08. 立案
中央銀行で起きた立て籠もり事件はセンセーショナルな出来事として、海上都市〈アルカディア〉のニュースで何度も取り上げられた。電子新聞やテレビ番組では第三階級の危険性が指摘される一方で、都市体制への批判も散見され、ここ数日市民達は話題に困ることが無かった。
事件後すぐに救急車で病院へと搬送された蓮は、アルカディアの誇る高水準な治療を受ける運びとなった。治癒力を高める薬液を詰めたカプセルへと担ぎ込まれ、その中で一夜を過ごすと目が覚めた時には擦り傷はほとんど完治していた。溶液中の微小機械が細胞の修復を促進するとともに、必要な栄養分を供給した結果だった。
医師の許可の下たった一日で退院した彼は、休日を使って自宅で療養することになった。
彼の帰りを家で待っていた美冬の反応は思いのほか淡白だった。事件に巻き込まれたと知った当初は兄の容体を心配していたが、蓮が元気な姿で家に帰ると「もう帰って来たの?」とぶっきら棒な態度へと戻ったほどだ。
出かけることもせずに家であれこれ考えを巡らせていると瞬く間に時間は過ぎ、週が明けた本日より星環学園へと通う日々が戻ってきた。
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「階級制度改正法案を廃案に持ち込ませる」
学園へ向かう前、自室でリラックスしていた蓮はセツナにそう告げた。
『ほう。話があると聞いて構えてみれば、何とも急な話じゃな』
蓮の言葉を聞いたセツナはAR窓の向こうで目を細める。事件のあった晩から今に至るまで蓮の傍で黙っていた彼女はようやくまともな口を利いた彼に興味津々と言った様子である。
「俺は第一階級になって地位と金を手に入れ、家族を守れるようになりたい。それは今でも変わらない。だけどこの法案が通ってしまえば、その可能性は閉ざされるかもしれない」
階級制度改正法案は第三階級を厳しく管理することを旨としている。当然だが蓮もその範疇に含まれてしまい、第一階級を目指すどころではなくなってしまう。進学から就職まで、最悪家族で共に暮らすことすら制限されるかもしれない。
そんな未来は蓮にとって到底受け入れられるものでない。
『言いたいことは分かるが、どうやって廃案に持ち込むんじゃ? もしかして政治家にでもなるのか?』
「そんな訳ないだろ。だけど政治家っていうキーワードは正解だ」
セツナの疑問に答えるため蓮は朝のニュース番組をAR窓に映し出した。
映像には豪奢な庁舎から出てくる男性の姿があった。オールバックの髪に黒のスーツを着こなす男は、周囲を取り囲んだ報道陣の前に臆することなく進み出る。
記者達から向けられたマイクに対し男は重い口を開いた。
『三日前に起こった事件には大変遺憾の意を感じております。私の掲げた政策に反対する方もいらっしゃるでしょうが、暴力で訴えることは間違いです。私が目指す理想の社会はこれら社会的脅威を排除することにあります。よってこのような行動には毅然とした態度で臨みたいと考えております』
テロップには『行政長官 皇宗助 氏』と書かれてあり、彼が口を開いたり身振りを加えたりする度にカメラのフラッシュが焚かれた。
『一年前の抗争事件から凶悪事件が多発していますが、それについてはどうお考えですか?』
報道陣のから質問に行政長官は真っ向から答えた。
『あれは第三階級同士の衝突から引き起こされた惨事だと聞いております。調査によればBC(生物化学)兵器も使用されたらしく、その残忍さには看過できるものではありません。故に今は彼らを導くための法整備が必要なのです』
映像に視線を向けながら蓮はセツナに説明する。
「アルカディアの頂点に居る人物。アルカディア行政府行政長官……この人を抑えることが出来れば、法案の可決を防げるかもしれない」
要は法案を推進している人物を失脚させる、という魂胆だった。
『なるほどのう、親玉を潰すということか。で、この男にカチコミでも仕掛けるのか?』
「馬鹿かよお前。一人で突っ込んで勝てるわけないだろ。犯罪者になって刑務所送りになるだけだ」
『むむむ、なら一体どうするんじゃ?』
セツナは頬を膨らませて蓮へと迫る。
「考えたのは二つだ。本人が政治活動を続けられなくなるようなスキャンダルを掴む。もしくは献金や支援を行う大口のスポンサーを叩く。このどちらかだと思う」
直接的な武力では法案の撤廃は到底叶えられない。そのため蓮は行政長官の政治活動を制限しようと考えた。容易ではないが殴りかかるよりは幾分マシである。
『相変わらず汚い手段を使うのう。休日は電脳空間にずっと潜っていたみたいじゃが、何かキッカケを掴んだのか? そのスキャンダルとかいうヤツを』
「いいや、まだだ。でも最初の標的は決めたよ」
蓮はそう言ってAR窓に標的の姿を映し出した。
それは人ではなく建物のようだった。
セツナはどれどれと建物の看板を読んだ。。
『えと、アルカディア警察……って警察!? まさかお主、警察機構の電脳を狙う気なのか!?』
セツナの驚きの声に対し、蓮は口元を吊り上げた。