あるクリアした男の独白
この世界は実に良く出来た環境であった。
実際に身体を動かすわけでは無い以上、肉体的な強化を意図してこのゲーム世界を利用できない。
しかし脳の処理能力を鍛えたりすることは勿論、戦略・戦術理解を深める事が現実世界以上に効率良く行えそうなのだ。
怪我の心配もなく、疲労によるパフォーマンス低下もコントロールし易く、何より近年のスポーツ界では常識とされている『2休5勤』の『休』の部分を無駄なく活用できるのだ。
このゲームが終わってからも叶うことならば実際のトレーニング方法に採用したいぐらいだ。
死の危険を孕む『デスゲーム』中であるのが難点だが、現実正解で実際に生活していても『死』の危険性は全く無いわけではない……いや、実際には計算されたプログラム上で動いているこの世界の方が、何が起こるか本当のところでは分からない現実世界よりもはるかに安全であるはず、安全を『約束されている』と思っても良いぐらいだ。
勿論もしもの事を考える必要はあるので、世界の異変に対応できず孤立寸前であった子供たちの救済を優先することにしたが、本心では然程の心配もしていなかった。
心配があるとすればパニックに陥った大人のエゴイスティックな行動に巻き込まれてもしもの事態が起こってしまうことなのだが、何人かの協力者たち(特に『ああはるお』君の活動に便乗できたのは大きかった)のおかげで、大人たちの引率をつけたチーム割をすることができた。
これで滅多な事は起こらないだろうから、後は自分達がクリアすることを目指すだけである。
折角だからと、私は子供たちが仮想の肉体に慣れるまの数試合を様々な調整に利用した。
それと言うのも最初の試合で子供たちの持つ異世界への適応力に、ある確信を抱いたからだ。
技術的な事を身に刷り込むのに最も適した年代であると言われている『ゴールデンエイジ』と称される10~12歳の子供たちの吸収力は凄まじい。
彼らは真綿が水を吸い込むように急激な速度で私の教えた事を体現してくれるのだ。
現実世界ならば肉体的な制約で実現できないような事すら、この仮想世界では仮想の成熟した肉体で体験できてしまう。
仮想の肉体と精神の不適合から起こる痛みという反射も、私が上手く制御し、指導することで軽減する事が可能であった。
そして今、子供たちは自分の力で軽々とこの世界から脱出する切符をもぎ取った。
この世界で肉体制御のイマジネーションを成長させた子供たちが現実の世界に戻った時、どのような化学変化が起こるのかと思うと、その時が待ち遠しくあり恐ろしくもある。
20年前に『ファミリースポーツ・オンライン』があれば……と自分の背負った障害を思い出して感慨に耽った。
私の足は一度壊れてしまっている。
かつて私が所属していた陸上部の顧問が唱えるトレーニング方法は『肉体を苛め抜き、限界を根性で克服する』ことだった。
肉体の限界まで、いや限界を超えた先に成長があると信じて止まない昭和の敢闘精神。
顧問の主張は「苦しみを耐え抜いた先にこそ輝ける未来が待っている。結果が出せないのは根性と成功までの努力が足りないからだ」というものであった。
当時の私は、それこそが成功に至る道であると信じていた……いや信じ込まされていた。
泣き言を言えば『愛の鞭』という名の鉄拳と罵声が際限なく飛び、繰り返し浴び続ける事で精神が麻痺していたのだと思う。
その時に培った『理不尽に慣れる忍耐力』は自分の中でとても大きな財産である。
しかし彼の指導を忠実にこなそうとした結果、私の競技者生命が非常に短いものであったという事も事実なのである。
連日の過酷なトレーニングで衰弱していた私の足は、ある日突然に激しい痛みと共に壊れてしまった。 治療の結果、日常生活には問題ないものの競技者として必要なレベルの能力を発揮できなくなってしまった自らの足を見て、どれだけ顧問を怨んだか分からない。
悔しかった。なんで自分はこんな人からモノを教わっていたのかと。
