親交を結ぶ3
「まぁ……そうはいっても」
ぽんぽん、と抱きしめていたディーネの背中を叩いてからゆっくりと手を離した公爵は、包帯の上に手のひらをかざし、拳を握った。
「もしアレス君がディーネだけに怪我を負わせて自分だけ無傷で逃げ帰っていたら、私が直々に湖に沈めた上でリベーテ家の取り潰しをはかってディーネを連れて帰るけれどもね?」
「お父様、冗談でも怖いことを言うのはやめてください」
ディーネが少しだけ頬を膨らませて抗議し、公爵は「あははは」と声をあげて朗らかに笑ったが……。
今の、全く冗談に聞こえなかったんだが。
目が笑ってなかったし、ものすごく静かな怒気を発していたし……。
「アレス君、ロランならやりかねないから言動には気をつけなさい」
伯爵の忠告は完全に悪意の滲む笑みに彩られ、背筋が冷える。
……そういえば公爵、さっきものすごくさらりとディーネがここにいることを望むのが残念だとか、ここにいることが端から見ると不幸に見えるっぽいことを言ったように聞こえたんだが――……。
身震いが出そうになるのを堪えていると、笑いを収めた公爵は改めてリズベットを見た。
「けれどこれから先、君のような子がディーネの友人になってくれると安心だね」
(………なんだと?)
公爵の提案に、思わずぴくっと眉間がひきつった。
けれど口を出すより早く。
「ええ、ディーネちゃんのことなら任せてください、おじさま!」
リズベットは清々しいほど胸を張って答え、
「……友人……っ」
ディーネは両手を組み合わせて流れ星でも見上げるみたいにキラキラした目でリズベットを見上げた。
「……本当に……いいんですか……? 私、友人ってはじめてなんです……っ!」
神に祈るようなディーネに、リズベットは満面の笑みで大きく頷き、その手を取る。
「もちろんよ。お茶会はもちろんお買い物にピクニックに……いっぱい遊びましょうね」
「はい……! お願いします、リズベット様!!」
「あらあら、水くさいからリズって呼んで?」
「えと……では、リズ様?」
「呼び捨てでいいわよ」
「ディーネは使用人でも呼び捨てにしないんだ、リ……」
口を挟もうとした瞬間、ディーネとリズベットと伯爵と、さらには公爵の鋭く冷たい視線が一度に刺さり、雷のような緊張が走った気がした。
「……ズベット殿」
慇懃に呼びかけると、あからさまに凍り付いていた空気が緩んだ。
(今一瞬、公爵にも睨まれたような気がしたのは……気のせいか……?)
異様に心臓がバクバクと暴れ回るのを、胸を押さえて落ち着かせようと努める。
「あの……すみません。では、リズさんと呼んでもよろしいですか?」
「あなたが呼びやすいならなんでもいいわよ」
リズベットが満足げに笑うと、ディーネも花が綻びそうなかわいらしい笑みを満面に浮かべた。
「それよりね、本当にいいの? あれよりいい男なんか世の中に腐るほどいるわよ?」
リズベットは再びディーネをなでなでしながら、憐れみを込めた目で見つめる。
「あの人、ディーネちゃんを傷つけても気づきもしなさそうで心配なんだけど」
向こうはこれほど遠慮なしに好き勝手に言ってくれるのに何も言い返せないとは、階級の違いが呪わしい。
「そんなことないです。アレス様はとっても気遣ってくださる優しい方ですよ」
ディーネは真剣なまなざしでリズベットを見上げて、力説する。
「本当に?」
「はい。この来訪も、私はもう少しゆっくりきていただこうと提案したのですけれど、私が早くお父様に会いたいだろうからとご尽力いただきましたし」
疑いのまなざしを私に注ぎつつ念を押すリズベットに、ディーネはえへへっと照れたように笑う。その全力の惚気は、聞いているほうが恥ずかしい。
「へぇ……あのアレス様がね……」
口元を扇子で覆っているが、あれは絶対に嗤っているに違いない。
「まぁ、あなたがそういうんなら仕方ないわ。でも愛想が尽きたり困ったらいつでも私でもイグニス様でも頼ってね?」
再度堪忍袋の緒が切れる直前で、ようやくリズベットはディーネの誘拐を諦めた。
「知ってる? 最近電話っていうとっても遠くの人と話ができる魔法みたいな技術が発明されて、うちにも引いてみたの。本当はイグニス様がお仕事に使うんだけど。よかったらここにも引いて、なにかあったらすぐにかけてくれてもいいのよ? ねぇイグニス様」
「はい。頼りにしてま、す……っ?」
キャイキャイと騒ぐリズベットに乗せられて頬を紅潮させてディーネが応えていると、不意に。ぷちっ、と何か頭の中で糸が切れるような音がして、強引にディーネの腕を引いた。
「いつまでも立ち話もなんですので、中にどうぞ。お茶の用意くらいはもうできている頃です」
今すぐディーネを連れて逃げてしまいたい衝動を堪え、大股で応接間に向かって足を向けるに留める。
「………? アレス様??」
ディーネは足がもつれ転びそうになりながら困惑気味に顔色を伺ってくる。背中から誰のとも知れない溜息が聞こえた気がして、じりじりと追いつめられているような気分に急かされ、歩調を緩めることができない。
(あぁ、なんっか胃がムカムカする)
そういう不快感も全部まとめてなんとか飲み込んで、ひとまず応接間に公爵らを通すことに専念した。