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第七話

 ハルトは一枚のコインを手に取り、親指で宙に弾いた。山なりの軌跡を描きながらそれは落ちてくる。

 コインが地面にぶつかる直前に、ハルトは目を閉じて確率操作を行おうとした。

 しかし、ハルトの前に数字が出現する事はなく、コインは何度か揺れた後、絵柄のある方を上にして動きを止めた。

 ハルトはこれを何度か繰り返したが、コインを弾いた“後”には結果は同じで、確率操作を行う事は出来なかった。

 次に、ハルトはコインを弾く“前”に確率操作を試みた。

 すると今度は数字が表れ、裏の確率48%と表の確率52%を表した。

 これでハルトは確信した。ラプラスが言っていた決定付けられた結果には干渉出来ないという事が、事実だということを。

 同時に彼は別の、一つの疑問に辿り着く。

 コインの裏表の確率は常に半々でなければおかしいのに、僅かな差があるのは何故か。

 手に取ってまじまじと見つめて、ハルトはくすっと笑った。答えは簡単な事だった。

 このコインの裏には鷹のような羽の生えた生き物の絵が彫ってあるのだが、それによって微妙な凹凸が生まれていた。だから、放り投げた時に受ける空気抵抗等に些末だが影響が生じ、その結果、厳密には確率は半々ではなくなるということだ。

 一方的な思い込みで勘違いしていたが、案外、こういった事は他にもありふれているのかもしれない。

 ハルトは確率操作で裏が出る確率を96%まで引き上げた。

 コインを投げる時、一瞬、それがまるで自分の手じゃないような錯覚に陥った。

 確率操作の影響で、裏が出やすいように投げるために、筋肉が動かされた、というのが一番近い印象だ。きっと投げるタイミングや、僅かな空気の流れなども無意識のうちに計算されているのだろう。

 いや、もっと言えば、何か到底人の及ばない領域にある存在に、結果がそうなるように操られているようだ。それこそ悪魔にでも。

 今回の操作では頭痛も感じなかった。勝手な推測だが、ハルトはこれが自分にとってさして重要でない事だからだと考えた。

 人知を超えた得体の知れないこの能力の正体に、ハルトは既に近付きつつあった。

 しかし、地に落ちたコインが示したのは、表の何も描かれていない面だった。

 つまり、残った4%の方を引き当てたという事になる。

 当然裏が出ると思っていたハルトはこの結果に絶句した。ここでラプラスの言っていた言葉が脳内に反芻する。

 この能力スキルは万能なんかではない。

 要するに、エレナを助けようと何度も抗った時も、ラースと共に怪物と戦った時も、奇跡的に良い方向ばかりへと進んで来れたが、失敗する可能性も僅かにあったという事だ。

 100%上手くいく事など、一つも無かったのだ。

 ぞわっと、背筋を悪寒が走った。ハルトは急に、この不確定な力が恐ろしくなった。

 どれだけ縋っても、どれだけ祈っても、いつか望まない結果へと行き着く事になるかもしれないのだ。それがたまらなく恐ろしい。

 だからそれを防ぐためにも、ハルトはもっとこの力を知らなければならないと思った。

 ハルトはその後も、何度も確率操作の練習も兼ねてコイントスを続けた。


「ハルトくん、いるなら返事をしてよ」


 部屋の入り口でドアに片手を付くような格好で立っていたのはフロワだった。

 ハルトの前世からの悪い癖で、つい何かに真剣になると時間と我を忘れてしまう。周りが見えずに教師や両親に怒られる事もままあった。


「ごめん。ちょっと考え事してて……」


「お昼を食べてからずっとそれだから、心配したよ」


 ハルトは後頭部を手で掻いた。確かに、今の自分は端から見れば奇妙に映っているかもしれない。

 ところで、とフロワは水面のような透き通った蒼い目を細めた。


「さっきの話、考えてくれた?」


「それなんだけど……」


 濁らせるように、ハルトは呟いた。

 ギルドに誘われた件について、迷いながらも彼なりにとりあえずの回答を用意していた。


「俺は、断わろうと思う」


 二度も命を救ってもらった。寝床や食事も世話になった。さらにこれ以上は彼女に迷惑をかけたくないが故の判断だった。

 しかし、当のフロワは納得していないようだった。


「どうして?エレナちゃんのためにも、君が来てくれた方が良いに決まってるよ」


 ハルトは俯きがちに苦笑いして、首を横に振った。ぎこちなく笑ったのは、フロワがそういうふうに言ってくれるのが嬉しかったからかもしれない。


「俺は穢人なんだ。出来れば、人目に付かない所で静かに暮らしたい」


 そこまでハルトが言うと、パチッと、目の前で気体が爆ぜたような音がした。

 フロワは眉を顰めてハルトを冷たく見ている。


「本当にそう?」


 ぎこちなくハルトは首を縦に振る。

 それを見たフロワは、一つ大きなため息を吐いて、扉の前から去っていった。

 やはり、彼女を失望させてしまったのかもしれない。

 あれだけ助けてもらった恩をろくに返せずに、我儘で身勝手で自分は最低だ。しかし、そんな事を考える事自体、おこがましいのかもしれない。こうする事が最善だと、自分なりに考えて出した答えだった。

