プロローグ
PM7:14
太陽はすでに沈み、夜空を漂うのは化学工場からの煤煙だけだった。
日本と中国大陸の狭間。東シナ海の海域上に狂ったように輝く街の姿があった。
その名を海上都市〈アルカディア〉。
世界最強国として名乗りを上げた日本。電脳化技術を引っ提げて地球上を席巻し莫大な利益を上げた大企業群、通称巨大企業。両者が共同して設置した人工島の名がそれだ。
総面積は英国グレーターロンドンとほぼ同じ約1500キロ平方メートル。人口はゆうに一千万人を超え、世界各国の企業が拠点を構える経済都市である。領域内には国防軍の軍事基地が設けられ、沿岸部を常に監視する巡視船や自立戦闘機を見れば、その在り様は要塞と言っても差し支えない。
アルカディアの中心部では、摩天楼と呼ばれる無数の超高層ビル群が空を覆いつくさんとばかりに犇めき合い、人の行き交う道路上にはLED看板とARによるスパムまがいの広告が溢れかえっている。
そんな辺り一面を埋め尽くす建物と光源の中を、電子回路パターンのように駆け抜ける一つの物体があった。一見すると黒色の自動車に見えるが、前方が二輪で後輪が一輪、まるで三輪車を逆向きにしたような形をしている。
だが最も驚くべきはその不揃いな車輪がどれも接地していない、つまり空中を疾走している点にあった。前方に二基、後方に一基搭載した噴流原動機からの推力で飛行車は空を走っていた。
飛行車の運転席には一人の少女が搭乗していた。彼女は慣れた手つきで操作盤を操り、AR窓を視界に浮かび上がらせた。
半透明の窓に都市内で放送されているニュース番組が流れる。そこには野次馬のごった返した光景が映り、女性キャスターが現場の事態を説明している。テロップには『中央銀行で立てこもり事件発生』とあった。
目的地を確認した少女は、車載のナビゲーションシステムに命令を与える。
「中央銀行へ向かって下さい。それと現地の捜査官に連絡をお願いします」
『了解しました。認証のため、配属と名前を呼称して下さい』
「電脳犯罪対策部 第一課 皇桜」
少女は透き通るような声で合成音声に答えた。
年の頃は十代後半。ポニーテールにまとめられた白金の髪、翡翠色の瞳を彼女は備えていた。着こなした学生服にはしなやかなで女性的な曲線が浮かび、服の隙間からは雪のように白い肌が見て取れる。
『皇桜上級捜査官。認証を完了しました。本機は自動運転にて中央銀行に向かいます。到着は十分後の予定です』
合成音声が告げると、フロントガラスに進行路を示すガイドが表示され、サイレンを鳴らした車体がルート上を走り抜けた。
背後に吸い込まれる無骨な高層建築を尻目に、桜はニュース映像に視線を戻した。
『すでに犯人グループが第一区の中央銀行に立て籠もってから、一時間以上が経過しました。彼らは人質を引き渡す代わりに、行政長官を連れて来るよう要求しています。おそらく近日中に議会に提出される階級制度改正法案……これに関連した犯行だと考えられます』
キャスターの言葉を聞いた桜は両手を堅く握りしめる。彼女の透き通るように美しい眼には、犯罪への嫌悪と正義に燃える意志が混在していた。
桜は都市内の学園に通う学生で、同時に犯罪の取り締まり行う警察機構の一員でもある。学生が警察の捜査官になるなど有り得ない話であるが、ある事情から犯罪が起きれば捜査官として行動できる権限を彼女は与えられていた。自分には過ぎた権利だと重々理解していたが、桜にはそれを許容しなければならない理由があった。
彼女は呼吸を整え、再度ニュース映像に視線を戻した。
