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溺れるほどの愛を2



「わふっ♪」


 居心地の悪い沈黙が流れようとした次の瞬間、唐突に足下でアベルが穏やかに鳴いてみんなの気を引いてくれた。


「お。姫の騎士殿も壮健でなによりだ」

「お前が立派に務めに励んでくれるから私は安心だよ」


 ふたりが揃ってアベルの首の下やら頭をもふもふとなで回している間に、ディーネの肘を引っ張って耳打ちする。


「ディーネ……ランドハイア伯はどういう知り合いだ?」

「え? お父様の従兄弟いとこですよ。結婚式にもご参列いただいたじゃありませんか」


 ディーネは密やかに返事をしてくれる。


「あぁ。近隣領主の付き合いで父が呼んだんじゃなかったのか……」


 なんだ親戚か。

 心のどこかでほっと息をつくと、ディーネは逆にひそやかに眉を寄せた。


「披露宴の際に、遠縁筋になるのだから今後は一層親しくしようとご挨拶していらっしゃったじゃありませんか」

「……そうだったか? 覚えてないな」


 ひた、と。

 唐突にディーネの冷たい視線が刺さった。

 普段が柔和で従順なだけに、こういう時はひやりとする。


「………アレス様、聞き流していらしたんですね?」

「……いや……あの時は少し考え事を……」


 そういう無精がご自分の首を絞めることになるんですよ?とディーネの顔に書いてあって、ついつい言い訳が口をつきそうになる。だが結婚式の間中、ディーネと妖精の関係が気になってほかのことはおざなりであったのは確かだ。


「………………」


 しかし言い訳すればするほどディーネの眉根の皺が深くなっていきそうな気がして、その次の言葉が出てこない。


「……以後、気をつける」


 諦めて反省の言葉を絞り出した途端にディーネにふんわりした笑顔が戻ってきて、ほっと胸を撫で下ろす。


「でもイグニス様は――」


 小言こごとを飲み込んだせいなのかディーネの笑みに苦さが混じり、視線は公爵と伯爵を見つめた。


「いつもはハグとか、なさらないんですよ。今日はお父様のいつになく高いテンションにでもつられたんでしょうか……?」


 首を傾げたディーネにつられて私も視線をランドハイア伯に戻した時、彼はにっこりと口元だけの笑みを浮かべて手を差し出した。


「まぁ、話を聞く限りアレス君も大変だったようだから、別に疎遠だったことは気にしていないよ」


(……なるほど……)


 どことなく悪意の滲む笑みに、ようやく察する。

 つまるところ、さっきの抱擁ハグは今までの非礼の数々に対する嫌がらせ及び警告といったところだろうか。

 身から出た錆とはいえディーネをだしに使うことはないだろうと心の内で呟きながらも、差し出された手を突っぱねることはできなくて不承不承握手を交わす。と、私の顔色を楽しげに伺ったランドハイア伯はしたり顔で肩を組んできた。


「君、ようやく人の顔色を伺ったり人の話に耳を傾けたりすることを覚えたようだね? 健気でいじらしい姫のおかげかな?」


 爽やかな笑みで暴言を吐いた伯爵は、声をひそめた。


「今までのことは水に流してあげるよ。しかし私の妻をもう一度でも親しげにリズなんて呼んだら、ロランに報告するからね。彼はああ見えて激情家だから気をつけたまえよ」


(……誰だ、ランドハイア伯は心が広いとか言ったのは。狡猾で外面がいいだけじゃないか)


 文句のひとつくらい言いたくて記憶を辿り、そう言ったのはディーネだったと思い出して、げんなりしてしまう。


「覚えておくといい。思い通りにならないからといって避けられない付き合いもある。そういう時に表面上笑って付き合い心の中で舌打ちするような狡猾さは大人の嗜みなんだよ」


 心の声が聞こえたのか、伯爵は笑いながら豪快に私の背中をばしんっ!と叩いた。

 玄関にたたきつけられるんじゃないかという力加減はうっかり涙目になるくらい本気で背中がひりつく。が、ここで弱音を吐くわけにはいかずに、足を踏みしめて耐える。


「まぁ、姫のことはロランからしつっこく頼まれていることだしね。これから家族ぐるみで親睦を図っていこうじゃないか」


 伯爵はにやにやとそれを眺めながらひらりと手を振って公爵のほうへと踵を返す。


(……ん? 家族ぐるみ? 家族ぐるみっていったら――)


「ところで、お父様はお仕事でこちらにいらしていたんですか?」


 私の困惑を余所に、ディーネは公爵に問いかける。


「あぁ、おまえの怪我の一報を受けてすぐ粗方片づけて、あとはすぐに会いに来られるようイグニスのところに仕事を持ち込んで待っていたんだよ」


 公爵はこの礼を失する急な来訪をいっそ清々しいほど自慢げに語った。


「お父様、ご心配は嬉しいのですが、到着が早すぎておもてなしの用意がまだできていなくて……」

「お前がいて笑っていてくれればそれ以上のもてなしなどないよ」


 堪えきれないとばかりに再度ディーネをぎゅむぅっと抱きしめる公爵の溺愛ぶりに一歩後ずさりたい気持ちと、受け止めきれないほど溢れる愛情に少し困り顔のディーネを助けるべきかという思考の葛藤に、とっさに身動きが取れない。

 溺愛されていたとは聞いていたが、この完全にディーネしか見ていない盲目的な溺愛ぶりは少しばかり常軌を逸している。しかしまぁ、ディーネも困ってはいるが嫌がっているわけではないし、おそらくは百年に及ぶ呪いが解けた喜びとか、心配していた反動とか、久しぶりの再会の歓喜が重なってのこのテンションだろうから、水を差すのも悪いだろうかと結論をつけ、しばし見守りつつ待つ――。


 が。


 しかし、いつまでたっても公爵は手を離す気配がなく。

 呪いが解けたから嫁にやる理由はなくなったとか言い出してディーネを連れて帰るつもりじゃないだろうかとだんだん心配になってくる。


「……グラ公爵もランドハイア伯爵も、お茶を用意しますので屋敷へどうぞ」

「あ、そうですね。お父様、お茶でも飲みながらゆっくりお話を聞いてくださいね!」


 そんな焦燥から声をかけると、ようやくディーネは公爵の腕から脱出して私の隣に戻ってくる。公爵の手を離れたディーネは私の手をきゅっと握って、子猫のような愛らしいほほえみを向けた。

 形のいい柳眉をわずかに下げる公爵を視界の隅に見つつその手を握り返すと、ディーネはくすぐったそうに笑みを浮かべ、公爵は眉に続いてひっそりと肩を落としたような気がした。




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