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溺れるほどの愛を1


「ディーネ!!」

「お父さ――まっ!?」


 予告よりさらに早く、昼前にはランドハイア伯爵家の家紋を掲げた馬車は到着した。

 グラ公爵ロランは、私になど一瞥もくれず開口一番に愛娘を呼ばわりながら転がり落ちそうなほどの勢いで馬車を駆け下りたかと思うと、玄関先で出迎えたディーネを抱きあげて、勢いよくくるりとターンを決める。


「ひゃぁっ!?」


 勢いのよいターンにふわっと体が浮いたディーネがしがみつくと満足そうな笑みを浮かべて、力強く抱きしめる。それは幼少のディーネをあやす時からきっとそうやっていたんだろうな――と思わせるほど慣れた動きだった。


「お……お父様、もう子供じゃないんですから……」


 抱えられたディーネが頬を染めて小声でお願いすると、公爵は「あぁ、すまなかったね」と言ってふわりと風を下ろすような優雅な動きでディーネを下ろした。

 それから改めてディーネをじっと見つめて気遣わしげに頬に手を添える。


「迎えになど出なくてもよかったんだよ。もう大丈夫なのかい?」


 小柄とはいえ18歳の娘を軽々と肩に担ぐ様はなかなかに力強かったが、ふんわりと猫のように軽い毛質の金髪を揺らして目尻の下がった目元を緩ませるグラ公爵家当主ロランは、ディーネによく似た柔和で優しげな空気を纏った人物だ。


「はい。まだ片目の感覚に慣れなくて時々転びそうにはなりますが、アレス様やアベルが手を引いてくれたり守ってくれるので不便はしていません」


 公爵が両手を広げると、ディーネは口元を戦慄かせてその胸に飛び込み、父親の背中に両腕を伸ばしてぎゅうっと抱き返した。


 その姿を見ていると、ふっと胸に熱いものがこみ上げてくる。

 ディーネは父親のことが本当に大好きで……そんな大好きな父親と今生の別れすら覚悟してここに留まることを選んでくれたのだと、改めて思い知らされた。

 帰さないと言ったのは、グラ家での生活が幸せだったとは到底思えなかっただけで、父か夫かどちらか一方を選ばせるなんて、そんな酷なことをさせるつもりではなかったのに。

 もっと早く父親に会えるように配慮してやればよかった。一言父に会いたいと言ってくれれば段取りをしたのに――と、そこまで考えが及ぶと、軽くかぶりを振る。


 ディーネには、そういうものぐさな考え方でいてはいけない。

 今朝の手紙の一件にしても、端から見ていて一刻も早く父に会いたがっているのがわかるのに、自覚がなかったくらいなのだから。

 ディーネがなにを望むのか、喜んでくれるのか、そういうことはこちらが考えてやらなくては。

 これまでとても億劫だったそれらのことを、自主的にやろうと思うからディーネは不思議だ。的を得た時にディーネがくすぐったそうに笑ってくれたらそれだけで、それまでの気苦労なんかどうでもいいものに思えてくる――。


「……そうか……」


 肩口に顔を埋めていたグラ公爵が顔を上げ、ディーネの顔の左半分に巻かれた包帯に怖々と手を伸ばした。


「……すまなかったね、ディーネ。あの時、私がマリーの姿に惑わされずに魔女を斬っておけば、お前にこんな苦労も、怪我もさせずに済んだものを……」


 公爵の声は、わずかに震えていた。


「私が……お前の代わりに傷を負えばどんなによかったか――」

「お父様までアレス様と同じことを言って私を困らせないでください」


 腕を緩めたディーネが困り顔で笑うと、ようやく愛娘を手放したグラ公爵は私を見た。


「……アレス君。君には感謝しているよ。ディーネを魔女の呪いから解放してくれたこと、言葉にし尽くせないほど、感謝している――」


 差し出された手を握ると両手でがっちりと包み込まれ、どうしたらいいのか困惑してしまう。


「いえ、ディーネが奮闘した結果であって、私はほとんどなにもできずに……」

「謙遜することはない。君はグラ家の歴史に残る英雄だよ!」


 火傷が残る右手を握るグラ公爵の揺るがない力強さに、くらりと目眩がしそうになった。


 先日ディーネが父に宛てて書き綴った手紙。

 やたらと長いのでなにを書いたのかと送る前に見せてもらったところ、人として生きろと激励したことをはじめとして、妖精からディーネを守るために奮闘及び負傷し、帰ろうとしたディーネに見た目など云々――という、私の言動が相当美化及び脚色された(ディーネに脚色している自覚がないのが逆に非常に困っている)英雄譚が書き綴られていた。

 あまりの気恥ずかしさに書き直せと破り捨てようとしたが断固抵抗され、最終的にはそのまま送られてしまったあの手紙――あれを、公爵は鵜呑みにしているに違いない。


「いえ、誤解です。私はそんな立派な人物では決してなく……」


 感涙にむせぶ公爵は一歩間違うとディーネと同じように熱い抱擁ハグをしてきそうな勢いで、いくら義父でもさすがにあの抱擁はちょっと勘弁していただきたくて一歩身を引く。


「アレス様の功績はのちほどゆっくりお話しますね、お父様」


 ディーネはがっちり私の手を掴んで放さない公爵の手を取ってやんわりと助け船を出してくれたのだが、誤解が深まっただけのような気がするのは、多分気のせいではない……。


「やぁロランの愛しの姫君、ずいぶん久しぶりだね」


 困惑しきりのそこへ、軽快な足取りでランドハイア伯爵イグニスが馬車を降りてきた。


「お茶会の時にも挨拶をしたかったのだけれども、それどころではなかったから結婚式以来かな?」


 頑健な騎士の風情漂うランドハイア伯爵はもう40になるというのに少年のような軽快さで、いきなり両腕を広げてディーネにぎゅむっと抱擁ハグした。

 頭の中でカチンと火打ち石が打ち合うような音がした気がして、胸の中に黒煙が立ちこめる。


「イグニス様、お久しぶりです。近くに嫁いできたのにご無沙汰して申し訳ありません」

「いやいや、君に無理をさせるとロランに殺されるからね」


 困惑気味に応じたディーネを解放し快活に笑ったイグニスは、ようやく私にも会釈した。


「アレス君もお茶会の時以来かな。君は相変わらず姿を見ないね」

「……ご無沙汰しております」


 言葉の裏に棘を感じ、居心地悪く答える。

 そういえば――と、その時になってはじめて思い出した。

 伯爵夫人リズベットとディーネが茶会でいざこざを起こした後、イグニス殿が謝罪したにも拘わらず、私は未だそれに関してなにも答えていなかったことを。

 しかし今それを蒸し返して返答するのも違うような気がして、すぐには言葉を継ぐことができない。


(……そういえば)


 うっかり“リズ”と呼び続けていたり、グラ家の呪いの噂を聞いたときは挨拶もせずに責め立てたりと伯爵夫人に対する無礼の数々が脳裏に浮かび、なおさら継ぐべき言葉が見つからなくなっていく。



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