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ようこそ我が電脳叛逆(サイバーパンク)へ  作者: カツ丼王
第三章 強奪(ハイジャック)
24/40

22. 激突

『蓮よ、お主に言われた通り中央制御盤、その内部の電脳マトリックスにアクセスできたぞ! あとはお前さん待ちじゃ!』

「分かった、あと少し待ってくれ」


 敵と鉢合わせにならないよう慎重に進路を選び、蓮は先ほど相馬英寿が殺害された部屋へ向かっていた。


 何があったのか確かめ、当初の目的である相馬の電脳マトリックスをハックするためだ。頭を打ち抜かれたようだが、手掛かり位は拾えるかもしれないと考えた。


「――クソ!」


 蓮は突如悪態をつき、壁に背を当てた。


 通路を曲がった先に目的の部屋があるものの、武装した男二人が近くをうろついている。


『どうする? 諦めるか?』


 後ろ向きな発言のセツナだが蓮からすると冗談ではなかった。このまま何も確かめず逃げればもうチャンスは巡って来ないかもしれない。相馬英寿は死んだのだ。死骸から何か情報を得られなければ、蓮の企みは水泡と化す。


(――危険だが、やるしかない!)


 蓮はnexus06から受け取った戦闘用プログラム、近接戦闘コンバットプログラムを起動した。機械腕サイバーアームと内耳のジャイロスコープが連動することで平衡感覚と体捌きを制御し、機械眼サイバーアイはカメラ映像をリンクさせることで壁越しに男達の影を映し出すことが出来た。


 近づいて来る敵を赤く強調された像として認識し、通路の角で待ち構える。心臓の早鐘が耳まで届き、息を潜めているわずかな間が永遠にも感じられた。


 足音がすぐ傍に来た瞬間、蓮は通路の陰から飛び出し、男の持つ短機関銃サブマシンガンの銃口を右手で抑え込んだ。


「――な、何者だ!?」


 突然の襲撃者に男は虚を突かれた様子だった。


 蓮はその隙を逃さず相手の喉仏を機械腕サイバーアームで一突きした。制限リミッターを外したその出力は人間の腕力を容易く凌駕し、男はただ一撃にて昏倒する。


 片割れの敵に向かって重くなった体を蹴り飛ばし、奪い取った軽機関銃サブマシンガンを即座に構える。


 その瞬間、蓮はもう一つプログラムを起動した。スマートガンシステムと呼ばれるそのプログラムは軍の強襲部隊が使う戦術支援システムで、サイバー兵器の効率的な運用には欠かせないものである。


 軽機関銃サブマシンガンのグリップを握ると、銃の型番や仕様スペック機械眼サイバーアイに映し出される。無薬莢ケースレス9mm弾を採用したチェスラック工業製の軽機関銃サブマシンガン、それに積まれた電子回路と蓮の電脳マトリックスが接続され、蓮は訓練を受けた軍人のように引き金を絞る。


 照準補助エイムアシスト反動リコイル制御を機械腕サイバーアームが行い、弾丸は正確に男の銃へと命中した。


「ぐ!? 何なんだコイツ――!?」


 被弾の衝撃に男は苦悶の声を漏らす。


 対して流れるような動作で距離を詰めた蓮は、止めと言わんばかりに男の側頭部に向かって軽機関銃サブマシンガンのグリップを叩き付ける。


 くの字に曲がった体が床に堕ち、鈍い音が通路に響いた。


「はあ、はあ……上手く行った」


 事は一瞬で終わり、蓮は呆然と自分が何をやったのかを眺める。粗い呼吸を整えながら倒れた男達の様子を窺うが、蹲るその姿から無力化できたのだと分かった。


 安全を確保することが出来たものの、蓮の胸中は穏やかではなかった。今まで非合法な行いに手を出してきたが人を撃ったことは無かった。死んでいないと分かっても、人を傷つけたという現実に身体の震えが止まらない。


『……蓮、大丈夫か?』


 労るような声音でセツナが声を掛ける。


「……問題ないよ。行こう」


 蓮は倒れた男たちの横を通り目的の部屋へと移動した。


 セツナに頼んで部屋の電子錠を解除してもらい、銃を構えて恐る恐る中へと踏み入る。


 引き金に指を掛たまま突入するが、そこは既にもぬけの空だった。部屋を見渡しても死体はおろか発砲による血痕やその他痕跡すら見当たらない。


「……遅かったか」


 目論見が外れた蓮は天井を仰ぎ、顔を歪ませる。


 これで振出しに戻ってしまった。だが過ぎてしまった事はどうしようもない。後は退路の確保に努めなければならない。


 ふとARに浮かぶセツナを見ると、彼女は神妙な表情を浮かべていた。


「どうした? 何か気づいたのか?」

『……いや、何でもない。手強い敵が増えたと思ってな……』


 相馬を打ち殺したフードの男に何かを感じたのか、彼女の様子は少し変だった。蓮も相当な威圧感を映像越しに感じたため、彼女が危機感を抱いても無理はない。だがそれにしても彼女の様子は少しおかしかった。


