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ようこそ我が電脳叛逆(サイバーパンク)へ  作者: カツ丼王
第一章 発火(スパイク)
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04. ハッカー

 話は今から一年ほど前に遡る。


 星環学園に入学して早々、蓮は予期していた一つの問題に直面した。新一年生としてクラスメイト同士で自己紹介をするにあたり、自分が第三階級(サード)だと告げた瞬間にそれは始まった。


 一言で言うと、彼は激しい迫害に晒されたのである。


 第一階級、第二階級のクラスメイト達は蓮を除け者にし、理不尽な事柄でケンカを吹っ掛け、陰湿な嫌がらせに及んだ。デスクを落書きされるところからそれは始まり、持ち物を隠され、有りもしない悪口を広められ、陰で殴る蹴るの暴行を受けるにまで至った。普通の生徒なら一日で音を上げてしまう苛烈な洗礼だった。


 彼らの誰もが『霧崎蓮は苦痛に耐えきれず学園を辞めることになる』と高をくくった。


 だが蓮は彼らが考えていたほど脆弱ではなかった。


「俺はクラスメイト達の弱みを握り、連中を強請ったんだ」


 蓮は平然とした口調で傍らのセツナに語る。


 美しい草花が散見されるキャンパスでは学生たちが各々楽しい時間を過ごしていた。憩いの場として利用される広場では立体映像(ホログラム)のボードゲームに勤しんだり、頭部装着(ヘッドマウント)ディスプレイを被って芝生の上に寝ころがったり、最近流行りの電磁人造物質(メタマテリアル)腕輪ブレスレットを見せて騒ぎ合ったりするなど、青春を謳歌する姿が見受けられた。


 蓮はそんな陽気溢れる世界には近づきもせず、制服の下に着たパーカーのフードを深く被ったまま講義棟の裏手をひた歩く。人の寄りつかない小道は湿気た空気で満ちていたが、気の滅入るような話をするにはうってつけだ。


電脳空間(サイバースペース)は情報で埋め尽くされている。どこで、いつ、誰が、何を、どうしたのか、方法さえ知っていれば大抵のことは調べられる。例え他人に知られたくない後ろ暗いことであってもな」


 彼はそう呟き、ある人物の情報をAR上に呼び出した。表示されたのは蓮と同じ十七歳の男子で文面には趣味や特技、出身や家族構成などが記載され、最終経歴は星環学園を中退とあった。


「この生徒は俺に暴力を振るう程の直情的な性格をしていた。彼はその性分に似つかわしい馬鹿げた趣味を持っていたんだ」


 彼はある項目を指さす。そこには「都市条例で禁止されている麻薬・幻覚剤の服用につき退学処分」と短い一文が添えられていた。


『なるほどのう。犯罪に手を染めていることを突き止めて、こやつを密告したんじゃな』

「その通り。コイツは見せしめだ。他に俺にちょっかいを出した連中には、直接レポートを送り付けてやったよ」


 人には誰しも知られたくない秘密がある。隠されていた仄暗い事実が如何にして暴かれたのかは重要ではなく、露見したという現実こそが当人にとって何よりも恐ろしいものなのだ。


 自慢することなく事務的に話す蓮に対し、セツナは興奮冷めやらぬ様子である。


『やるのう、お主。爺のように乾ききった性根をしているかと思ったが……見直したぞ』

「犯罪行為を褒められても嬉しくないけど……まあ、伊達にここを弄ってないよ」


 蓮は指で頭をトントンと突いた。彼は十三歳の時に電脳(マトリックス)化と機械化オーグメンテーションを果たしていた。一般市民にとって電脳(マトリックス)化は危険を冒す程の代物ではないが、ハッカーにとっては重要な要素の一つである。外部端末(デバイス)なしにAR・VRを介して電脳空間サイバースペースと繋がれるというのは、海中で呼吸が出来ることに等しいからだ。


『人の秘密を探り回る、故に覗き(ピープ)か。中々的を射た名前じゃな』


 蓮がどのような経緯で今の日常に落ち着いたのかを理解したセツナは、反芻するように何度も頷く。個人情報を不正入手し脅迫までやったという話だったが、不思議なことに彼女の表情は満足気だった。


「でも俺がか弱い存在だというのは変わらない。学園では腫物のように扱われているし、それは学園の外でも同じだ。どこに行っても第三階級(サード)だということが付いて回る。だから目立たず過ごすのが無難なのさ」


 結局、隅で震えているのは自分なのだ。少し頭が回るぐらいでは何も変わらないし、周囲から認められるようなことも無い。せいぜい電脳空間(サイバースペース)で出会った名無し(アノマニス)が限界なのだ。


