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アメリカ最大の怨敵たるスティグマがいるかもしれない、と聞かされた時点ですべてのアメリカ兵は異常なまでに士気を高めていた。そしてそれは良い方向だけでなく悪い方向にも働き、アパッチ墜落の遠因となった海兵隊の急速進撃を始めとして、元々出番の無かったはずのAHー1Zヴァイパーが嬉々としてロケット弾を降らせ始めた事で暴走状態は決定的となった。大統領府突入前の降伏勧告が酷く簡素だったのも、護衛していなければならないCCT要員が二つ返事でゴーサインを出したのも状況を鑑みれば仕方ない事である。シオンの子飼いのジェラルドもそうだ、次の即売会で売り子やるのを条件に監視を代わってくれた、正直何言ってんのかわからなかったが。だから唯一おかしいのは、普段命令を神の訓示か何かだと思っているロイが命令違反を犯しているという一点のみなのだ。
『上階からの反撃が激しい、チーム9は外壁を登って奇襲攻撃を試みる』
『大尉!これで今日2回目だぞ!俺らクライマーじゃ無いんだぜ!』
城壁の上からラペリングして大統領府裏側へ辿り着く。この城壁の向こうはレーニン廟、100年前に死んだ人間の遺体が保存されていると聞いた時は恐怖というか狂気を感じたが、ロシアにとってはクレムリン宮殿の何よりも重要なものらしい、絶対に傷付けるな、とお達しが出ている。よってこの壁の裏側に米兵はいない、大統領府に隣接していながら包囲網を形成できないという事である。実際には両者の間に壁があるため、部隊を置く必要もない、と判断されたのだろうが。
「……穴開いてんだけど」
申し訳程度に立てかけかれたベニヤ板を倒しながらヒナはそれを指差した。人間1人が通れるサイズながら城壁はくり抜かれ、レーニン廟と繋がってしまっていた。地面には複数の足跡、戦闘開始後に付けられたものかは知らないが。
「脱出路か、盲点を突かれたな」
「どっちに行った方がいい?」
「既に逃げた後なら追跡は不可能だが、内部を見てみる価値はある。まだ逃げていないなら、ここを押さえておけばいい」
「ならアンタはここにいて」
ロイは軽く溜息をついてヒナに背を向け、UMPサブマシンガンを大統領府裏口へと向けた。2点式スリングを使ってHK417を背負い、レッグホルスターからHK45を引き出す。
「無闇に撃つなよ、建物は作り直せばいいがアレは取り返しがつかん」
「わかってる」
「それから、理性はしっかり保て。何かあったら腹パンしろとルカに言われてる」
「だからわかってる」
ロイをその場に残し、ヒナは壁外へと抜け出る。廟とはいっても要するにお墓だ、外観はそれほど大きくない。出入り口はひとつだけ、裏から回って表側へ。
入口に近付くと話し声が聞こえてきた、鼓動が高まる。奴とはわからないものの確実に誰かいる、米兵が1人もいないこの場所に。
中に入るとすぐさま遺体とご対面、という訳ではなかった、あったのは下へと続く階段。1段目に足をかけてから左目をナイトビジョンへ切り替える、見えてきた階段の先、お触り厳禁の棺はどこだと、僅かながら意識を向けた。
「……え…」
階段の先ではなく、まず左右を確認するべきだったと思う。優しく、しかし力強くヒナは肩を押された。バランスを失い前のめりに倒れ、踏ん張って持ち直そうとするも、ここはあいにく階段の上。
客観的に見ればまるで映画のような有様だったろう、実際に転げ落ちている側からすれば視界がぐるぐる回っているだけだが。
「ぁ……ぐぅ…!」
四肢に痛みはない、痛覚がないのだから当然だ。痛くはないが壊れはした、右足に深刻なエラーが発生したと左目が訴える。
動かない。
「うん?ふむ、なるほど、そうか。お前生身じゃないな?」
さっきまでいた階段の上にソレはいた。着崩したスーツ、金髪、この世のすべてをナメきったような表情。護衛を2人引き連れ、拳銃をヒナへ向けている。
いた、目の前に現れた。気が狂う程に憎み、捜し続けたソレが。
「いや待て、見た事あるなその顔は?うーむ、ああ、そうかなるほど、”あの一撃”から生き残ったな?見たのはテレビでだ。確かあれはそう、被害状況の報道が一通り終わって、マスコミが面白いネタを探し始めた頃だった。触れ込みは”地獄から生還した奇跡の少女”だったかな?インタビューを受けた気分はどうだった?あの時どうだったとか、いまどんな気分だとか。ふ…ははははは!あいつら本気で腐ってたなぁ!両手両足切断したばっかの子供に聞く事じゃないだろ!」
とても楽しそうにそいつは、スティグマは笑う。
武器がない、HK45は階段の途中に、417は通路の先に。
今すぐ息の根を止めてやりたいのに、駆け寄って首を絞める事すらできない。
「はは……ふぅ。それで?お前は何しに来た?エレナ・ユースマリット。俺に何の用があった?」
「オマエを殺しに…!」
「ふむ……知ってた。……ふふはははは!」
ただただ笑う、この世のすべてが愉快だという風に。
「タジキスタンに拠点がある、準備ができたら来い」
そう言い残して、そいつは消えた。
叫び、喚く事はしなかった、そんなものはもうやり飽きた。
ただ誰もいなくなった虚空を睨みつけ、その後うなだれ、ロイが階段を降りてくる足音を静かに聞いた。
「…………腹パンが必要か?」
「いや…いい……」
「そうか。じゃあ戻るぞ」
散らばった武器を回収し、ロイに抱き上げられる。
地上は静かだった、あれだけ鳴っていた銃声は収まっている。
「クレムリンは制圧を完了、大統領、及びスティグマは発見できず」
赤い壁の向こう、立ち昇る黒煙を背景に、なぜか霞む視界で、ロシアの国旗が掲げられるのを見ながら。
「例の日本人は、死んだそうだ」




