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第四話

 真っ暗な海を漂う夢を見た。光が差すことは無い永遠の暗闇。黒一色の世界。

 やがて海底から伸びてくるのは無数の腕。逃れようと藻掻いても、身体中を掴まれて呼吸さえ儘なら無い。為す術も無くゆっくりと深海に引きずり込まれていく中、微かに自分を呼ぶ声が聞こえた。

 海面に向かって必死に手を伸ばすと、温かい光が降り注いだ。


「エレあだっ!」


「あうっ」


 ハルトが勢い良く起き上がったせいで、エレナと額をぶつけてしまった。


「ご、ごめん!大丈夫か?」


 大丈夫ですと、エレナはでこを押さえながら言った。


「良かったです。ハルトさん、急に倒れてしまうんですから驚きました」


 手の平が少し温かい。多分、ハルトが寝ている間彼女がずっと手を握ってくれていたのだろう。

 どうやら自分達は薄暗い小さな洞窟の中にいるようだった。しかしゴブリンもとい、グリーンオーガ達のそれとは違うようでハルトは安心した。


「心配かけて悪かった。ただの頭痛だからもう大丈夫」


 言葉では強がっても、身体は言う事を聞いてくれなかった。ふらふらと立ち上がるも、激しい立ち眩みとだるさに襲われる。どうやら熱も少しありそうだ。


「無理をしないでください。今は休んで」


 本当はすぐにでも彼女を安全な所へ連れて行きたいのだが、これではかえってハルトが足手まといになってしまうだろう。


「分かった。少しだけ」


 ハルトがそう言うと、エレナは側にやって来て、休むための膝枕を作ってくれた。ハルトは恥ずかしいからと遠慮したが、駄目ですと言われて、無理やり寝せられてしまった。

 後頭部に感じる彼女の腿は柔らかくてひんやりとしていた。仰向けの体勢なので、すぐ正面にはエレナの顔があって、ハルトはかえって落ち着かない気分になってしまった。


「ハルトさん、助けてくれてありがとうございます」


 エレナが呟くように言った。


「いや、お互い様というか、そもそも俺が鈍かったから怖い思いをさせてしまって逆に申し訳ない」


 前世の癖がまだ抜けないでいたのにハルトは歯ぎしりした。感謝されているのに相手の目を見て話せないのと、つい早口になってしまう事。素直にどういたしましてが言えない事。

 エレナは堪え切れずにくすりと笑った。


「ハルトさん、面白い」


 照れ臭くてハルトは咳払いした。


「ところであの、ラースって奴は何しにこんな所に来たんだろう」


 誤魔化すように話題を逸らす。エレナの柔和だった顔つきが真剣なものに変わった。


「きっと、村に伝わる秘宝が目当てなんです。あの人はそれを探しに、多分、階段を登っているんです」


「階段?」


「外にたくさん建っていた塔の事です。最上階に旧時代の宝物があると言われていますが、塔から帰った人はいないので……」


 そもそも、とエレナは続けた。


「人喰い鬼が出る地帯ですから、好んで近寄ろうとする人もいませんでしたし」


 そう言うエレナの表情に陰りが指したのをハルトは見逃さなかった。


「あんな目に合わされて、心配なのか?」


「いえ、あの……はい。自分でも変だと思っていますが、あんな人でも私を村に置いてくれた恩人なんです」


「変なんて事は無い。エレナは普通だ。どんな奴でも顔見知りが死んで良い気はしないよ。だから、ラースを連れ戻して謝らせる。それで良い?」


 エレナは驚いて目を丸くした。


「そんな身体で無茶です。階段の途中にはどんな怪物クリーチャーがいるか分かりません。ここは村の人に頼んで……」


「来てくれるかも分からない助けを待ってるのは嫌いなんだ。だったら自分で行動する。エレナは先に村に戻って」


 エレナは思い止まらせるように、立ち上がったハルトの足に抱き着いた。その目には零れそうな涙が溜まっていた。


「ハルトさんが死んじゃう」


 大丈夫、と宥めるように言ってハルトはエレナの頭を撫でてやった。


「俺はもう、一回死んでるんだ。これ以上死ねっこ無いさ。それに」


 少女の震える口元を自分のそれで覆った。


「エレナを愛してる。絶対帰ってくるから、だから、これが終わったら……」


 ハルトは生唾を飲み込んだ。

 不思議な気分だった。本当は一目見た時から彼女を好きになっていたのに、自分では相応しくないと目を背けようとした。それを彼女は良しとせず、あまつさえ一緒にいて欲しいとまで言ってくれた。こんな幸福な事が自分にあるなんて、もう報われたようなものだ。後は、この幸せな時間をエレナともっと長く過ごしたいと思った。


