35. 別離
桜は轟音のする方へと走っていた。
招待客たちを地下経由の脱出ルートへと案内すると宗助が誘導を請け負ってくれたため、彼女はすぐさま引き返し、蓮の下へと駆けつけようと三階にまでやって来ていた。
天窓をまさに突き破って最上階に跳ぼうと考えたところで件の衝撃が起こり、桜は硝子が飛び散ったその場所にたどり着く。
「こ、これは……士道岳人!?」
大きく穿たれた床の大穴に物言わぬ士道の肉体があった。抜きんでた耐久力を誇ったはずの合金骨格は所々欠けたり折れ曲がったりしており、剥きだしの内部配線からは放電による火花が散っている。
すでに事切れた後、と言った状態だった。
彼がこんな様になっているということは、蓮が上手く立ち回ったということになる。だとするならこの近くに彼もいるはずだ。
そう考えが至った桜はあたりを見回す。
すると離れた位置に床に倒れる蓮の姿を見つけた。
「蓮君!! 大丈夫ですか!?」
桜が駆け寄ると、蓮はゆっくりと瞼を開いた。
「……ああ、桜さん。……ここは!? ――し、士道は!?」
覚束ない意識から覚醒した彼は仇敵を確認しようと体を起こす。
桜は慌てて呻き声を上げる蓮を抱きすくめ、大丈夫と言って首を振った。
「……そうか、倒したのか。……これで良かったんだ……」
桜の言葉にホッとした後、蓮はどこか悲しそうな表情になった。
それもそのはずだろう。士道岳人は本来であれば蓮の味方、いや神のような存在だった。弱くて力のない人々は平等に助けるという、蓮の思い描いた理想そのものである。それを自らの手で葬る苦しさというのは桜にも容易に想像できた。
「後悔は……していないのですか?」
聞くべきではないと思いながら、桜は口を開いていた。どうしてそんな選択ができたのか、彼女は知る必要があったからだ。
「それは……――ッ!?」
蓮が答えを返そうとした瞬間、あたりに地響きが奔る。
けたたましい爆発音と瓦礫の落ちる音とが重なり合い、蓮と桜はその渦に呑み込まれた。
****
数分前までのアナ―オブアルカディアは完全な陸の孤島と化していた。基幹エレベーターやビル管理システムに対して起こされた破壊工作によって、外部との出入り口は倒壊もしくはセキュリティ用の合金シャッターが下りてしまった状態にあった。これは言ううまでもなく、目撃者を逃がさないよう士道岳人が行った計略だった。
そしてつい先ほど起きた爆発。これは一階から三階のフロアで同時多発的に引き起こされたもので、外部からの侵入を成すために行われたものだった。シャッターや倒壊した瓦礫、外壁そのものに進入路を穿つために設置されたプラスチック爆弾が起爆され、加えて先の工作による二重苦でフロア内には火災が発生していた。
そんな黒煙が立ち込める廃墟に近い世界で、蓮は呼吸の苦しさに意識を取り戻した。
「……な、何が起きた?」
辺りは煙と瓦礫の山だった。頭上を見上げると驚くべきことに天窓ではなく大穴の開いた天井が見える。どうやら三階が一部倒壊し、蓮の体は下の階へと落ちてしまったらしい。
慌てて体の状態を確認する。じんわりと焼ける様な痛みはあるがこれは先の戦闘によるものだろう。身体を起こすと所々刺すような感覚に襲われるが、歩けない程ではない。
「――目を覚ましたか」
突然背後から聞き覚えのある機械音が響き、ギョッとなって振り返る。
視界の先には士道岳人の姿があった。
「き、貴様――まだ!?」
打倒したはずの敵が動いていることに瞠目し身構える蓮であるが、疲弊しきった体は踏ん張る事すらできずに倒れ込んでしまう。
だが当の士道は恰好の獲物となった彼を歯牙にもかけない。というよりは襲い掛かる気すらないといった態度であり、明後日の方を向いていた。
その様子に違和感を抱いていると再び爆発音がフロアに奔る。
「……どうやら状況は変わったらしい。私の予想が正しければ、センダイ・グループの強襲部隊がやってきようだ。……事後処理という目的でな」
