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 うっかり脂を塗り忘れたマントに雨粒が染み込んで、徐々に体温を奪って行く。寒い。だけど動けない。


「フーッ……フーッ……フーッ……!」

「うぶぅ、うぅ、うー……うぐっ」


 熊、と言う生き物がいる。

 一説によると人間種の上位に位置すると言われる、毛むくじゃらの身体と長く鋭いかぎ爪を持つ獣。人のように二本の足で立って歩くことも出来るし、器用に手を使って穴を掘ったり木の枝を編んだりもする。噂によると剣を使ったとか魔法を使ったとかなんとか……さすがにそれは信じていないし、私はあくまで獣だと思っているけれど。とりあえず予備知識として一番大事なのは、それらが単体の獣として最強であるということだろう。

 最強。

 もちろん『魔獣』でも『幻獣』でもないただの『獣』である以上、いくら最強と言っても独りの人間が殺せる程度の生き物だ。むしろ猟師、狩人などを生業にする者はそれを独りで殺して初めて一人前と言われる。もし見せ物として闘技場で戦うなら、標準的な武器を持って鎧を着た兵隊さんが3人もいれば問題なく勝てるだろう。もしかしたら2人で足りるかもしれない。

 実際に熊が村に迷い込んだときは猟師さんが罠にかけてしとめていた。解体されたばかりの子羊の匂いにつられた熊が薫製小屋の屋根を迷い込み、煙に巻かれて怒り狂ったところで開いた口から口蓋を撃ち抜く一撃! あれは素晴らしい技だった。

 もちろん毒を使えれば、弓を扱う人間は手軽に熊を狩ることは出来るだろう。入念に罠をしかければ5回に1回くらい私でもあれと同じことが出来ると思う……一人で挑戦すれば失敗した4回の間に死んでしまうだろうことを考えなければ。だけど猟師さんが通過儀礼として突破した試練は、たった一本の矢と一張りの弓を供に森に入り熊を仕留めるというモノだったらしい。そこまで出来るとはまだ思えない。

 さて、なぜ今突然こんなことを考えているのかと言えば……言わなくとも察しがつくだろうが。


 Goff……Goff……Goff……VoA? VoooooooooaA!!


「ひっ……!」

「……っぐ……!」


 今まさに、目の前に怒り狂った熊がいる。

 生まれ故郷の村を出てはや一週間、たった一週間。この時期でのこの危機を早いと見るか遅いと見るかはなかなか難しいけど、遅くて早すぎると言うのが個人的な感想だ。もっと私が強く、準備ができている時期に来てくれたら……それこそ毒なんかがあるなら早すぎる、なんてことはなかったし、まだ矢の数があって村の近くにいた頃なら……逃げることも戦うことも選べるときなら遅いとは思わなかった。

 ……実を言えば今、矢が3本しかない。

 たった3本の矢などまとめて容易くへし折られてしまうだろう。よけいな場所にあたらなければ一本くらい目とか口の中に当てられるかもしれないけど、それで殺せるとも思えない。

 殺せないなら逃げるしかない。でも逃げるなら、どこまで逃げれば良い? どこまで逃げられる? この雨がやむまでに稼げる距離が、鼻による追跡を回避出来るものだ。雨がやめばすぐに臭いで居場所を突き止められてしまう。それで安全な、熊が来ても殺せるような人間がいる場所まで逃げられる? そんな訳がない。

 今のままでは殺すことも逃げることも出来ないなら、何らかの手段でどちらかが出来るようにしなければ生き残れない。どうすれば良いだろうか。例えば矢を全部使ってでも追跡手段……目と鼻を潰すと言う手段がある。けれど3本全部が両目と鼻を貫いたとしても、闇雲に暴れる熊から逃げられるだろうか。というかそもそもそんな器用に当てられる気は全くしないし。じゃあ手足を地面に縫い止めるか、もしくはどれか一本でも潰すことが出来るか? 無理。繰り返すがあっさりへし折られるに違いない。目鼻を潰す方が現実的に思えるくらい無理。もしかして弓矢でなんとかしようと言うのが間違いなのだろうか。一応ナタとか革紐なんかはあるし、灯油もたっぷりある。黄リンもあるから火口ほくちは問題ない。

 ……だめだ、どうにかなる気がしない。一番なんとかなりそうな場合としては、私の身体が通っても熊の肩が通らないような洞窟かなにかを見つけて、頭から突っ込んできたところをナタか矢で Blamズドン! ……わー、現実味のない話。少なくとも木の洞にせよ洞窟にせよ近場にそれらしきものは見当たらない。あまり期待しない方が良いだろう。

 ……いや、本当はわかってる。生き延びる方法は。


「ふぶ……ふぶぶ……ぶぶ……うぶ……」

「……(お願い、我慢して)」


 この子を見捨てれば良い。この腕の中の女の子を。

 熊に襲撃された馬車から、私が拾い上げた……熊から奪いとってしまった獲物。

 両親を失った悲しみと、熊への恐怖に震える少女を見捨てれば……


 ……いや、無理。

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