小さな嘘
「ねぇ、きみちゃんは誰が好き?」
女の子が集まれば大体恋愛トーク。実はちょっと苦手。でも流れに乗らないとぼっちになってしまうかもしれない。そのくらいで済めばいいけど、精神的ダメージを負わされて学校にいることができなくなるかもしれない怖さと、裏で悪口言われると面倒だな、という思いがすぐに浮かんで、私は安易に、でも嘘っぽくないことを口走っていた。
「そーだなぁ。今年赴任してきた相沢先生かな」
ほんの冗談で言ったつもりだったのに、周りの子たちはかなり本気にしたみたいだった。
「マジッ? あー、でもきみちゃんならわかる気がするかなぁ」
私たちのグループを仕切ってる留美が、ケチャップをつけたポテトを手に持ちながら相槌を打ってきた。
「だよね、だよね。きみちゃんって、結構渋い人好きになるよね」
留美に同調するように、みんなうんうん頷いている。相沢先生が渋い? そうかな? と先生の顔を思い出しながら首を私は傾げた。
「きみちゃんらしいね。相沢センセー、ぼーっとしてるとこあるし、女の子に疎そうじゃん? きみちゃん、ここはぜひセンセーのこと落としてみてよ」
たくさんの人が出入りするお店だっていうのに恥ずかしがることもなく、片膝を立てて椅子に座っている尚子が言い出した。
「え……」
余計なこと言ってしまった、と思ったときは既に遅くて、留美のときと同じように、今度は尚子の意見に同調されてしまった。女の子同士の意見の一致ほど怖いものはない。もちろん、いい面もあるけれど、大体悪い面ばかりだ。
「大丈夫だって。きみちゃんなら可愛いし、成績もいいし、ちょーっと色仕掛けしたらコロっていくって」
コロっといくとか、いかないとかの話じゃない気がする。
学校や相沢先生に迷惑というか、色々降りかかってしまいそう。それに私にだってリスクがあるんじゃない? 先生とどうこうっていうのが明るみに、特に留美たちがありもしないことを本当っぽく言い出したら私、学校に居づらくない? ……そういうのひっくるめての留美の計算だったらどうしよう。
チラリと留美の顔色を伺うと、美味しそうにポテトをほいほい口に運んでいた。私の考えすぎなのかな? 一応念のため留美にカマをかけてみようかな。
「え、でもさ、リスクが大きくない??」
「え? リスクあったほうがいいじゃん。それともきみちゃんはもっと刺激的なほうがいい?」
留美は自分の分のポテトを食べ終わったにも関わらず、隣に座る尚子のポテトに手を伸ばしてニヤニヤ笑いながら提案してきた。
「う、あ……、留美のは断るよ」
「そっかー、残念だなぁ。きみちゃんもこっちの道にきてくれれば面白いのに」
ケタケタ笑う声。
ズキン、と心が痛くなった。留美の誘う道が怖い、っていうわけじゃなくて、アンタと私は違うよね、って言われてるみたいで。
それにもし"本当の友達"だったら、留美たちがしている援交のことを止めてあげなきゃいけないんだろうなって思ってる。でも残念だけれど、そこまでの信頼関係は築けていない。あるのは互いにある不自然な形の友達、という形態。いつ壊れるのかどちらも見合っているような関係でアンバランスなもの。
いっそのこと、ここで関係性を壊してしまうのもいいかもしれない。ふっとよぎった考えを言ってみようと口を開きかけたそのとき、
「そんじゃ、ダラダラしてもあれだから、いまからバレンタインくらいまでの間にきみちゃん、ケリつけよう?」
と、先に留美に発言を許してしまった。
「え?」
いま十二月でバレンタインまで約二ヶ月? それはちょっと……。っていうか先生という選択は無しにしようとかないのかな?
