36. 電脳叛逆
アナーオブアルカディアに突入してきたセンダイ・グループの部隊は、分厚い正面玄関を破壊して内部へと侵入していた。人数は二十人程度。武装は軍の強襲部隊に匹敵するレベル。無薬莢弾丸を込めた突撃銃に液体素材を組み込んだ防弾スーツ。おそらく下には駆動装置が内蔵されており、筋肉の電気信号をキャッチすることでタイムレスな行動と数メートルの跳躍すら可能だろう。
そして問題は主戦力たる全長四メートル程度の外骨格型のパワードスーツ二機だった。士道の持つ64口径でも一撃必殺は叶わない、ロボットのような図体と分厚い装甲が遠目からでも見える。あれを打倒さえできれば蓮達の逃げ切る可能性が飛躍的に向上する。
士道はエントランスの陰からこちらへ迫ってくる部隊を注意深く観察し、戦闘予想を立てる。
人間兵士であればリボルバーの一撃で沈められるだろうが、パワードスーツには心許ない。おまけに一丁は喪失し残弾もそれほど残されてはいない。ボディ出力も内部配線不良で半分以下に低下している。
多勢に無勢に加え、彼我の戦力差は顕著なものだった。
士道がリボルバーを構えていると、隊員の一人が突如立ち止まって静止の合図を仲間に送った。どうやら熱感知ユニットも装備しているらしく、こちらの存在が露見したようだ。
覚悟を決めた士道は物陰から飛び出し、最短距離に居た兵士を64口径で吹き飛ばした。
防弾スーツの破片と鮮血が降りしきる中、第二射を撃ち放つ。
だが敵も戦闘のプロであり、不意打ちに気づいた瞬間に回避行動を開始していた。装備していたバックパックから空気が噴射され、三次元空間を縦横無尽に駆ける。そして目の前に現れたアンドロイドに向かって突撃銃の引き金を引く。
しかしこの銃撃の嵐を合金骨格は耐え抜き、士道は飛び回る隊員へと急接近する。そして勢いそのままにリボルバーの銃底を叩きつけた。隊員のヘルメットが瓦解し、トンボのように高速で動いていた体が床に墜落する。
彼らの予想を超えた事態だったのか、突入部隊の隊員達は続けざまに戦闘不能になった仲間を見て行動を鈍らせる。
士道はその隙を見逃さず、爆音を轟かせて次々に彼らを屠る。強襲用に作られたスーツの表面は頑強で、さらに着弾時に凝固する液体素材を身に着けている巨大企業の先兵達ではあるが、人間の規格から外れた兵器の前に例外なく敗れ去った。
しかしセンダイ・グループとて人間兵器の範疇外の代物を有している。
士道は斜め前方に危険を察知し、その場を急旋回して脱出する。
すると彼が居た空間に突撃銃よりも激しい銃撃が走った。外骨格型のパワードスーツから繰り出された機関銃。それも合金骨格すら破壊できる威力を秘めた嵐が駆け抜け、コンクリートの壁に風穴を穿ち、終わりの見えない火線が幾度となく走り続ける。
士道は有効射程距離から脱するため大きく跳躍し、一階から吹き抜け構造を利用して三階のフロアにまで逃げおおせた。回避行動の最中も64口径を見舞ったが、恐るべき堅さを誇るパワードスーツの装甲を貫通することは叶わず、外装を凹ませるのが精一杯だった。
銃撃の連射音が止まり、辺りに不気味な静寂が流れる。
遮蔽物の裏に隠れた士道は次の手を考える。本来パワードスーツも駆動装置と専用の空力装置で機動力は高いが、建物の内部などの限定空間ではその性能をフルに生かすことは難しい。さらに照明が落ち瓦礫が飛び交う今の状態であるなら、機動力では士道の方に軍配がある。
しかしそれを差し引いても性能差は甚大だった。あの分厚い装甲を破るには至近距離で発砲を繰り返すぐらいしなければ効果が望めないだろう。しかしそれは同時に身を彼らの前に晒すということ。
先ほどの自分と霧崎蓮の死闘、立場の変わった状況だということに気づき、彼の感情回路は自嘲を吐きたいところだった。今にして考えても霧崎蓮の行動には驚きを禁じえない。戦力差の明らかな相手に立ち向かうなど狂人の一手だと評すところだ。
そして同じ穴のムジナである所の士道は、銃を構えて再度飛び出した。
パワードスーツの片割れ、その背後を取るために空中へと身を投げる。
敵方もそれを見越していたのか、片腕に装着している機関銃を真っ向から撃ち放つ。合金骨格に数発が着弾し、乾いた音と共にボディを貫通する。
だが驚くべきことに銃弾は肝心の胴体部と頭部を貫かなかった。センサーから得た情報を下に正確無比を誇るはずのパワードスーツの照準は、奇しくもその電子機器の精密さによって狂わされていた。
蓮に破壊されていた光学迷彩発生装置であるが、姿を消すことは叶わずとも実体を変形させて認識させることは可能だったのだ。そのわずかな誤差は光学情報を読み取って射撃を行う機械兵器の必殺、これを狂わすほどには有効だったのである。
軋みを上げながらも戦闘できる状態のまま背後へと降りた士道は、装甲の薄い関節部と銃口をさらした腕部めがけて64口径を叩きこむ。
足の関節部を破壊されたパワードスーツは倒れ、さらにへしゃげた銃口からは火花が散った。しかし機動力を奪われながらも機械出力を落とさなかったそれは、右腕を振り回して士道の体を吹き飛ばした。
反撃を予期していなかった士道の体は数メートル宙を舞い、壁に叩きつけられる。
さらにもう一機からの機関銃が容赦なく迸った。
質量と物量の暴力に襲われ、合金骨格の体が物わぬ鉄へと変わる。銃撃を食らいながらもリボルバーの引き金を引く士道だったが、機関銃を打破する前に自らの命運が尽きることになった。
リボルバー拳銃は鉄屑と化し、左腕と胴部、両足の機構、そして電源供給部に異常が発生し戦闘継続は困難となる。
そして最後に頭部を凶撃が襲い、彼の視界がジャックアウトする。
ここまでだった。
霧崎蓮、彼らの逃げ切るまでの時間を稼げたかどうかは分からないが、自分にできる範囲内で最大限の幇助は成しただろう。というよりこれ以上何かをするというのが不可能だ。
パワードスーツの斉射が止み、壁に縫い付けられてた肉体が床に転がる。もはや指先を動かすことすらままならず、内部配線からは火花放電が散っている。
パワードスーツは機能停止を確認し、対象の追尾を再開しようと背を向ける。
そんな中、士道の電脳には人間だったころの記憶が奔っていた。終わりが近づいてきたためだろうか、機械でも走馬灯を見るのかなどと考える。
妹である士道刹那と過ごし、彼女を救うために身を粉にした半生。そして彼女の死後も憑りつかれたように孤独を邁進した、まさしく狂人たる余生。今思うと何故、彼女の死後にあれほど苛烈な生を踏破できたのだろうか。
――どうして、俺のためにここまでしてくれるんだ?
