03. 階級社会
海上都市〈アルカディア〉は広大な敷地面積を誇るが、衛星から撮影される航空写真を眺めると中央に大きな運河を確認できる。センターリバーと呼ばれるこの運河はアルカディアを東西に渡って横断しており、都市を南北二つに分断していた。
運河で分けられた南側はベットタウンが存在することに加え、本土の人々を迎える港や飛行場を備えているため常に活気にあふれている。第一階級、第二階級の市民の多くがここに住み、不自由ない暮らしをしているというわけだ。
対して北側にはサイバーエレクトロニクスベルトと呼ばれる巨大企業が開発した工場地帯が、北端四つの区に跨って設置されている。生産活動が活発に行われているがそれは安い賃金で働かされている低所得者層、つまり第三階級の大半が生活しているということを意味していた。さらに反社会勢力の暗躍、巨大企業による法を無視した活動が頻発し、最北端部は魔都と呼ばれる程に混沌を極めている。
そして北部の中でも特に劣悪とされている十九区。蓮はここで生を受け、物心ついてから長い時間を貧困の中で過ごしたのだった。
「つまり俺は第一階級や第二階級の生徒からバカにされているんだよ。ド底辺の第三階級野郎ってね」
星環学園の学生食堂。蓮は他の学生達が和気あいあいと食事を楽しむのを尻目に、隅のテーブルでひっそりと昼食を摂っていた。
彼の話し相手は同じ学生ではなく、悲しくも電脳精霊のセツナであった。
『それでいつも一人で飯を食っているのか。儂はてっきり、お主は友達を作れない捻くれ者だと思っとったわ。失敬失敬。というか家でも外でも孤独とは恐れ入ったぞ』
窓に映るげんなりとした様子のセツナに蓮はムッと口を尖らせた。
「別に俺は孤独じゃない。孤高なの。あえて一人で居るの。つーか家では美冬が居るから一人じゃねえよ。最近アイツは外で食事を摂ってるだけだ」
『ハイハイ、そういう言い訳は聞きとうないぞ』
苦しい弁解の言葉にセツナは耳を貸そうとしない。どうやら彼女は友人を作ろうとしない蓮に不満を抱いているようだった。だが努力ではどうにも出来ない現実があると、入学した初日に蓮は痛感していた。
「無駄無駄。第三階級の人間は貧乏で品性に欠け、盗みや薬物に手を出す野蛮人ばかり――そういう風に考えてる人が多いからな」
階級制度という人を数字で分ける考えは、富める者と貧する者の間に大きな確執を生んでしまった。強者が弱者を虐げ、両者がそれを日常だと感じるようになったのだ。
「俺が星環学園に入学しても、他の生徒は納得しなかった。自分達は厳しい競争を勝ち抜いてようやくここに入学した。それを第三階級に出来るはずがない、とね」
星環学園は島内でも倍率が高く、入学する生徒達は高水準な教育環境に身を置いた者ばかりである。ようは高階級家庭の子供しか試験を合格できないとされているのだ。
そんな環境に身を投じた蓮に出来ることはトラブルに巻き込まれないよう大人しく学園生活を送ること、ただそれだけである。星環学園を卒業すれば第三階級であっても経歴に箔がつき、その後を如何ようにでもできるからだ。
自分の考えが真っ当だと疑わない蓮は箸を進めながら淡々と述べる。
しかし彼を眺めるセツナの目は妙に冷めていた。
『つまらんの。何と言うか、お前さんはただ現状に流されているだけじゃ。もっと自分の考えを持ち、人生を謳歌すべきだぞ。……せっかく自由に動く手足があるのだから』
「ハ、そうだな」
非難するような発言に内心様々な感情が沸き上がったが、あえて反論せずに聞き流した。何をどうしようと現状は変わらない、そう心の中で結論を下す。
蓮は耳障りなセツナの声を思考から排除し、メールアプリのARに触れた。受信ボックスには一件のメールが届いており、差出人を見た蓮は陰鬱な気持ちを隅に追いやるこができた。
なぜならここ数日彼が待ちに待った吉報が届いたのだから。
蓮はnexus06という人物から送信されたメールを開いた。ゆっくりとその文面に目を通した彼は喜びのあまりその場で大きくガッツポーズした。
『ど、どうしたんじゃ、急に? えらい喜びようじゃのう』
驚いた表情のセツナと目が合う。この生意気なプログラムに説明するかどうか一瞬迷ったが、今朝の出来事を思い出した蓮は勿体ぶらない事にした。
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From: nexus06
To: chrome
Object: 評価してもらったアプリケーションについて
君に評価してもらったアプリケーションだが、良い出来に仕上がった。動作も軽快でインターフェイスもシンプルで使いやすくなった。要求スペックを十分に満たしたと判断し、働きに見合う額の金を振り込ませてもらった。確認した後連絡して欲しい。
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メールのテキストを繁々と眺めたセツナは、訝しげに蓮を見やった。
『chrome? これはお主の愛称か? 口座に金を振り込んだとあるが……もしや昨日夜遅くまでああだこうだと言っていたのはこれの事か?』
セツナの疑問に対して蓮は大きく頷いて見せた。
「数か月前、電脳空間上のソーシャルネットワーク(SNS)でnexus06とは知り合ったんだ。彼は電脳精霊が人間の発声を理解するための解析ソフトを開発していて、俺はその手伝いをしたのさ」
『はあ~、お主そんな高度なことが出来るのか。スゴイのう』
「いやソフトウェアの基本的な部分はもう彼が作っていた。俺はテストに付き合って、修正したり改善案を出したりしただけだ」
nexus06とは知り合って以来、メールやチャットを繰り返して連絡を取っていた。当初は勉強のつもりで協力していたが、蓮の働きぶりに満足した彼はぜひとも報酬を出したいと申し出たのである。
「ハッカーを志す者としては、こういう課題には積極的に関わりたいからな」
『……はっかー? 何じゃそれ。旨いのか?』
「食べ物じゃない。ハッカーってのはサイバー技術に精通し、その知識や技術を利用して問題を解決する人のことを言うんだよ」
自慢気だった蓮もセツナの世間知らず振りに力が抜けた。
電脳世界に疎い一般市民の間でハッカーという存在は忌み嫌われている。それは電脳への破壊行為や不正操作を行う危険な輩だと考えられているからだ。だが本来のハッカーとは彼の言うように技術に精通するスペシャリストのことであり、決して後ろ指を指されるものではない。
蓮がサイバー技術に長け高い志を持って技術の習熟に努めていると理解したセツナは、ふと先ほどの授業を思い出した。
『そういえばお主、クラスメイトの一人に覗き魔……とか言われおったな? それは何か関係あるのか?』
余計な事だけは覚えているな、と蓮は苦虫を潰した様な表情を浮かべる。
爽快な気分に水を差された彼は残っていた昼食を口に放り込み、その場を後にした。