士道は奇跡的に生きていた外壁の端子口にケーブルを繋ぎ、建物の監視カメラ映像を確認する。寄越された映像を蓮もARで確認すると、強襲銃を携えた数十人単位の人影が見える。中には人工筋肉や駆動装置を内蔵した外骨格型のパワードスーツの姿もある。
「な、何で……こんな奴らが!?」
当惑する蓮であるが、事態を一足早く調べていた士道は答えを返す。
「相馬英寿が人型機械に成り代わられていたと知り、目撃者を含めて私を処理するとうのが連中の狙いだろう。おそらく招待客の一部が救援を呼び、そこから奴らも事態を把握したと考えられる」
士道の言葉に蓮は驚きの声を上げる。
「あなただけでなく、他の人たちの口封じまでやるっていうのか!?」
「そうだ。相馬が成り代わられていたと世間に知られれば、その背景にまで当然目が向く。それはつまり相馬の悪行を、センダイ・グループの闇を露見することになる。それは奴らにとって望ましい展開ではない。だが証拠さえ消してしまえば、巨大企業は力技で騒動を封殺できる」
常識離れした手段に訴える巨大企業に対し、蓮は背筋が凍りついた。しかし建物を爆破して侵入するという暴挙を見るにそれはどうも事実らしかった。そんなことをされれば、蓮が骨身を削った意味がなくなる。
皇親子の命がまた危機に瀕していると理解し、彼はハッとなった。
「そ、そうだ――桜さんは!?」
意識を失う前、傍に居たはずの桜を探す。
すると士道は瓦礫の影にしゃがみ込み、そこから桜を抱き上げて蓮へと寄越した。
「受け取れ。足に怪我をさせてしまったが、命に別状はない」
まさかの行動に驚く蓮だが、ひとまず桜の容体を確認しようと差し出された彼女の体を抱きすくめた。煤で衣服に汚れが目立つが呼吸は正常に行われている。
存命であることを確認しホッとするが、同時に士道へと疑念が沸いた。
「……なんで、彼女を助けてくれたんだ?」
意図が読めない蓮は、士道に対し警戒心を強めたまま疑問を投げかける。
「状況が変わった。どうやら君の邪魔によって多くの者に成り代わりが露見したようだ。これでは計画の続行は不可能だろう。……ならば奴らの悪行を公正な場で断罪するのが、次点の策だと結論する」
士道はそう言って胴部から小さなメモリチップを取り出し、蓮へと渡す。
「この中にはセンダイ・グループの悪行を示す証拠が入っている。これを皇宗助に渡し、奴らを公の場に引きずり出せ。巨大企業を弾劾するには証拠だけでなく、強力な権力者……行政長官のような存在が必要不可欠だ」
士道の言葉を理解した蓮は目を瞠った。つまりは宗助に巨大企業の断罪をさせようと言うのだ。確かに表と裏に力を持つ彼らに対しては、頂点に君臨する者の助けが絶対に必要だった。
「あなたは一体どうするつもりだ?」
「当然であるが奴らの破壊工作を阻害する行動に移る。証拠を持つ君や皇宗助が逃げおおせるまでの時間を稼ぐことになるだろう」
士道は何の事はないと言って脚部から再びリボルバーを取り出す。左腕の方はまともに動かないのか右手の方で銃を構え、肉体からは不良を示すように異音が響いた。
「良いのか? あなたは二人の命を狙っていたはずだろう?」
「それは目的があったからだ。あの二人に対して怨恨があるわけではないし、彼らが善人であることも承知している」
士道は自らの役目が変わったのだと語る。彼にとって皇親子の命は目的に辿り着くための手段に過ぎず、それはあらゆる意味で何の感傷もないということを示していた。機械はただ命令を忠実に実行するのみであり、そこに感情は介在しない。
分かってはいても蓮はその在り方にどうしようもない寂しさを覚えた。自分の願望を目指し誰よりも味方だったはずの彼に背いた以上、掛けられる言葉は何もない。
すると士道はそんな彼の姿を見てもう一つ別のチップを寄越した。
「……これは?」
当惑気味の蓮に、士道は極めて簡潔な言葉を返した。
「――君の妹は生きている」
