激しい運動の前には、十分な準備運動をしましょう
「次に操作方法をご説明させて頂きます。体感モードをアヴァターに変更し、変更後は準備運動を行います。特に違和感が無い場合は『スキップ』を宣言してください。」
宣言と同時に、急激に体がパンパンに張ったように膨れ上がり重くなる。
たったアレだけのビルドアップがこんなにも窮屈な感じになるなんて想像もしていなかった。
小さくなった肌着を何枚も重ねたかのような締め上げに息が詰まる。
本来スポーツ選手や格闘家は、長い時間を掛けて訓練や修行で肉体を変質させ、身体の使い方を覚えてゆく。短時間で突然変質させた仮想の肉体に脳が適応できていないのだろう。
息苦しさを解消する為に深呼吸する…少しマシになってきたような気がする。
徐々に慣れていくのかもしれないが、これは結構なハンデになるかもしれない。
拳を握りこんでみると、痛い程に硬い。握力がかなり上がっているのが解る。
りんごを握りつぶすのは無理だろうが、同年代のヤツと握手して握り負けるような事はないだろうし、パンチ力も相当上がっているはずだ。
しかし、痛みを感じるという事は力の加減が上手くできていないということだ。
全力で動けば必ずどこかを傷めてしまうだろう…VRゲームでもそうなるのかは今のところ判らないが、この痛みは相当リアルだ。
準備運動をさせるというのも、その辺りの感覚調整を行えという事なのだろう。
ここで『スキップ』するのはかなり危険な事だと思う。
「それでは腕を上げて~」と、マリオンが日本人なら誰でも知っているものと非常に良く似た音楽で、動きを口頭で指示しながら運動を始める。
3頭身の短い手足を一生懸命に動かすその様がカワイ…スマン。やっぱりキモい。
一つ一つの動きを丁寧にこなすと、ほんの少しずつではあるが、身体と思考のイメージが近付いて来るのが解る。
腕を振り回し、肘や膝を曲げ伸ばし、腰を回転させ、短く跳躍を行う。
最後の整理体操まで終えると、そこそこ心地良い疲れと痛みがやってきた。
こんなに真面目に身体を動かすのは小学校以来だ。
後はプレイしながら慣らしていくしかないだろう。
「お疲れ様です。未だ違和感のある方はご自分でもう少しストレッチなどを行って下さい。必要ない場合は『スキップ』を宣言して下さい。」と言われたので、ここはもう『スキップ』を宣言しておく事にする。
「『スキップ』!」
するとマリオンの右上にに早送りを示す記号(右向きの▲二つ)が現れ、早口で何かをしゃべっているかのように動いた後、元の速さに戻って告げる。
「身体の操作方法は、先ほどの体操を思い出してください。基本的には日常と同じ様にほとんど無意識に動かす事が出来るはずです。あまりに非常識な動きは痛みを伴う場合がございますのでご注意下さい。それでは次にゲーム進行に必要ないくつかの操作をお伝えいたします。」
マリオンは管理画面の起動方法や各種設定とそれらの操作について説明を始める。
通常のゲームとそれ程大差なく、ゲーマーならば見なくても感覚的に解る範囲内であった。
ユニークなのは、『BGM』や『感覚』といった設定で視力や聴力などもある程度いじれる様だ。
視力を少し弄ってみると、突然合わない度入りの眼鏡を掛けたかのように視界が歪み、嘔吐感が襲って来た。このまま嘔吐するか試しても良かったのだが、流石に気持悪いので設定をデフォルトに戻す。
『味覚』を弄っていなかった為か妙に口の中が酸っぱい気がする。
あまり細かく調整できないようなので、元の身体も眼鏡が必要なほど視力は悪くは無かったから『感覚』は元通りでプレイする事にする。
痛みを遮断するのは魅力的だったが『触覚』を失うと色々不便が予想できるので、ここも必要が無い限りは弄らない。
『BGM』というのは雰囲気作りに流す音楽で、設定した本人にのみ聴く事ができるものらしい。
版権ものは無い様で、視聴してみた曲はこの会社特有のユルい和み系ものばかりだ。
しかも視聴中は『聴覚』に影響が出てしまうので、気分転換やそこそこノリの良い曲で盛り上げる為に使うもののようだ。
これも状況に応じて使い分けるという事で、今は耳障りにならない程度のボリュームで気に入った曲を流しておく事にする。
…うん、なんだかゲームらしくなってきた。曲が流れてるだけでかなり現実感が薄れてくる。