『ここ一年はこのような凶行が都市内で多発しており、これらは我々の記憶にも新しい北部で起こった大抗争事件に端を発しております』
『第三階級が引き起こしたとされる暴動ですね。確かにあれ以来、都市内でテロが頻繁に起こるようになりました。官公庁や巨大企業の工場、はてまた病院までが狙われる始末ですよ』
番組内のキャスターたちは口々に意見を交わす。
桜がその模様を眺めていると飛行車が目的地に到着したことを告げ、重たい排気音を轟かせて近くのビル屋上へと着陸を始めた。
車から出た桜は間髪入れずビルの屋上からその身を投げ出した。肉体は重力の井戸引かれて建物と平行に落下し、大地との距離を瞬時に縮める。だが衝突する寸前、体が重さを失くしたかのようにふわりと浮かび、静かに地へ足を付けることが出来た。
彼女は自分の身に起きた不可解な現象に眉ひとつ動かさず、雑踏をかき分ける。銀行前に張り巡らされた進入禁止のテープを潜り、止めてあった資器材搬入車へと足を踏み入れた。
搬入車は現場を統括する本部として機能していた。壁際には数台のモニターや操作卓が置かれ、反対の棚には電子回路を積んだ自動拳銃や小銃が鎮座している。
しばらくするとハンチング帽を被った中年男性が現れた。
「すいませんねえ、御嬢さん。こんな汚い所にわざわざ来て頂いて」
「お疲れ様です、榊刑事」
桜が笑顔で答えると、榊と呼ばれた男は無精ひげの見える口元を緩めた。アルカディア警察に所属する刑事で、現場指揮官としての任を受けていた榊は桜を車両の奥へと招く。そこには数人掛けのテーブルが用意されており、榊は神妙な面持ちで今回起きた立て籠もり事件の説明を始めた。
「犯人グループが中央銀行を襲撃したのは午後六時頃。ビルの一部を爆破し混乱に乗じて建物を制圧したようです。客や従業員を銃で脅し、現在は建物の三階あたりに立て籠もっています」
銀行周辺の監視カメラ映像がAR上に表示される。再生された映像には大きなボストンバックを抱えて行内に入る男女の集団が捉えられていた。
「正面玄関から入るなんて、かなり堂々とした犯行ですね。それに今の時代に銀行強盗だなんて……何が目的なのでしょうか?」
桜の疑問が示す通り現在では紙幣や硬貨の価値はそれほど高くない。ほとんどの通貨は電子化され、専用の端末を用いて売買や契約を行うのが一般的になっているからだ。
同様の疑問を抱いていた榊は首を傾げながら考えを口にする。
「現金が狙いでは? 電子通貨は決済履歴から足が付くので、裏社会では敬遠されがちです。中央銀行は紙幣を取り扱っている数少ない店舗の一つですからね。……とは言え、犯人達の目的は金ではないでしょう。実際行政長官を名指しで呼び出していますし――」
そこでハッとなった榊は恐る恐る桜の様子を窺う。
気にしなくていい、と桜は首を振った。今は余計なことに時間を取らせる気はなかった。
彼女の意図を理解した榊はテーブルの感知式キーボードを叩き、銀行の構造図をAR上に三次元グラフィックスにして表示した。
銀行は二十七階建ての高層建築だった。一階から三階までは吹き抜けで、地下が四階まで作られている。犯人達が建物の警備管制システムを掌握しているため、内部の様子は確認できない状況にあった。
「また銀行内の警備用の自立機動機械は全て犯人達の制御下にあります。自立機動機械は一階から四階に集められており、我々が突入した際には作戦の妨害にあたると考えられます」
よれたベージュのコートに手を突っ込み、榊は淡々と述べた。
桜は集められたファイルをスクロールし、状況を打破する手段を模索する。短時間で警備システムを奪ったという事は犯人の中には腕の良いハッカーが居るはず。となれば電脳空間を介してハッキングを仕掛けるのも危険だろう。もっと他の方法で内部の様子が分かれば手の施しようもあるのだが。
