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ようこそ我が電脳叛逆(サイバーパンク)へ  作者: カツ丼王
第二章 侵入(クラック)
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11. 社会工学

 沢木玲はアルカディア警察に配属されて二年目の若手だ。昔から失敗が多く運動や勉強でもイマイチな彼女は大学を卒業するにあたってどの職種を選ぶか真剣に悩んだ。熟慮の末、警察を選択したのは途方もない挑戦だったと考えられる。体調を崩して早期退職した父と専業主婦の母を支えるという状況に直面し、第二階級の彼女は安定という面からこの道を選んだ。


 見上げた精神と言えたが、多忙な生活を鑑みると正解だったかは定かではない。今日も上司の榊より書類仕事の山を回されて残業は確実。加えて先日の立て籠もり事件の事情聴取まで押し付けられる始末だ。


「えっと、何か飲みたいものとかあるかな? ……あんまり種類はないけど」


 沢木はゲスト応対のために用意されたブース、そこに一人の男子高校生を案内していた。


 聞くところによると彼は第三階級でありながら、同じ境遇を嘆いて犯行に及んだ銀行強盗に勇敢にも立ち向かったという。まるで漫画のような話だ。


「えっと、ではコーヒーをお願いします」


 霧崎蓮という少年は、丁寧なお辞儀と快活な笑顔を見せた。


 沢木は頷くと注文通りコーヒーを用意し始めた。注ぎながら、この子のようにまともな市民ばかりなら気楽なのにどうして警察に来るのは面倒なクレーマーばかりなのだろう、と我が身を嘆く。


「えーと、じゃあいきなり事件のことを聞くのもアレだから、霧崎君のことを少し教えてもらえるかな」


 彼の『はい』という爽やかな返事に心洗われた沢木は、質問に移った。


「今は星環せいかん学園に通っているんだよね? 毎日どんな感じかな?」

「特に変わった事はありませんけど、進学校なので勉強が大変ですね。学校の補助を受けながらアパートで生活しています」

「へえ~、今は一人暮らしなのかな?」

「いえ、妹と二人で協力して生活しています。妹もこちらの公立中学に通っているんです」


 軽く言ってのける蓮だが両親と同居している沢木は少なからず衝撃を受けた。最近の学生はこんなに自立しているのかと。おまけに彼は第三階級である。境遇を考えれば第一区シティ周辺で生活できるという事自体が驚きだ。


