09. 策謀
ハッカーが他者のPCや端末からデータを盗み出すには、いくつか突破しなければならない課題がある。
一つ目はどこに情報があるのかを知ること。今回であれば行政長官についての情報であるから、彼の公務を記載した文書がどこにあるのか把握するということになる。アルカディア警察は政治家の公務活動において、対象者の警護から交通規制、取締りまでを行っているため目的の情報は警察のデータベース上に存在するはず、と蓮は考える。
二つ目は侵入経路の発見である。これにはアルカディア警察で働く職員のアカウントを乗っ取ったり、出入りする業者に化けて端末にジャックインしたり、電脳空間越しに欠陥穴を発見したりする等、無限に近い方法がある。泥棒が家屋に盗み入る際、どの箇所が容易に侵入できるのか、合鍵は入手できるか、住人の居ない時間帯はいつなのか、これらを調査するような段階にあたる。
三つ目は如何にして侵入を可能にするのかという実行段階の話だ。いくらシステムの欠陥や侵入ポイントを見つけても、情報を安全に盗み出すプランがなければ意味がない。ハッキングは相手に知られればそれだけで失敗と言える。映画や漫画のようにキーボードを叩きあってハッキング合戦を行うなど下策。なぜなら盗みに入ったと気づかれないことが最上の成果だからだ。
アルカディア警察を狙うという蓮の考えは、行政長官の身辺を調査して粗を探すという目的において最適だと言えた。
しかし肝心の情報にアクセスできる「人物」もしくは「端末」がどこに存在しているのか、という足がかりとなる事柄について蓮には知る術がなかった。
「まずは誰を……いや何を踏み台にするのかが重要だ」
午前中の授業を終えた後、蓮はいつものように食堂の隅で食事を摂っていた。
今までにないぐらい頭を捻ったものの、警察を手玉に取る良案が全く浮ばなかった。
苛々した彼はAR上にフワフワと浮かぶセツナに厳しい視線を向ける。
『そんな顔で睨んでも、儂から良案が出るわけないじゃろ。まあお主に命じられれば、どんな防壁だろうと破ってみせるがの』
「それはリスクが高すぎる。却下だ」
定食をムシャムシャと啄みながら、蓮はセツナの申し出をはっきりと断った。
セツナの宿しているプログラムの数々は確かに魔術師級と評して良いほどの性能を誇っている。しかし相手は海上都市の治安を担っている組織、その電脳なのだ。何重にも張り巡らされた防壁を潜り抜け、無数に存在するノード群から闇雲にデータを探し出すという所業。いくら道具が優れていても戦略が稚拙では不可能と言えた。
「そもそも侵入されたと気付かれたら、終わりなんだ。相手はとても強大で、こちらは一人と一匹。存在が露見した時点で勝負がついてしまう」
「そうじゃなあ……って匹? 儂は動物じゃないぞ!」
セツナが横で吠えるのを無視し、蓮は思考の海を再び泳ぐ。
一番はやはり適切な人間か端末を見つけ出し、その権限を奪い取ることだ。
(だがどうやって標的を探し出す? 権限を奪う方法は? 防壁破り(アイスブレーカー)は攻撃を仕掛けたことが警報で相手に伝わってしまう。悪性プログラム(マルウェア)は端末に送り付けて、相手にファイルを実行させる必要があるし……)
手詰まりな状況の中ヒントはないかと、蓮はこの短い期間で集めたアルカディア警察の情報をARに表示させた。
『なになに、「公開新人研修~サイバーセキュリティについて~」……何じゃあ、これ? こっちは「アルカディア警察長官のプロフィール」か。……んでこっちは「アルカディア警察の組織図」……うーむ、これは』
AR窓に映し出されていたのは警察の情報だったがいずれもHPで知れる程度のもの。他にも提携している協賛会社や犯罪ハザードマップなど、役に立つかも分からないものばかりである。
うへえ、とセツナは辟易とした表情を浮かべた。
『これぐらい子供にだって調べられるぞ。検索窓に「アルカディア 警察」とでも打てば、たちまちヒットするぐらいじゃ。しかもこの新人研修のファイルに至っては最新の物でもないし』
「そう簡単に欲しい情報が手に入るわけないだろ。ハッキングってのは、一つ一つ小さな情報を積み上げて目的のモノを手にれる……とても地味な作業なんだよ」