「つまらない話だったかも。面と向かって戦えない卑怯者の話だし」


 自嘲の言葉で結び、話を聞き続けたセツナへと視線を向ける。


『そうかのう? 儂はお前さんの話を聞いて、スゴイと思ったぞ』

「はあ? どこがだよ?」


 吐き捨てるようにセツナの言葉に答えるが、当の彼女は本気でそう思ったらしく、(ウィンドウ)越しに蓮の目を真っ直ぐに見つめた。


『この広い学園でたった一人。それは尋常な事ではない。儂がお前さんの立場なら、きっと耐え切れずに逃げ出してしまったと思う』

「いや別に、俺は身を守ることで精一杯で……」

『そのためにクラスメイトを脅すか? 普通、そんな事は思いつかん。しかし善悪はともかくお前さんはそれをやり通した。他の学生にお前さんと同じことが出来るか?』


 言葉に詰まり、その場で固まってしまう。


 他人と自分は違う人間なのだからこの仮定に意味はない。自分が第三階級(サード)ではなくもっと上の階級だったのなら、と有りもしない幻想を抱いたことはある。


 でももし彼らが自分の立場だったら――そんな風に考えたことは今までなかった。


「……そうかよ」


 蓮はフードを深く被り直した。


 セツナが横から「照れるな、照れるな。愛いやつだのう」とぼやいているが、一切無視して次の講義が行われる教室棟の門を潜る。


 気恥ずかしい面持ちの蓮はそのまま階段を上がって三階へとやって来た。浮ついた顔を他の人間に見られないよう廊下を足早に通り抜ける。


「――きゃ!?」


 通路の突き当たりに差し掛かったところで一人の女生徒とぶつかった。


「す、すいません! 前を見てなくて――」


 声を掛けようとするが、蓮は倒れ込んだ女生徒のある一点に目が釘付けになった。


 彼女のスカートから伸びる細い脚線。その奥に黒色の下着が見えたのだ。


「私の方こそ、御免なさい。少し急いでいたもので……」


 秘部を凝視する蓮をよそに、彼女は身を起こしながら返事をする。


 だがすぐに自分が足を広げてみっともない恰好をしているのに気づいた。


 慌ててスカートを隠す彼女を見て、蓮も即座に明後日の方を向く。


「み……見えちゃいましたか?」


 女生徒は心底恥ずかしそうに俯く。


 蓮は動揺が面に出ないようにするので手一杯だった。まさかパンスト越しにしっかりと目に焼き付けたとは言えない。


 頭を高速回転させ、どう言い逃れるべきかを考える。


「すいません。ARを見て歩いていたもので、周りをよく見ていませんでした」


 澄ました顔でそう言い切った。自分でも無理のある言い訳だったと思うが、他に取り繕う言葉が見つからなかった。おそらく検索窓(ウィンドウ)にワードを打ち込んでも解決策はヒットしなかっただろう。


 恐る恐る女生徒の方を窺うが、彼女は蓮の言葉を馬鹿正直に信じたようでホッと胸をなでおろしていた。


「そうですか。私もまだまだ修行が足りませんね」


 彼女はスッと立ち上がり、スカートの埃を落とす。


 そこではっきりと彼女の顔を見た蓮は肝をつぶした。


「す、皇桜(すめらぎさくら)……生徒会長」


 一本に束ねた美しい髪を靡かせる姿を見て、知らぬ間に息を呑んだ。翡翠色の瞳は神秘的な輝きを放ち、意識が吸い込まれそうなほど魅惑的だった。こちらに見せる柔和な笑顔からは育ちの良さと穏和な性格が見て取れる。


 星環学園において彼女を知らぬ者は居ない。学園の三年に在籍している彼女を一言で表すならば、才色兼備と呼ぶのが適切だろう。非の打ちどころのない容姿に加え、勉学にも長け、第一階級ファーストでも特に高位の家庭に生まれたのは周知の事実だった。


 蓮とは何もかもが雲泥の差。まさに別世界の人間である。


「ほ、本当にすいません! 悪気があったわけでは決してなくて――」


 とんでもない人物に迷惑を掛けたと理解した蓮は、慌てふためきながら謝罪の言葉を並べたてる。彼女の機嫌を損なえば、アンドロイド用の廃棄処理場送りか、裏社会(ストリート)の闇医者に実験用モルモットとして引き渡されてしまうかもしれない。