「あとは脱出に専念しよう。このまま建物をうろつくのは危険だ」


 セツナの態度が気がかりではあったが、切り替えて目先の事態に集中する。


 彼らは不気味なほど静かな室内を後にした。


****


 蓮は監視カメラの映像から現在のセンター内の状況を把握した。数十人いる武装集団は男性や警備員達を小部屋へと分けて閉じ込め、人質として扱いやすい女性や子供はセンター中央の広場へと集めていた。撃退した男たちのPDAから通信を傍受した結果、彼らは以前の銀行強盗達と同様に法案の撤廃を要求すると分かった。


 脱出を目指す蓮だが、物陰に身を潜めて中央広場の様子を窺っていた。本来なら我が身を優先するべきだが、どうしても人質を見捨てることが出来なかった。


『今回の犯人達は電脳マトリックス化してるやつが少ないようじゃのう。これでは儂の力だけで一網打尽するのは難しいぞ』

「以前の失敗から学習したみたいだな。ハッキングは無理……か」


 蓮はセンターの警備システムを思い出す。すでに自立機動機械ドローンを復旧させる修正プログラムは組み終わっていた。あとはクリックするだけで起動できる。


 問題は再起動させるタイミングだった


「もし今自立機動機械ドローンを再起動させれば、犯人達が動揺して人質を手にかけるかもしれない。彼らの意識を他に向けることさえできれば良いんだが……」


 蓮はそこで行政長官と相馬が行うはずだったイベントを思い出す。使用する予定だったあの多脚戦車であれば武装集団が相手でも立ち回ることができるかもしれない。たとえ打倒が無理でも、再起動した自立機動機械ドローンが場を制圧する助けぐらいにはなるはず。


 蓮は物音を立てないよう注意しながら、通路を駆ける。幸い武装集団の多くは中央広場に集中しており、カメラを見ながら進めば鉢合せするようなことはなかった。


 目的の区画へと移動すると会場の端に重苦しいフォルムの多脚戦車があった。通常のキャタピラ式戦車に引けを取らない大きさで、災害支援機としても使用できるよう六脚二腕のまるでクモのような形をしていた。


 据え付けられていた梯子を上ると、機体上部に丸形ハッチを発見した。


「セツナ、頼む。軍用機だから一応注意しろ」


 真横にあった端子口にPDAのケーブルを挿入し、セツナに機体の防壁アイスを破壊させる。軍用の防壁アイスは侵入者の電脳マトリックスを焼き切る〈脳死ブレインデス〉プログラムを持つという噂だったが、彼女は数秒で仕事を終えた。


『オッケーじゃ。少し手強かったがの』


 その頼もしさに苦笑した蓮は、ハッチを開けて機体内部のコックピットに腰かけた。複数のモニターと操作卓コンソールが目に入り、ジャックイン端子を見つけることができた蓮は多脚戦車の電脳マトリックスにアクセスする。


 息を吹き返したかのようにエンジンが掛かり、重低音を響かせながら機体が動き出した。


「よしいける。セイフティプログラムが張られてただけで、武装は完全に生きてる。弾薬も十分……これなら!」


 蓮は戦車胴部に鎮座する105mm榴弾砲を中央広場の方角へと向け、発射コマンドを叩く。けたたましい発射音と着弾による爆発が壁を粉々に吹き飛ばし、その光景に驚きつつも彼は砲撃を繰り返しながら機体を先行させる。


