32. 同一存在
体中に走っていた痛みは霧散し、代わりに違う衝撃が桜の全身に走っていた。
霧崎蓮。彼の発した言葉にこれまでにないほど心が掻き乱された。
(どうして……あなたは……)
顔を俯けた桜。頭に浮かぶのは疑問だった。
彼は士道岳人――かつての自分に銃口を向けている。
そんな事が彼に出来るなど桜には考えられなかった。苦しい世界で真摯に生き、真っ当な方法で未来を掴みとろうと足掻いた。だがそれは無情にも世界そのものに裏切られた。そんな彼にとって、正しい世に変わるという士道の言葉に抗えるはずもない。
だが蓮は自分と父親のためにそれと対決することを選んだのだ。かつて抱いた如何ともしがたい幻想を捨て去り、過去と決別する事を選択した。
母の献身的な愛に生かされ、その価値を証明するかのように生きてきた桜にとって過去を否定するというのは不可能な芸当だった。
(どうして、あなたは立ち向かうことが出来る!?)
理解できない。自分には恐ろしくてとても真似できない。生かされた命。背負った使命は重く、それを蔑ろにして自由に選択して生きる余裕などない。ずっとずっと誰かを助けるために命を使い切ることが正しいと思ってきた。
桜はもう一度、少年の姿を瞳に映し出す。
彼は涙を流し、震える手を必死に抑えて銃を構えていた。
それを見てただただ胸が締め付けられた。
「……分かった。君は私の敵だ」
士道はしばらく蓮を観察した後、そう言い捨てた。脚部の格納室からもう一丁の64口径リボルバー拳銃を取り出し、蓮へと向ける。
「桜さん、宗助さんを連れて逃げて下さい!」
「――でも!」
桜は自分も戦おうと構えるが、膝に力が入らず剣を振るうことは困難だった。
「良い覚悟だ霧崎蓮。心苦しいがまずは君を打倒しよう。私が立ち止まることが出来ないように、君も彼女達のためにそれを阻止しなければならない。我々は互いに自分自身へと牙を剥かなければならないようだ」
士道はリボルバーの引き金を絞り、蓮に向かって凶弾を撃つ。受ければ体に風穴が空く所でない、文字通り吹き飛ばすようなエネルギーを持つ弾丸が飛来する。
しかし真っ直ぐ彼に飛んだ弾は何故か当たることは無かった。体から逸れた弾丸は硝子格子を粉々に破壊するだけに留まった。
「早くこの場から逃げてください。逃げた人達を誘導しないと、助かる命も助からない。大丈夫、俺には相棒もついてますから」
「ほほう、それって儂の事か?」
蓮の傍らにはしたり顔のセツナがいた。同じ人型機械といえど、軍用と市販品では性能に雲泥の差がある。到底勝負にならないはずだ。
しかし今の状態では桜自身も戦闘行為を行えないだろう。捜査官として働いてきた経験と冷静な判断能力が今は恨めしかった。
「……分かりました。でも後で必ず駆けつけます」
感情では反対だったが、今は宗助を含め招待客たちの避難を優先すべき。しばらく経てば、マイクロマシンの治癒力で戦闘を行えるようになるはず。
そう自らを無理やり納得させた桜は引き摺るように体を動かし、宗助と共にその場を脱出した。
****
桜たちが無事に会場から姿を消した後、両者は睨み合いを続けていた。
『カッコよく逃げろと言っておったが、勝機はあるのか? あの怪物娘ですら敵わなかったんじゃぞ? 儂らだけでどうにか出来るのか?』
蓮の横で構えるメイド服姿のセツナは、電脳を通じて蓮へと語りかける。
彼女の指摘通り武装が拳銃しかない蓮。そして性能が数段落ちるボディのセツナでは勝算は薄いように思える。
『確かに厳しいが、方法はなくはない』
『あの光学迷彩とかいう透明になる兵器の対処法もあるのか?』
『そうだ。お前は俺の指示通り動いてくれ』