そんな桜の考えを読んでいたのか、榊がある事を口にした。
「ちょうど今、部下に集音マイクを設置させて、行内の音を拾おうとしている所です。そろそろ準備が終わる頃だと思います。少しお待ちを」
榊はコートのポケットから小型の液晶端末を取り出し、ディスプレイを操作する。
呼び出し音が何度か鳴ると、女性の顔が画面上に現れた。
「オイ、沢木! 何やってやがる!? まだ終わんねえのか!?」
ドスの効いた声が車内に反響し、電話の向こうから女性の弱々しい声が返ってきた。
『ご、ごめんなさい。マイクの設置にはもうちょっと時間が掛かりそうです。なんせ初めてやる作業なので……』
「ナマ言ってんじゃねえ! モタモタしている間に状況が変わったらどうするんだ!? あと三十秒でやれ! いいな?」
『わ、分かりました~。何とか頑張ります~。でもあと三十分はかかるかも――』
言い終わる前に榊はアプリケーションを終了し、通話を切ってしまった。
「お見苦しい所を見せちまいましたね。まだ二年目のヒヨっ子で、どうにも鈍いんですわ」
ハンチング帽を手で押さえながら咳払いをする榊を見て、桜は笑みを零す。
「突入命令はいつ出すおつもりですか? 私を呼んだのはそういうことですよね?」
「ええまあ、恥ずかしいお話ですがお力を拝借したいと考えた次第です」
榊の申し出に桜は即座に覚悟を決めた。
こういう案件に対処するために自分は居る。都市の闇、善良な市民は知ることのない裏の世界が牙を剥いたのだと彼女は思った。
突入に備えて防弾ベストや拳銃などの武装を整え始めた桜に対し、榊はあるファイルを手渡した。
中身は何かのリストのようだった。
「監視カメラの映像とデータベースを照合して、今銀行内に居る人物をリストアップしました。完全とは言えませんが、何も無いよりはマシだと思います」
桜は榊からリストを受け取る。文面には人質になっている可能性が高い人物、逆に犯人かもしれない人物――それぞれの名前と顔写真、そして職業までが詳細に記載されていた。
彼の働きぶりに桜は感嘆の息を漏らした。
「こんな短時間に……ありがとうございます! きっと役に立つと思います」
桜は深々と頭を下げた。
貰った有益な情報を少しも無駄にしないよう、集中して内容を精査し始める。
「――ッ!?」
そこである人物の名前が視界に飛び込み、呼吸が止まった。
――どうして彼の名前がリストに載っている?
予測していなかった事態にただただ青ざめることしか出来ない。
突如凍りついた桜に眉をひそめた榊は、彼女が視線を落とした人物を確認した。
――霧崎蓮 年齢十七歳 星環学園高等部所属――
人質になっている人物の中に学生と思わしき少年の名があった。
星環学園。それは桜が通っている学園の名称だった。
「これは……まさか、お知り合いですか?」
桜は倒れそうになるのを必死に堪え、微かに首を縦に振った。
榊は「何てこった!」と憤りの声を漏らし、テーブルを蹴りつけた。そしてすぐにでも部隊が突入できるよう部下の女性へとコールを掛け始めた。
激情に駆られる榊を他所に桜の心中ではある変化が起きていた。動揺が少しずつ収まり、対照的に両の瞳には悲壮な覚悟が灯り始める。
自分の命を引き換えにしてでも他者を救う、という常軌を逸した覚悟。
無力で罪深かった自分に贖罪を果たす機会が巡って来たのだと感じた。
「沢木! まだか!? まだ中の音を拾えねえのか!?」
榊の怒声が車内に木霊し、次いで桜の意識も現実に引き戻された。