 決意のために、一つ大きな深呼吸をした。窓から照る夕日が沈む前にここを出ようと決めていた。

 ハルトは進むべき方角を決めるために、コインを放り投げた。


☆ ☆ ☆


 当面の目的としては、静かに暮らせるところを見つける事と、出来れば定職に就くことだ。

 どちらも、この世界で嫌悪されている穢人にとっては簡単な事ではないだろう。

 しかし、それでもハルトは前回と同じ轍だけは踏むまいと決意していた。これはせっかくの二度目のやり直しの人生だから。

 幸い、中にはフロワのような人もいる。どこかで誰かは雇ってくれるだろうと信じていた。


「エレナ、ごめん。少し長旅になるかもしれない」


「ハルトさんと一緒なら、私はどこへだって」


 隣を歩くエレナが嬉しそうに笑うのを見て、ハルトは頬に熱を感じた。ハルトだって、エレナが一緒ならどこへだって行ける気がしていた。

 ただ、一つだけ心残りなのは、結局フロワにきちんとした礼が言えなかった事だ。

 だが、同時に、彼女とは生きていればまたいつか会えるだろうと確信していた。その時までに、大恩を返せるくらいの強い人間にならなければ。


「あの、ハルトさん」


「何?」


「手、繋いでいても良いですか」


「あぁ……はうっ!?」


 ボーッと考え事をしていたハルトは、エレナに急に右手を握られて情けない声を出してしまった。


「やっぱりハルトさんの手、温かい」


「エレナの手は小さくて柔らかくて可愛いな」


 率直に感想を述べただけなのに、エレナは繋いでない方の手を頬に当てて、明後日の方を向いてしまった。夕焼けが言い訳にならない程に紅潮している。

 彼女のこういった一つ一つの反応が可愛らしく、また愛おしいと思えた。やっぱり自分はエレナの事が好きなのだと改めて認識した。

 町を出てから、二人は南方に向かって歩いていた。特に行く宛はなかったが、エレナの記憶によると大きな町が一つあるという。とりあえず、そこで仕事でも探してみようと思っていた。

 自分に何が出来るかは分からないが、エレナを守るために、今度こそは、ハルトは何だってする気だった。前世で感じた事のない、心地良い使命感が足取りを自然と早めた。


「ハ〜ルトくんっ!」


「うっ!?」


 突然、背後から柔らかい何かに抱き着かれ、冷えた感触に少し身震いを覚えた。

 振り返れば、その冷たい何かの正体はフロワだった。案外早かった再会に驚いて、ハルトとエレナの二人は硬直していた。


「荷物の準備が遅れちゃった。それより、置いてくなんてひどいよぉ。勝手に行って良いなんて、ボクが許可した?」


 フロワはにこにこと笑っているが、ハルトにははっきりと分かっていた。彼女がとてつもなく怒っている事が。その証拠に冷え込んだ大気中の空気がパチパチと音を立てている。


「あの、フロワ?どうしてここに」


 恐る恐る聞くと、フロワの笑みが一層増した。


「君が一緒に来てくれないって言うなら、ボクが君達と一緒に行く。文句は無いよね?」


「いや、でもそれは」


「ね?」


 ハルトは続けようとした言葉と一緒に生唾を飲み込んだ。頷く他に選択肢があるだろうか。


「で、でもハルトさん、良かったですね。フロワさんがいてくれたら心強いですし」


 エレナはなるべく機嫌を損ねないよう言葉を選んだ。そんな少女に耳打ちする形で、フロワは告げる。


「本当にそうかな?ボク、結構ハルトくんの事気に入ってるからね、エレナちゃん」


「そ、それは、あの……」


「何をこそこそと話してるんだ」


「ううん、何でもないよ。さ、行こっか」


 そう言うとエレナと繋いでない方――自由の身だったハルトの左手はフロワに拘束されてしまった。

 そして何故かエレナが密着するくらいに寄って来て、逆サイドのフロワに敵対的な視線を送っている。といっても、フロワからすれば、そんなエレナの姿はどうしてもどこか可愛らしく写ってしまうが。


「フロワ、あのさ」


「何?ハルトくん」


 声をかけられて笑顔を向けてみる。ぎこちない顔になってないだろうか。


「その、色々と助けてくれてありがとう」


 これだ。フロワはこの遠慮がちだが、一切の悪意の無い真っ直ぐな笑顔を見ると急に胸が苦しくなる。それが何なのか分からないほど子供では無かったが、それをどうしたら良いか分かるほど大人でも無かった。


「そ、そんな改まってお礼を言わなくても、いいんだよ。……ボクが好きでやってるんだから」


「何はともあれ、また一緒にいられて嬉しいよ。今後ともよろしく」


「こちらこそ……」


 フロワにしては珍しく、言葉に詰まったような、はっきりとしていない物言いだった。

 彼女は加速する胸の鼓動が、彼に聞こえていないか気がかりだった。生まれてこの方こんなに緊張した事はなかった。


「フロワ、手がちょっと熱いんだけど大丈夫?」


「大丈夫じゃないよ!もう、ハルトくんのバカっ!」


 そんな彼女の気も知らないハルトは何か気に障っただろうかと心配になった。


「ハルトさん、フロワさんとちょっと近過ぎます」


「あれ、エレナ、なんか怒ってる?」


「もう、ハルトさん……」


「エレナまで!?」


 夕焼けに伸びていく三つの影はくっついたり離れたりしながら、ぎこちなくも楽しそうにその先を歩いていった。

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