31. 咆哮
地を這うように低く身を屈めた桜は爆ぜる様な轟音を響かせ、人型機械へと立ち向かった。その速度は武芸の達人であっても回避できない程である。
対する士道は焦る様子も見せず、ただ諦めたように彼女を見た。
その瞬間士道の肉体が万華鏡を覗き込んだように歪み、風景に溶け込んで消失した。
「――光学迷彩!? まだ完成していない軍事兵器を、なぜ!?」
桜はその場で身を翻し探るように辺りを見渡す。しかし照明が落ちた視界状況の悪い会場では、僅かな環境変化から士道の位置を見極めることは困難に近い。
「使える物は何でも使う――ということだ!」
自身の斜め後方から音を察知した桜は、降りかかる打撃を剣の腹で受け止める。間一髪防御するも軍事用に開発された機械兵器の恐るべき出力は、強化した桜の体を三十メートル以上離れた壁へ易々と吹き飛ばした。
「――ぐ、あ!?」
粉々になった建材とともに彼女の華奢な体が床に堕ちる。
「さ、桜さん!! この野郎!」
蓮は握っていた自動拳銃を士道へ向けて撃ち放った。
だが対人兵器にすぎない拳銃用の9mm弾では超鋼合金性の骨格に傷一つ付けられない。
虚しい金属音を鳴らすだけの銃撃を無視し、士道は桜の方を向く。視線の先にいる彼女は剣を支えにして立ち上がっていたがその呼吸は荒く、額からは出血も見られた。
「重力加速度制御。君の力は大したものだ。しかしこの閉鎖空間と光学迷彩が相手では勝ち目はないぞ。大人しく引き下がっていることを勧めるが?」
「ふざけないで下さい! 父親が殺されるのを黙って見ているわけがない!」
虚無を浮かべる士道に対し、桜は肩で息をしながらも果敢に斬りかかった。
歯を食いしばって踏み込むと同時に士道の姿は霧散するが、突進する桜は両耳と体表面の感覚だけに意識を割いてその位置を掴もうとする。金属骨格は熱や衝撃に強いが比例するように比重が重い。クローキング場を乱さないよう低速で移動していると考えても、完全な消音は不可能なはず。
目を閉じたまま疾走すると、真横からわずかに擦れるような音が飛び込んできた。
「――そこ!」
桜は音の方に向かって高速振動式単分子ソードを振り抜く。その剣閃は士道を覆っていた屈折空間をまるで飴細工のように切り裂き、多脚戦車の装甲すら物ともしない刃がボディに到達した。
しかし容易く両断するかと思われた剣は、火花を散らして彼の左腕と拮抗した。
「初撃でその剣の周波数は解析済みだ。武装を知っている以上、対抗策も当然ある」
見ると鍔是り合う機械腕は微かにだが振動している。同様の周波数を発生させ、剣の切れ味を無効化していた。
「――く!!」
力比べでは勝機が無い桜は後方に跳び下がり、能力を使って距離を取ろうとする。
士道は提げていた64口径というおよそ人間には運用できないリボルバー拳銃を構え、それを爆音と共に桜へと連続で撃ち放った。
桜は空中で体勢を保ちながら凶弾を剣で打ち払い続ける。巨大な質量を持つ弾丸の運動エネルギーに柄を握る手が悲鳴を上げるが、身体に覚え込ませた剣術がその身を守り通す。
掠めるだけでも致命傷になりかねない銃撃を躱し、再び士道と相対した。
「母親の命を失ったその日から、多大な犠牲を払って強くなったか。気の遠くなるような鍛練に発狂するような痛みを伴う強化施術……実に滑稽だな」
疲労困憊の桜だったが自らの覚悟を揶揄され眉を吊り上げる。
「私の過去を侮辱するつもりですか? あなただって似たようなものはず。目的を達成するためにあらゆる犠牲も厭わない……蓮君と同じ理念を持っている」
「その通りだ。しかし君だけは違う。助ける側と助けられる側とでは決定的な差が存在する」
「……何が言いたいのです?」
桜は居ても経っても居られなくなったのか苛立ち交じりに言葉を返す。
対して士道は蓮の方を盗み見た後、答え合わせを始めた。
「自分で命を背負うのと、背負わされるのとでは心の持ちようが異なるということだ。君は母親の犠牲の上に生きている。その重圧に耐えられず、自傷行為に近い行動を取るようになった。違うか?」
士道の言葉は蓮が垣間見た彼女の記憶から考えても、正鵠を射ているように思えた。母親が冷たくなる中で何もできなかった自分。彼女はそれを変えるために常人には真似できないような修羅を潜り、我が身を挺して他者の救済に望んだ。
