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笑顔と涙と夏祭りの記憶

作者: 翡奈月あみ

「もう、良いよ」


 掛かってきた電話に、短い返事だけを返して、そのまま電源を切った。


 8月、夏祭り。

 昨日まで降り続いていた雨も止み、お祭りを楽しみにしていた人達が浮かれて準備を進めている。その横では水溜まりを飛び越えて遊ぶ子供たち。

 夏の臭いがした。雨上がりの土の香り、少し湿った空気。照りつける太陽の光を受けて、アスファルトが乾いていく。そんな昼下がり。首筋にじわりと汗をかきながら、神社への道を歩いていた。夕方からは出店と花火を見に来る人々で賑わうであろう通りは、 準備中の今もまた別の賑わいをみせている。そんな人達を横目に、まっすぐ神社へと向かう。早くも浴衣を着て通りを歩く私を、チラチラと見てくる人もいた。


 私はこの夏祭りが楽しみだった。そう、過去形にする。恋人と回る初めての夏祭りになる予定だった。1ヶ月も前から浴衣を用意して、まとめた髪が綺麗に見えるように、髪の手入れも欠かさなかった。少しでも綺麗でいたくて、日焼けにも気を使ったし、体重だって気にしていた。


 1年前の夏。彼と知り合ったのは、偶然だった。私のひとつ上の兄は、高校のテニス部でエースと呼ばれる人物だ。兄が出る大会は、良く見に行っている。その日も兄の試合を見に行っていた。兄の対戦相手だった彼は、互角の実力を持っているように見えた。しかし、なかなか決着がつかず長引いた末に、敗れた。一瞬はいつも通りに兄の勝利を喜んだのだが、空を見上げて泣くまいとしている姿が妙に印象に残り、兄の元へ行く親と別れて、対戦相手だった彼の様子を見に行った。

 その人は仲間から少し離れたところで、泣いていた。人前で堪えていた涙が一気に溢れだしたかのように。でも、声は出さずに泣いていた。見てはいけないような気がしたのに、何故か瞳は逸らせなかった。その泣き方がとても苦しいのは良く知っている。私も、良く家族に隠れて布団の中でそうやっていたから。文武両道で優秀な兄と、比べられる平凡な私。兄を誇らしく思いながら、時に優秀すぎる兄を羨んで、悔しくて泣いた。兄に敗れて泣いている彼が、自分と同じように見えた。


 気がつくと、足が勝手に動いていた。持っていたハンカチを押し付けるように渡すと、何も言わずにただその場を去った。呼び止められたような気がしたけど、自分の行動に自分自身で驚いていた私は、顔から火が出るほど恥ずかしく、振り返る余裕なんかあるはずもなかった。


 更に驚いたのはそのあとだ。彼は、兄を伝って私にたどり着き、そのハンカチを返しにきたのだ。私を見ていた部員の中に、私が兄の妹だと知っている人が居たらしい。


『あの日俺、最後の試合だったんだ。なんか、良い思い出が出来たよ。ありがとう』


 それだけ言うと、じゃあ、と帰りかける彼を呼び止めて、慌てて携帯の番号を交換してもらう。ハンカチを返しにわざわざやってきた彼と、あの日の涙と対照的なその笑顔を、好ましいと思った。これで終わりにしたくはなかった。


 何度か交流を繰り返すうち、本、映画、音楽。いろんな面で好みに共通点があり、付き合うようになったのは本当に自然な流れだったと思う。暮らす場所に少し距離があるから、あまり頻繁には会えず、イベント事や何かがあるときには会って、交流を深めてきた。何度目かのデートの際にふと気付き、休みの日とはいえ、部活は大丈夫なのかと尋ねる。すると、最後の試合って言ったじゃん、と呆れ顔が返ってきた。その時は彼が3年生なのかと思っていた。部活引退には早い、高校2年の夏。兄と互角に渡り合ったテニスは、辞めてしまったらしい。


 そして出会って2度目の夏。私の地元の夏祭りで会おうと約束していた。なのに。


『行けなくなった』


 携帯電話越しに、ごめん、と短い言葉。その言葉に込められた感情が、どんなだったかすら考えたくなくて。理由も何も知りたくなくて。また短く告げられた、ごめん、は聞きたくなくて。


「もう、良いよ」


 短い返事だけを返して、そのまま電源を切った。


 考えてみれば、いつも彼には一定の距離感があった。近づけたかと思うと、いつのまにかまた1歩先にいる。そしてその1歩先に、どうしても踏み出せない。私に何か問題があるのか、それとも何か他に問題があるのか。聞きたくても、聞けない距離感が埋まらない。ぐるぐる回る思考の波から抜け出したくて、準備していた浴衣を着て、神社を目指す。夜には花火が上がる。でもその花火は、1人では見たくなかった。だから、まだ準備中の会場を浴衣で歩く事にしたのだ。我ながら幼稚だとは思う。

