24. 疑問
コンベンションセンターの見本市を襲った事件は翌日の電子ペーパーに一面として取り上げられた。死傷者数百人に上る大惨事として騒がれたこの事件は犯行集団とその背景について深い関心と批判が集められた。そして階級制度という大英帝国を思わせる古臭い考えに異論を唱える者や貧困層を厳格に管理すべきと主張する者、真っ二つに分かれた各派が激論を戦わせることになった。
この渦中にあった行政長官たる皇宗助は後者の代表として法案の改正を推し進める必要性を繰り返し説いた。犯罪の芽を摘み、適正な人材と才覚の運用を図る事が最も重要であり、そのためならば人権の制限や強硬的な手段に出る事も厭わないと断言したのだ。
この主張の成否は世論が決めるところであり一市民がどうこう言っても変わらない。それは第三階級の蓮にとっても同じで、トリッドTVでニュースを流し見する彼は著名人のイデオロギーに興味はない。
問題なのは映像に映る人物。行政長官の脇に控えた初老の男。
『なんで相馬が生きてるんじゃ? あの時拳銃で撃ち殺されたはずなのに……』
蓮の傍でメイド服姿のセツナは、死んだはずの人間が生きているという事実に訝しげな表情を浮かべる。
コンベンションセンターの監視カメラで目撃した凶行。相馬英寿が何者かによって銃殺されるシーンを蓮は思い出す。あれは現実に起こった出来事のはずだった。
しかし当の本人はテレビに映り、変わらない様子で宗助の後援者を務めている。
「あれは……幻覚だったのか?」
思わず疑問が声に出てしまうが当然の如く答えは明らかにならない。
気分を変えるため蓮はキッチンで朝食を作り始めた。出来るだけ普段通り行動して気を落ち着かせようと考えたのだが、やはり手を動かしながらも焦りと不安が募るばかり。自分の知らない所でとんでもないことが起きようとしている。そんな予感があった。
「おはよう兄貴、珍しいじゃないこんな早くから」
蓮が気を揉んでいると妹の美冬が現れた。彼女は寝起きの様子で花柄のパジャマのまま眠そうな目を擦っている。
妹の登場に気付いた蓮はテレビのチャンネルを変えた。
「ああ、おはよう。少し目が冴えてな。弁当作ってるから後で持って行けよ」
「はあ? どういう風の吹き回しよ、寝坊助のくせに」
美冬は槍でも降るんじゃないかと言わんばかりに目を丸くする。
「兄の有り難い心遣いだ、感謝しろ。あと今日は早く帰ってこい。……何だか最近は物騒みたいだから」
眉を吊り上げる美冬を他所に、蓮はコンベンションセンターで見た男を思い出す。相馬英寿を撃ち殺したフードの人物。正体不明の存在は監視カメラ越しに確かにこちらを見ていた。
「しばらくは真っ直ぐ帰宅するようにしろ。勉強や用事があるのかもしれないが、世間が落ち着くまで静かにしてるんだ、いいな?」
厳しい顔つきの兄をしばらく観察し、美冬は溜息を吐いた。
「はあ、シスコン振りもそこまでいくと大変ね。……でもまあ学校からもそういう連絡が来てたし、別に良いんだけどね」
渡りに船だと安堵する蓮に対し、美冬は大きな欠伸を掻いた。
「そういうわけで私二度寝するから、弁当はテーブルに置いといて。あと余計なことで私の部屋にまで来ないでよ」
「分かってるよ。一度も破ったことないだろ?」
苦笑する蓮を尻目に美冬は自室へと引き返した。思春期特有の現象かは分からないが妹はとにかく部屋に蓮を近づけさせない。前を通るだけで文句を言う程であり、ここに越してきて以来まともに足を踏み入れた記憶がない。
彼女の姿を見届け、機械的な調理作業を終えた蓮は一人朝食を摂り始めた。
「どうやら終わったようじゃの? 妹とは何を話しておったんじゃ?」
「おい、出て来るなよ! アイツにばれるだろ!」
蓮の部屋に隠れていたセツナは我が物顔で向かい側の椅子に腰かける。