「留美、それちょっとキツくない? 冬休みもあるしさー」
化粧道具を広げながら尚子が口を挟んできた。的外れなことを言うことが多い尚子だけれど、いまのはいい! 助かった、っていう思いが顔に出ていたのか、じっと留美が私を見つめていた。
一瞬息が詰まりそうになった。だって、向かい側に座る留美の唇がニィって両端がゆっくり吊り上がったから。嫌な予感がする。
「そう? 楽勝じゃない? きみちゃん私らより頭いいんだからできるっしょ」
あぁぁ、やっぱり表情を読まれていたんだ。話がきちんと終わるまで油断しちゃダメ、って思っていたのに。
留美の断定するような意見にまた、みんな同調して私の考えを聞かれるまでもなく、相沢先生を落とす期限が決まってしまった。
――――困った事態になった。
◆ ◇ ◆
「ふんふん。……それで俺の名前出したわけ?」
ラーメンの湯気で眼鏡を曇らせながら、隆一さんが汁を啜っている。
「だって、だって、しょうがないじゃん」
「いや、しょうがなくないって。クラスの男子でよかったんじゃないの? もしくは後輩とか」
「後輩知らないし、クラスの男子だったらまた話ややこしくなるし。隆一さんは今年から来てるからわからないだろうけど、留美に目をつけられた女の子、何人かいるのね。色んな手口があるんだけど、みんな留美の手にかかって不登校や転校に追い詰められてるの。学校側は知らぬ存じぬだけど」
「じゃぁ、その本人、というか元凶の滝沢さんと戦えばいいんじゃないの?」
一瞬、滝沢という名字を聞いて私は固まってしまった。久しぶりに留美の名字を聞いたから。
「はぁぁ、それが嫌だからしぶしぶ留美のグループに入って、愛想振りまいてるんだよ?」
本当は留美のグループになんて入りたくなかった。
いつから目を付けられていたかわからないけれど、高校三年生にあがったらハッキリと自分でも自覚ができた。留美たちが私に向ける視線が異様に鋭くて、ちょっと鈍いって言われている私でもわかるほどだったから。いつ仕掛けられるか緊張の日々。三年生になりたての頃を思い出してしまう。
だから、私は悩んだ。
戦うか、屈するか、って。
なぜかって、留美たちの噂や実際の行動を見てしまったこともあったし、留美たちと戦う女の子を見たことがあったから。その結果はどれも同じ。不登校にさせられるか、違う学校に転校するか、というどちらかしか道が用意されていなかった。
私も同じ道を辿るかもしれない、と不安を抱えながら、いま目の前にいる隆一さんに名前を伏せて相談してみた。いつもみたいに冗談言われて返されるかと思ったけれど、いつもより真剣な眼差しを向けられていた気がする。
もらったアドバイスは、二択だけが正解ではない、ということ。『敵の懐に入り込むのも一つの手じゃないの?』と。もう一つの可能性をもらったの。
懐に入り込むなんて! って反論したけれど、私にはその道しか残されていないように思えた。だってあと一年弱、なんとか乗り越えてしまえば済む話だったから。期限がみえることもあって、私は悶々とする自分の気持ちに踏ん切りをつけて、留美たちのグループに媚びを売って懐に潜り込むことができた。
なのに、卒業するまであと三ヶ月残しての失態。全くの誤算としか言いようがない。
今回の変なミッションのターゲット、相沢先生。それは私の目の前にいる人、 隆一さんがその本人なのだから。
時間を巻き戻せるなら、留美が問いかけたときに戻ってやり直したいっっ。
「それじゃぁ、同学年の別のクラスの誰かとか」
「あぁ、もう。そういう問題じゃないんだってばっ」
全く女の子の事情わかってないっ!!
とにかく生徒の名前を出した時点で、落としてね、っていう注文がくるプラス、色々仕掛けられる可能性がグングンあがるっていうのに。
「あ、じゃあさ、塾の先生っていうのもアリだったんじゃない?」
「……あ」
うぅ。その手があったかー、と思わず机に突っ伏してしまった。
「まっ、なに? 公香が俺に改めて好きですーっ、て告白してくれるのは全然構わないけど?」
「バ、バカッ。言わない、死んでももう言わない」
恥ずかしい。いつの話をしてるんだか!!