 黒い煙と粉塵が吹き散る道を半ば強引に直進し、多脚戦車は広場へと躍り出た。


 人質を取り囲んでいた犯人達は突如出現した訪問者に度肝を抜かれる。


「な、何だあの戦車は!? どこから現れやがった!?」


 彼らは戦車に対し持っていた突撃銃アサルトライフル軽機関銃サブマシンガンを撃ち放つ。しかし戦車の分厚い装甲は弾丸を容易く弾き、まるで勝負にならない。


 蓮は電脳マトリックスによる直観操作で多脚戦車を手足のように扱い、派手な銃撃や砲撃をばら撒きながら武装集団の間を駆ける。


 予想通り彼らの意識は多脚戦車へと集まり、人質達から目が逸れた。


「よーし、セツナ! 修正プログラムを流して自立機動機械ドローンを起動させろ!」


 蓮の声に従ってセツナは中央制御盤の一連動作シーケンスプログラムを書き換える。


 するとセンター内で停止していた自立機動機械ドローンが動き出し、加えて男性客達を閉じ込めていた部屋の扉も次々に開く。


 自立機動機械ドローン達は起動するや否や、付近にいた武装集団を電気ショックや捕獲ネットで鎮圧し始めた。


 その様子を監視カメラ網で確認した蓮は、中央広場を出鱈目に移動しながら戦車の煙幕弾を撃った。広場全体が白煙に包まれ人質と犯人達が右往左往する間にも、自立機動機械ドローンは備えている人感センサーを頼りに場を制圧する。


 安全が確保されるのも時間の問題だろう。残すはタイミングを見計らってこの場から退散するだけだ。白煙が晴れ、人質の無事が確認できたら脱出しようと蓮は考えていた。


 しばらくすると煙幕弾の煙が霧散し、周囲の様子が浮かび上がった。多脚戦車の持つメインカメラが自立機動機械ドローンに捕獲された男達、そして隅で蹲る人質達を捉える。


 人質達は疲弊しているようだが無事の様子、上手くいったようだった。


「――多脚戦車に搭乗している者、今すぐ投降しなさい!」


 すると突然蓮に向かって警告する存在が現れた。


 拘束されていた警備員だろうか。今更出てきたところでもうやることはないだろうに。


 蓮は戦車のメインカメラを声の方に向ける。


「――え!?」


 モニターに映し出された人物、その正体は桜だった。


「それは国防軍の所有する機体です! 今すぐ放棄し、我々警察の管理下に入りなさい! 私はアルカディア警察 電脳マトリックス犯罪対策部 上級捜査官の皇桜です!」


 桜は毅然とした態度でそう言い放った。


 警察? 捜査官? 何を言っているんだ? 一介の学生であり行政長官の娘である彼女が、何かよく分からないことを言っている。


 蓮は頭が追い付かなかった。


 だが眼前に仁王立ちする桜はARに身分証を示した。そこにははっきりと彼女がアルカディア警察の捜査官であることがが記されていた。


「今すぐ警告に従いなさい! 抵抗するようであれば武力行使に移ります!」


 武力行使という言葉に蓮は我に返った。


『何だか良く分からんがどうするんじゃ? 大人しく出て行くか?』

「そ、そんなこと出来るわけないだろ! 防壁アイスを破って国防軍の機体を操縦したんだ。ただで済むわけがない! それにお前やこれまでの行いも露見する。――そうなったら俺は終わりだ!」


 この場は桜を無視して脱出する他ない。


 先ほどの発言は非常に気になる所だが、それは後で考えるべき事案だ。


 蓮は電脳マトリックスから信号を送り、多脚戦車脚部のタイヤを高速回転させる。急発進した機体はセンターのエントランスを破壊し、外へと飛び出した。


 機体の限界速度ギリギリを保ちつつ高架道路の方へと進路を変える。この高架道路は建設途中で人通りがない上、その途中に開発放棄されたエリアを通る。機体をどこかに乗り捨てなければならないが、そこなら目撃される危険性もないだろう。