 振り子のように何度も頭を下げる蓮に、桜は目を丸くする。


「そんな、頭を上げてください。そもそも私にも非がありますから、ここはお互い様としておきましょう」

「は、はあ……そうして貰えると助かります」


 内心ぶつかった以上の非礼を行ったと考えたが、黙っている方がお互いのためだと割り切ることにした。


 桜は白金の髪を右手で掻き上げ、襟を正す。所作の一つ一つが艶やかで気品があった。同じ人間にはとても思えない、まるで美を追求した人形のようだ。


「霧崎蓮君……でしたね。どうですか、学園での生活は?」

「え? どうして俺の名前を?」

「私はこう見えても生徒会長ですから、生徒の名前と顔は頭に入れています」

「そ、そうなんですか……」


 学園の生徒を全て把握しているなど冗談かと思ったが、桜の口ぶりから察するにどうやら本当の事らしかった。それぐらいは軽くこなせる器量がある、ということなのだろう。


 とは言え蓮も学園中の人間を名前と顔だけでなく、居住地や階級に至るまでを詳細に把握しているのではあるが。


「流石ですね。俺は毎日のカリキュラムをこなすだけで精一杯ですよ」


 他人行儀な笑みで応対する蓮に対し、桜は真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。


「霧崎君に比べれば、私なんて大したことありません。これまで積み重ねた努力、そして苦労の数も……」


 桜はそこで申し訳なさそうに言葉を切った。


 そこで終わるだけ他の生徒より遥かに有り難かった。目に見えて嫌悪や侮蔑の意を表さないだけでも、蓮からすれば仏のような存在と言える。


 他にはないまともな気遣いに対し、慎重に言葉を選ぶことにした。


「一年間やってこれましたし、残り二年間も今まで通り真面目に過ごしていきたいと思います。この学園に居させてもらえるだけで、身に余る待遇だと分かっていますので」


 これならば気を悪くしないだろうと高を括る。


 だが蓮の予想とは裏腹に、彼女は眉間にしわを寄せ表情を硬くした。


「そんな風に思う必要はありません。あなたは自分の実力で星環学園に入ったのです。身に余る、ではなく当然の権利だと私は考えます」


 思いがけない発言に言葉を失うが、彼女は構うことなく話を続けた。


「私や他の生徒達が入学することと霧崎君が試験をパスするのとでは、正直なところ次元が違う。私達の生活はそれだけ優遇されている。ですからそれを物ともしないあなたの才覚と研鑽が凄まじかった。それは、誇って良いと思います」


 揄っているのかと思ったが、桜は依然として真摯な眼差しでこちらを見つめる。


「あ、ありがとうございます。そんな風に言っていただけるなんて、光栄です」


 慣れない対応に違和感を覚えつつも、蓮は深々と頭を下げた。


 おかしな人。それしか頭に浮かばなかった。よく分からないが、眼前に居るとびきりの美人は本気で自分を称賛しているようだった。


「初めてお会いしたのに、そんな風に見て下さっているとは驚きました。さすがは生徒会長ですね。感服しました」


 重ね重ね礼の言葉を並び立てるが、そこで初めて桜は不満げな顔を浮かべた。


「いえ……私と霧崎君は初対面ではないですよ」

「え? そ、そうなんですか?」


 ジトっとした目で桜は蓮を見据えた。以前会ったことがあるということだが、蓮には思い当たる節が全くなかった。桜のような美人と言葉を交わしたのなら忘れる事なんて絶対にないと思うのだが、と首を傾げる。


「……すいません。どうにも物覚えが悪くて」

「まあ、仕方がないですね。入学試験の時に一言二言話しただけですから。試験以外に意識を割くような余裕がなかったのでしょう」


 桜はクスッと笑いながら、穏和で柔らかい表情に戻った。彼女は廊下の壁に表示されているARの時計を見て話はここまでとかぶりを振る。


「何か困った事があれば、いつでも私に言ってください。……ではまた」


 そう言い残して桜は通路の奥に姿を消した。


「……何だったんだ?」


 緊張の糸が切れた蓮は廊下の壁に身を預ける。


 皇桜。学園の高嶺の花と言葉を交わしたという事態に白昼夢を見たのではないかと疑う。だがすれ違いざまに鼻に届いた微香がそれまでの時間が現実だったと雄弁に語っていた。


「しかし、信じられないくらいにキレイな人だったなあ……」

『なーにを言っておる! ここにも美人がいるじゃろうが!』


 感嘆と共に大きく息を吐いていると、それまで静かにしていたセツナが大声を上げた。AR越しにその顔を見ると、頬を目いっぱい膨らませてこちらを睨んでいた。


『何じゃ、何じゃ! だらしなく鼻の下を伸ばして! 儂という者が在りながら、あのような小娘に媚びへつらいおって! この腑抜けが!』


 今までにない剣幕で捲し立てるセツナ。どうやら蓮の桜に対する態度が相当気に食わなかったらしい。身に付けている真紅の打掛からは危険なオーラが吹き出ていた。


「伸びてないわ! 大体、何でお前にそこまで言われないといけないんだ! 電脳精霊(サイバーナビ)の分際で、生意気だぞ! お前と皇さんじゃそもそも勝負にもならんわ!」

『む、むむむ! 言ったな!? 見ておれ! 今にお主をギャフンと言わせてやる!』


 セツナの甲高い叫び声に辟易とした蓮は、プイッと目を背けた。売り言葉に買い言葉で言い返したが、火に油を注いでしまったかもしれない。普段なら冷静に対処する所だが彼女に対しては素の反応になってしまうのを改めて自覚した。


 まるで本物の人間みたいだ、と改めて思う。


 視界の端でセツナの様子を盗み見る。(ウィンドウ)の向こうでブツブツと呟く彼女の目には嫉妬の炎か乙女の意地かは分からないが、怪しげな光が灯っていた。


 耳を澄ますと『必ず、儂の魅力で素っ頓狂な声を上げさせてやる』と聞こえてきた。


 見なかった事にしよう。それが健全な生活を送るうえでは大事だ。


 蓮は額を抑えながら、妙に軽い足取りで教室を目指した。


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