「一緒に暮らさないか」


「……はい」


☆ ☆ ☆


 最初にやったのと同じように、ラースと別れた地点から足跡を辿っていると、それは一つの巨大な建物へと続いていた。

 塔と言われれば確かにそんな形状だが、奇妙な事が一つあった。その建物を形作る素材が、鉱物や金属ではなく、何かの肉のように見えた。手で触れてみると、ぶよぶよとした感触はあるものの、想像以上に硬かった。

 縦三メートル、横二メートルくらいの入口を見つけると、ハルトは早速足を踏み入れた。そこからは湿地のような泥沼ではなく、土の上を歩くような感触に変わった。

 内部は単純な構造になっていて、繰り抜かれたような一本道が段々になって続いていた。

 早々にハルトは、この建物が人工的に造られた物ではないと理解した。どちらかと言えば、これ自体は元々この場所に存在していて、後から手を加えられたという印象だ。

 というのも、内部が簡単な一本道構造になっているのに対して、外からの見た目は大き過ぎる。これでは建造物として体積の辻褄が合わない。

 適当な落とし所を推察したところで、ハルトは立ち止まった。

 ここに来て、道が二本に別れていた。ハルトはすっと息を吸うと目を閉じた。丁度、試してみたい事があった。

 右へ行く事でラースに会える確率は87%。左は0%。

 操作は必要無さそうだとハルトは目を開けた。そして、二つの事を確信した。

 この能力は確率の操作さえしなければ負担が無い事と、今のように確率の確認にも使えるという事。

 便利だという反面、知るだけなら手軽だというところが恐ろしい。その気になれば自分が後どれくらいで死ぬのかということも分かるかもしれない。だが、知ってしまえば否が応でも操作が必要になる。その結果がどこに繋がっているのか想像もつかない。エレナに害が及ぶような未来を知ってしまったら、きっと自分は死ぬまで脳を酷使して確率を捻じ曲げるのだろう。ハルトはそれが分かっているからこそ恐ろしかった。

 ハルトは首を振って両手で自分の頬を叩いた。今は立ち止まっている場合では無い。

 裏を返せば、右へ行っても13%もラースに会えない可能性がある。それが意味するのは恐らく、彼の死である。

 ハルトは駆け足で螺旋階段のような道を登って行く。


「ラース!」


 細い道を抜けた先で、踊り場のような広いフロアに出た。そこでまず目に入ったのは、うつ伏せに横たわるラースの姿だった。駆け寄ると、ぴくりと彼の右手が動いた。


「なんでここに……ガキはどうした」


「村に帰した。後はお前だ」


 脚に怪我をしているが、意識はあるようだった。誰がやったのかは明白だった。前方にハルトの倍はありそうな体躯の半人半竜の化物がいた。

 リザードマンだ。大きく裂けた口元には獰猛な牙を備え、青黒い頑強な肌に加えて、樹木さえ容易く叩き割りそうな尻尾がある。さらには知能が高いのか、自身の鉤爪から作ったと思しき長剣を構えている。


「立てるか?」


 戦って簡単に勝てる見込みが無い事は見れば分かる。ならばここは逃げるべきだ。


「余所者が俺に構うな」


 しかしラースにその気は無く、あくまでリザードマンに刃向かうようだ。


「そんな事言ってる場合か。死にたいのか」


「そんな訳無ぇだろ。生きてアレを村に持ち帰らなきゃならねぇんだ」


 ハルトは彼に、意地でも引く事の出来ない理由があるのだと悟った。


「お前が一人でトカゲ男を倒せる確率は五分の一だ」


 ハルトは淡々と事実を述べた。


「脅しか?二割もありゃ充分だ」


 ラースに動じた様子は無い。ハルトは安心した。怖気づかれてはこの後のハルトにも危険が及ぶ。


「いや、三割だ。二人がかりなら。何でも良い、武器を一つ貸してくれ」


 ラースは一瞬躊躇ったが、短剣を寄越した。脚に手負いの自分では、小回りの効く武器があっても仕方無いと思ったのだろう。代わりに、自身は身の丈程もある大振りの長剣を構えた。