『一応、壁面に設置は完了しました。でもまだノイズ除去が不十分で……』
「何でも良い! 聞こえるんだったら、今すぐこっちに繋げ!」
『は、はい! 分かりました!』
電話先の女性が悲鳴交じりに答えると数秒後、音声ファイルの窓が現れた。
次第に銀行内の音が再生される。
『――ふざけん――えぞ! この、――ガキが――』
男性の罵声が途切れ途切れで聞こえる。フィルタリング機能が徐々に効き始め、音声がより鮮明なものへと変移した。
『何も出来ないガキの分際で、俺達に楯突こうってのが気に食わねえんだよ! 大人しくそこに寝そべってろ! でなきゃ頭を吹き飛ばすぞ!』
「マズイな……犯人の一人はかなり興奮してやがる」
焦る榊を余所に、桜は集中して銀行内の状況を推測した。
男性が威圧的な発言を繰り返している。詳細は不明だが内部での関係性を考慮すると、犯人グループの一人が何者かに敵意を向けているようだ。
仲間割れだろうか、と考えた所で今度は別の人物の声が聞こえてきた。
『何も出来ないのはお前だ。徒党を組んで、弱い人間を脅し、犯罪行為を正義だと勘違いする――ゴミ同然の弱虫野郎が』
桜は聞き覚えのある少年の声に虚を突かれた。
『なんだと!? 俺が……俺がゴミだって? 殺されてえのか!? あ!? この引き金を引けば、テメエは蜂の巣になっちまうんだぞ!?』
内容から推し量るに犯人の一人と少年が言い争っているようだった。
少年の物言いが癇に障ったらしい犯人は更に声を荒げた。
「止む得ん!! 各班突入態勢に入れ!!」
状況がすでに限界に達していると判断した榊は、すぐさま端末越しに指示を送る。
桜もハッと我に返り、自らの務めを果たそうと行動を開始する。
「榊さん! 私も合図とともに正面から行内に突入します! 内部の音声が私にも聞こえるよう、通信は保ったままでいて下さい!」
そう言って桜は搬入車を飛び出した。
突入隊が陣取っている最前線に向けて奔る中、内部の様子が音声で伝わる。
『今までずっとそうだった。我慢して泥水を啜り、理不尽な目に遭っても平気な顔をして、何もかもが仕方のないことモノだと、諦めて生きてきた』
電脳に響く少年の声には苦渋の念が如実に表れていた。この声の持ち主は間違いなく、今日学園で言葉を交わした彼のモノだ。桜はそう確信する。
中央銀行正面玄関前。突入チームのすぐ傍で待機した桜は搬入車から携行した自動拳銃を構え、突入の合図を待った。
『だが間違いだった。もう俺は妥協しない。相手がどれだけ強大で正しい理念を掲げていようとも、俺は戦う。他の誰でもない自分のために。だから――まず貴様らを粛清してやる!!』
桜は耳を疑った。
この声の持ち主は本当に自分の知る少年なのだろうかと。数時間前に言葉を交わした際には礼儀正しく真面目な印象を受けた。だがこの声からはそれとは真逆の印象を受ける。
物言いは淡々と、しかし言葉の端には得体の知れない禍々しさを感じたから。
少年の異様さに動揺していると犯人の叫び声が聞こえてきた。
『クソガキがあああああ! 舐めやがって! あの世で後悔させて――!?』
突如耳鳴りのようなものが桜の電脳に響き渡った。まるで脳髄を直接揺さぶられているような、鈍く苦痛を伴う衝撃だ。
この感覚を彼女は知っていた。もはや突入の合図を待っていられない。
「榊さん! 私が先行して中に飛び込みます! 突入隊はその後に――」
桜が意を決して飛び出そうとすると、正面玄関を固く閉ざしていた合金製のシャッターがゆっくりと開き始めた。
――犯人達は警備システムを掌握していたはずなのに、何故シャッターが?
