27. 真実
星環学園の屋上。日が落ちきった光景の中で桜はようやく体の自由を取り戻しつつあった。体内を流れるマイクロマシンが解毒作業を行い、異常が出た細胞の治癒を行った結果だった。
「――蓮君、一体どこへ?」
肉体がキチンと可動することを確認した後、周囲を見渡す。
蓮の姿が見えない。先ほどまで朦朧としていた彼女には彼の行方が皆目見当がつかなかった。
すると上着に仕舞ったPDAがコールを知らせた。
操作すると見たこともない番号からの着信だった。
「……はい」
不信感を抱きながら応答すると、変声機を使った音声が返ってきた。
『今すぐ霧崎蓮の自宅へ向かえ。彼はそこにいる』
「――!? あなたは誰です!?」
突然の言葉に桜は驚いた。正体不明の相手は蓮のことを知っているらしく、彼女に家を訪ねろと言う。一体何者なのだろうか。
『私が誰かは重要ではないし、君もそんなことに気を割いている場合ではないだろう。霧崎蓮の状態は把握している。早くしないと手遅れになるぞ』
蓮の身に何かあったのだと知った桜は、屋上を飛び降り一気に駐車スペースに停めてある飛行車へと急ぐ。
「……彼は今、居るはずのない家族の幻覚を見ている」
『その通りだ。彼の家族は一年前に全員死亡している。正確には行方不明となっているが、まあ似たようなものだろう』
家族がすでに亡くなっている。桜は父からそれを聞かされていた。
一年前に第三階級の居住区で起こった大規模な抗争。死者行方不明者数が千名を超え、アカウントが確認できない者を含めると数倍にまで膨れ上がると言われる、海上都市始まって以来大事件が起きたのだ。
騒動の中心地は蓮達が暮らしていた十九区。
彼の家族は一年前、この抗争に巻き込まれていたのだ。
『生き延びたのは霧崎蓮だけだった。彼は星環学園への入学がすでに決まっており、第一区での生活を始めることになった。その時から幻覚を見ていたのだろう。言わば彼は家族が生きている仮想世界に没入していたのだ』
無理もないことだろう、と桜は思った。蓮は今まで人生の大半を家族のために捧げ、想像もできないような苦労を重ねてきた。そんな彼が家族の死という現実を受け入れられるわけがなかった。
「彼を止めなければ! これ以上罪を重ねる前に!」
飛行車を走らせる彼女はハンドルを握り締め、蓮の下へと宙を切る。
『罪か。だがそれは彼だけではないだろう。君も、君の父親も、この都市に住まう人々全員が言うなれば大きな罪を背負っている』
「それは、どういう意味ですか?」
電話主の男は重苦しい口調で話を続ける。
『一年前の抗争、表向きは第三階級同士が引き起こしたものだとされている。しかし実態は浮浪者や膨れ上がった人口の口減らし、巨大企業が覚醒者を生み出すために行った大規模な実験だったのだ』
「馬鹿な!? そんな話は聞いたこともない!」
突拍子もない発言に桜は目を剥く。アルカディア警察に所属している彼女だが、そんな眉唾めいた話は耳にした記憶もなかった。
『抗争では一部の集団がBC兵器を使用したと報道されている。しかしおかしな話だ。同じ階級同士がどうして生物化学兵器を使って殺し合う? どこから武器を持ってきた? 彼らは貧困に喘ぐか弱い存在のはずで、そんな物を手に入れる資金などあるわけがない」
「在り得ない! 誰がそれを主導したと言うのです!? まさか父が……行政長官が手を染めたと言いたいのですか!? 馬鹿馬鹿しい、話にならない!」
宗助がそんなテロリズムに近い手段に訴えたなど在り得ない話だ。彼女は誰よりも傍で宗助の行いを見てきた。それは紛れもなく正しい手段と理由を兼ね備えたものだった。
義憤に駆られた桜は一蹴するが、男は態度を変えない。
『君の父ではない。相馬英寿だ。ヤツが騒動を引き起こした。ヤツは巨大企業センダイ・グループの役員であり、同時に兵器開発にも注力していた。覚醒者を自由に作り出せる薬物を作り出そうと考え、そのターゲットに生きた人間を求めたのだ』
「――!? では生物化学兵器というのは……」
俄かには信じられないが、その兵器こそが実験に使った薬物だったのかと思い至る。
男は彼女の言葉を肯定の意を返した。
『大脳に幻覚作用を起こし、電脳を持っていない人間でも能力を持ち得るかどうか。大量のサンプルを使ってそれを確かめようとしたのだ。霧崎蓮の幻覚症状と覚醒者となった経緯はこれで説明できるだろう』
通常は電脳化施術を受けた時点で覚醒者になったかどうかは判別できるようになっている。行政府や巨大企業は秘密裏に施術データを回収し覚醒者となった人間の監視と指導を行うが、そうでない者は安全と判断される。
桜は蓮が電脳化施術をはるか前に済ませていたにも関わらず、最近になって力を得たことに疑問を持っていた。
その答えが男の話す抗争事件の真相だったと知り、青ざめた表情になった。
「……もしそれが事実なら、すぐに相馬さんを拘束する必要がある」
『まずは霧崎蓮を保護するべきだな。彼はすでに真実に気づいた。自暴自棄になれば何をするか分からん。……それに相馬の件はすでに片が付いている』
「――え?」
片が付いたと言う男に質問をぶつけようとするが、途端にコールが切れてしまった。
最後まで何者なのかは分からなかったが、彼の言うように今は蓮の下へと急ぐべきだろう。
手動運転で空を駆けた飛行車は、それからすぐアパートに到着した。一度ここに来たことがあった桜は迷わず彼の自宅へと向かう。
するとドアの前にメイド服を着た女性の姿を発見した。
「よう、来ると思っとったぞ。皇桜」
黒く長い髪を持っているその女性は、どうにも桜のことを知っている風だった。
「どなたでしょうか? 私は霧崎蓮君に用があるのですが」
「ほほう、なるほど。では用件を聞かせてくれるか? それ次第によってはお主を追い払う必要があるからの」
女性は無表情のまま、桜の方を真っ直ぐ見据える。返答次第では戦闘になるということだろうか。不要な争いを避けようと考えた彼女は正直に答えることにした。
「彼を助けたい。そのためにここへ来ました」
挑むような目つきで桜は女性を見返す。
しばらくの間、両者は向き合ったままの膠着状態を維持し続ける。
すると先に女性の方が呆れたような表情で目を逸らした。
「やっぱりお主も馬鹿じゃな。あんな根暗のために必死になるなんて」
邪気のない心底疲れたといった表情の女性を見て、桜は毒気が抜かれた思いになった。
「はよ行け。中でアイツが待っとる」
道を開け、部屋の中へ入るよう女性は促す。桜はその言葉を甘んじて受けることにし、玄関を潜ろうとする。
「……あの、あなたの名前は?」
名前を聞いていなかったと思った桜は、振り返って女性へと尋ねる。
視線の先の黒髪を靡かせる女性は少し驚き、そして微笑を浮かべる。
「セツナじゃ。あの馬鹿を見守る精霊とでも思ってくれ」
精霊という言葉が何を意味するのか全く分からなかったが、桜は会釈して部屋へと踏み入った。