「それにしても、あの人は一体何なんだ!? 電脳マトリックス犯罪対策部? そんな部署聞いたこともない! クソ、分からないことだらけだ!」


 そもそも彼女が警察の人間だなんて聞いた覚えもない。


 彼女は蓮に身分を隠していたのだ。その事実に苛立ちが収まらない。


『――オイ!? 前を見ろ! 蓮!』


 セツナの声に反応して機体が止まり、蓮は何事かとモニターを見る。


 そこには我が目を疑うような光景があった。


「――残念ですが、実力行使に移る他ないようですね」


 メインカメラの先、高架道路の壁の上に桜が立っていた。彼女は刀剣のようなものを右手に提げ、こちらに向かってその剣先を向けている。


 予想もしない所からの桜の登場に息を呑んだ。


「馬鹿な!? この高架道路は地上数十メートルの高さにあるんだぞ!? それにどうやって多脚戦車の速度を上回ったんだ!?」


 あたりを見渡してもヘリや空中走行可能な車両は見当たらない。どういう経路であそこに現れたのか全くもって不明だった。


 件の桜は道路へと降り、剣を構え多脚戦車へと一直線に駆け始めた。


 先回りした方法は分からないが、生身のまま接近するというのは無謀以外の何物でもない。


「……舐めやがって! 剣一本でこいつに敵うわけないだろう?」


 激高した蓮は機体を再び走らせる。刀剣程度で機体に傷がつくはずはない。ましてや人間の腕力ではどんな業物であろうと不可能だ。


 そう確信した蓮はモニターの桜を見据え、その横を抜き去ろうと疾走する。


 すると突如彼女の姿が消え、次の瞬間機体が揺れた。


『な、何じゃ!? 一体何が起こったんじゃ!?』


 モニターに警告アラートが映し出され、蓮とセツナは驚愕した。


「脚部伝達系に一部異常発生!? ……ま、まさか本当に剣で斬ったのか!?」


 異常が出た個所を補うように機体を制御し、蓮は多脚戦車のカメラを機体の背後へと向ける。


 そこには剣を携えた桜と切断された脚部の残骸があった。


「……何だ!? あの化け物は!?」


 恐怖心に駆られた蓮は桜を怪物か何かだと認識し、腕部の円筒型マニュピレータに備えられた3銃身7.62mm機関銃ガトリングガンを撃ち放った。普通の人間なら一瞬で蜂の巣になる威力を秘めた銃撃が彼女を襲う。


 しかし桜は冷静な表情のまま凶撃を迎え撃つ。


 最小限の動作で弾丸の軌跡から身を外し、躱し切れないものは何と剣戟で弾き返したのである。常人には彼女の眼前で火花が散っているとしか認識できない、まさに絶技だった。


 蓮がその様に目を剥くと、桜はアスファルトが軋む程の勢いで跳躍した。わずか数秒の間に100メートル近い上空へと到達し、そこから真っ直ぐ多脚戦車に向かって空気を切り裂くように墜ちていく。


 センサーが接近を感知した直後に左腕は斬り落とされ、コックピットにも衝撃が走った。


「マズい! このままでは!」


 苦悶の声を漏らしながらも蓮は機体を走らせ続け、桜との相対距離を取ろうとする。


 しかし彼女はまるで重さでも忘れたかのように、着地と飛翔を繰り返して空間を縦横無尽に疾走する。


 在り得ない現象だ。彼女は剣以外には何も武装していない。だとするならあのまるで空を滑空するような動き、それに必要な浮力や推進力はどこから得ている?


 必至になって考えるが答えが出ない。


 その間にも機体は人間離れした剣戟を受け続け、走行すら難しい状態にまで追い込まれた。


「――ふざけやがって! たかだか生身の人間一人に、策を崩されてたまるか!」


 高架道路の壁面に叩きつけられた機体ではあるが、主砲たる榴弾砲はまだ生きている。対人兵器では無理でも砲撃ならば一撃で倒せるはずだ。


 蓮は余裕そうな表情で近づく桜へと照準を定め、発射コマンドに指をかける。躊躇いの念が頭を過ぎるが歯を噛みしめて砲弾を撃ち放った。


 爆音が轟き、砲弾の先端が桜へと迫る。着弾すれば即死は必至。


「――無駄」


 桜がそう呟いた瞬間、辺りに金属が擦り切れるような乾いた音が響く。


 それと共に爆発するはずの砲弾は真っ二つに切り裂かれ、桜の背後へと空しく転がった。


 人間じゃない、蓮はそう思った。


 彼女は組み込まれた信管が起爆するのよりも早く、目にも止まらぬ剣戟を持って砲弾を切り捨てたのである。


 目の前の人間が自分の知る少女ではないような感覚を覚えた。


 剣を携えた敵はゆっくりと一歩ずつ、沈黙した多脚戦車へと歩み寄る。


 終わる。ここで終わってしまう。志半ばで何もできず、何も成せず、道が絶たれる。


 夢が、家族と幸せに暮らす未来が永久に閉ざされてしまう。


 呆然とする蓮の中に半ば諦めに近い感情が漂い始めた。


「――ッ!?」


 すると機械化オーグメンテーションした左腕にあるはずのない痛みを覚えた。


 頭蓋を割るような衝撃と共に視界が真紅に染まり、ありとあらゆるももの動きが緩慢になる。明滅するような指示値の動きを読み取り、眼球から果ては指先の動きまでもを寸分の狂いもなく正確に制御出来た。


 不安になるほど遅くなった心臓の鼓動、体を巡る血液の循環までが認識できる。


(この感覚は……中央銀行の時と同じ!?)


