばれる主要鉄道ターミナルへと移動し、第一区を目指した。クロス駅は四つの運行会社によって路線が管理され、地下鉄まで考えるとその本数はとても両手の指では足りない。
地下鉄の改札へと足を向けた蓮は、視界に浮かぶAR表示に従ってホームで列車を待った。目の前を横切る鉄道車両は全て電脳精霊による自動運行で、ホーム上の駅員のほとんどは人工皮膚を張り付けたアンドロイドだった。
『珍しいのう。人ごみは嫌いと言って、都心から離れた店を利用していたのに』
「今日は第一区に用があるのさ。……買えるか分からないが」
『ほう、何が目当てなんじゃ?』
「腕輪だよ。最近流行ってる電磁人造物質内臓のお洒落アイテム」
蓮はブラウザのお気に入り(ブックマーク)から腕輪の商品画像を表示し、セツナに見せた。女性から男性までが身に付け、自由に色彩や光沢を変えられることから人気を博しているアイテムだった。
『ふーん。真っ黒なフードを被る割には随分とオシャレに気を遣うんじゃな』
「いや、妹の誕生日プレゼントにするんだ。じゃなきゃこんな高いモノ買わないよ」
予期していなかった発言に驚いたのか、セツナは『そうなのか』と生返事をした。
来週末に美冬は一五歳の誕生日を迎える。普段であればプレゼントを用意するなど親元から離れて暮らす彼らには不可能だったが、今回は事情が違う。
「臨時収入が手に入ったからな。腕輪を買っても余裕でお釣りが残る」
学校を出る前にnexus06から振り込まれていた報酬を確認したが、その額は予想よりもはるかに高かった。妹のために奮発しても罰が当たることは無いほどだ。
『お主は見上げた男じゃな。妹思いの優しい兄と言える』
セツナは茶化すようでもなく、至極真面目な感想を述べた。てっきりシスコンだの兄バカなどと揶揄されると思った蓮はその反応を意外だと感じた。
地下鉄に乗り込んだ蓮は、二十分ほど座席の窓から超高層ビル群の森を眺めた後、都市の中心地に顔を出した。大きく整然とした建造物とARの広告や信号が入り乱れ、人々の雑踏があたりには溢れている。
遠くを見やると、アルカディアの顔であるアナ―オブアルカディアという全長二百メートルを超える卵のような円錐形状の建物が目に入った。外壁が全て強化ガラスによって構成された変わった建物で、巨大企業のオフィスが数多く入居している。勝ち組中の勝ち組のみが踏み入る聖域だ。
自分とは今後一切関わる事のない建物だと断じ、蓮は大通りを南に向かって進む。
腕輪を購入すると言った彼だがまず向かったのは銀行だった。
『んん? 買い物をするのではないのか?』
「まずは金を調達する。それも紙幣でな」
『……あれ? 今どきは電子通貨とやらで勘定を済ませられるのではないのか?』
これまで蓮の私生活を覗いてきていたセツナは、蓮の言動に疑問を抱く。
「それはそうだけど、悲しい事にこういう市街地で第三階級はそう易々と物を売ってもらえないんだ。購入履歴が電脳空間に残って店の評判に直結するからね」
いわゆるビックデータと言われる店の情報である。市民達はどういう客層が店を利用するのかを理解した上でそこを利用する。当然第三階級が出入りするような店舗と思われるのは第一区で商売をする上で望ましくない。
「けど紙幣なら履歴が残りにくいし、ダメでも店員に手心を加えられる」
『つまり賄賂を渡すということか?』
「そう。俺が直接買えなくても店員なら問題ないだろう。商品金額の数倍にあたる金を渡せば、上手く誤魔化してくれるはずだ」
そう言って蓮は、第一区の中心に位置するアルカディアの主要施設、中央銀行を訪れた。
時刻はAM17:00。アンドロイドと電脳精霊の導入によって夜遅くまで営業できる中央銀行ならば、まだ余裕で手続きを行えるだろう。
天を突くほどに高く聳える銀行を見上げる。立ち入ったことはこれまでないが、紙幣を手に入れるにはここを利用する他ない。それ以外の方法ではいずれも裏社会に足を踏み入れる必要があるからだ。
蓮はエスカレーターを経由して受付窓口のある三階へと移動する。整理券代わりの番号カードを自律機動機械から受け取り、フロアに用意された座席で番号が呼ばれるのを待った。
『それにしても、お前さんの妹への愛は半端ないな。このシスコンめ!』
「うるさいな。俺だってやる時はやるんだよ」
横でうるさく騒ぐセツナに苦い顔をする蓮は、フロアの液晶ディスプレイに表示された今の待機番号を確認した。もう数分で自分の番号が呼ばれるだろう。
「……ん?」
周りを見渡しているとある男女の集団に違和感を覚えた。
彼らは全員がサングラスと暗色系のコートを身に付けており、重たそうなボストンバックをいくつも抱えていた。それに加えどうにも歩行の動作がぎこちない者や、両腕の長さが微妙に等しくない者もいるようだった。
まるで安物の機械装備を無理やり取り付けたような、そんな不恰好さだ。
同じく不審に思った店員が彼らに駆け寄る。
「あの、どのようなご用件でいらしたのでしょうか?」
声を掛けられた上背の大きい男は迷ったように頭を掻き、そそくさと腕時計を確認した。
その動きに店員が困惑の表情を浮かべると男は鞄からある物を取り出した。
「大人しく俺達に従え。さもなければ殺す」
野太い声とともに、男は手に持った拳銃を突きつけた。
突然の行動に店員は言葉を失う。
周りの客や店員たちは事態に気付いておらず、話し声や談笑する模様が耳に届いた。
見ていた蓮もまた何が起こったのかを理解していなかった。
止まった思考が再び動き始める前に建物は銃声と爆発音に支配されてしまう。
阿鼻叫喚の声が反響し、蓮は事態をただ茫然と眺めるしかなかった。
そこでようやく現実を受け止める。
日常の終わり。
変わらなかったはずの日々が、別れを告げたのだと。