「そうかあ~、二人三脚で頑張っているんだね! 妹さんとは上手くやれてる?」

「それなりに。そろそろ妹の誕生日なので、プレゼントも用意しようと考えているんです。最近流行りの電磁人造物質メタマテリアル腕輪ブレスレットなんですが……」

「あ、それ私も持ってるよ。女の子にとっても人気だよね。どのタイプをプレゼントしようと考えてるの?」


 自分にとって明るい方面の話題になり、気を良くした沢木は突っ込んだ話を始める。


 しかし沢木の予想とは裏腹に少年の表情には少しだけ陰りが見えた。


「あの、中高生女子に人気のモデルにしようと思ってるんですけど……中々第三階級に売ってくれなくてですね……」


 失言だったと思った時にはすでに遅かった。警察には毎日のように第三階級へ差別が報告されているが、それは有名店やチェーン店でも例外ではない。


 彼の境遇を理解しておきながら、配慮に欠けた質問だった。


「ご、ごめんね! 何なら、私がお店に注意にも行くから!」

「ああ、いえ、それはもう良いんです。それより聴取の方を始めましょう。皇さんから沢木さんはお忙しい方だと聞いていますので」


 話を切り替えようと思ったのか蓮は両手を振る。


 彼としてもこれ以上は話したくないのだろう。当然と言えば当然だ。これ以上詮索するのは、余計な負担を掛けるだけかもしれない。


 沢木は話を仕切り直し、本来の業務に戻ることにした。キリッとした表情で少年の方を向き直すと、彼はポケットから小さなデータチップを取り出していた。


「あの……沢木さんの手間をなくせたらと思って、事件のことを覚えている範囲で書き起こして来ました。もしよければ使ってください」


 そう言って蓮はデータチップをテーブルの上に置いた。


 事件に巻き込まれて疲弊しているにも関わらず、警察に何とか協力しようという態度を目の当たりにした沢木は、彼の心遣いに心打たれた。


「ありがとう! ちょっと拝見するね」


 沢木は仕事用に支給されているPDAを取り出し、データチップの中身を確認するため端末のカードリーダーに通そうとする。


「おい! 何やってやがる!」


 すると突然、背後から野太い声が響いてきた。


 反射的に振り返った沢木は上司の榊を視界に捉えた。


「あ、榊さん。ビックリした~、何なんですか? 私は彼から事件の聴取を行っていて、彼の記載した文書を確認しようと――」


「お前署内規定を忘れたのか? 登録された記憶媒体以外はセキュリティを勘案して、使用したりPDAやその他電子端末に接続してはならないって」


 榊の言葉に『あ』と沢木は間の抜けた声を上げてしまう。そう言えば新人研修の時に外部から招いた講師がそんな話をしていたような気がする。


「ははは……すいません、すっかり忘れていました」


 ガクッと項垂れる沢木の姿を見て榊は盛大な溜息をついた。沢木の持つデータチップを受け取り蓮へと手渡す。


「すまないね。そういう決まりなんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」

「は……はい、すいません。余計な手間を取らせてしまったみたいで……」


 蓮は申し訳なさそうにチップを受け取った。口では気にしないと言っているが内心穏やかではないだろう。わざわざ来てもらって、警察に協力しようと頑張ってくれたのにこれではあんまりだと沢木は思った。


 横目で榊の方を見やると同様の心境らしく、バツの悪そうな表情を作っている。


 何とか少しでも彼の気持ちを汲みとるようなアイデアはないだろうか。


 すると蓮は何か思いついたのかパッとこちらに向き直った。


「あの……ファイルの受け渡しはダメでも、メールの文面に直接打ち直してお渡しするのなら大丈夫じゃないでしょうか?」


 彼の申し出に沢木は感心した。確かにテキストを直接メールに打つのなら問題ないだろう。


「榊さん、どうでしょうか?」

「あー、まあそれなら良いんじゃないか? そうだな、お前のメルアドを教えろ」


 榊の言葉に二つ返事で返した沢木は名刺代わりのプロフィールカードを蓮に渡した。カードには沢木の名前と所属、コール番号、仕事用のメールアドレスが記載されていた。


 カードを受け取った蓮は満面の笑みを浮かべた。


 どうやら彼の申し出を無下にせず済んだようだ、と沢木もホッと胸をなでおろした。


「一応書類を作らんとならんから、必要最低限はちゃんと聴取しておけよ」


 そう言って榊はブースからそそくさと姿を消した。余計なちょっかいを掛けに来たのかもしれないが危うく署内規定に触れるところだった。これ以上は失敗しないように気を付けなければならない、と気合を入れ直す。


「あの、すいません。トイレに行っても良いでしょうか。どうも緊張してしまったみたいで……さっきのコーヒーかな?」


「ええ、良いですよ。ブースを出て突き当りを右に進めばトイレだから」


 沢木が場所を伝えると蓮は足早に席を立った。強面の榊の登場に面食らったのだろう。沢木も初対面の際、とんでもない男が上司になったと気を揉んだものだ。


 呑気な事を考えながら蓮の帰還を待っていると、ARにコールサインが現れた。


 PDAを操作して対話アプリを起動すると、コールの向こうから女性の声が聞こえてきた。


『お世話になっております。私、ザイオンセキュリティの綱瀬と申します。刑事部捜査第一課の沢木様でお間違いないでしょうか?』


 流暢な言葉遣いの電話主だが沢木はこの女性に心当たりがなかった。


「あの、どちら様でしょうか?」

『我が社はアルカディア警察のサイバーセキュリティの一部を請け負っておりまして、何度かセミナーや講習をさせて頂いております。ご存じないでしょうか?』


 そこで沢木は一年前に受けた研修を思い出した。外部から招かれた技術者がセキュリティについて講義し、新人だった沢木もそれに参加していたのだ。


「あ、あ~成る程。それで私に何のご用件でしょうか?」

『はい。先日総務部の方から『署員のセキュリティ意識を調査してほしい』という旨の依頼を受けまして、私共から皆様にアンケートに回答するようお願いしたメールを送らせていただいたのです。沢木様もその一人です』