セツナは電脳越しに了解と返事を寄こした。
蓮は敵の戦力を分析する。
士道岳人。通常火器程度は物ともしないタンタル合金製の金属骨格。両掌にはスタンナックル。脚部格納室には一撃必殺の64口径リボルバー拳銃。胴体部にはおそらく光学迷彩発生装置、つまりは人造物質の結晶を格納している。
電子戦については未知数だが、セツナの例を考えると強力な防壁とそれを破壊するための防壁破り(アイスブレーカー)を所持していると考えられる。電子戦を仕掛けるにしてもまずは隙を作らなければならない、というのが蓮の見立てだった。
蓮は電脳でセツナに合図を送り、二手に分かれて士道へと接近する。
セツナは真っ直ぐに突撃し、蓮は斜め後方から拳銃による援護を行う。
拳銃によってボディに被弾する士道だが、小さな火花が散るだけでダメージは望めない。彼は拳銃を鬱陶しく感じたのか射線から大きく後退し、光学迷彩の皮を被って姿を消した。
蓮とセツナは辺りを見回す。周囲の建造物からの光と僅かな月明かりからはその位置を特定するのは不可能だった。敵は光学迷彩兵器の取り扱いにも習熟しており、先の戦いでもクローキング場を乱すような行動――走っての移動や銃撃などの大きな運動エネルギー伴う行動には及んでいない。
「――そこか」
だが蓮はARに浮かぶ赤く強調された像を見てその場所を銃撃した。
すると弾丸が見えない何かに衝突し、士道のボディが浮き上がった。
彼が驚きに一瞬だけたじろいだその隙に、特攻したセツナが勢いよく体当たりを食らわす。
「――ッ」
市販品とはいえ助走を付けた状態からの豪快な一撃に上半身が仰け反り、士道は距離を取るため背後へと後退した。
「……なぜ私の位置が分かった?」
士道の疑問は最もな所で、その行動に落ち度は見られなかった。
問いかけに対して蓮は応えず、弾倉を素早く交換した後銃撃を再開した。被弾し続けるような状況では光学迷彩の展開を阻害できるからだ。
さらに銃撃の合間を縫うようにしてセツナが間合いを詰め、今度はフロアにあった金属製の椅子を振り回した。
士道は自動拳銃の射程距離から脱し、再び姿を消失させた。桜がやってのけた音と感覚に頼った索敵を警戒したのか、今度こそ場は完全な静寂に包まれた。
もし一度目の銃撃がまぐれによるものなら次こそ誰かの命が消える。士道岳人は容赦することは無い。例えそれが自らの起点であろうが、妹の人格を持つプログラムだったとしてもだ。
蓮にはそれが十二分に分かっている。
そして蓮は士道が背後に接近していることも、当然のように把握していた。
蓮は振り向きざまに拳銃を撃ち放ち、さらに示し合せたかのようにセツナの当身が士道を側面から襲った。
「――あ、有り得ん!?」
苦悶の声には一度ならず二度も反撃を受けたことに対する疑念が混じっていた。
脇へと入られた士道が重心を戻そうと足掻く前に、セツナによって壁に叩き付けられる。
虚を突かれた彼だが機械眼の映像出力が揺ぐ程度で、戦闘に支障をきたすようなダメージはない。至近距離のセツナを掴みその体を破壊しようと試みる。
想像を絶するような圧力にセツナの左腕が軋みを上げてへし曲がる。
「ぐ――まだまだああああ!」
片腕を損壊させられた彼女は怯むことなく、稼働するもう片方の拳を士道の胴部へと叩き込む。衝撃が士道の全身に走る代償として、金属骨格に撃ち負けた拳は軋みを上げた。
「――!? 貴様!?」
両腕が使い物にならなくなったセツナに対し、士道は怒り狂って所持していた64口径の引き金を絞った。およそ拳銃などという規格に収まらない大威力の魔弾が、爆音とともにセツナの上半身を消し炭に変えた。
セツナの体が潰されたことで、遠目から見ていた蓮は一人で士道と戦う状況に陥った。