辛い事を乗り越えれば力になるという顧問の言葉を信じていた。
みんなが苦しい想いをしているのだと言われて凡庸な肉体を苛め抜いてきた。
私が辿ったのは成功のための道だったはずだったのにと世の理不尽を呪った
しかし時が過ぎ落ち着いてみると、張り詰めた糸が切れるまで特に何も考えることもせず、ただ黙々と耐え続けて行き着くところまで何も対策を講じなかった自分にも問題があったのだと理解した。
自分で考え、研究し、納得できる答えを探そう。
そして後進に自分と同じ轍を踏ませないようにしよう。
そう思って、私は指導者の道を選んだ。
多くの専門書を読み漁り、スポーツ生理学で有名な教授のいる大学を目指して受験勉強にも励んだ。
猛勉強の甲斐あってか目標の大学に合格し、陸上部のマネージャーとして励み、卒業後には指導者への道が開けた。
そこそこの実績を積み上げ、いよいよ強豪校の総監督としてデビューした年。
私はアイツと出会った。
アイツは才能の塊であった。
私が欲してやまなかったありとあらゆる才能を持っていた。
私は狂喜した。
コイツとなら日本の頂点を、いや世界を目指せると。
私は今迄蓄積してきた全てのモノを彼に注ぎ込んだ。
それこそワレモノを扱うが如く、大事に丁寧に無理をせずそれでいて最大の効果を上げるように。
細心に最新の注意を払って磨き上げた。
元々の才能に加えて私の全てを注ぎ込んだ珠は、あっと言う間に急激な成長を遂げ、部内、地区、県の強豪を次々と破り、記録を塗り替え、終には全国を圧倒的な新記録で制覇し、あっと言う間に日本の頂点へ上り詰めた。
そしてその歓喜の絶頂にあの悲劇が起こった。
事故の一報を聴いた時、私は目の前が真っ暗になった。
あれほど大事に育て上げてきた貴重なものが、アイツ自身の不始末で泡と消えたのだ。
自分が怪我をした時を遥かに超える絶望と喪失感が私を襲った。
それはやがて強烈な怒りとなり、その行き場はアイツに向けられた。
あれだけ心血を注ぎ大事に大事に育て上げたものが、どんなに貴重で取り返しの着かないものなのか。
アイツはそれを軽んじて壊してしまったのだ。
許せなかった。
許す心算も無かった。
連日の報道でアイツは居場所を失った。
過失は自分にあるのだから当然の結果だと言える。
サポートするべき私を含めた周りの人間は、元々傲慢で才能を鼻にかけたアイツに愛想を尽かし『都合の良い時にだけ助けを求めるな』と放置した。
アイツのSOSを無視し続けた結果、ある時アイツは忽然と姿を消した。
アイツがいなくなって清々したと思っていた私は、時が経つにつれ後悔が募りだした。
なんて大人気ないことをしてしまったのだろうか。
自分が競技者として復帰できないと知った時の衝撃を思い出せば、そんな考えには至らなかったであろうに……。
アイツがどんなに悩み苦しんだか、冷静になった現在の私には容易に想像がつく。
しかしあの頃の茹った頭の私にはそんな事を思いやる心の余裕など欠片も持ち合わせていなかった。
私は一線を退いた。
もう勝つ為に選手を育てるという指導は止めよう。
過度のトレーニングから競技者生命を失う人が出ないようにするだけではなく、競技を楽しんでもらえるような環境を作ろう。
そう思ってこの数年、新たに歩み始めた。
私の考えに賛同してくれる人は自分が思っていた以上に多かった。
様々な事情で走ることを断念せざるを得なかった人々が、それぞれに経験と知識を出し合ってサポートできる環境を整えていった。
しかしその人々の中にアイツの姿はなかった。
アイツにも私と共にこの道を歩んで欲しかった。
あの頃のように二人三脚であいつとこの道を歩みたかった。
今頃アイツは何をしているんだろうか?
未だ絶望の淵に立っているのだろうか。
それとも別の道を見つけることが出来たのだろうか。
戻ったらもう一度あいつの所在を探してみよう。
虫の良い話かもしれないが、もう一度一緒に……
そう思うのだ。