「ええ!? そうなんですか? そんな話誰からも聞いていないですけど……」

『無作為に選んだ方にのみにお送りしたので無理もありません。それにアンケートとは言いましても、守秘義務の課された厳正なものですので』


 沢木は慌ててメールボックスを開いて件の依頼を探した。


 しかし検索ワードに掛けてもそれに準ずる内容のメールは見つからなかった。


「ちなみに期日は……いつまででしょうか?」

『申し上げにくいのですが、本日の正午までが期日でした。時間を過ぎても返答がないのでお電話を差し上げた次第です』


 またしてもやってしまった、と沢木は頭を抱えた。失敗しないように注意しているはずなのに肝心なところでポカをやってしまう。これではまた榊に怒鳴られてしまうだろう。


「あわわわわ、ご、御免なさい! 今から何とかなりませんか?」


 一縷の望みに掛けて沢木は電話越しの女性に懇願した。


『まだ集計していませんので、すぐ回答して頂ければ問題ありません。アンケートそのものは十分程度で終わります。今お時間はよろしいですか?』


 沢木はARで現在時刻を確認し、次いで周囲を見渡した。蓮がトイレから帰って来る様子はまだない。


「はい、大丈夫です。どうすれば良いですか?」

『では再度こちらから同様のメールを送りますので、そちらからファイルを開いて回答して下さい。私もこのまま誘導しますのでそれに従って迅速にお願い致します』


 女性がそう言うと、件名に『依頼』と書かれたメールが送られてきた。


 文面をざっと見通すとアルカディア警察長官の署名が目に入り、重要度の高いメールだと肌で感じた。


 女性の誘導に従って、沢木はまず守秘義務やプライバシーポリシーについて記載された文書を開こうとした。


 しかしなぜか選択してもファイルは展開されなかった。


『申し訳ありません。ファイルの有効期限が切れていたみたいです。後で送り直しますので、先にアンケートに回答してこちらに返信して下さい』


 女性はすぐさま謝罪するものの、おそらく自分の所為であろうことは明白だった。


 焦る気持ちを抑えながら、電話越しの女性の指示を聞きながらアンケートを埋めていく。


 作業はそのものは時間にして十分にも満たなかった。


 メールを無事に返信する所までやり終えた沢木は大きく息を吐いた。


『こちらでもメールを確認いたしました。重ねて申し上げますが、アンケートに関する発言は控えるようお願い致します。それではご協力ありがとうございました」


 女性は終始丁寧な口調を崩すことなく沢木との通信を切った。


 知らない所でまたヘマをやらかすとろこだったが、何とか上手く行った。今日はそれなりに運が良いかもしれない。


 そうこうするうちに蓮がトイレから戻ってきた。この善良な少年の為にも、もう少し頑張らなければいけない。


 沢木は自分に喝を入れ、すぐに事情聴取を始めた。


 受け答えする少年の表情が先ほどよりも喜色に溢れているように感じたが、彼女はそれについて特に関心を持たず、その日の業務を終えるに至った。


****


 こうして彼女は電話の女性が人間ではなく電脳精霊サイバーナビであったという事実に気付くことは終ぞ無かった。


 ハッカーが電脳に侵入しようとする際、人間という脆弱性を利用する手法がある。標的の社会的地位、職業、人間関係はたまた性格に至るまでを考慮に入れ、心理的な隙や行動のミスにつけ込んで、思い通りの行動を取らせるというものである。


 これら詐欺師に近い手管のことを一流のハッカーたちは社会工学ソーシャルエンジニアリングと呼んでいる。

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