17-4
「ヒナちゃん」
「お?」
車が去った後、田んぼ際で伏せていたヒナに緑の布が被せられた。
「スベって落ちたら絶対ウケるよ」
「ふざけんな」
横に少しずれればヒナの体は泥水の中へ、そんな位置である。少女1人の幅でいっぱいいっぱいなその場所に上からメルが覆い被さってきて、417の横に二脚を立てて置かれるMG36。
「つか重いし、別のとこ行きなさいて」
「だってマントが1枚しかない」
なんてやってる間にどんどん近付いてくる中国兵、200mを下回ったあたりでいい加減喋るのをやめる。最も近いタイミングで100mを切ったものの、2人に気付く者はなく全員が森へ入っていった。
たぶん、詳細を聞かされていないのだろう、こちらの詳しい事情を聞かされていればこんな布切れ1枚すら不審に思った筈だ。あれは慌て気味の命令を受けて訳もわからずやってきた現地の駐屯兵、本命はきっと次に来る部隊だ。
「時間は?」
「あと6分」
生い茂った森の中で6分以内に見つかる輩はスリーシックスにはいない、国境方向から注意を外し、敵の増援が来るだろう方向の監視に移る。
「……このへんに住んでる奴らって貧乏人?」
そうしたらどうしても目に入るのは田畑の先、住宅地だ。北京や上海のめざましい発展が取り沙汰されるのを尻目に置いてきぼりを食らったような町だ、もっとずっと内陸の砂漠沿いで見てきた光景と比べれば遥かに文明的な家が建ってはいるが、少なくともこの距離からでは人の動きは確認できない、車がちらほらと通るのみ。
「海に近いってだけで裕福だよ、貧乏人なんか住んでない。……あくまで中国での基準だけどね、アメリカから見ればぜんぜん貧乏なのかもしれないけど」
いつもの口調でメルは話す、しかしやや寂しそうなトーンだった。それはどういう意味があったのか、彼女の出生地を知らないヒナには理解できず。ネアか正宗なら知っているだろうか、いやどうせ教えてくれないだろう。
「質問返していいかな」
「何?」
「会いに行かなくていいの? もう居場所わかってるんでしょ?」
「…………」
どこから聞きつけたのか、漏らしそうなのは1人しかいないが。いや、もしくは盗聴でもしていたのかもしれない、コイツならやる。
「ていうか私に教えてない事いっぱいあるでしょアンタ」
「はて。仮にそうだとしてもまったくの徒労だよ、求めるべき解が見えもしないうちにキミは答えにたどり着いた」
位置的に顔は見えない、だがニヤニヤと笑っているのはわかった。
「準備ができてない」
「いいやそれは違うね、名前を聞いただけであんななるのに、そんな冷静な理由で躊躇うなんておかしいよ」
口調からして見透かしていやがる。
「……まぁ、少しはね、怖い」
「うん、そう。時間をかけすぎた復讐者が必ず陥るジレンマだ。あまりにソレが日常化しすぎて、いざゴールが見えた時、終わりの先に恐怖してしまう。復讐だけにすべてを捧げてしまったならいざ知らず、ヒナちゃんはまだ復讐自体を放棄できる位置にある」
短くぽつりと言うとなんか頭を撫でてくる、トリガーから手を離して払いのけると、僅かな笑い声を残し、マントと共にメルは上から退いた。
「どうするにしろ、居場所がなくなる事はないからさ、安心してよ」
「そんなことは別に気にして……」
「…ちょっと待って、人の動きが急に激しくなった」
会話を中断させる一言にヒナは慌てて左眼を起動、町の方向を望遠する。さっきまで人っ子ひとり見つからなかったそこでは少しばかり喧騒が起きており、なんだなんだと見つめていると、不意に銃声が鳴った。
パン!という乾いた、なおかつ小さな銃声である、騒音のほぼ無いこの場所、この距離でこれだけ聞き取りにくいなら低威力の拳銃弾だろう。直後に町の混乱は加速、複数の住人が逃げ出していく。
「隊長、前方のちっさい町で誰か発砲した」
「聞こえなかった今の?」
『え? なに? 聞こえない』
森の中、逃げ回りながらでは厳しいか。
「時間は?」
「あと2分くらいかな、そっちの調子は?」
『時間になり次第、チームナインと協働して奇襲をかけるわ』
「じゃあちょっと様子見てくる、明らかに普通じゃないし」
マントを畳み、メルは立ち上がった、追ってヒナも体を起こす。森に入った中国兵達は誰一人としてこちらを見ていない、今なら動ける。417のスコープは接眼対物共に蓋をして、レールから右斜め上へにょきっと生えるアイアンサイトを使うべくライフル自体を傾けた。
「先導する、後ろ見て」
「はいな」
そうこうしているうちにまた1発、さらに1発。それが引き金となり銃撃戦が始まった。中国兵と、よくわからない何かとの。森の中にいるスリーシックス本隊も異常に気付き、ラファールが数人を高台へ派遣。
こちらは急ぐ、敵が戻ってくる前に町の方向へ。




