02. 海上都市
海上都市〈アルカディア〉は全部で三十三の区域に分かれ、中心地である第一区はアルカディア・シティと呼ばれている。第一区には庁舎や中央銀行等の主要施設に加えて超高層ビル群がそびえ立ち、人口が集中している。
蓮の通う星環学園とは第一区のすぐ近くに設置されている高等教育、大学教育を一貫して行う教育機関のことだ。巨大企業と政府が共同で設立した学園であり、島内でも最難関かつ最高水準の教育環境を備えている。
現在蓮の在籍する二年A組ではVRを用いた講義が行われていた。
40人程度の生徒達はサンゴ礁の海をイメージしたVR空間にジャックインし、教卓の前に立つ女性講師の説明に耳を傾けていた。
「電脳化技術は元々軍用に開発された技術でした。脳を電脳という一種の電算機に変えることで、機械義肢や自立機動機械の制御を人間が容易に行えるようになり、戦闘の効率が飛躍的に向上したのです」
蓮は最後尾の席で眠いのを必死に堪えていた。どうしてこの年になって、小学生が受けるような授業を聞かなければならないのか。あと一か月足らずで海上都市〈アルカディア〉が設立二〇周年を迎えるからといってわざわざ高等部の学生に聞かせる必要はないだろうに。
欠伸をする彼を余所に女性講師は説明を続けた。
「電脳化技術は一般社会にも公開され身近なものとなりました。VR・AR技術も実用化され、人体の一部を機械に置き換える機械化、生活の支援を行う電脳精霊や人型アンドロイド等も登場しました。これらの技術・製品を開発して大きな影響力を持つようになった企業を巨大企業と呼ぶようになったのです」
すでに理解している事柄なので、彼女の説明に対して頷く生徒の姿はない。
巨大企業。電脳化技術の開発を行ってきた日本の企業連合、その現代における名称がこれだ。彼らは機械装備にロボット技術、VR・AR技術の開発と普及に努め、地球上全てを覆い尽くす電脳空間の構築に成功した。これによって莫大な利益を獲得し、国家に匹敵する力を持つようになったのである。
「……はあ、巨大企業か。そんなに金と権力が欲しいのかねえ……」
ボソッと呟きながら、蓮は手袋をはめた左手――六道グループ製の機械腕を眺めた。この腕を製造した企業も当然の如く巨大企業の一つである。今や身の回りの製品、PDAからTVなどの家電製品に至るまで巨大企業と無縁のモノは存在しない。
「この電脳技術は士道岳人博士らによって科飛躍的な進化を遂げましたが、元々はブレインマシンインターフェース技術を土台にしており――」
間を置いていた講師が説明を再開しようとすると、一人の男子生徒が手を挙げた。
「先生、そんなこともう知ってるから。退屈過ぎて、仮想空間で夢を見そうだよ」
男子生徒は授業の無意味さに嫌気がさしているようだった。彼だけでなく他の生徒達も顔振りから察するに同意見のようである。
やる気に欠ける生徒達に女性講師は顔をしかめる。
「気持ちは分からなくもないけど、理事長の指示なの。我慢してもらうしか……」
どうやら講師の方も同様の心境らしい。強引に進めようと黒板の方を向くが、緊張の糸が切れた教室内からはざわざわと話声が聞こえ始めていた。
もはや授業を続けることは難しいだろう。そう判断したらしい女性講師は生徒達にある提案を持ちかけることにした。
「では海上都市〈アルカディア〉の歴史について、私からいくつか質問をします。皆さんにはそれに答えて頂くということで手を打ちましょう。全問正解なら宿題は無しとします」
弛緩しきっていた生徒達から歓声が上がった。そうと決まれば話は別である。彼らは全神経を集中させて講師の質問に備える。
その豹変ぶりに肩を竦めるが、女性講師は気にせず質問を始めた。
「では第一問。アルカディアは巨大企業と日本政府によって設立されましたが、どのような目的から東シナ海の海上に作られたのでしょうか?」
講師の質問に対し女生徒がすぐさま返答した。
「低税率の導入など、自由貿易の促進を目的にアルカディアは設立されました」
「その通り。活発に取引を行っている第一区の金融センターを見れば一目瞭然ですね。企業の誘致も積極的に行われていますし、それを支援する法整備も進んでいます」
教科書的な回答だなと蓮は思った。アルカディアは日本国の特区として設立されたが、それは仮想敵国である中国を牽制する狙いもある。好奇心旺盛な彼は政府がHPで公開している防衛白書を読んだ事があった
「では次の質問です。先ほど電脳化技術の話をしましたが、この都市においてどれくらいの市民が電脳化しているでしょうか?」
すると先ほど気怠そうにしていた男子生徒が口を開いた。
「大体二割くらいじゃないの? 俺も電脳化してないし」
「まあそれくらいですね。ではこの技術が開発されてかなり経ちますが、なぜこれほど普及率が低いのか分かりますか?」
考えていなかった質問が来て、男子生徒は少し困った顔を浮かべる。
「あー、電脳化しなくても困らないからじゃね? 電脳化しなくても頭部装着ディスプレイがあれば電脳世界にジャックインできるし、ARも眼鏡とか他のデバイスがあれば体験できる。電脳化する必要性がなくなったから、普及してないんじゃないの?」
「そうですね、まあギリギリ及第点かな」
講師の優しい採点に男子生徒はホッと胸をなでおろした。
電脳化の普及率が低い要因には初期の健康障害も挙げられる。脳に導入した電極や微小機械が動作不良を起こし、被験者の脳に後遺症を残したり最悪死亡したりするケースが報告されたのだ。