「えー。最近まで言ってくれてたじゃん。大きくなったら隆一さんのお嫁さんになるんだーって」
「……言ってません」
と言いながら自分の耳やら、ほっぺやら熱くなっていくのがわかった。忘れてしまいたい記憶を隆一さんは覚えていて本当腹が立ってしまう。
「そんじゃ約束は破棄にしてしまっていいでしょうか?」
「うっ」
言葉に詰まってしまう。ひどい。私の心を知りながら、とっておきの切り札をチラつかせるなんて。唇を噛みしめながら、うらめしく見やるとヘラヘラ笑っていた。ひどい……。
「隆一さん顔、ものすごく笑ってる。からかってるでしょ?」
「うん? あぁ、からかってるよ。だって面白いんだもん。俺のこと好きでたまんないのに、女の子グループに言われてこの相沢先生を落とすゲームに参加しちゃったんだから」
「バカァァァ」
隆一さんに向けて言いつつも、自分に向けての叫びだった。あぁ、本当にバカ。
隆一さんは私の遠い親戚のお兄ちゃん。小さい頃からなんでか魅かれていて、好きになるまで時間はかからなかった。
でも親戚のお兄ちゃん、というのがネックで、何回か他の男の子を好きになろうと努力したけれどできなかった。
このまま好きでいていいのかな、って燻った思いを抱えていたとき、授業で親族図と結婚できる範囲を知ったんだ。隆一さんは、叔父さんと叔母さんの子どもで四親等。一気に胸のつかえがなくなった私は嬉しくて、嬉しくて仕方がなかった。しかもタイミングよく、高校生になった私の家に隆一さんが仕事の関係で居候することになったの。堪らなくなって、自分の気持ちに嘘がつけなくなって、思い切って告白してみたんだ。
もちろん一回目は「ごめんね」って言われて、あっという間の玉砕っていうやつ。
でもことあることに、そう、カレンダーのイベントごとに色々工夫して告白したの。しつこいってくらい。実際しつこいね、って言われたんだけどね。それでもくじけずに思いを伝えたら、隆一さん、根負けしたのか一つの条件をつけてきたの。
私が無事高校卒業できて、希望の大学受かったら「付き合おう」って。
初め耳を疑ってしまったけど、隆一さんったらガラにもなく耳まで真っ赤にして言っていて、わりと本気な答えなんだなってわかったの。その反応が新鮮で、そして嬉しくって、溢れる想いを伝えたかったけれど、半径50センチ以内は近づいちゃダメだよ、ってすぐに付け加えられてしまって。
ちょっと、……ううん。かなり悲しくなったけれど、それさえ守ればきっと付き合える日がくるんだ、って思って色々我慢して今日まで来たのに。
まさかここまできて、学校で隆一さんにアタックをかけなければいけないという、変なリスクを自ら負ってしまうなんて。なんて私バカなの?
「公香、顔が百面相になってる……」
「ひゃっ」
慌てて手で顔を隠したけれど、恥ずかしい。思っていたことが顔に出ていたなんて。うぅ。しかもそれを見られていたなんて。絶対ニヤニヤしながら見てたんだ。きっと。あぁぁぁ。
「百面相の公香も可愛いけれど、結局俺は学校でどういう態度とればいいの?」
「……冷たくあしらってください」
「へ?」
隆一さんのいつも余裕ある表情がすっかり消えていた。あんぐりと口を開けて、目をパチパチさせながらこっちを見ている。
「それってなに? なにかのプレイ?」
ちょっと引いた目で見られているのが気になるけど。プレイ? どういうこと? 今度は私が口を開けて目をパチ、パチとゆっくり瞬かせながら隆一さんを見つめた。
「いや、ちょっとなにそれ、なんなのその顔。私自分で言ったことわかりません、っていう顔は」
口元を押さえて肩を震わせながら言ってくる。
なにかそんなにおかしいことを私は言ってしまったの?
「……。いや、悪かった」
こほんと咳払いしながら食べ終わったラーメンの器を流しに持っていってしまった。いまの反応がちょっとよくわからない。「冷たくあしらってください」ってそんなに変だったかな?
「まぁ、公香が望むなら学校では冷たくあしらうから、覚悟していてね」
キッチンカウンターから投げかけられたこの言葉。
私はまだこのとき自分の言った、ううん。お願いしたことがあんなに心にダメージを与えるだなんて知りもしなかった。
留美たちとの変なゲームに、足を突っ込んだ自分の馬鹿さ加減をなじってやりたい。
でもそこで得たこともあったから、私にとっては必要な経験だったかもしれないんだけどね。
それはまた別の話――――。
Twitterでアンケート取らせていただいたお題「映画館・嘘・苛立ち」の中で、『嘘』が多かったので書いてみました。
ご協力いただきました皆様、感謝です。ありがとうございました。