だがその行き過ぎた覚悟は、我が身の価値を軽く捉えた愚行とも言えた。
「違う――私は!」
否定するかのように桜は突撃し、士道へと剣を振るい続ける。能力を駆使して空間を縦横無尽に跳んで突き崩そうと攻めるものの、剣戟の全てが機械腕に阻まれた。
「哀れだよ……本当に」
そう呟くと士道は剣を鷲掴みにし、隙が出来た桜へと重い打撃を食らわせた。深く差し込む様な一撃が鳩尾に決まり、さらに掌に埋め込んでいたスタンナックルが彼女の体に高圧電流を走らせた。
小さな悲鳴が漏れたと思うと、彼女の意識は消失した。
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「さ、桜――!? 貴様、よくも――」
床に打ち捨てられた娘を見て宗助は血走った眼で士道へと殴りかかる。
だがその拳は簡単に止められ、彼の体は床へと叩き付けられた。
「安心しろ、殺してはいない。私の標的は貴様だ。お前がその命を私に差し出せば、娘の命は保証してやる」
「私はまだこの都市の平和を築いてない! それが成されるまで死んでたまるか!」
「その驕りこそが貴様の罪。だから相馬のような屑に付け入る隙を与えるのだ」
苦悶の表情を浮かべる宗助だが、士道はそんな彼の頭を掴む。そして体を床へと押し付けたまま顔だけを蓮の方へと向けた。
「見ろ、あれがお前の罪の形だ。貧しい生活を脱却しようとその身を捧げ、激しい差別に苦しみ、それでも尚お前とこの都市の未来を信じて懸命に生きた。――その報いが家族の死という結果で帰ってきたのだ!」
「――ッ」
宗助は頭蓋骨を押しつぶされるような痛みと、相馬という悪を看破できなかった己の愚かさに呻き声を上げた。
蓮はその悲痛な顔を見る事が出来ず、思わず視線を逸らしてしまう。
「お前が善人だという事、その手腕が卓越していたことも認める。だがそれでも人間には不可能なのだ。私がお前の願望をも代行し、求めた理想を現実にしてやろう」
士道はリボルバーの銃口を宗助へと押し付ける。引き金を引いてしまえば、彼の頭は粉々に吹き飛ぶだろう。まず助かるはずがない。
だというのに蓮はそれを呆けた表情で見る事しかできない。拳銃は構えているものの、トリガーを引くだけの理由を持ち合わせていなかった。
「良いのか? あの男……死ぬぞ?」
それまで事態を静観していたセツナが重い口を開き、蓮は狼狽した。
「だって……あの人の言っている通りじゃないか!? 士道岳人は俺の目的を……未来を代行している。俺が抱いてきたものを全て持っている。だとしたら……それを止める理由なんてないじゃないか!!」
両腕から力が抜け、拳銃の銃口が下がりそうになる。
すると傍らのセツナがその手を包み、落ちそうになった照準を士道へと向けた。
驚く蓮と同じく、士道はセツナの行動を見て不信感を露わにした。
「何のつもりだ? 私を撃つということは霧崎蓮が自分を裏切ることに他ならない。貴様は……彼の信念を捻じ曲げる気か?」
責めるような言葉に対してセツナは首を振り、蓮へと語りかける。
「お主はここで目を背けてはならん。あれがお前の夢を代行しているというのなら、あれはお主が打倒せねばならん。あれは霧崎蓮……お前が立ち向かうべき敵なんじゃ」
「俺の敵? ……どうして?」
「よく見ろ。決して目を背けるな」
セツナの方を見ると彼女は真っ直ぐ何かを見ている。
困惑しながらも蓮はその視線の先を追い、そして息を呑んだ。
瀕死になったはずの桜が剣を支えにして立ち上がろうとしていた。口から血を零し全身を震わせ、覚束ない両足に鞭を打ち、父を殺さんとする男を睨んでいる。
蓮だけでなく士道もその姿に目を剥き、そして溜息を吐いた。
「……痛恨の極みだ。年端もいかぬ少女を手に掛けることになるとはな」
「な!? き、貴様……止めろ!! 娘にこれ以上手を出すな!!」
「そうはいかなくなった。あれは止まらん……殺すしかないな」
皇桜を殺す、士道はそう言った。
その言葉を聞いた途端、蓮は心臓を鷲掴みされたような気分になった。
誰を殺すとあの男は言った? 視線の先にいる虫の息となった、自分を優しく抱き留めてくれた少女を亡き者にする? 死んだ妹に尽くしてくれた彼女を?