「来やがった!」


 リザードマンは持ち前の脚力で瞬時に距離を詰めると、ラースに迫った。

 やはり賢しい生き物のようだ。手負いの獲物を先に仕留めるのは、多対一の常套である。

 ――と、見せかけて本命はハルトだった。ラースを軽い蹴りで往なすと、振り返りざまの長剣が首に襲いかかった。

 ハルトは“偶然”、身を捻って横振りを躱すと、すれ違い様にリザードマンの腕に斬りつけた。

 攻撃が上手くいったのを手応えで感じると、軽い頭痛を覚えながら即座に距離を取る。


「このクソがァ!」


 ラースも黙っていなかった。長剣に重みを感じさせない豪腕でリザードマンを防戦一方に追い詰める。無謀ともいえる特攻がかえって半竜の反撃を許さなかった。

 しかし、手負いの身体では攻撃も長くは続かない。


「避けろ!」


「……くっ!」


 喉元を抉るような鋭い突きに首を振って反応し、続け様に来た尻尾の振りを一足飛びで回避出来たのは奇跡だった。ラースは何故か無意識のうちに飛んでいた。

 この状況が歯痒いのか、リザードマンはグオォと小さく咆哮した。ハルトは、大気が一瞬揺れたのかと勘違いした。


「もう少し耐えろ。勝機が見えてくるはずなんだ」


 目を瞑ったまま、ハルトは言った。応えるラースは小さく舌打ちした。


「何言ってんだ。このままじゃジリ貧じゃねぇか」


「やめろ!考え無しに突っ込むんじゃない!」


 ハルトは戦う前に比べて、確率が変わっているのに気付いた。時間と共に少しずつリザードマンを倒せる可能性が大きくなっている。

 未だ有効打には至っていないが、何か決定的な要因が動き始めていた。


「さっさとくたばりやがれ!!」


 決着を急ぎ、これまでになく大振りになったラースはリザードマンからすれば格好の的だった。今度こそ強靭な尾が青年の身体を激しく打った。


「……っ」


 間に合わなかった。ハルトはさっきまでそうしていたように、ラースの攻撃回避の確率を底上げしようとしたが、余りにも可能性が低く瞬時に再計算出来なかった。

 ラースが脇腹を押さえながら蹲る。肋の骨が数本折れているのかもしれない。

 リザードマンを倒せる確率が激減したのを確認したハルトは、やむを得ないと操作に取りかかろうとした。

 その時、周囲の気温が一気に下がったのに気付いた。


「こんな所に、穢人の踏破者エクスプローラー?」


 背後の入口からはっきりと聞き取れる良く通る女の声がした。立っていたのは、肩までの青髪を蓄え、腰に刀を差した軽装の女だった。


「危ない!」


 リザードマンは女を新手の外敵だと判断し、既に攻撃の予備動作に入っていた。ハルトの叫び声が木霊する。


「Effect:Freeze.Target search...たたっ斬る!」


 女が何か唱えたかと思えば、次の瞬間には半竜の二つに裂けた身体が地面に倒れていた。ハルトには何が起こったのか全く見えなかった。


「おい、余所者。……てめぇに頼みがある」


 呆然としていると、ラースから声をかけられた。彼は苦しそうに身を捻って懐から空き瓶を幾つか取り出した。


「これは?」


「何本か割れちまったが、あるだけこれにハーフドラゴンの血を詰めてくれ。これが必要だ」


 ハルトは頷くと、とにかくリザードマンの死体から蓋いっぱいに血を詰めた。よく見れば半竜の身体は所々が凍り付いていた。


「なるほど。竜の血は万病に効くからね」


 びくっとハルトは肩を震わせた。彼女はそんな彼を見て、両手を振って否定した。


「そんな目で見ないでよ。何もしないって」


「あんた何者なんだ」


 ハルトは警戒心剥き出しで問うた。彼女が底知れない強さを秘めているのが対面しているだけで分かる。その気になれば、ラース共々斬られてしまうかもしれない。


「君って友達いない?助けてもらったら素直にありがとうだよ」


「……あ、ありがとう」


 助けられたのは事実なのに、礼も言えない自分が急に恥ずかしくなった。ハルトが赤くなっていると、彼女は快活に笑った。


「そうそう。君、モテなそうだけど可愛いね。ボクはフロワ、よろしくね」


「ハルトだ。こちらこそ……冷たっ」


 握手したフロワの白雪のような色の手は氷のようにひんやりとしていた。そんなハルトの反応にフロワは頬を膨らませた。


「ハルトくんは失礼だなぁ。手が冷たい人ほど心は温かいんだよ。ボクからすれば君は熱でもあるみたいだ」


「ごめん。驚いて、つい」


「あはは。素直でよろしい」


 からかわれているのか何なのかよく分からず、ハルトはどぎまぎした。

 ところで、とフロワはラースを指さした。


「彼、気を失っているよ。大丈夫?」


 安堵と混乱と、その他色々なものが織り交ざって、ハルトは大きく溜息を吐いた。


「大丈夫だ。多分」

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