盛大な溜息をつくセツナを尻目に蓮は集めた情報を必死に精査した。
とにかくやるしかない。きっと何か手がかりがあるはずだ。
この糸口の見えない難題の突破口が――
「霧崎君。あの……大丈夫ですか?」
眉を八の字に曲げてファイルを読んでいると、透き通るような声が耳に届いた。
「え? ……あ、皇さん!」
振り返るとそこにはトレイを抱えた桜の姿があった。
彼女の出現に面食らう蓮だが、当の桜は不思議そうな面持ちだ。
「ご一緒させてもらっても良いですか。少しお話がありまして……」
そう言って桜は蓮の対面へと座り、彼の顔をまじまじと眺めはじめた。
一体何事だろうか、と蓮はどぎまぎした表情を浮かべる。生徒会長の桜が蓮を訊ねるなど今まで一度も無かった。この前のような偶然の出来事ならともかく、用件を抱えているというのら尚更である。
『オーイ、これどういうことじゃ? 何でこの娘がお前に会いに来るんじゃ?』
尋問するように低い声で問うセツナに対し、蓮は眉をひそめた。
『知らねーよ! 俺が聞きたい……って、もしかしてこの前の事件のことか?』
蓮は銀行強盗の一件で、桜と顔を合わせていたことを思い出した。
「怪我の具合が気になったもので。……あれから調子の方はどうですか?」
蓮の予想が当たっていたのか、桜は心配そうな声音で口を開いた。彼女は持ってきた食事には手を付けようとせず、表情は真剣そのものだった。
「あ、はい、大丈夫です。ほとんど完治していて、しばらくすれば傷も見えなくなるみたいなんで。心配には及びません」
「そうですか! それは良かった」
蓮の言葉を聞いた途端、桜の顔に柔和な笑みが浮かんだ。
「今日霧崎君を訊ねたのには他にも理由があるんです。先日は怪我で警察の事情聴取を受けていなかったでしょう? 事件の記録のため時間が空いたら警察署の方に足を運んでいただきたいのです。ご不便をお掛けしますが、お時間を作っていただけないですか?」
「え? あ、ああ……分かりました」
突然話題が変わったことに驚く蓮だが、対照的にセツナはケラケラと笑い始めた。『こんな事だろうと思ったわ。心配して損した』などと賜っている。
(俺だって、別に期待したわけじゃないし!)
現実的な要件に蓮は小さな溜息をもらす。まあこんなものだろう。生徒会長である桜が話しかけてくるとというのはそういうことなのだ。
「あの……やっぱりどこか具合が悪いのですか? それとも何か気に障りましたか?」
どうやら苛々が顔に出てしまっていたらしく、気づくと桜は不安そうな面持ちである。
蓮は慌てて姿勢を正し営業スマイルを顔に張り付けた。
「いや、そういうわけじゃないんです。事件の事を思い出すとちょっと……今でも自分があんな恐ろしい目に遭ったっていう実感がないんですよね……はは」
銀行強盗の一件は蓮にとって決定的な分岐路だったと言える。ただ流され、目を背け、受け身だったそれまでから転身を果たした。どんな現実にも立ち向かう覚悟を心に宿したのだ。
桜も蓮の発言に同意なのか、ゆっくりと頷く。
「そうですね。大変な状況だっというのは理解しています。ですが犯人に立ち向かったというのは無謀だと思います。自分の身を守れてこそ初めて一人前ですから」
静かだが毅然とした態度で桜は蓮の行動を諌めた。これまで見せたような誠実さや優しさとは違うはっきりとした意志が現れており、威圧された蓮は言葉を窮す。
しかし彼女に賛同するという結論にはどうしても至らなかった。
「……皇さんだったら、どうしましたか?」
ようやく口から出たのは桜の諫言に承服する内容ではなく、問いかけだった。
意外な対応に桜は目を瞠るが深刻そうな顔つきで考え始めた。
「私でしたら……そうですね、きっと霧崎君と同じことをしたと思います」
「……え、今なんと言いましたか?」
聞き返した蓮に桜は至極当然と言えるような表情で答える。
「あなたと同じく犯人に立ち向かったと思います。目の前で誰かの命が危険に晒されて、私は黙っていられないと思いますから」
いとも簡単にそう断じる桜に面食らう。
傍らで聞いていたセツナも興味深そうにその様子を眺めている。