 時間の流れから隔離された、孤独な世界へと精神が落ちていく。


 機械眼サイバーアイ駆動装置アクチュエータがゆっくりと動き、視界の端に機械仕掛けの手が映る。スロットルを握ったその手には力が籠り、微かにだがその無骨なフォルムを震わせている。


 何が起きたのかは分からない。


 しかし重要なのは、まだ負けを認めるには早いということである。


 機械眼サイバーアイに血のように紅い炎が灯った。


****


 桜は壁に激突したままの多脚戦車へと近づく。警戒を解いたわけではないが相手はすでに疲労困憊。機体の装甲は剣戟によって所々剥がれ落ち、内部配線ハードワイヤードが剥き出しになっている。


 彼女の右手に提げた刀剣――高速振動式単分子モノフィラメントソードがその威力を如何なく発揮した結果だ。刃を単分子モノフィラメント構造にまで薄く研ぎ澄まし、刀身を高周波で振動させることで切れ味を極限まで向上する。捜査官となるにあたって剣技を極めた桜の頼もしい相棒である。


「投降しなさい! あなたの処遇にはしかるべき手段を取ると約束します!」


 桜は物言わぬ機体へと再度警告した。多脚戦車の仕様スペックは恐るべきものだが、人間のような小さな的に適した兵器とは言えない。加えて対人兵器たる機関銃は桜には通じず、主砲も集中すれば両断できた。


 わざわざ砲撃を真っ二つにして戦力差を痛感させたのだ。これで相手も観念したはず。


 すると覚えのある感覚が電脳マトリックスを駆け抜けた。


(この感覚は……以前の銀行強盗の時と同じ!?)


 桜が顔をしかめ一瞬だけ隙を作ると、それを見計らったように多脚戦車が急発進した。


「――まだ懲りないか!」


 唇を噛んで苦々しい表情をする桜は再度戦車を追撃する。一定の呼吸を保ち意識を集中すると彼女の電脳マトリックスにある異変が生じた。一種の幻覚作用サイケデリックに近い状態が引き起こされ、同時に彼女の肉体にも変化が起こった。


「――フ!」


 彼女が気合を込め地面を蹴ると、重力を感じることなく体が宙へと跳び上がった。そして次の瞬間には大地に対して平行に、まるで弾丸を思わせる軌道を描いて多脚戦車へと飛ぶ。


 一瞬で距離を詰めた彼女は鮮やかな剣閃を描き、機体の装甲を大きく剥いだ。


 しかし戦車は蜘蛛のような脚でバランスを取り、桜に向かって右腕の機関銃を見舞う。


 射角から身を翻し悠々と脱出するも、桜は敵に対して警戒心を強めた。


(まだ制御できるとは……相当な技量を持つ操縦者リガーのようですね)


 高架道路の壁面上に降り、機体の斜め後方を並走する。


 すると戦車は主砲を桜へと向けた。再び砲撃を食らわそうという魂胆らしいが、桜は特に焦らなかった。先ほどは敢えて受けたがこれ以上当たるつもりはない。どれだけの威力があろうと着弾しなければ意味がないからだ。


 桜は足裏に力を籠め、主砲の発射音と同時にその場から跳んだ。


 弾道から数メートルは離れており砲弾は明後日の場所で爆発するだろう、そう思った。


「――え!?」


 瞬間、爆音と閃光が辺りを支配した。


 桜はその余波から逃れるため逆方向へ跳び、道路へと受け身を取って着地した。


(遮蔽物に着弾していない。近接信管にも感知されてないはずなのに……何故?)


 近接信管とは目標物に触れなくても起爆させられる感知センサーであるが、人間のような小さい的には通常反応しないはずである。


 そんな桜の疑問が晴れるよりも早く砲身が動き、連続して発射音が響く。


 先ほどよりも大きく回避行動を取り、安全マージンを稼ごうと彼女は考えた。しかしながら間髪なく撃ち放たれた砲弾は、逃げ道を塞ぐように一つも漏れなく空中で爆発した。


「――く!? これは一体、どういう!?」


 爆発の合間を縫うようにして高速で宙を駆ける。


 桜は砲弾の爆発時限がバラバラなことから、一つの可能性に思い至った。


(発射する砲弾一つ一つに時限信管を設定したのか。……しかしこの精密さは!?)