しかし不利な戦局に置かれたというのに彼はにやりと笑う。
『やったぞ。ヤツの腹に一撃決めてやったわ!』
肉体を失って電子体へと戻ったセツナの声が電脳に流れる。
見ると視線の先の士道は胴部を抱え、顔に張り付いた肉を恐ろしい形相に変えていた。光学迷彩がまともに起動せず、彼の周囲が無秩序に湾曲しているのが分かる。衝撃に弱い人造物質結晶が破損した結果だった。
「おのれ、光学迷彩装置を潰すのが狙いか。……だが何故私の場所が分かった!? 可視光線はおろか赤外線による熱探知も不可能なはずだ!」
音による感知に対しても、潜入任務に使用される無音走行ソフト使用することで対策を取っていた彼は看破された事実に混乱する。
「大層な兵器だが、質量や実態がなくなるわけじゃないだろ? それだけ重量のある体を使えば、無音暗殺術を行使しても無駄だ」
「質量? ――ッ!? 感圧装置をハックしたのか!?」
士道は蓮の手管を知った。アナ―オブアルカディアのセキュリティには床に埋め込まれた重量物を検知するセンサーが存在する。それを使えば姿が消えようが他人の皮を被ろうが、その重量から人型機械の存在を断定できる。
このフロアに足を踏み入れた時から、蓮は士道の正体を見切っていたのだ。
「あのような発言を……この私をペテンにかけたな!?」
「光学迷彩は想定外だったが、未完成の兵器に手を出したのが運のつきだ」
挑発するようなセリフに士道はリボルバーを構えた。
蓮はその姿を冷静に見据え、精神を集中させる。
すると視界が紅く染まり時間の流れが少しずつ停滞し始める。
これまで二度体験した認識速度の加速された世界。入口はもう分かっている。自分の力がどんなものか、どうすれば使いこなせるのか、何が引き金なのかも理解している。
こちらが拳銃を構えた矢先、士道のリボルバーから火線が走った。ゆっくり花が咲くようにマズルフラッシュが瞬き、火薬燃焼による推進力で弾頭が顔を出す。そして螺旋回転を描きながら真っ直ぐ牛歩の如き速度で鉛は空を切った。
まさしく刹那。極限まで切り刻まれた時間間隔の中で、次にとるべき行動を思考する。
螺旋が一周する間に弾道を読み切り、正確かつ俊敏に弾丸そのものを狙い撃つ。平滑に仕上げたマグナム弾の破壊力は計り知れないが、その弾道をずらすことなら9mm弾でも可能だ。
引き金を絞る。大威力の弾丸と拳銃弾とが衝突し、火花を起こす。さらに次弾を確認し、これも乾いた金属音と共にその軌跡を捻じ曲げる。フェザータッチにしたトリガーに触れた回数だけ、迫りくる魔弾の波を回避した。
数秒間の攻防が終わり、そこで初めて呼吸を再開する。
同時に緋色の世界が蓮の中へ回帰し、室内の秒針は平素の動きを取り戻した。
「体感時間加速といった所か、君の力は……」
士道は機械眼の駆動装置を絶えず動かし、蓮の行動を観察する。人間の反応速度を超えた芸当に対して、満足いく回答は覚醒者の能力以外には考えられない、というのは当然の帰結だった。
捉える世界を停滞する力。しかしその有利性は早く行動できるという程度のもの。肉体そのものは常人にしか過ぎない蓮に、士道を打倒することは依然として困難に見える。それは双方が理解している共通事項だった。
即時士道はその重たい身体を駆動させ、蓮との相対距離を詰めた。弾丸を撃ち落すだけの余裕を奪い、戦力差の歴然な接近戦に持ち込もうという腹積もりらしい。
「――あなたも良いように物事を解釈する傾向があるな」
蓮は好都合だと判断する。
彼は襲い掛かる士道に対し特攻することを即決した。加えて敵の姿が近づく中、電脳であるコマンド操作を行う。