「あの、言ってること滅茶苦茶だと思うんですけど。僕には無謀だと言って、自分は同じことをするって……おかしくないですか?」
「聞かれたから答えただけですよ。あなたの行動は確かに危険だった。だから今後は控えて欲しい所です。……ですが、その勇気には賞賛が送られるべきだとも思います」
硬い表情だった桜は一転して晴れやかな笑顔を作った。
「正直あなたの行いには心が揺れました。他人の為に凶悪な犯人に立ち向かうなんて、普通実行には移せません。それが直接何かに結び付いたわけでなくとも、その行動には意味があった……そう思います」
熱く語る桜は勢いをそのままに蓮の両手をギュッと握り出した。
突然の行動に変な声が出た蓮は眼前に迫った美少女に百面相になる。
耳元ではセツナが『何やっとるんじゃ! 目の前で浮気とは何事か!』と怒鳴っている。
動揺する蓮に無頓着な様子の桜は、ある提案を彼に持ちかけた。
「実は私の父も霧崎君の事を甚く気に入ったらしく、学友であることを伝えたら是非とも会いたいと言っていました。よろしければ父に会ってはいただけませんか?」
捲し立てるように迫る桜にたじたじの蓮。
そしてそれを傍観するセツナの額には、今日一番の青筋が立っていた。
『ふざけるな! いきなり親と会わせるなんて、電光石火にも程があるぞ! もっと順序を踏むのが大和撫子というものじゃろうが! これだから最近の若いもんは!』
重要なのはそこではないだろう。セツナが一人でヒートアップしているのを無視し、冷静になった蓮は桜の真意を推し量るために話を続けた。
「あの、皇さんのお父さん……行政長官が僕に会いたいと言っているのですか?」
「はい。忙しいので夜間になると思いますが、是非とも感謝状を贈りたいと言っていました。もちろん霧崎君の都合が良ければですが」
信じられないことだと蓮は思った。
桜の父はアルカディア行政府の最高権力者、行政長官その人である。三司長十一局を統括し日本政府との交渉役まで担う頂点に位置する存在。そして蓮の向かうべき敵そのものである。
運が向いてきたのかもしれない。これは接触を図るチャンスだと蓮は考えた。
「分かりました。それと警察の事情聴取も承りました。……というか大変ですね、行政長官のご家族というのは。警察の伝言役のようなものまでやるんですね。この前の現場にも居合わせていましたし」
蓮は適当に思い付いたような発言をする。
すると桜は虚を突かれたような顔になり、目を泳がせるほどの動揺を見せた。
「え!? ……ああ、そうですね。立場上、警察の方とは接する機会も多いですし……霧崎君の事情聴取も知り合いの方が行う予定ですから」
「……? はあ、そうなんですか」
少々違和感を覚える態度だが、気にせず話を進めることにした。
「えっとですね、警察に行きましたら『刑事部の沢木さん』を訊ねてください」
刑事部というワードに蓮はピクリと反応した。
数秒の間黙り込んだ後、彼は桜へと質問を投げかけた。
「分かりました。しかし緊張しますね、どんなことを話せばいいんでしょうか? それに刑事って強面の人が多いイメージがあるので。沢木さんはどんな方なんですか?」
「心配する必要はありませんよ。若い女性で年齢差もそれ程ありませんし、何より穏和な性分の方ですから。覚えている範囲で話してもらえればそれで大丈夫です」
「不安なのでその方のフルネームと詳しい所属を聞いてもよろしいですか? 顔写真とかもあると迷わなくて良いんですけど」
蓮の申し出に少し考える桜だが、端末を弄って沢木のプロフィールを呼び出した。
「えっと、沢木玲さんですね。刑事部捜査第一課の方です」
桜はAR表示したプロフィールを蓮に見せた。
そこには沢木と言う女性警官の階級や顔写真、年齢や勤続年数までが記されていた。
「ありがとうございます。予定が空き次第足を運ぶことにします」
「はい。それと父の件についてもよろしくお願いします」
依頼を承った蓮に対し桜は満足そうな笑みを浮かべた。
一方、蓮の方も心中喜びで一杯だった。
これまでに集めた情報と桜から得られた機会を活用することによって、問題を解決するためのプランが具体的に浮かび上がったのだ。
使えるものは何でも使う。
そう決心を固めた蓮は次のステップへと進み始めた。