 砲弾毎にタイマーを設定し、発射から一定時間で起爆させる時限信管。しかし通常これは対空射撃に使われるような代物であり、近接した間合いで正確な時限設定と射撃を行うなど不可能だ。


 しかし見えざる敵はその離れ業をやってのけている。絶えず三次元的な動きを高速で繰り返す自分に対してである。


 驚愕する桜であるが同時にこの戦術の弱点も看破していた。


 まず砲撃は機関銃のような連射能力はないため、回避行動に割く余裕がないわけではない。更に砲弾も無限にはない以上いずれ限界が来る。


 敵が全て撃ち尽くした時、完全な勝利が決まる。桜は冷静な洞察力からその芸当が自分には可能だと判断した。


 その自信を裏付けるように桜は多脚戦車の絶え間ない砲撃に対し、繰り返し回避行動を成功させる。激しい移動に砲門は追従しようとするも、彼女の方が常に上を行った。


(このまま行けば、勝てる!)


 桜が自らの勝利を確信すると、相手は焦ったのか機関銃による射撃も行い始めた。


 高速振動式単分子モノフィラメントソードを持つ桜は、呼吸するようにそれを軽く弾き飛ばす。体内を巡るマイクロマシンによる電気信号反射、施術による骨密度と筋線維強化にがこの恐るべき技を可能にした。


 銃撃を剣で捌き砲撃を跳んで躱し続ける。そろそろ相手は限界のはず。


 彼女の予想が的中したのか敵の砲門から初めて空砲が放たれた。


 乾いた抜ける様な音を確認した桜は、ここぞとばかりに銃撃の波を越え距離を詰める。


 相対距離が十メートルまで縮まり、跳べば剣戟を当てられる間合いになった。


 すると敵は胴部脇に備えた煙幕弾の砲塔を動かした。殺傷目的の兵器でない以上、強化した桜にとっては意味のないものだ。


 しかし予想外。敵は桜にではなく進行方向へとそれを撃ち放った。


 走行する戦車と追いかける桜はそのまま煙幕地帯へと突入することになった。


(……何が狙い? この視界では互いに敵を認識できない。むしろ的が大きい向こうの方が不利なはずなのに……)


 相手の目的が分からない桜は距離を取り、煙幕に浮かぶ戦車を睨んで追走する。


 しばらく膠着状態を維持した後、両者は煙幕地帯を抜けてその姿を日の下に晒した。


 多脚戦車は変わらず右腕のマニュピレータから機関銃を撃った。手の打ちようがないのか煙幕弾までも桜に向かって発射する始末である。敵はこの戦闘に相当消耗したらしく射撃精度も落ち始めていた。


 桜は止めを差すため最後の跳躍に挑んだ。


 機関銃の弾幕を飛び越え頭上を取った彼女は、剣を肩に担ぎ振り下ろしを狙う。


 そこで桜は気づく。


 戦車の主砲、その砲門が頭上を向いていたことに。


 全て砲弾を撃ち尽くした――それは果たして本当だったのか?


(まさか――ブラフ!?)


 砲門がわずかに動き、照準を桜に定めた。


 完全にしてやられた。この距離と速度では避けられる自信がない。


 ――しかし、ここで死ぬわけにはいかない。


「はあああああああ!!」


 桜は担いだ剣を片手持ちに変え、敵の砲門目がけて投擲した。


 音速に近い速度の剣は砲門へと吸い込まれ、内部で砲弾を爆ぜさせた。


 機体から煙と火花が飛び散り、制御を失ったらしい機体は壁に突っ込む。


 そして今度こそ完全に停止した。


「……」


 道路へと転がり落ちた桜はその模様を悲痛な面持ちで眺めた。あの様子ではコックピットの搭乗者も生きていまい。できれば生きたまま捕縛したかったがそんな手加減をできるような相手ではなかった。


 桜は安全を確保しながら近づき、生死を確認するため機体のハッチを開いた。


 そこで彼女は今度こそ本当に瞠目した。


「――な、に!?」


 コックピットには死体も何もいない。もぬけの殻だった。


 呆然とする桜は一つの可能性に思い至る。


「最初から遠隔操作をしていた!? いや……それなら逃げる必要なんかないし、精密制御の説明が出来ない……」


 そこで桜はハッとなった。


 煙幕によって並走した区間を思い出したのだ。


 あの視界状況ならば人ひとり脱出されても気づくことは難しい。しかも桜は警戒して距離を取っていた。


 見えざる敵に一泡ふかされた桜は、その歯痒さから空を仰いだ。

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