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ことの起こりは……遡ればきっと今日の朝までにだって遡れるだろうけど、決定的なのはほんの少し前の出来事だ。
夕立に見舞われた私は、とりあえず雨宿りできそうな場所を探して森の中を駆けていた。
鞄の蓋などの荷物にはしっかり油を塗っていたにもかかわらず、外套などの着るものにそういった処理をすることを完全に失念していたため、とにかく全身濡れて寒いわ水を吸った服が重たいわ、挙句足元が滑るわで、散々な気分になりながら必死に走っていた。この辺りの森はそこそこ木々が密集しているのだけど、あまり葉が大きい木が多くなくて激しい雨の時は洞窟か、巨木の洞でも探さないと雨宿りはできないのだ。
思えばこの時、焦らず外套に油を塗って天幕代わりにでもしてじっとしていれば、こんな厄介ごとには巻き込まれなかったかもしれないが、とにかくその時は必死に走っていて……とうとううっかり街道に飛び出してしまった。
運がなかったのが誰なのかはわからないけど、私が飛び出した街道にはちょうど馬車が走っていた。この土砂降りの中を? とは思わないでは無いけど、どうやら御者が旅に関して素人だったらしい。ギリギリ馬に蹴飛ばされる事態にはならなかったものの、私に驚いた馬が飛び跳ねて……まぁそう言うわけで。馬車の方はすぐに何とかなったのだけど、どうも雨から逃げようとして馬に無理をさせていたらしく彼らは完全に足を止めてしまい立ち往生。そこでしばらく雨宿りすることになった。
馬車の客……と言うか主人と言うか、彼らは『ホーマンディー』さん一家。
旦那さんと奥さんと長男長女次女の五人家族、ついでに犬が二匹。なんでも引っ越しの為に馬車で移動している最中で、御者を勤めていたのが長男なのだそうだ。幸い謝ったら許してくれるくらい気のいい人たちだった……事故の時たまたま吹っ飛んできた次女(1歳)を見事受け止めたのが良かったのかもしれないけど、この際その話はおいておこう。
ホーマンディーさんが言うには遠くに晴れ空は見えていたそうなので、この雨も間もなく止むだろうとみんなで角灯を囲んで暖をとっていたのだけど、突然次女がぐずりだした。お腹が減ったらしい。
普通ならホーマンディーさんの奥さんがお乳をあげればそれで良いのだろうけど、実はお乳の出が悪いそうで。その辺が引っ越しの理由に絡んでるとかなんとか言っていたけど、とにかくここで出てきたのはなんと蜂蜜だった。蜂の巣の欠片とかでなく、壷詰めの蜜。初めて見る物にとても驚いて感心したりしたのだけど……どうもこれが不味か……いや、問題だったらしい。
すぐに次女が粗相するだろうと脅かされ、私はここで一度馬車を離れた。まだ雨は降っていたし服も乾いていなかったのだけど、実は私も少しその、済ませたくなって。
ほんの少し馬車を離れていただけだったのに、後ろから悲鳴が聞こえて。馬車の破片を引っ掛けた馬が一頭私を追い抜いて行った。胸騒ぎどころじゃない。私自身もよくわからない悲鳴を上げながら走って馬車に戻ったのだが……もうどうしようもなく手遅れだった。
(角灯を幌に叩き付けて、唯一動いた長女だけ連れて森に飛び込んだのは良かったけど……)
熊は迷い無く私たちを追ってきた。よく見ると彼女の足と肩に歯形があるから、私は熊の獲物を横取りしたことになるんだろう。
この子を見捨てられない以上実質逃げるのは不可能として、その上で一周考えを巡らせた結果から言えばこの熊を殺せないことにはこの場は切り抜けようが無い。もちろん偶然来た誰かに助けてもらえると言う可能性もなきにしもあらずだが、この天候では厳しい。偶然じゃなくて、例えばこの子がのっていた馬車に護衛が居て……などと言う可能性も無いことは無いけど、それらしい物は見ていないので期待するだけ無駄だろう。
改めて言う。熊を殺す意外道はない。ならばいかに殺すかが問題だ。
(殺せれば良いな、じゃ無くて殺さなきゃいけない、か……多少考え方も変わってくるのよね)
結局熊を殺すとなれば……それも現状のまま殺すとなれば、毒を調達する時間もない。動物の弱点は『頭の中身』か『心臓』が基本で、次が『喉』だ。それぞれ『頭蓋骨』『脂肪と筋肉』をいかに突破するかが問題だろう。
(ナタ……じゃ無理だろうな。私の腕力じゃ骨を砕けない)
まず第一候補の『頭』だけど、『頭蓋骨』を突破するには手持ちの道具では足りないだろうと思う。私の腕力では鶴嘴でも無い限りどうしようもないだろう。なら『心臓』を守る『脂肪と筋肉』はどうかと言えば……これもさっぱり貫ける気がしない。だいたい、外から見てどの辺にあるのかの検討がつかない。
いや、もちろん熊を解体するところは見たことあるし、知識としてどの辺にあるかは知ってる。その上で現実とうまく繋げられる気がしない、と言う話だ。
「だとすると、今手元に無い物に期待するしかないわね……」
例えば、馬車の荷物とか。