10. 欺罔
アルカディア警察とは行政府が設置した警察機構のことを指す。島内の治安を維持するため通常の警察同様の職務を行うが、警戒レベルの高い北部や人口が密集する地区に配備された警官には軽機関銃や防弾チョッキが支給され、彼らの担う責務の大きさが窺い知れる。
組織図は日本の警視庁と類似した点が見受けられ、警察長官、警察副長官の監督の下、九つの部が設置された縦割り構造で、本部は第一区から徒歩五分。星環学園から十分程歩いた第二区に居を構えている。
桜との邂逅から一夜明け、蓮は一路アルカディア警察本部へ向かっていた。
件の事情聴取を済ませるためというのが建前ではあったが、その真意は他にあった。
『なあ……本当に上手く行くのか? 儂は不安になって来たんじゃが……』
学園から警察までの道でセツナは緊張した面持ちだった。
ARに映る彼女の態度を見て蓮は大きく嘆息した。
「昨日は面白そうだとか、儂にもやらせろだとか賜ってたじゃないか?」
『そうは言うが、バレれば即逮捕じゃろ? 儂もきっと消去されるじゃろうし……お主は何で普段通りなんじゃ!」
「出来ることは全てやった。あとは機械のようにただ実行するだけだ」
蓮は小さく呟き、制服のポケットから黒いチップのようなものを取り出した。
広く流通した記憶媒体の一種でPDAから家庭用端末にまで使用できる不揮発性メモリ。一見すればそれだけだが、中身は悪性プログラム(マルウェア)のインストールされた――言わば爆弾のようなものだった。
『はあ~……どうにでもなれ! 南無三!』
不安を拭い去れないセツナだが覚悟を決め、一瞬の内にAR窓から姿を消した。
アルカディア警察本部。大きな正面入り口の前にまでやって来た蓮は、大きく深呼吸しその一歩を踏み出した。
中に入った蓮はエントランスに並んだ受付窓口で約束を取り付けている旨を伝え、待合室の長椅子にその身を預けた。
待っている間、壁面のモニターに流れるVTRを眺めることにした。内容は警察のマスコット達が『身近に潜む危険行為』というテーマで話を進めるというものだった。
『ARやVRの過剰摂取は、現実と仮想現実が区別できなくなり非常に危険なんだ!』
『それってどういうこと? 区別がつかないって?』
『幻覚が見えたり、物事が自分にとって都合が良いように解釈されてしまうということだよ。薬物中毒やストレスによる精神障害に近い状態になるんだ!』
リスのマスコットの言葉を聞き、蓮はこれまでの自分も当て嵌まるのではないかと思った。厳しい差別や偏見に耐え、それでも懸命に生きればいつか報われるという妄信。何の保証もしてくれない現実に自分の未来を預けようとしてた。
『幻覚なんて、怖ーい! どうすれば良いの?』
『簡単さ。定期的に電脳世界との通信を切って、休息をしっかり取ること。そして周りの人がキチンと注意することも大事だね!』
そこまで聞いて蓮はモニターから顔を背けた。
休んでいる暇などない。時間は有限なのだ。今この瞬間にも自分と家族の未来が閉ざされようとしている。それを自覚しなければならない。
(家族の為だけじゃない。自分の為に犠牲を厭わない覚悟が要る……)
深く瞼を閉ざし、左手の機械腕を握りしめた。
「――霧崎蓮君だよね? 初めまして、刑事部の沢木です」
蓮の思考は女性の声によって現実へと引き戻された。
ゆっくりと声の方を向くと、桜の見せた顔写真と同じ若い女性の姿があった。
「はい。沢木玲さんですね。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね! じゃあ、早速ブースの方に行こうか」
沢木はにこやかな笑顔を浮かべ、蓮もそれに合わせて笑顔を受かべた。
その作り笑いはこれまで人生で最も違和感のないものだった。