少年の言葉を思い出す。
それこそ疑問はこちらのセリフだった。自分こそどうして、電脳精霊などに身をやつしてまで彼のために立ち上がったのか。末には彼の代行者を語る始末である。
まさしく道化だ。夢を見ながらも生前は何も得られず、死後もこうやって無様を晒す。
夢想する滑稽な我が身を呪うことしか今は出来ない。
本当に何一つとして報われない、意味のない人生。
『――諦めるのか?』
ふと、電脳の片隅で聞いたことのあるような女の声が響く。
『お前さんはよくやった。もうこのまま、目を閉じて眠りにつくと良い』
彼女の言う通りこのまま目を閉じ、何もかも全力を尽くしたと自己満足に浸って消え去る方が随分と楽だろう。
だがその仰々しい文言を聞き、士道は嗤っていた。
なぜなら滑稽にもほどがあったから。ここで瞼を閉じて眠りにつくような真っ当な性根を持つ人間であるのなら、とうの昔にそうなっていたと思ったから。
それにこの声を聞いて奮い立たないはずがなかった。
ベッドに横たわり、自由にこの世界を駆け回りたいと言っていた妹。終ぞその夢が叶わなかった彼女は死ぬ前に言っていた。
――この優しい時間が永遠にまで引き延ばされれば良いのに、と。
電源回路が補助電源へと繋がり、止まっていた肉体に電流が奔る。動くはずのない手足が駆動を再開し、片目だけになった機械眼に紅い光が灯った。
パワードスーツのパイロットはギョッとなって振り返る。
機関銃で穴だらけになったアンドロイドが立ち上がり、こちらを向いて嗤っているように見えた。
『なら最後まで無様を晒すがいい。――その阿呆さがお主にはお似合いだ』
女はそう言って電脳から姿を消す。
お互い様だ、と士道は言いたいところだった。ここに来て、死の間際になって喝を入れに来るというお人良し。生前からそうだった。どちらがどちらを助けようとしていたのか、今ではそれすら危ういところである。
あの愚妹に自由をプレゼントするという願い。
彼女の死後も立ち止まることなく走り続けた男は、新しい目的をもってまた再起動した。
屑鉄となったはずの肉体が機関銃の弾雨を駆ける。
数え切れないほどの弾丸が貫き、その身を屠る。
数十秒先だった死が一気に近づき、数秒先へと残り時間が圧縮される。
だが当然のようにボロボロの体は前進した。
これくらいのこと屁でもない。困難などこれまで幾度とあった自分にとって、これは日常そのもの。どれだけ相手が大きかろうと、どれだけ相手が恐ろしかろうと、この電脳に燻る焦燥と痛みを天秤にかければ、比することすら馬鹿馬鹿しくなる。
士道は脚部の格納室から刃の折れた単分子剣を取り出し、刃を高速で震わせ目の前の敵にめがけて突き立てる。
――どうして、俺のためにここまでしてくれるんだ?
今ならば答えがある。
ただ助けたかったから。
君の目の前に広がる世界を、夢と現実が曖昧になった虚構を、眩しくて儚く、そして奇跡に近いような幻想を守りたかった。
そして、そんな優しさを塵芥へと変えようとする世界に怒りを抱いた。
パワードスーツの動力部へと突き立てた剣先を差し込ませる。スーツと士道のボディに過電流が流れ、発火が何度も散る。その小さな火種は内部のバッテリーへと引火し、巨大な火炎が吹き荒れようと空気を凝縮する。
鉄色のアンドロイドは死を前にして嗤った。
――これが私だ。
電子の海を流れる、ほんの小さな発火から全ては始まった。
やがて火の粉は炎となり、広大な海そのものすらも焼き尽くす。
他でもない自分が、この身に抱いた感情が、強大な世界に叛逆を始めた。
――ようこそ、我が電脳叛逆へ。
何一つとして成し得なかった敗残者は勝利に酔い、爆炎に散った。