形勢逆転1
リズお姉様主催の仮面舞踏会は本当に3ヶ月後に、レテ湖畔の別荘で開かれた。
私を気遣って選りすぐられたと思われる10組の夫婦や婚約者達が招かれた舞踏会は最初から最後までとてもあたたかい穏やかな雰囲気に包まれていた。
「いい舞踏会だったわね」
最後の一組があてがわれた部屋に引いていくと、リズお姉様は満足そうに笑った。
「はい、いろいろとありがとうございました」
深々と頭を下げると、リズお姉様は結い上げた髪が乱れないようにそっと頭を撫でてくれた。
「かわいがられるのはディーネちゃんがいい子だからよ」
最初は仮装に乗じて隠していた醜い火傷の跡だけれど、今は恥じることなく堂々と晒すことができる。それはなにより、リズお姉様がいい人ばかりを選んで招待してくれたのと、最初に冗談混じりに「私の妹なの」と紹介してくれたことによる効果が大きい。誰もが仮面をはずして火傷を見た端は少し怖じる気配はあってもなにも言わなかったし、最後には気にせずに接してくれるようになった。
リズお姉様の都合がつかないほどたくさん、お茶会などの誘いも受けた。
「お世話になりました」
一拍遅れて、アレス様が私の前に出てリズお姉様に頭を下げた。
リズお姉様は少し目を丸めてから、次いで細めた。
「いや、こちらこそ。会場の提供、礼を言うよ。用意もご苦労だったね」
リズお姉様の肩を抱くイグニス様も満足そうにアレス様を労ってくれた。
「それでは、おやすみなさい」
「ええ、あなたたちもゆっくりと休みなさいね」
今日は残念なことにお子様達は留守番をさせたらしく、完全に恋人気分のランドハイア夫妻があてがわれた別荘の一室に去っていくと、会場に残ったのはアレス様と私のふたりだけになる。
「……………疲れた………」
客人の姿が完全に消えると同時にぐったりと手近な椅子に腰を下ろしたアレス様は、本当に披露困憊といった様子だった。
「お疲れさまでした」
溢れてくる笑いを押し殺しながらそっとその隣に腰を下ろす。
私がリズお姉様の友人達を紹介されている間、アレス様はずっとイグニス様に引っ張り回されていた。
慣れない人付き合いを、私のためだと思って随分頑張ってくれたのだろう。
そう思うと、くすぐったかった。
「……ちゃんと、友人はできたのか?」
そっと肩に腕を回され、素直に胸の中に頬をつける。
「はい。友人というにはまだ早いかもしれませんけど、仲良くしてもらえそうです」
「そうか。なんだか珍しい小動物に婦人達が群がっているように見えたから、友人なのか愛玩動物なのかと心配した」
「あら、見てたんですか?」
冗談混じりだったが、確かにいろんな人になでられたりハグされたりしていたので少し驚いて見上げる。
「こっちはむさくるしい男とばかり挨拶でつまらなかったからな……」
「挨拶するのが綺麗なご婦人だったら、振り返らなかったんですか?」
むぅと思わずこどもみたいにむくれてしまったら、膨らませた頬をつつかれた。
「ディーネは一回も私のほうを見なかったな」
「え?」
ちょっと不機嫌そうに言い当てられた。
一回も見なかったと断言できるほど、ずっと見ていたのだろうか。
きょとんとしてしまうとアレス様がしまったという顔をそらしたから、そうなのだろう。
「………アレス様、ちゃんと今日会った人の顔と名前を覚えていらっしゃいますか………?」
「……そっちに話をもってくのか……!」
アレス様はがっくりと肩を落としたけれど、まぁいいと捨て鉢に呟いた。そして、不機嫌そうに「ちゃんと覚えた」と言い放った後は、眉を寄せたまま沈黙してしまった。
……沈黙。
長い沈黙と、ご機嫌斜めのご様子。
どうしたらご機嫌直してもらえるかしらと思ったとき、ふとリズお姉様に今夜教えてもらったことが閃いた。
「アレス様、あの……手を、少しお借りしてもいいですか?」
どきどきしながら声をかけると、アレス様は不機嫌に怪訝を上乗せして見つめてきた。
「東洋の医学でツボっていうものがあるんですって。疲れが取れるツボを押してさしあげます」
アレス様は「ふーん」と全く興味のない相槌を打ったけれど、じぃっと見つめてお願いし続けると、目元が緩んだ。
両手を差し出すと、嫌々ながらも白い手袋を外して左手を乗せてくれる。
骨張ったごつごつの手を改めて見つめると、それだけでちょっと胸がきゅんとしてしまうのだけれど、今はそのときめきを胸の奥にしまっておく。
手のひらに走る皺に、つつっと指を走らせた。
ぴくりとアレス様の指がふるえたので顔を上げてみたけれど、何食わぬ顔をしている。
「えぇと……確か、このへん……」
いいながら、手のひらの上にあちこちに指を滑らせていると、
「もういいだろう?」
「あ、だめです。まだ………」
不機嫌そうに手を引っ込めようとするので、ぎゅっと掴み止め、
「検証の途中ですから!」
逃がす前に思い切って5本指全部でてのひらをこしょこしょっとくすぐった。
「……………っ!!!」
ぞわぞわぁっと全身の毛が逆立たせたアレス様が、弾かれたように右手で左手を押さえてソファの端っこまで身を引いた。
「急に、なんだ……!?」
珍しく狼狽えまくるアレス様。
思わず私は両手を胸の前で組み合わせ、星空を見上げるみたいにきらっきらした目で見つめていた。
「………うわぁっ、想像以上の反応です………っ!」
それはもはや感動といっていいほど、心が震えていた。
「リズお姉様が、アレス様が人と握手するのも嫌がるのは実はくすぐったがりだからだって。アレス様の仏頂面を見飽きたらくすぐってみなさいって教えてもらったんです!」
「……あの悪魔、ディーネに変なこと仕込みやがって……!」
自慢げに胸を張って説明すると、アレス様は頭でも痛むのか抱えこんで呻いた。