20. 暗躍
桜は宗助の下に向かうため、関係者だけが立ち入るエリアに移動していた。その足取りは軽やかで気付かぬうちに綻んだ笑顔が浮かぶ。
蓮とのやり取りを伝えれば、先の非礼を悔やんでいた宗助も幾分か元気になるだろう。彼との時間は短いものではあったが何故か得も言わぬ幸福を感じていた。
警備員の波を潜り抜けて事前に聞いていた部屋を訪ねた。
扉の前に立つガードマンに身分証を見せて中へ入ると、そこには宗助と相馬の姿があった。
「こんちにわ。相馬さん、お久しぶりです」
「これはこれは桜ちゃん、しばらく見ない内に綺麗になったね。……うん、亡くなったお母上そっくりだよ」
相馬は笑顔で桜を迎え入れ、傍らの宗助も娘の姿を見て頷く。
「先ほどの見本市、拝見させて頂きました。素晴らしかったです」
「ハハハ、これは参ったね。君のような若い女の子にそう言われると、年甲斐もなく喜んでしまう。楽しんでくれたようで何よりだよ」
相馬は大げさな身振りで喜びを表した。この穏和な老人には昔から親子共々世話になっている。桜の母が不幸にもこの世を去った後、宗助の支援者を買って出て彼を支えたのは他でもないこの男なのだ。桜も何度か顔を合わせており、言うならば親戚のような存在である。
「桜、彼に会ったんだろう? どうだった……彼の様子は?」
イベント後の高揚感そのままの相馬とは違い、宗助の気色はどうも優れない。やはり蓮との一悶着を気にしているようである。
この後行われる催しに影響が出るかもしれない。そう感じた桜は出来る限り宗助の気分が晴れるよう慎重に言葉を選んだ。
「彼はこの間の件について『気にしていない』と言ってくれました。それが本心かどうか分かりませんが、彼なりに気持ちに整理を付けてくれたのだと思います。あとはお父様がその気遣いに応えられるかどうか、という所でしょう」
「……フ、そうか。厳しいな」
桜の叱咤するような言葉に宗助は笑みを見せる。どうやら言いたいことは伝わったらしく、大きく深呼吸して次の公務へと集中し始めた。
力の宿った眼を見て、桜はもう大丈夫だろうと胸をなでおろす。
すると前触れもなく部屋に黒服の男が入って来た。相馬の配下らしい彼は慌てた様子で何かを耳打ちする。
男が何かを伝えた途端、相馬の穏和な表情が固まった。
彼は数秒間静止した後、老いを感じさせる相貌に如実な皺を寄せた。今まで見たことのない苦渋に満ちた顔に桜は言い知れぬ悪寒を感じる。
相馬はそのまま重い足取りで部屋を後にした。
「どうしたんだ相馬さんは? もうすぐイベントが始まるぞ?」
「分かりません。何かあったみたいですが……」
桜と宗助は彼の出て行った扉に視線を向ける。
残された二人には彼がどこへ向かったのか知る由もなかった。
****
コンベンションセンター内の男子トイレで、蓮はチューリング社の作業服から元の私服へと着替えていた。この日のために用意した特注品だが上手く小道具として機能したらしい。
『しかしこんな物どうやって用意したんじゃ?』
便器の上に乗せたPDA、そこからセツナの声が出力される。
「HPで画像を探せば、作業服の大まかなデザインぐらいすぐ分かる。あとは会社のロゴをコピーして、似たような無地の作業服にプリントすれば完成だ。レーザーポインタ共々、必要なものは全部ネットの通販で揃うよ」
蓮は警備システムにハッキングを掛けて不正なアカウントを作成していた。これにより監視カメラ同士の無線通信、つまり暗号化による仮想専用ネットワーク(VPN)に介入できるようになった。
トイレを出た蓮はAR窓に館内の監視カメラ映像を表示させる。加えて電子錠や生体認証等のセキュリティ、巡回する自動機械をフロアマップ上に駒のように反映させ、センター内の様子をさながらボードゲームのように仕立て上げた。
『ヒュー、どこに何があるのか丸わかりじゃのう』
「あとは行政長官と相馬がイベントに参加すれば完了だ」
吹き抜け構造の区画へと移り、蓮は手すりから人ごみを眺める。
そして手荷物から一枚の広告のようなものを取り出した。そこには行政長官が参加予定の『国防軍所有機による災害支援シミュレーション』というイベントの詳細が書かれていた。
『これのために建物の制御を奪ったのか?』
「そう。行政長官と相馬はこのイベントに参加して、国防軍の多脚戦車を実際に操縦するんだ。まあ国がやる大がかりな宣伝みたいなものか」
聞くだけなら何の変哲もない見本市でしかない。しかし注目すべきはこの多脚戦車が、電脳を接続することで搭乗者の意志を反映した緻密かつタイムレスな制御が可能という点にあった。