「現在では技術が完全に確立され、脳への危険性はないとされています。ですが年配の方の中には、未だに恐怖心を拭いきれない人も多いようですね。このような考えは電脳化やそれに付随する技術への偏見に繋がっています」
人体の一部を機械に変えてしまう電脳化や機械化は未だに拒絶される傾向にあり、それは最先端都市であるアルカディアも例外ではない。一般市民の間では、差別の対象とされる危険性や往年の悪いイメージが原因となり、電脳化を避けようとする動きが未だに根強い。
蓮が左手に手袋を着用しているのも、機械化を隠すことで不要なトラブルを避けようと考えた結果だった。
講師は教卓の上に表示された時刻を確認し、最後の質問に移ることにした。
「では、今度はアルカディアの社会制度に関する質問をします。この都市の特徴と言える『階級制度』に説明して下さい」
途端に教室中が静まり返った。
講師を除く教室の誰もが、このクラスの抱える問題を思い出したからであった。
女性講師は口を閉ざしてしまった生徒達に疑問を抱いた。
「あ、あれ? どうしたんですか皆さん? 簡単な質問だったと思うんですけど……」
教室中を見渡して回答を得ようとするが、誰一人として彼女と目を合わそうとしない。まるで自分は関係ないと言わんばかりだ。
困り果てていると、たまたま最後尾で頬杖をつく蓮と目が合った。
「あ、では一番後ろのキミ。質問に答えて貰えますか?」
「……え!? 俺ですか!?」
まさかの指名に蓮の顔は蒼白になる。他の生徒達も顔を引きつらせ、最悪の展開になったことを悟った。だが当の講師はそれに全く気付いていない様子である。
周囲から突き刺さるような視線を感じ、胸中穏やかではない蓮は重い腰を上げた。
自分を指名するなんて、この講師はクラス名簿を見ていないのだろうか?
「……階級制度は、都市を統治しているアルカディア特別行政府によって施行されました。この法律は市民を区分けするために能力や資産から評価を行います。市民達は三段階の階級に分けられ、それに対応した権限を付与されます」
蓮は出来る限り平静を保ち講師の質問に答えた。
「その通りですね。私達が振り分けられる階級は第一階級、第二階級、第三階級の三つです。最も多いのは第二階級で全体の約半分を占めています」
生徒達の異変に無頓着な講師はさらに話を進める。
「では今度は、行政長官が制定しようとしている階級制度改正法案について説明してもらえますか? 最近はニュースで盛り上がっていますから、大丈夫ですよね?」
「え……いや……」
勘弁してほしいというのが本音だった。これでは公開処刑のようななものだ。
じんわりと背中に冷や汗を感じる。手足も若干震えているし、何よりも周囲の生徒から浴びせられる軽蔑を込めた視線が苦痛だった。
「か……改正法案は近年の治安悪化を懸念し、各階級に付与される権限をより厳正に定める意図があります。具体的には第三階級を都市で一括管理し、浮浪者の減少や反社会勢力の撲滅を計ろうとしています」
「はい大丈夫です。今話題となっている改正法案ですが、私達の生活とも関係してきますので今後の動向には注目しておいて下さい」
女性講師は淡々と話を進めるものの、それを聞く生徒達の表情は硬かった。
中でも蓮は過度なストレスを受け続けたせいで青い顔になっていた。
「しかし感心しました。最近は政治に関心がない学生さんが多いですし――って、あの顔色が悪いようですが大丈夫ですか? 体調が優れないのなら保健室に……」
講師は蓮の異変にようやく気付いた。
彼女は彼の健康状態を把握するため、AR窓から彼の生徒情報を参照する。
そこで女性講師は驚きのあまり口を抑えてしまう。
第三階級。彼の階級を示す文字がそこには記されていた。
「――ご、ごめんなさい。その、意図したことではなく、これはあの……」
自分が何をしたのか理解した女性講師は動揺を露わにする。
彼女は失念していたのだ。都市内でも最高の教育機関である星環学園――そこに通うたった一人の第三階級の存在を。
改正法案は主として第三階級の締め付けを目的としている。その概要をよりにもよって第三階級の学生に答えさせるなど、教育者として正気の沙汰ではない。
講師が慌てふためいていると、授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「で、では! 今日の授業はこれで終了します。宿題は皆さん完ぺきでしたので、ナシとさせていただきます! そ、それでは!」
そう言って女性講師は逃げるように仮想空間からジャックアウトした。
彼女が去った後重苦しい雰囲気の空間から一人また一人と生徒達も消えて行く。彼らは誰も蓮と目を合わようとしなかった。
ただ一言、覗き魔と蔑む様な言葉を残して。
「……クソ、何なんだよ」
一人残された蓮はVRの海でぶつけようのない怒りを漏らした。
自分がどういう立場にいるのかなんて当の昔に理解している。この学園の誰からも歓迎されておらず、疎まれ、煙たがられ、異物だと見なされていること。
「冷静になれ、普段通りじゃないか」
蓮は動悸を落ち着かせるため、大きく息を吐いた。
いつもの事だ。ただじっと我慢していれば良い。見て見ぬふりをして、耳を塞いで、殻に閉じこもって、嫌なことから目を背けるだけ。簡単なことだ。
自分にそう言い聞かせる蓮だったが、握りしめられた機械仕掛けの左手は早々に解けることはなかった。