桜と隊員たちが目の前の状況に困惑していると、中から声が聞こえ始めた。
無数の人影が玄関のガラス越しに映り、隊員達は反射的に装備した突撃銃の銃口を向けた。
だが建物から出て来たのは人質の一般客や従業員だった。彼らは大声を上げ――ある者は泣き叫んで建物を取り囲んだ隊員達へと保護を求めた。
桜は目の前の事態に呆然と立ち尽くす。電脳に届く音声は喧騒にかき消され、彼女は突入すべきか人質の応対に努めるべきか迷ってしまう。
見知った少年の姿を求めて建物から流れ出てくる人ごみを見回した。
すると十歳に満たない風貌の少女とその手を引く母親の姿が目に入った。
「お巡りさん! 助けて下さい! 学生さんが大変なんです! この子を助けたせいで、酷い目に遭って……だから、お願いです! 早く助けに行って!」
学生という言葉を聞いて少年の事に違いないと一瞬で思い至った。
隊員と話す母子を背に、桜は一直線に中央銀行へと突入した。
正面玄関を潜って目に入ったのは、榊に聞いていた吹き抜けの広々とした空間だった。途中フロアに佇む警備用の自立機動機械が何台も目に入ったが、近づくとその全てが物言わぬ置物と化していることが分かった。
それらを不審に思いながらも、状況的に余裕がない桜は奥へと進む。飲食店や雑貨屋のテナントの前を走り抜けると、三階へと直結する豪奢なエスカレーターを発見した。
足裏に力を籠め全力で床を蹴った桜はたった一度の跳躍で数十メートルあるエスカレーターを飛び越えた。
着地した先は開けた空間だった。床から天井を貫く丸柱が規則正しく並び、柱の背後を埋める大理石の壁が荘厳な世界を形成している。部屋を仕切るように陣取る長テーブルの上には、紙媒体が散らばっていた。
そして中でも目を引いたのは、床に突っ伏した男女の姿だった。
「……これは一体?」
周囲を警戒しつつ、うつ伏せになって横たわる男性へと近づく。傍に捨てられた短機関銃から犯人グループの一人だと考えられる。
男の状態を確認するため仰向けにさせると、その有様に思わず顔をしかめた。外傷は特に見当たらないが男は壮絶な表情で失神していた。口から涎を垂れ流し、眼窩から白目を剥き出している。
他の犯人達も同様に倒れたまま動く気配がない。
「……電脳汚染? ……しかし、どうして?」
彼らの状態は電脳をクラックされた際の症状と酷似している。不正情報が電脳に逆流しオーバーフローすると、痙攣や意識混濁などの症状を引き起こしてしまう。最悪のケースでは過負荷や過電圧によって脳細胞が焼切れて電脳死を迎えることになる。
数々の凶悪事件に関わった経験のある桜だったが、フロアの異常な様相に悪寒を覚えた。
すると視界の端に壁に寄りかかって座り込む学生を発見した。
「――霧崎君!?」
桜は大急ぎで少年の下へと駆け寄った。
「皇さん? ……どうしてここに?」
俯いていた少年はゆっくりと顔を上げた。頬と瞼が腫れ上がり、唇からは血を流している。服の汚れから察するに暴行を受けたようだ。
少年の痛々しい姿を見て桜は悲痛な面持ちになる。
「……すぐに病院に連れて行きます!」
不安にさせないよう瞬時に表情を戻した桜は、外傷を詳しく確認しようと手を伸ばした。
しかしそれは他でもない少年自身によって制止された。
「問題ないです。多少、痛みはありますけど……一人で歩けます」
少年は痛みに呻き声を上げながらも背後の柱を頼りにして立ち上がり、そのまま出口に向かって一人で歩き始めた。
「し、しかし……その怪我では――」
ふら付いて歩く様子を見て、慌てて肩を貸そうとする。
「一人で行けます。皇さんの手を煩わす必要はありません」
「……え?」
丁寧だがはっきりとした拒絶の言葉に桜はたじろいでしまう。
少年の眼光には以前までの控えめな面影はなく、確固たる意志が宿っていた。
一歩、また一歩。ゆっくりだが確実に両者の距離が広がっていく。
それはまるで、袂を分かつかのようだった。
残された桜はもう一度フロア内の惨状を見回した。
突入前に感じた違和感。自ら脱出した人質。倒れた犯人達。
そしてただ一人、その現場に残っていた少年。
――一体ここで何が起こったのか?
桜は消えゆく少年の後ろ姿をただ呆然と見る事しか出来なかった。