「相馬は電脳化してるから、自分の脳を使って多脚戦車を操作する予定だ。大事なのは、今回この機体が館内の電算機にも接続されるという点だ」
イベントに使うロボットは安全性の観点から、センター内の電算機に接続して運転状態を常に観測することになっている。
その言葉の意味を理解したセツナは、パッと目を輝かせた。
『分かったぞ! そこで儂がヤツの電脳に飛び込んで、記憶領域から情報を奪取するんじゃな!』
「そういうこと。ヤツには何か後ろ暗い秘密があるはず。それをサルベージして来い」
セツナは大きく胸を張り任せろと強く返答した。
やるべき準備を全て終えた蓮は、監視カメラ網から相馬の姿を探した。
映像をいくつも切り替えると、通路を黒服と並んで歩く相馬の姿を発見する。どうやらイベント前にどこかの部屋に寄るらしかった。幸いその部屋にもカメラは配備されており、視界から姿を消す心配はなさそうである。
映像の向こうで相馬が一人の男と会う中、蓮は嗜虐的な笑みを浮かべた。
****
相馬英寿は穏和な出で立ちとは裏腹に、強欲の塊とも言える男だった。金と権力を追い求め、それを突き詰めた先にあるのが今の地位である。今や巨大企業センダイ・グループの役員にして行政長官の右腕と持て囃されて久しいほどだ。
そしてそれは表沙汰にはならない――残忍な所業に手を染めてきたことも意味している。彼は無数の屍の上に立ち、何も知らぬ善良な人間を数え切れないほど喰い物にしていた。
「さて、何の用かな? 随分と私の粗探しをしていたようだが」
相馬は部屋で待ち受けていた男を一瞥する。
テーブルを挟んだ先の男はフードを深く被っており、その顔を窺い知ることが出来ない。
「突然のお呼び立て申し訳ない……と言いたいところだが、貴様のような汚物に礼を尽くす気は毛頭ない。悪いが話だけをさせてもらう」
「これはとんだ物言いだな。年寄りには応えるよ」
獲物を舐るようなぞっとした目線を相馬は向ける。彼は眼前の男が有害か否か、この場で処理するべきかどうかを判断するためその様子をつぶさに観察した。
対して視線の先の男は一切動揺を見せず、淡々とした物言いで話を切り出す。
「貴様が一年前に第三階級の居住区で大掛かりな実験に及んだ事はもう分かっている。それに行政長官である皇宗助を籠絡した手管についてもな」
男の発言に相馬は眉をひそめた。男の発言は並みの人間であれば悲鳴を上げる程の威力を秘めていたが、こと相馬英寿という鬼畜にはそよ風程度にしか感じない。
「驚いたね。どこから聞きつけたのか知らないが君は有能だね。どうだい? 私と一緒に働かないかね? 何でも望む物を用意する所存だ」
相馬は利用するという選択を取った。酸いも甘いも噛み分け汚泥すら飲み下す臓物には、これぐらいの相手などお手の物だと考えた。
すると男は機械のように規則的なリズムで笑い始めた。
「どうやら面の皮の厚さは噂以上のようだな。これは期待できる」
男のおかしな態度を黙って観察した。『貴様の大罪を知っている。接見の場を内密に持ちたい』という話に乗った相馬だったが、どうにも相手の目的が見えない。呼び出した以上自分に何かしらの用件があるのは間違いないのだが。
一しきり笑った男はゆっくりと立ち上がり、突如上着から取り出した拳銃を相馬に向ける。
その動きに呼応して背後に控えていた黒達服も銃を構えた。
「正気かね? こんな所で発砲すれば、君もただでは済まないぞ」
焦る様子も見せず、他人事のように相馬は男へと諫言を投げる。
だが眼光の先にいる男はひるむ様子もなく、こう言ってのけた。
「――貴様は何者だ?」
その声は無機質で乾き切り、それでいて重かった。
質問の意図を計り兼ねた相馬は目を細めるが、構わず男は話を続けた。
「私は常に考えている。人々が機械の見せる仮想空間へと没入し、思考が並列化された今の世の中で何が自分の苗床となっているのか。認識する世界の全てが虚構だとしたら、自分が存在する理由は何なのかを――」
「哲学でも始める気かね? 私にはそんな時間は――」
相馬が嘆息すると突如地鳴りのようなものが耳に飛び込んて来た。
彼らが怯んだその瞬間を見逃さなかった男は、控えていた黒服達を一瞬の内に凶弾で打ち抜いた。
返り血が相馬へと降りかかり、彼はこの日初めてはっきりとした動揺を見せた。
「私はどこにでも存在し、そして何者でもない。――貴様もその仲間として迎えよう」
男は銃口を相馬の電脳に向ける。
「――ッ!? 待て――!?」
引き金を絞る男に向かい、声を上げようとする。
だが命乞いをする余裕もなく、相馬の世界は銃声とともに消去された。