  

 悔しいのだ。微妙な距離感を埋めてくれない彼、埋められない私。行けなくなったと言う彼に、嫌だと、さびしいと言えない自分。分かった振りをして、もやもやを抱えながら子供じみた小さな反抗をする事しかできない。


 いつのまにか辿り着いていた神社に上る階段。1段1段上ると、道を歩くには慣れてきていた下駄も、歩きにくくて鬱陶しく、脱いでしまう。少しだけ息を切らし、50段以上はあろうかという階段を上りきった。

 別に名所でもなんでもないこの神社は、お祭りだと言うのに人気が少ない。準備に忙しそうな境内には入らず、鳥居の手前、少し段差になっている場所に腰掛ける。そのまま空を見上げる。いっそ今日も雨なら良かった。そしたら、お祭りが始まることも、花火が上がることもなかったのに。さびしい思いを、しなくて済んだのに。


 好きな事も、趣味の話も、得意な事も、苦手な事も。何でも話してくれる彼だが、家族の事や、自分の学校生活の事になると口を閉ざす。何故だかそれ以上踏み込んではいけない気がして、聞き分けがいい振りをして、自分の事を話す。そうすれば、彼はまた笑ってくれたから。


 どのくらいそうして考え込んでいたのだろう。いつのまにか空に、橙の色が滲んでいる。夏の空気の中で考え込んでいると、たまにこういう事がある。ぼーっと考えているうちに、時間を忘れてしまう。どれだけマイペースなのかと、兄や友人には呆れられる。

 それでも、自然の中でそうやっていると、少しだけ気持ちが晴れる。そして彼は、そんな私ののんびりした感覚を共有してくれる人だった。


 そろそろ帰ろうかと、下駄を履き直し、腰を上げた時だった。

 階段の下の方に、人影がある。すらりとした背格好の男の子。まさか、と視線を合わせていると、階段の中頃まで上ってきた男の子と目が合う。するとその人は、呆れたような、ホッとしたような笑顔を見せた。彼だった。


「電源、切るなよ」


 隣に並んだ彼は、少し息を切らしながら、そう言った。


「ご、ごめん……」


 目の前に現れたその姿に、なんとなく謝ってしまう。最後に会ったのは、3月のホワイトデー。それから今まで会っていない彼は、なんだか少し、痩せた気がする。息を整えながら、ゆっくり話す。


「やっぱり行けるって、連絡、できなかった」 


「え」


「なんとか都合、つけた。電話の声、心配だったから」


「予定は? だ、大丈夫だったの?」


「大丈夫に、した」


 本当は凄く嬉しいくせに、いい子ぶってしまう自分が嫌いだ。なんとなく申し訳なくて、上手く彼の顔が見られない。どんな顔をしているんだろう。呆れてるのか、怒ってるのか、笑ってるのか。少し息を切らしながら喋る口調では、判断できない。でも、まだ顔が見られない。しばらく黙って俯いていると、優しい声で呟かれた。


「花火、見よう。一緒に」


 ようやく安心して、差し出された手を握り返す。


「うん」


「それから」


「うん?」


「浴衣、着たんだ。……見れて、良かった」


 不器用に言われた言葉。褒められたんだと気づくのに少しだけ時間が掛かって、ありがとう、と顔を上げたら、今度は彼のほうが顔を背けていた。なんとなく笑えてきて、吹き出してしまう。なんだよ、と不満そうな声が降ってきた。


 いろんな話をした。いつも通り、話しているのは私だけど、嬉しそうにひとつひとつを聞いてくれるのが心地よくて、つい話しすぎてしまう。今の内緒ね? と言うと、分かった分かった、と返される何度かのやりとり。彼は、相手に話させるのが上手で、聞き上手だ。


 人出が多くなってきて、時間を確認すると、まもなく花火が上がる時間になっていた。良く見える場所に移動する。昔から知っている穴場で、お店も出されないひっそりとした場所だが、花火を見るだけなら絶好の場所だ。着くと同時に、始まりの花火が上がった。


 次々打ち上げられる花火を、黙って見上げていた。お互いあまりはしゃぐタイプではなく、たまに、今の綺麗だね、などと、ぽつぽつと話す。それで良いと思えたし、それが良かった。