すると重石が消え去るような感覚と共に蓮の体が浮き上がった。彼はそのまま燕のように滑空した後、防御させる間もないほどの速度で左拳を士道の顔に叩き込む。
「――ぐ!?」
交差法ぎみに決まった機械腕のストレートは、士道の体に初めて目に見えた損傷を引き起こした。赤い機械眼が拉げて飛び散り、金属製の肉体が蓮の不可思議とは対を成すように重力の井戸に引かれて床へと落ちる。
「――セツナ、頼む!」
勢い余って転がるように着地した蓮は、セツナの力を借りて〈防壁破り(アイスブレーカー)〉を起動した。AR上に二十近い破壊プログラムが現れ、その全弾が士道の電脳を抹消するために走ら(ラン)された。
今ならば反撃に転じることは出来ない、蓮はそう思った。
しかしここまで攻勢に出ていた彼は、士道の隠していた奥の手に驚愕することになった。
一直線に士道の頭部、防御プログラムたる防壁に尖刃が触れた途端、固く閉ざされていた氷のオブジェクトがドス黒い色に染まったのだ。
「――!? セツナ、プログラムを停止させろ!!」
悲鳴に近い言葉にセツナはプログラムを引っ込めようと急ぐ。
だが黒い炎は起動した〈防壁破り(アイスブレーカー)〉の軌跡を辿るように燃え上がり、セツナの電子体を侵食し始めた。
断末魔の声を漏らしながらも彼女は自らの体を紅い炎で覆い、食らい合う様なプログラムの攻防の隙をついて脱出する。
黒い防壁。電脳空間の奥深く、ハッカーが集うVPNで実しやかに囁かれる都市伝説。触れた者の情報すなわち電脳を食らい尽くす漆黒にして死のプログラム。
消去寸前まで瓦解したセツナは、逃げるように蓮の電脳へ戻った。
『す、すまん……下手を打った。しばらく行動できそうにない』
セツナがまだ生きていることにホッとする反面、蓮は動揺を抑えられなかった。
一方視界の端で士道が起き上がる姿を見た。
「――驚嘆に値する。まだ切り札を取っていたとはな」
すでに相馬英寿を象っていた顔の肉は先ほどの一撃で塵と化し、無機質な金属表面と片方欠けた赤眼だけがそこにあった。
「先ほどの現象は皇桜の……重力加速度制御。なるほど、君の力の正体は覚醒者の能力をハックすることだったのか」
士道の推測は的を得ていた。
星環学園での桜と一悶着。あのとき蓮は桜の電脳をハックし、その後昏倒して屋上から転落――そして無傷で地面へと着地していた。
この不可解な事実から蓮は自分の力の正体を知ることになった。
「ハックした覚醒者の電脳、つまり力そのものを拝借する。まさにハッカーらしい力だな。となると体感時間加速の方は我が片割れによるものか……」
士道は得心が言った様子でゆっくりと頷く。
しかし力を行使した蓮本人にはある疑問があった。引き起きた現象からセツナの力を拝借していたことは理解できた。土台不可思議な話である以上、電子精霊がその力を宿していても驚かない。
だが生前の士道刹那について確かめたいことが一つあった。
「あなたの妹……士道刹那は覚醒者だったのか?」
体感時間を引き延ばすという超常の力。セツナは自分にそんな力があるとは自覚がなかった。彼女の血縁である士道岳人はその力に心当たりがなかったのだろうか。
「……フ、忘れたな。そんな些末なことは」
彼は相も変わらず乾いた声で返答し、続けざまにリボルバー銃口を向ける。
「これで互いの手の内は全て曝け出したな。完全な一対一。武器をどれだけ他所から持ち寄ろうが、最後は己の手で戦う。それが私達だという事だ」
背筋が凍るような眼光で機械眼が蓮を見据える。
怯みそうになるが足元に転がっていた桜の剣を拾う。
そしてそれを彼女の優美で力強い姿を想起しながら、真一文字に振るった。
必ず勝たなければならない。
終局は近く、どちらかの命運が潰えようとしていた。