慌てて注意するが、彼女は頭を掻いてとぼけた態度を取った。
「まあ大丈夫じゃろ。ホントお前さんは心配性じゃな」
「当たり前だろ! 今のお前は肉体を持っていているんだぞ!? 電子精霊みたいに、居るのか居ないのか曖昧な状態ならまだしも……」
「ははは、それは言い得て妙じゃな。そんなに嫌なら早く学び舎に向かうか」
セツナの言葉に同意した彼は手早く食器を片づけ、支度を整え始めた。美冬が忘れないようラップをした朝食の横に弁当箱を置いておく。
制服に着替え、妹を一人残して蓮は自宅を後にした。
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星環学園は通常通りの授業を行うとホームルームで連絡があった。厳重なセキュリティを誇っている都市最高の教育機関だけあって安全に対する自負は高く、それを示すように生徒達だけでなく教員すら浮足立つ素振りが無い。時折事件についての話し声が耳に届いたがそれはあくまで世間話に過ぎなかった。
そんな中、蓮は授業中もずっと今後の方針を練り直していた。
改正法案の撤廃を独力で掴みとるにはやはり行政長官の失脚が確実だ。それを可能にする相馬英寿であったが彼は一度殺された。そして今彼は元気に公務活動に精を出している。
やはり不可解である。銃殺される光景を何度も思い出すが、やはりあれは現実だったと思う。そう考え
ると今の状態の方が異常だという結果に辿り着く。
(やはり相馬英寿を狙うほかない。この異常状態も含めてヤツの秘密を暴かなければ)
そう考えると蓮に残された最後のチャンスはアナ―オブアルカディアで行われる海上都市アルカディア生誕二十周年式典パーティーとなる。そこで今度こそ相馬の電脳をハックしなければならない。
『しかしそのパーティーとやらは著名人を集めた催しなんじゃろ? お主には参加できないんじゃないのか?』
「その通り。普通に考えれば無理だな」
休み時間の教室、蓮はデスクに腰かけてセツナと意見を交わしていた。
彼女の抱いた疑問は至極真っ当であり、黙って忍び込むのというはかなり無理がある。流石に高官達を招いた特別な会合だけあって警備員の数と質、そして監視装置のもレベルも段違いである。カメラや光学センサだけでなく全フロアの床に感圧装置まで備え、前回のように身分を偽るだけでは不十分だった。
「少し癪だが、行政長官本人に呼んでもらうしかないな」
『ええ!? そんなこと出来るのか!?』
まさかの方法に仰天する彼女だが蓮はこれしかないと結論を出していた。
「以前行政長官は俺に広告塔になるよう頼んだだろ? あれを引き受ける際の交換条件にするんだ。協力するからパーティーに参加させろってね」
『でもあれだけ啖呵を切って断ったのに……変に疑いの目を向けられないか?」
「見本市の惨事を体感し、考えが変わったとか言えば大丈夫だろ。桜さんにも根回ししておけば了解を得られる可能性は高い」
桜の名前が出て来たことにセツナは驚きを禁じ得なかった。
『……あの娘のことはもういいのか?』
恐る恐る質問すると蓮は鼻で笑った。
「警察組織の一員だってこと? 正直もうどうでもいいよ。利用できるなら利用する、それだけさ。幸い彼女は俺に対して引け目を感じてるみたいだし、きっと協力してくれるだろう」
冷め切った発言を聞き複雑そうな表情を彼女は浮かべる。
その反応を見て苛々した蓮は桜に送信しておいたメールの首尾を確認する。内容は行政長官である宗助へと取次をお願いするというもので、期待通り返信が到着していた。
目を通すと『話がしたいので、放課後屋上に来てほしい』とあった。
(……? メールでは話せないこと? 一体何の用だ?)
違和感があったものの、蓮は放課後まで大人しく過ごすことにした。