そこまで考えが及んだ瞬間、ある光景が過ぎった。
星環学園の校舎内を桜と二人で歩いた――第一区に初めて来た日、その記憶が。
気付くと握りしめた拳銃から発砲音が鳴り響き、士道のリボルバーを吹き飛ばしていた。
「――何のつもりだ? 霧崎蓮」
吹き飛ばされた拳銃を眺め、士道は蓮の方をゆっくりと振り返った。。
「分かっているのだろうな? 私に向かって引き金を引くということは、自分を裏切ることになる。彼女とその父親を助けるというのは、君の理想に反する所業なんだぞ?」
その言葉に抑揚はないが、両目の機械眼は赤く染まっていた。
「……俺は二人を見捨てない。貴様が彼女と宗助さんを殺すと言うのなら、俺が貴様を消去するまでだ」
蓮は添えられたセツナの手から離れ、自分一人の力で士道へとその銃口を向ける。
士道はその仕草に憤りを示した。
「目の前で人が殺されるのは見ていられない、そんな即物的な感情で動くのか? 違うだろう? 君はそんな子供染みた感傷で動くほど愚かでは――」
「――黙れ!!」
突然の咆哮に士道だけでなくその場にいた全員が驚く。
「あなたに俺の何が理解できる? 俺がいつ代行を頼んだ? 抱いた感情も、経験した過去も、家族との思い出も全て俺だけのものだ!! 他人に託してたまるものか!!」
叫ぶ蓮に対し理解できないと言った態度で士道は返答する。
「解せんな。私にはこの都市に散在する者達……君と同じ不条理に合う人々を救うことが出来るのだ。君は彼らを……かつての自分を見捨てるのか? たかだか二人の命で」
「そうだ。俺にとって、二人の命はこの都市よりも重い。顔の見えない人間なんぞの為に、これ以上大事な物を奪われてたまるか!!」
「――何だと!?」
はっきりと最後通牒を告げた蓮に対し、士道は今度こそ驚きの声を上げた。
「俺はいつも願っていた。出口の見えない人生を照らし、小さな夢を見守ってくれる……そんな有りもしないものを求めていた。……そしてそれは確かにあった」
蓮は瞼を閉じて思いを馳せる。
家族の期待を背負ってこの街にやって来た。尊敬する人物の下で勉学に励み、いつか家族を呼び寄せることができる、そんな未来を掛けて、星環学園に足を踏み入れた時のことを。
――きっとその願いは叶いますよ。他でもない私が保証します。
押し潰されるような重圧の中、案内してくれた少女は言ってくれた。
美しく礼儀正しい、今までに見たことが無いくらいきれいな人だった。どこの誰かも分からない少女。その言葉からは建て前など一切感じられず、真摯な眼差しからは優しさと強さが見て取れた。
家族以外の人間から邪気のない笑顔を向けられたのは初めてだった。言葉を交わしたのはほんの数分だったが、蓮にとっては掛け替えのない時間だったことは間違いない。それからしばらくして彼女は目の前から颯爽と去って行った。
震えは止まり、試験会場のドアを潜るときには、高鳴っていた鼓動は緊張ではなく別の物へと変わっていた。
あんな人が居る学び舎。自分もそこに席を置けたらどれだけ素晴らしいだろう。
家族の為だけでなく、この校舎に通う自分の姿に一筋の希望を抱いた。
「まだ……終わってない。俺の長い旅路はまだ……確かに続いている」
もう家族と暮らす生活は二度と叶わない。
しかしこの街には希望があった。
いつか辿り着ける理想があった。
そこまでの道を照らしてくれる優しい人たちが確かに居た。
大粒の涙を流し、蓮は懺悔するように声を絞り出す。
「……ごめんなさい。俺には誰も彼もを助けることは出来ない。士道岳人、あなたの掲げた未来をかつて切に願った。あなたの言うように助けを求める人が居ることも知っている。俺ががつてそうだったから。でも――」
ポケットからお守り代わりに持ってきた腕輪を取り出した。
それは叶わない夢を信じてくれた家族、それを祝福した桜の優しさ。折り重なる紅と黄赤の螺旋はそれらが結晶化したものに他ならない。
――私より好きな女の子が現れたら、ちゃんと大切にしなさいよね。
死んだ妹との約束が電脳を駆け巡った。
「――この優しさに背くこと。それだけは絶対に出来ない!!」
例え過去の自分を否定することになっても、立ち向かわなければならない。
それが霧崎蓮の答えだった。