一瞬何を言っているのか分からなかった。
聞き間違いだろうと士道の方を呆然と見返すが、彼は淡白な口調で話を続ける。
「君の両親はあの事故で死んだ。それは確かだ。……しかし君が炎の中から運び出した霧崎美冬は昏睡状態のままセンダイ・グループに回収されることになった。奴らが求めていた貴重な成功例として」
「……成功例? 覚醒者を無理やり作り出すっていう実験のか?」
頭が追い付かない蓮は辛うじて平静を維持して問い返す。
「そうだ。君の妹はセンダイ・グループの医療施設に移送され、この一年をベッドの上で過ごした。意識はなく夢を見ているような状態だったが、私が救出して以降は覚醒の兆しが現れるようになった。――そのチップには彼女の居る病院が記されている」
慌ててチップの中身を確認する。すると都市内の公共病院――その病室の一角に彼女が入院していると記載されていた。
信じられない事実に蓮は言葉が出なかった。
妹が、家族が生きている。もう二度と会えないと思った大事な存在が、まだこの世界でその息吹を続けている。戻るべき場所が、帰るべき場所がまだあったのだ。
嗚咽の堪えきれない蓮に対し、士道は無機質な目線のまま言葉をかけた。
「これで君に必要なことは全て伝えた。問題がなければ私は次の行動に移る」
「ま、待って――!!」
後腐れすることなく立ち去ろうとする士道に向かって叫んだ。
聞きたいこと、言いたいことが山ほどあった。感謝や彼自身、そして妹のこと。でもそれよりも先に理由が知りたかった。
「どうして……俺のためにここまでしてくれるんだ?」
何故目の前の電脳精霊が自分を気にかけてくれるのか。自我を持った原因が蓮であっても、今や彼は敵に成り下がっていたはずだ。
疑念が巡る蓮に対し士道は振り返らず答える。
「私は自分を『霧崎蓮の代行』だと考えていた。しかしそれは不適当な解だった。自覚がなかっただけで、私は『自分の感情』に従って行動していたということだ。それに気づくのに随分と時間がかかった」
自嘲するような口振りで彼はそう語った。蓮の代わりを果たそうとしたのではなく自分の意志でこれまでのことをやったと言うが、そこにどんな真意が込められているのか蓮には皆目見当がつかない。
士道は背を向けたままゆっくりと死地へと歩を進める。
するとふと立ち止まり、こう呟いた。
「次こそは妹にプレゼントを渡すことだな――chrome」
「……え?」
以前どこかで聞いたようなセリフが返り、蓮は虚を突かれる。
crrome。霧崎蓮が電脳世界を渡り歩くときに使う分身の名前。
この名を呼ぶ存在には心当たりが一つしかなかった。
どこの誰かもわからない、しかし孤独を埋めてくれた名無し(アノマニス)。
nexus06。百年近く前のSF小説に登場する、火星から地球にやって来たアンドロイド――その型式を捩った愛称だと彼は言った。
「覚えておけ、私はどこにでも居る。地上を覆いつくす広大な電子の海が存在する限り、私は常にこの管理社会を監視する。見抜けぬ物などなく立ち止まることもない。自身が課した命令を寸分の狂いもなく実行する――それが私だ」
そう言い残し、彼は今度こそ暗闇中に姿を消した。
その無骨な背中を眺めることしかできなかった蓮はようやく知った。
家族の幻想を見てただ一人で過ごしていた時、守ってくれていた人が居たのだと。神のように全てを見透かし、儚い夢を現実に変えることに尽力してくれたのだと。
士道岳人はとっくの昔に蓮の求めた存在になっていたのだ。
「……ありがとう」
誰もいなくなった空間で蓮は呟く。
そして両腕の桜をしっかりと抱き、士道とは逆方向に走り始めた。ボロボロになった体は悲鳴を上げるが今度は心が膝をつくことを許さなかった。瓦礫の山で燃える炎はあたかも彼の心を映し出したかのように激しい熱気を放つ。
必ず彼女を助ける。そして妹の下へと帰る。
それを完遂しなければ、背を向けた存在に顔向けができないと思った。