 地方の夏祭りの花火は、1時間するかしないかで終わってしまう。打ち上げ花火の後の、物悲しい気持ちが襲ってくる。それを誤魔化すように、綺麗だったねと彼を見上げた。うん、と頷いた彼は、まだしばらく空を見上げていた。表情は見えないが、私は彼が空を見上げている姿が好きだった。思えば最初に惹かれた姿も、空を見上げているところだ。


「帰ろうか」


 しばらくして顔を下ろして、短くそう言う彼。名残惜しいけど、うん、と頷いた。なんとなく別れがたくて、駅まで送る、という私に、彼は首を振った。


「暗いし、危ないから」


 厳しい口調でそう言われてしまえば、引き下がるしかない。せめて少しでも一緒にいられるように、わざとゆっくり歩いた。

 私の家に向かう道と、駅に向かう道とが分かれる道。じゃあ、と言う彼の顔が見られない。次に会えるのがいつになるかわからないから、しっかり顔を見ておきたいのに、その気持ちが彼に伝わるのが嫌で、顔を下に向ける。


「じゃあ、帰るから」


「うん」


「……また、な?」


「うん」


 俯いたまま、うん、と繰り返す事しかしない私に、再び、じゃあ、とだけ短く告げられた。彼が振り向いて歩いていく気配にようやく顔を上げる。呼び止めることも、さよなら、と声をかける事もできずに、ただ後ろ姿を見送った。


 それが、私が見た彼の最後の姿だった。


 思えば私は、彼が何故中途半端な時期に部活を辞めたのかも、最後の大会に敗れて泣いていた理由も、埋まらない距離感がある理由も、彼に聞こうとしなかった。自分でぐるぐると悩んだだけだった。聞いていても答えてはくれなかったかもしれない。でも、聞いていたら何かは気付けたんじゃないかと、思ってしまう。今更悔やんでも、どうにもならないけれど。


「病気だったんです」


 去年の初夏に発覚して、大会を最後に部活を辞める事になったのだ、と。それだけは勝って終わりたかったんだと、彼のお葬式で、彼のお母さんが教えてくれた。その頃から、家族には余命が告げられていたらしい。


「あの子には、言えなくて。自分は治ると信じていたから」


 実際に、そうなれば良いと、願っていたから。

 そう言って、彼のお母さんは、彼と同じように涙を堪えて上を見上げた。


「だから、あなたにも何も言わなかったんだと思います。きっと、治るから大丈夫だと」


 埋まらない距離感の正体は、自分が病気だという隠し事をしていたからだったのだろうか。

 入退院を繰り返し、あの夏祭りの日。ちょうどあの日に、結果として最後になる、入院が決まってしまったのだと言う。彼はずいぶん悩んだ末に、行けなくなったと連絡を入れた。でもその後、何度か電話をしても出ない私を心配して、結局は病院を抜け出すという行動に出たらしかった。


「普段はおとなしい子だから、びっくりしたんです。そして、帰ってきたところを叱りつけたら……」


『声も聞けないまま最後になるかもしれないって、不安だった』


 彼のお母さんは、堪えきれずに涙を溢した。

 彼は、自分の命が残り少ない事に気づき、迷っていたのだと言う。相手にさびしい思いをさせないように、もう会わないべきかどうか。でも結局は、電話の声も満足に聞けず、連絡のつかない私がどうしてるのか気になって、自分自身がさびしくて、不安で、会いに行ってしまったと。


 あの日、不安そうに告げられた、別れの言葉が思い出された。


『……また、な?』


 最後にそう言った彼は、笑っていたのか泣いていたのか。良く見なかった私を、悔やんだ。またね、と。そんな短い言葉を返してあげられなかった私。どれだけ後悔しても、取り返せない。花火が終わった後のような物悲しさ。でも、それを誤魔化す方法は無い。じわりと、視界が滲んだ。


「またねって、絶対また会おうねって。言ってあげられてたら、病気なんかに、負けなかったでしょうか……?」


 瞳から、涙がこぼれ落ちた。堪えることは、難しかった。どうやって堪えていたのかを、忘れてしまった。涙腺が壊れたかのように溢れてくる涙を、しゃくりあげながら流しっぱなしにしていると、彼のお母さんは、私を抱きしめた。


「あなたのせいじゃないのよ。あの子は、最期に、花火も、浴衣姿も見れて、全部、あなたに会えて、良かったって、言ってたから」


 お線香の匂いの中に、彼と同じ香りを感じて、それは、私の涙の量を増やした。


 夏になると、思い出す。涙の記憶。


 彼だけは、忘れられない。

 それは、いつかまた誰かと一緒に、笑顔で夏祭りに行けるようになっても。


 end


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